(前の記事からの続き)
【他人には 「私はどう生きていけばよいのか」 などという問いは、
端的に言って答えられないものである。
それを、 場面1における心子は問わずにはいられない状況だった。
〔*稲本・注: 場面1 → http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/64496357.html 〕
(中略)
「このような問いに 私はとらわれているからこそ、 私は生きづらい」
と解釈してもよいのではなかろうか。】
拙著から引用された 「場面1」のエピソードは、
「BPDの人と接するときは 巻き込まれないようにする」 という
例として記したものでした。
野崎さんは、 このエピソードに出てくる 心子の僕への詰問を取り上げ、
BPDの人の生きづらさについて 考察しています。
「どう生きていったらいいの!? 彼氏なら教えて!」
という心子の問い詰めに、 僕は内心動揺し、
そのとき答えなければと しばし焦っていました。
「それも 白か黒かを求めてるってことだよ。
ひとつの答えはないんだよ」
と、 僕はかろうじて 取り澄まし答えました。
でも野崎さんの言うように、
「答えようのない問いに とらわれるほどの生きづらさ」 に
目を向けることができていたら、
もう少し落ち着いて、 心子に違った態度を 示せたかもしれません。
「どう生きていいか分からないくらい 辛いんだね」
というような対応ができたかもしれません。
もちろんそれで 心子が満足するとも思えませんが。
“どちらに転んでも恨まれる” と言われる、 ボーダーの人との袋小路ですが、
僕自身が落ち着いているための 術にはなったのではないかと思います。
〔引用:「境界性パーソナリティ障害の障害学」
野崎泰伸 『現代生命哲学研究』第3号〕
(次の記事に続く)