もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

山口達也氏と憲法記念日に思う

2018年05月08日 | 芸能

 ブログ更新休止中は、山口氏の去就と憲法記念日の話題で賑わっていた。

 山口氏の去就に際しては、所属事務所の対応が遅いとする意見に収斂したかに見えるが、当事者であるTOKIOの意見集約を得てトップが裁定したもので組織の意思決定としては当然の手順であると思う。企業にあっても業務の範囲が多岐にわたる場合には、業務ごとに別会社にしたり事業本部制をとって権限を分散し、組織のトップは下部指揮官の誤判断についてのみネゲーションコントロール(否認指揮)することが一般的であると思う。海軍でも艦隊規模の戦闘にあっては、艦隊指揮官が全ての戦闘を指揮するのではなく隷下の各級指揮官に各戦闘(対空戦、対潜戦、電子戦、水上戦等)を分担指揮させ、ネゲーションコントロールで作戦調整する。そんな中にあって山口氏の処遇に性急なトップダウンを求める風潮に違和感を覚えるものである。一方、憲法記念日の護憲集会では現行憲法の擁護・改憲絶対反対とともに、相も変わらず安倍総理の下では改憲論議に参加しないとの主張も繰り返されており、ここではトップダウン絶対反対の意見が主流を占めているものの如くに感じられ、メディアや識者もトップダウンの改憲ではなくボトム(国民)の議論が煮詰まった上で改憲発議すべきとして半世紀に亘る不毛な時を費消している。山口氏と憲法改正を同列に扱うなとの意見が聞こえてきそうであるが、それならばトップダウンで裁定すべき事の大小は誰が決めるのだろうか。事の大小によって対応を使い分けることを良しとすることはダブルスタンダードを一般化して、公正・公平は裁定を阻害することに繋がり被裁定者に不満を残すことにしか繋がらないと思う。

 軍隊組織に育った自分としては、自分の選んだ指導者に依るものであれば強権的なトップダウンですら良しとするものであるが、大方の意見はどうなのだろうか。少なくとも事の大小によってトップダウンの使い分けを求めるダブルスタンダードだけは避けるべきと思うのだが。