もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

週刊文春 のんさん問題に思う

2019年04月20日 | 芸能

 NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」で一世を風靡した俳優「のんさん(能年玲奈から改名)」の元所属芸能事務所が週刊文春に名誉棄損・損害賠償を求めていた裁判で東京地裁は文春敗訴の判断を示した。 

 週刊文春の記事は、事務所が能年玲奈さんに過酷な労働を強いたとするものであるらしいが、裁判所が文春に賠償を命じたことから誇張や虚偽の内容が含まれていたものと思われる。文春側が判決を不服として即日控訴したことから、真偽は不明ながら今回の裁判では次の点に疑問を感じる。1は、1億3千万円の請求に対して裁判所が命じた金額は660万円であるように、「賠償金額が少な過ぎる」ことである。賠償請求には、単に名誉回復のためだけに請求金額を1円とするものから、名誉棄損の賠償と実質的な逸失利益を合わせて高額の請求となるなど様々であるが、今回の例は後者であろうと推測する。ハリウッド映画では、陪審員が原告の請求金額以上に被告側に懲罰的な賠償金額を加えて高額な賠償を命じることが度々描かれるので、アメリカでは現実に行われていることと思われる。「筆禍」といわれるように、一旦活字媒体に乗せられた「虚偽」は、出版社の手を離れた瞬間から独り歩きを始めて長期間世間に流布して被害者を傷つけ続けることになる。今回の判決では原告の主張の一部を認定したとされているが、「筆の暴力」を考えれば余りにも少なすぎる印象が拭えない。2は、被告の文芸春秋社が判決に対して「芸能界健全化の流れに逆行し、今後の勇気ある告発をためらわせる契機になりかねないもので、到底承服できない」とコメントしたことである。問題の記事は「国民的アイドル女優はなぜ消えたのか?」というゴシップ記事に類するもので、もともと芸能界の健全化という正義感に基づくものではないだろうと邪推する。高々「売らんかな」の精神で他人をあげつらう程度の記事を、社会正義や表現の自由に転嫁する文芸春秋社の社風には、とてもジャーナリズムとは呼べないものではないだろうか。「春秋の筆法」なる言葉があり「間接的原因を結果に直接結びつけて厳しく批判するやり方」と解説されているが、安保関連法を「戦争法・徴兵制の復活」と断じた野党や一部ジャーナリストが印象操作として好むレトリックである。文芸春秋社の社名に使用されている「春秋」には、「春秋の筆法による針小棒大の記事によって印象操作を生業とすることを社是とする」との明確なメッセージが込められているのではないだろうかとさえ考えるところである。

 「春秋の筆法」は、孔子が論語を編纂するに際して採った手法が語源とされ、一般的には事実の過大評価を戒める際に使用されるが、現在ではさらに進歩して、東電吉田証言や慰安婦吉田証言を意図的・恣意的に使用した朝日新聞の例にみられるように、虚偽を巧みに入れ込んだ手法に変化しているように感じられてならない。