「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

「境界に生きた心子」 が 「境界性パーソナリティ障害の障害学」 に引用 (18)

2015年03月11日 19時11分21秒 | 「境界に生きた心子」
 
(前の記事からの続き)
 
【 「現実はグレーゾーンであり、
 
白や黒など はっきりと決着のつけられないものである」  とよく言われる。
 
それは一理あるかもしれない。
 
しかしながら、
 
決着をつけるべき問いに 決着をつけようとしていないだけのことも あるだろう。】
 
【BPD患者が 「答えのない問いを生きる」 】
 
【字義通り、  「答えのない問い」 に答えることはできない。
 
ならばどうすればよいのか。
 
 「答えのない問い」 を 可能な限り社会からなくしていくことである。
 
すなわち、  「答えのない問い」 に はまり込む手前で、
 
そのような問いを問う必要のない 社会を作っていくことである。】
 
 世の中や人間は、 簡単に決着が付いたりしないからこそ、
 
 奥深く素晴らしいものであると 言うこともできます。
 
( 「決着をつけるべき問いに 決着をつけようとしていないだけのこともある」 のも、
 
 確かだと思いますが。)
 
 すぐに答を求めるよりも、 分からないものを分からないまま抱えながら、
 
 それを味わっていくことも、 また必要かもしれません。
 
 答の出ない問いに、 最後まで向き合っていくのが、
 
  「生きる」 ということだとも言えます。
 
 自分が人生に 生き方を問うのではなく、
 
 人生が自分に 生き方を問うているのであり、
 
 それに答えていくのが、 生きることであるとも。
 
  「どう生きていけばよいのか」 という問いは、 人類の永遠のテーマであり、
 
 世界からなくすのは不可能だし、 なくしてはいけないものなのではないでしょうか?
 
 (その問いがない社会というのも 想像しにくいものです。)
 
 そういう問いから 哲学が生まれ、 芸術が生まれます。
 
 それこそが、 人間の豊かさや幸福にも 繋がっていくものでしょう。
 
〔引用:「境界性パーソナリティ障害の障害学」
 野崎泰伸 『現代生命哲学研究』第3号〕
 
(次の記事に続く)
 
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