昨日も寒い一日でした。朝から曇っていて午後には小雨もぱらつきました。

銀閣寺の南、哲学の道はソメイヨシノ桜の名所ですが、まだチラホラ程度。

外国語の会話が多く聞こえていました。日本の人よりもアジア系のお客さんと欧米の方が多いようです。

これは一番良く咲いている木。多くの人がこの前で写真を撮っていました。
少し寂しい気持ちになったので、移動しました。

こちらは、山科にある大石神社のしだれ桜です。とても大きな立派な桜で満開でした。あいにくと空が曇りなので写真にははえませんが。
忠臣蔵の大石内蔵助を祀っています。

赤穂藩が取り潰しになった後、京都に雌伏していた時代にこの土地、山科に住んでいたとのことからその場所が神社として崇拝されています。
内蔵助は浪人時代に敵を欺くために、京都に来て毎夜のごとく祇園にて遊興し、仇討ちを諦めてしまったふりをしました。当時は祇園と山科の間には東山があり、地図上の直線距離は2,3里(約10キロ)ですが、広い道路もトンネルもない時代、籠や馬で往来するにも大変な不自由があったことでしょう。

銀閣寺の南、哲学の道はソメイヨシノ桜の名所ですが、まだチラホラ程度。

外国語の会話が多く聞こえていました。日本の人よりもアジア系のお客さんと欧米の方が多いようです。

これは一番良く咲いている木。多くの人がこの前で写真を撮っていました。
少し寂しい気持ちになったので、移動しました。

こちらは、山科にある大石神社のしだれ桜です。とても大きな立派な桜で満開でした。あいにくと空が曇りなので写真にははえませんが。
忠臣蔵の大石内蔵助を祀っています。

赤穂藩が取り潰しになった後、京都に雌伏していた時代にこの土地、山科に住んでいたとのことからその場所が神社として崇拝されています。
内蔵助は浪人時代に敵を欺くために、京都に来て毎夜のごとく祇園にて遊興し、仇討ちを諦めてしまったふりをしました。当時は祇園と山科の間には東山があり、地図上の直線距離は2,3里(約10キロ)ですが、広い道路もトンネルもない時代、籠や馬で往来するにも大変な不自由があったことでしょう。