もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

中曽根康隆議員のインタビュー記事を読んで

2019年04月15日 | 与党

 ブログの機能確認のため、2018年1月25日にUPした記事を再度投稿します。

 自民党の中曽根康隆衆院議員のインタビュー記事を読んだ。

 議員は祖父康弘元総理・父弘文元大臣と続く政界のサラブレッドで、小泉進次郎議員とともに将来の総理・総裁候補とも目されており、記事は憲法改正ついて祖父康弘氏の意志と熱意を受け継ぐとの主旨である。一般に2世・3世議員は世襲議員と称されて既存権益との癒着が懸念されるとともに、政治家としての能力も父祖の威を借りたものとして高く評価されないものであるが、両議員については期待を込めてその動向に注目したい存在である。記事で紹介されている祖父康弘氏の「政治家は歴史の法廷の被告席に座る」との言に改めて新鮮さを感じた。折りしも国会では代表質問が行われているが、野党第1党の枝野立民党首が相も変わらず「安倍総理の下では憲法論議を行わない」と憲法論議を棚上げして、待機児童問題等の福祉をメインテーマに選んだ。福祉は重要なテーマであろうが、喫緊の最重要テーマではないと思う。野党第1党であればこそ、歴史の法廷に被告として座る勇気と気概を持って将来の国策に真正面から取り組んで貰いたい。国家なくして国民は存在し得ず、国家なくして国民福祉は成り立たないからである。それとも枝野氏を含む立民幹部議員諸氏は、国家なくしても自己の安寧を保てる方策を講じているのだろうかとも邪推したくなる代表質問である。。

 「面従腹背」を座右の銘とする悪名高き前川喜平氏が中曽根議員の伯父に当たるとは知らなかった。閨閥を重んじる政治界一門に繋がる者として「大企業主の子息で東大出身のキャリア官僚」との看板を信じて前川氏を選んだことは、父弘文氏も人を見る目がなかったという事であろうか。


初老男性の踏切遮断機切断に思う

2019年04月15日 | 社会・政治問題

 50歳代の男性が、自動踏切の遮断機(棒)を切断したことが放映・報道された。

 第一報では事実のみ報道されたので「なんとまァ無茶な」と思ったが、以後の詳報によると路線は人身事故の影響で止まっていたが遮断機は30分にわたって下りたままであったらしい。詳報では、踏切遮断機は自動制御されているので、駅員がコントロールできないと解説されていたが不審に思える。現在の自動踏切では、作動状況や踏切の状況は運行指令室等でモニタリングされているものと思うし、監視カメラや注意喚起のスピーカーまで装備されたものがあるとも聞いている。今回のように、全線にわたって電車の運行が止められた状況では遮断機の自動制御を無効にして道路の運行を可能にすることは、そう難しいことではないのではないだろうか。複数の鉄道会社の複数の路線が競合する一部の踏切は別にして、単一会社・路線の踏切では運航指令室からの遠隔手動制御を可能なシステムに改善することを考えてもよいのではないだろうか。この改善には、事故等によって一旦手動制御に変更した場合、運転再開後に踏切を自動制御に戻すことを忘れるという危険性は考えられるが、電車の運行シークエンスに踏切自動制御の項目を加えることで予防できると思うものである。このような改善には多額の経費と長い期間が必要であることも理解できるし、鉄道各社が苦しい経営状態の中、プラットホームドアやエスカレータ(エレベータ)設置に苦闘していることも承知しているが、開かずの踏切解消の一環として考慮して欲しいものである。人員・物資輸送の主役が航空機とトラックに代わった昭和50年代まで、鉄道は日本の血流の生命線と呼ばれて殿様商売であった。その延長線上に国労や動労の「国民を無視したストライキ」や「岐阜羽島駅を作った」「深谷駅に急行を止めた」族議員があった名残からか、斜に観れば道路運送よりも鉄道輸送の方が法的に優遇されているようにも思える。

 更なる労働人口の減少を考えれば現在ヒトが行っている仕事の多くを機械的な自動制御に委ねなければならない情勢であり、主題である踏切の改善を含めて機械の導入にはAIによる制御が最初に考慮されると思う。しかしながらAIに生命を与えるのは人間であり、人間の価値判断をAIが代行するという基本的な図式は永遠に残さなければならないと思う。ロボット3原則を無視して自律型致死性兵器システム(LAWS)を生み出したのは人間であることを思えば、「そこ退け・そこ退け・電車が通る」式の改善・進化であってはならないのは当然である。