もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

平尾受刑者の逃走劇終了に思う

2018年05月01日 | 社会・政治問題

 松山刑務所今治作業所から脱走し、因島に潜伏したとされていた平尾龍麿受刑者が、広島市内で逮捕された。

 所持金もないままに23日間逃げおおせた平尾受刑者のサバイバル能力の高さに驚くとともに、危機管理と情報配布について考えさせられる点があった。1は、散髪したのか身綺麗、満足に食事していたのか健康状態も良好、200mの向島水道を春先に泳ぎ切る体力・精神力、身分証として他人名義の健康保険証を所持する社会適応力、等々自分では思いもつかないサバイバル術を持っていたことである。大量に投入された捜査員の目を逃れ得た判断力と決断力は、商売往来で認められる世界で正しく発揮すれば他人を凌駕できるものと思えば残念である。2は、逃走と捜査の全貌が逐一・リアルタイムに報道されたことである。因島・尾道近傍住民に対して二次被害防止と捜査協力のために必要な情報を提供することは必要であったであろうが、捜査員の数・配置・態勢の詳細まで報道する必要があったのであろうか。詳細な報道が心理的に犯人を追い詰める効果を持つかもしれないが、強固な信念に基づくテロ犯等に対しては、捜査・追求の手の内を明らかにして逃走を幇助する意味しか持たないのではないだろうか。9.11でアメリカ政府が標的にされた際にも、危機意識に乏しい田中真紀子外相が標的とされたアメリカ政府中枢の所在を危うく漏らしそうになり、アメリカからの不信感を買った経緯もある。危機や事件が出来した時、国民が「のぞき見趣味を満足するために興味・関心を持つ」ものをメディアは提供しようとするが、その情報が敵方にとっても極めて重要な意味を持っていることを我々はもっと理解して、「知りたい」「のぞき見したい」欲望を自省し、「報道を自粛し」すべきではないだろうか。

 報道の自粛と書けば、すぐ「国民の知る権利」や「報道の自由」の侵害と弾劾されるが、平尾受刑者に対する捜査状況の詳細報道が受刑者の逮捕に直接結びつかず逃走の手助けにしか寄与しなかったことを考えれば、闘争の事実と顔写真の徹底的な周知の方が有効であったのではないだろうか。国際的にテロ対策が叫ばれる時代、日本でも危機管理とリアルタイム報道の在り方に国民的コンセンサスを確立することが必要と思うところである。