もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

元号について思う

2018年05月18日 | 歴史

 今上陛下の退位・禅譲による新元号が来年の4月1日に公表されることが報じられた。

 現在、元号を使用している国はどれほどあるのか調べてみたが、日本だけであるという噂は本当のところと思った。一方「紀元」については西暦(キリスト紀元)、イスラム紀元等が知られているが、他にもお釈迦様の生誕を基にしたもの、建国の日を基にしたものがあり、日本にも神武天皇即位の年を元年とする「皇紀」が存在する。かって帝国海軍の航空機は制式採用された皇紀年を冠して名称が付され、零式艦上戦闘機(皇紀2600年制式採用”通称ゼロ戦”)、九七式艦上攻撃機(同2597年”九七艦攻”)、一式陸上攻撃機(同2601年”一式陸攻”)などが有名である。ちなみに今年(西暦2018年)は皇紀2678年である(年寄りである自分も調べるまで不確かだったが)。また新元号が決定されるまでには「元号不要論」が飛び交うことが予想される。現に、後期高齢世代の自分もPCのファイル管理に使用される西暦年に従う場合が多く、役所の届を書く場合に改めて新聞の発行年表記を再確認する体たらくであるが、”昭和の歌姫”と言えば美空ひばり、”平成の怪物”と言えば松坂大輔というように、四半世紀程度を一区切りとする元号の方が時代を映す鏡として相応しいと思うものである。元号不要論の一つに、在留外国人が不便とする論が幅を利かすが、郷に入らば郷に従えの格言(英語圏にも同様の格言がある)に従って超然として「元号を守る国」を標榜する方が、東洋の神秘の一環として観光政策にも寄与できると思うものである。元号を廃止してしまえば、応仁の乱や安政の大獄の”応仁”や”安政”によって想起される時代背景が希薄となり、そこから学べるものは歴史ではなく事件簿になってしまうと思う。

 ”元号法”によって元号の伝統が守られていることに安堵しつつも、100年後も元号は存続しているのだろうか。元号を捨て去る日が、日本文化と日本文明を捨てる日であるとも思うのだが。