もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

スリランカの自爆テロ犯の映像に思う

2019年04月24日 | 軍事

 スリランカの大規模爆破テロの背景が徐々に明らかになってきた。

 真偽は不明ながらISが犯行声明を出し、逮捕者はシリア人を含む40人を超え、捜査の過程でNZにおける反イスラムテロへの報復という供述が得られたと明らかにされる等、スリランカ国外勢力の加担がより濃厚になってきた。とりわけ衝撃を受けたのは教会に自爆攻撃した犯人の挙措を伝える監視カメラ映像である。映像では、明らかに中近東系を感じさせる20代後半と思われる青年が、爆発物の入ったリュックを背負って教会内に達する様子が捉えられている。映画等では、ウラマー(イスラムの聖職者的存在)から聖戦の意義と死後の平穏を諭された自爆実行者が、血走った表情で犯行に赴く姿が描かれるが、今回の映像で犯人は若干急ぎ足ではあるもの周囲の人が不審を抱くほどではなく、訓練を受けた警備関係者でもバックパッカーの一人としか見ないのではないだろうかと思われる。思うに、強固な信念に基づいて行動する人は、目標を達成することに全力を傾注するために我々凡人のように余計な事象に惑わされることはないのであろう。非戦闘員である無辜の市民の殺傷を目的としたテロリストと同列視することは非礼であるかもしれないが、大東亜戦争末期に特攻攻撃で散華された人々も、同じように淡々と手順を踏んで行動されたのではないだろうか。特攻攻撃を題材とした近年のドラマでは、突入前には楽しかった思い出や恋人の顔がフラッシュバックとしてなぞられる場面が多いが、実際には熾烈な対空砲火を潜り抜けるためと目標到達を唯一の使命として、雑念なく操縦に当たったのではないだろうかと思うものである。高度の知識と瞬時の決断が必要となった場合人は何を考えるのだろうか。東日本大震災で原子炉の冷却に当たった人は何を考えていたのだろうか。生死をかけた行動や死が確実な場面から生還したことがないために憶測でしかないが、眼前の危険回避と目標達成に全神経と思考を傾けるため、それ以外のことは考えられないのが真相ではないだろうか。そう考えれば、近年のドラマに描かれる特攻隊員は、彼らの崇高な使命感と行動を冒涜するものとしか思えない。 

 後期高齢者となった現在、死は「親しい隣人」で「確実な訪問者」であるが、果たして余命宣告を受けた場合自分はどのように行動できるのだろうかと心配ではあるが興味もある。願わくば、粛々として隣人を迎えるものでありたいと願うところである。(注)「死は親しい隣人」の表現は、北方謙三先生が作中の軍人に語らせる言葉を拝借しました。