夢判断リーディング・ただ一人往く:救世主も涙した、あるタイムマシン体験
私まだ、夢判断リーディングを拝聴していないのではっきりとしたことは言えません。
ただ、思うのですが、
救世主はそのお立場で、私たちは私たちで、その領分というものがあり、そして当然違うと思うのです。
全く同じ舞台というわけにはいきません。
如何せんレベルや器も違うという事は人生が違ってくるわけですから。
そして主から教えていただいた真理を知ってしまった以上、自分の生きる世界の中で誰もが孤独なのだと思います。
例えば、職場や家庭でまだ主の教えが浸透していない中、そりゃあ
「みんな聞いて!仏が生まれ変わって法を説かれてるから!今流行りのものなんか価値のないもの一切見ないで、世の中のものなんか一切無視して主の教えだけを聞いて!主だけを見て生きて!」
って言えたら気持ちいいでしょうね。
それでみんなが「おお!そうか!じゃぁ主の本だけを読んで、主のお話だけを聞いて生きていこう!」ってなったらいいでしょうけど。
そんな風にはいかない。
すると自ずと理解を得られないという現実の中で、真理を知る自分は集団の中で孤独に踏ん張って自分と戦うしかない。
しかし、そもそもこの地球では様々の星からの異星人の集まりでもあると聞いております。
そしてそれは、主のお考えの基そのような文明実験が行われているということです。
そうであるなら、こうも思うのです。
だから様々な価値観が横行してしまう。人々は自分がこれまで他の星々で培ってきた価値観をこの地球でついつい発揮してしまうというのも、仕方のないことなのではないでしょうか。
ま、だから面白いという事も言えます。
主の法を学ぼうと、新たな異星人がひっきりなしに人間として生まれ変わってくる。
そのようなこの地球では、価値観の完結は容易ではない。数億年単位の事業なのではないでしょうか。
主の説かれる法以外は一切価値のないものと切り捨てるのは、何か行き過ぎた、性急な考えのようにも聞こえます。
そうするべきなのかもしれませんが、それこそ主の嫌われる全体主義っぽいですよね。
だってそれならば、まずは中国共産党のような国を、悪い方向へ支援する異星人をさっさと排除すればいいと思うのです。
でも、主はそうはされない。
これってどういうことなのかわかりませんが多分
その様々な価値観がありながら、その中で人類全体が主の価値観を絶えず意識して、自分を発揮出来たら素晴らしいってことなのでしょ?
この地球では
先頭を走る主も孤独だと思いますが、そのずっとずっとずうっと後にいる主のご存在を知ることができた私たちも孤独なのだと思います。
それでも、その孤独の中で耐えて踏ん張って真理を見つめるしかないです。
だって知ってしまったらもう後には戻れないんですから。
とりあえず、この動画を見た感想をいってみましたが、
これはずっと私が考えてきたことでもあります。
法友はあれど、主の教えを共有はすれど、しかし真には人間は孤独であると思います。
それぞれの人生があるから。
時々、法友と語らいしばし孤独を忘れ心が温かくなる。
それを力に、また、人々は自分の領分へと戻り、孤独な戦いに向かう。
主が孤独なら、私も孤独に耐えられます。