もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

3種の神器を学ぶ

2019年04月19日 | 天皇・皇室

 今上陛下が伊勢神宮に御代代わりを御報告するため、天皇としては最後になる行啓が行われた。

 行啓と伊勢神宮参拝には、皇統継承の象徴である3種の神器のうち剣璽を携行されてお宮内庁職員が奉持する姿も放映されたが、記憶を新しくする意味から改めて3種の神器について勉強した。3種の神器は改めて述べるまでもないことであるが、八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)であり、八尺瓊勾玉(璽と称される)のみは宮中に祭られているものの、八咫鏡は御神体として伊勢神宮に、天叢雲剣(剣と称される)は御神体として熱田神宮にそれぞれ祭られており、皇居には八咫鏡と天叢雲剣の形代(模型)が安置されている。神話については割愛するが、3種の神器の形状は残された資料の研究によって、戦乱や火災のために神武天皇即位時とは異なるものとされているが、皇統の精神性については連綿として継承されていると思う。3種の神器の形状・詳細については明らかでなく、唯一明治天皇が八尺瓊勾玉をご覧になったことが記録されているだけとされている。想像であるが、伊勢神宮や熱田神宮の造営・改修に携わった人々や、剣璽の容器の作成・補修に従事した少なからぬ人々が目にしたであろうが、今に至るまで詳細が明らかとならないのは喜ぶべきである。目にしたであろう3種の神器について、知り得た秘密を家人にすら語ることもなく墓場まで持って行った多くの人々かいたからこそ実現したものであり、永遠に続いて欲しい美徳である。今回、陛下の行啓に携行された神器であったが、あそこまで一般の目に触れるように公にする必要があったのであろうかと些かの疑問を感じた。奉持する職員は屈強でもなく、映像で見る限り神器を警護する集団の存在も感じられなかった。神器が皇室だけのものではなく広く国民が目にする機会を与えたいという陛下のお考えによるものかと忖度するものの、天皇制に反対する国内外の勢力にとっては、皇統の象徴を汚すことは格好の標的であると思われるので、もう少し厳重な警備であってもよかったのではないだろうか。

 先日、大火災で尖塔が消失・崩落したノートルダム大聖堂では、所蔵品である「いばらの冠(キリストが磔刑時にかぶっていたとされる)」が無事であることが報じられた。無神論者である自分としては、その真贋には少なからぬ疑問を感じているが、信者にとっては「いばらの冠」の裏にあるキリストの精神を感じれば十分であり、真贋は問題ではなく論じることすら奇異に感じるだろう。同じように3種の神器も「日本教」の象徴であり、神器の真贋はとるに足りないもので、況や科学的な検証等は不要であるとともに、形状や現況が明らかとされることは望まないところである。