もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

敵基地を考える

2020年09月06日 | 防衛

 自民党総裁選の主要争点の一つに、敵基地攻撃能力整備の要否が再浮上している。

 安倍首相は自民党国防部会からの提言を受ける形で国家安全保障会議(NSC)で議論を本格化させる意向であったが、次期総裁候補の主張を見る限り、議論と整備が鈍化することは避けられないように感じる。菅氏は一応安倍首相の路線を継承するとしているが整備に反対する公明党との関係が深いために腰砕けになることが予想され、岸田氏は構想の推進に慎重、石破氏は例によって問題点を指摘するだけで要否を明言していない。敵基地能力保有の是非については半世紀以上も論じられており、古くは1956(昭和31)年に時の鳩山一郎首相が国会で「他に適当な手段のない場合においては、座して死を待つのではなく、一定の制限のもとで攻撃的行動を行うことは現行憲法下でも認められていると」と答弁し、以来この答弁が一貫して政府の公式見解とされている。しかしながら、戦闘機の導入に当たって飛行可能距離を短くしたり空中給油機能を取り外す等、軍事・安全保障の面よりも政争の妥協点として取り扱われる場合が大きかったように思う。この問題が再浮上した背景には、核とミサイルを含む軍事力を恫喝の手段として弄ぶ中朝という無法者国家が台頭したことと、ミサイルの能力と飛翔形態がより高速に、より複雑化して着弾前の迎撃が困難になった点が挙げられる。この背景から考えるならば、次期総理が誰になっても、例え枝野総理であるとしても敵基地能力整備については避けて通れない問題であるので議論は進められるものと思うが、キーワードは「敵基地」と云う概念であるように思える。一般的に敵基地とは、敵国内に存在する戦術的固定軍事基地を想定しているように思うが、現在の中距離弾道ミサイルの殆どが固定基地に捉われない移動式ランチャーから発射されるものであり、移動式ランチャーの位置と発射の兆候をリアルタイムに把握して攻撃することは不可能であるように思える。また、ミサイルは潜水艦からも発射可能であり、北朝鮮潜水艦が韓国領海内に侵入して発射するようなケースを考えるならば、敵基地の概念と範囲は曖昧になってくるようにも思える。大東亜戦争におけるアメリカ軍の対日空爆目標は、当初は敵基地としての軍事施設に限定されていたが、次第に軍需工場に拡大され、最後には戦争継続の意思を挫くためとして広範囲の無差別爆撃にまで発展したように、敵基地の概念は解釈によっては無限の広がりを持っているように思える。日本の経済力や人的資源が無制限の軍拡に耐えられないことは明白であるが、現在の日本が中国の恫喝から辛うじて守られているのはアメリカの打撃力と核報復力であることを念頭においても、国の安全を保つためには一応の敵基地攻撃能力を保有することは必要であると思う。

 敵基地能力の議論に先立っては、敵基地の概念と限界を政治と自衛隊が共有する必要もあるように思う。一般的に防衛省=自衛隊と考えられがちであるが、防衛官僚(防衛省)は軍政の専門家であっても軍事作戦の専門家ではない。ハリウッド映画の危機管理センターには国防長官と統合参謀本部議長や4軍の指揮官が居並んで、軍事オプションの要否は国防長官が、その能否は制服トップが大統領に進言し国防長官と制服が対立する場面すら描かれることも多いように、政治と軍事は政権内で並立するものと考えられている。日本では制服が国会の質疑に陪席することすら許されていないが、幸いにも安倍総理とは、月に1回程度ながら統幕議長は総理官邸で私的な会談を持っていると報じられている。せめてこの慣習だけでも次期政権が受け継いで欲しいと願うところである。