「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

精神看護学で 「人格障害」 (1)

2016年02月23日 21時01分19秒 | ボーダーに関して
 
 先日受講した 精神障害のとある講座の中で、 パーソナリティ障害の話がありました。
 
 精神看護学の講師で 人間的にはとてもいい方だったのですが、
 
  「人格障害」 という言葉を使っていました。
 
 今は 「パーソナリティ障害」 になっていると 僕が伝えると、
 
 それは小耳に挟んだことがあるが、
 
 精神看護学の現場では  「人格障害」 が使われていると言われました。
 
  「人格障害」 は 人格に障害があるという 誤解・ 偏見を招くことを訴えても、
 
 それはその通りなのだけれど、
 
 現在はまだ  「パーソナリティ障害」 という言葉に変わる 移行期で、
 
  「人格障害」 が使われていることを 分かってほしいと言うのです。
 
 精神看護学の講師であれば、
 
 精神障害への偏見を 率先して是正しなければならない 立場だと思うのですが、
 
  「人格障害」 は もはや時代錯誤という現実を
 
 なかなか分かってもらえませんでした。
 
 患者さんの痛みを 誰よりも理解し、 人権を尊重しなければならないはずなのに、
 
 どうして精神看護の世界で 人格障害という言葉が使われているのか、
 
 不思議でなりません。
 
 看護教育の現場で、 若い学生の人たちに この言葉が教えられて、
 
 パーソナリティ障害は 何か人格に問題があるというような 目で見る看護師が、
 
 もし育っていくとしたら、 本当に居たたまれません。
 
 パーソナリティ障害の代表とも言える BPDは、
 
 ただでさえ 甚だしい誤解や偏見にさらされ、
 
 当事者や家族の人たちは この上なく苦しんでいます。
 
 BPDは 最も苦しい精神障害だとも 言われていますが、
 
 それに更に追い打ちをかけるような 表現がなされるのは、
 
 身を切られるような気持ちです。
 
 精神看護という、 患者のことを第一に支える 看護師を教育する場でこそ、
 
 是が非でもイニシアチブを取って
 
  「人格障害」 という言葉を 改めていってほしいと、
 
 提出するレポートで 再度切望するつもりです。
 
 (繰り返しますが、 講師の方は人間的には素晴らしく、
 
 僕のことも評価してくださっていました。)
 
(続く)