枝野新党の代表選が告示され、泉健太議員との「一騎打ち」に見せかけた枝野氏信任投票の茶番劇が最終章を迎えた。
枝野・泉両候補の政見発表で、泉氏(現国民民主党政調会長)が国民民主党の目玉であった筈の「提案型で改革中道路線」を主張しているが、そうであれば敢て国民民主党を解党して立憲民主党と合流する必要は無いだろうと思えるので、枝野新党加入は選挙対策の一環であることを言外に肯定しているに他ならないという気がする。一方の枝野氏は「新自由主義社会からの転換」を掲げているので、新自由主義について勉強した。新自由主義とは1938年にドイツの経済学者が提唱した「政府の規制を最小限に留めて、価格や生産は市場原理と自由競争に委ねるべき」とした経済論で、小さな政府の根拠とされている。1980年代までは国民生活の多くの部分を政府が保護することが自由主義社会の責任と看做されて国庫支出は年々増大していたが、1980年代に入って財政赤字の深刻な累積や官僚主義的な非能率などが問題となり、サッチャー政権、レーガン政権を始めとする各国が、減税、規制緩和、公営企業の民営化を軸とする「小さな政府(新自由主義)への転換」が潮流になったと解説されていた。日本でも、中曽根政権や小泉政権が行った3公社5現業の民営化や規制緩和が該当するが、オイルショック、ドルショックやリーマンショック等の経済危機に政府が迅速・有効に対処できないという弱点が指摘されるとともに、経済を市場原理と企業の自由競争に委ねた結果、資本が「儲かるところ」に集中して、安価な労働力と巨大な消費市場である中国に流れ込むことになり、中國をサプライチェーンの中核にまで成長させてしまった。更に国内では、社会・経済の原則を自己責任に基づく自由競争に置いたために過度の経済格差を生み出し、現在では経済格差は学歴格差や貧富階層の固定化等の社会問題にまで及びかねない状態になっている。本来経済原則であった新自由主義は現在では社会全般に及んで、全てを自己責任の自由競争とする社会を生み出して、個人主義に走る国民の増加を招きグローバリゼーションという美名に隠れて国家感を喪失した人種(アナーキストやジプシー等)を生み出す危険性はヒッピーなどの比ではないとも懸念される。トランプ大統領が「中国から金を取り戻す」「中国製品を締め出して雇用を維持する」として、中国(世界が余波を食らっているが)に経済戦争を展開しているのは新自由主義の放棄であるように見えるが、相次いで国際機関から脱退していることから見れば、単にモンロー主義・孤立主義に回帰しているだけかもしれない。
枝野氏の「新自由主義社会からの転換」は、先に表明した「大きな政府容認」の延長上にあるものと見れば、政策として掲げた「所得税・消費税の減免」や「定額給付金の制度化(恒久化)」等は、財政赤字等の解決のために止むを得ず新自由主義を採用せざるを得なった1980年代以前の轍を踏むようにも感じられる。経済・社会を国家(共産党)が統制している中国が、コロナショックからの回復にいち早く成功しつつあるようにも見えるが、枝野氏は大きな政府=中国共産党とまでは考えていないだろうが、枝野新党の大きい政府構想と大きさの拡大限界は選挙までに明らかにする必要があるように思う。