スリランカテロの詳細が明らかになったが、民主主義国家が犯す悪しき例の代表と見做すものである。
悪例として上げるのは、インドからのテロ情報が全く生かされなかったことである。報道によるとインドからの情報は首謀者の名前と所在(潜伏先)や攻撃の日時・対象・方法を含む詳細なもので、情報が有効に使用されたならば、テロ攻撃を完全に阻止することは無理であったとしても被害の局限はできたであろうと考えるが、実際には情報は政敵攻撃と自派勢力伸長の道具として担当者の机上に放置された結果、甚大な被害を生じてしまった。これは憶測ではなく、スリランカ国防相も情報共有に対する政府の責任を認めている。民主主義国家では、ゲリラ攻撃対処を含む軍事行動(警察権力の行使を含む)に対してはシビリアン・コントロール(文民統制。国際的にはポリティカル・コントロール(政治統制)が主用)の原則であるが、この考えはシビリアンが正常な判断と危機管理能力を発揮することを前提に考えられている。今回のように極めて確度と緊急性が高い情報も、縦割りのシビリアン社会を辿るうちに変質してしまうことは十分に考えられる。友邦から寄せられた「22日、10箇所の教会に、自爆テロ」という情報も、局長から次官に報告される場合は「22日頃、複数箇所の教会等に、自爆を含むテロの可能性」程度に断定は避ける文言に変質し、さらに大臣に達する場合には「下旬頃、複数箇所に、テロの可能性が懸念される」まで変化することは考えられる。これは、各レベルの担任者がテロが行われなかった場合の保身を考えるためで、このように指揮官までに重要な情報が届かなかった例は無数にある。日本では次のケースも想定される。テロ情報の確度と緊急性は変質することなく辻元清美(仮名)国家公安委員長(大臣)に達したが、辻元大臣は自身がテロ等準備法に反対した過去、テロ阻止のための警察行動が観光産業に与える影響、自衛隊の活用は考慮外、折しもゴールデンウィーク中であること、究極にはテロを防いだ場合にも総理の椅子を争う蓮舫(仮名)副総理の支持を上げるだけとの判断もあって、枝野幸男(仮名)総理大臣に報告せず委員会の招集すら見送ったが、テロ攻撃は行われ多くの犠牲者を出してしまった。以上、くだくだと杞憂を列挙したが、シビリアンコントロール下で武力・警察力を制御するためには、職責のためには自己の毀誉褒貶を顧慮しない強固な使命感と透徹した判断力を持ったシビリアン組織と人格が不可欠であり、一部にでも不適格者が存在した場合にはシビリアンコントロールは全く機能しないこととなる。
今回のスリランカでのテロ被害もシビリアンコントロール失敗の好例であり、どこの民主国家でも起こり得るものである。現に、イギリスやフランスで行われたテロも情報共有と即応力が十分でなかったとされている。