もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

チェコ上院議長の訪台に思う

2020年09月07日 | 欧州

 チェコのビストルチル上院議長の訪台が、欧州の親台/反中の風潮を加速させている。

 ビスルチル議長の訪台は、親中のゼマン大統領の「子供っぽい挑発」との反対を押し切って財界人を含む約90人の代表団を伴って行われ、さらに議長は立法院の演説で「私は台湾人」とさえ付け加えた。「私は台湾人」というフレーズは、1963(昭和38)年、冷戦下で共産主義国に囲まれて経済的、社会的不安を抱えていた西ベルリン訪問中のケネディ大統領が「私も一人のベルリン市民」であると演説して、ベルリン支援の不変・継続を約束して200万人の西ベルリン市民を鼓舞し西ベルリンの赤化を阻止した故事に依っている。ビストルチル議長の訪台と演説に対して中国政府は報道官が「内政に干渉するあくどい行為」と紋切型の反対声明を出すにとどめていたが、折から欧州歴訪中の王毅外相がドイツ外相との会談や記者会見で「訪台は一線を越えた。14億の中国人民を敵に回すもので高い代償を支払わせる」と述べ、会見でもドイツ外相から「脅迫は相応しくない」と直接批判されたとされている。王毅外相の欧州歴訪は、医療・経済支援を手土産に中国コロナによる嫌中の雰囲気を払拭することと米中経済戦争の突破口をEUに求めるものであったが、王毅外相の発言は香港問題やマスク外交で既に進行していた中国警戒感に恫喝外交という新たな危険要因を加えることとなり、比較的友好関係にあった独仏や一帯一路構想で取込みに成功しつつあったスペインをも反中に押しやる結果となったように感じる。台湾にとっては2週間前のアメリカのアザー厚生長官に続く外国高官の訪問であったが、ビストルチル上院議長訪台の意義は、蔡総統の「大国ではないチェコ要人が中国の圧力に屈することなく台湾を訪問した意義は大きい」との言葉に尽きるように思う。

 尖閣諸島という領土問題を抱えるに日本の台湾姿勢の一端は、李登輝総統の弔問団(総勢11名)の編成と行程に暗示されているように思える。弔問団の構成は、森喜朗元首相を団長として当初は超党派国会議員7名(自民4名、公明・国民民主・維新各1名。立憲民主党は「適任者がいない」として不参加表明)に日台交流協会の谷崎泰明理事長を加えた9名の予定であったが、立憲民主党はあからさまな媚中姿勢が批判されたために急遽中川正春衆議院議員の参加を決めた経緯がある(他に自民党の長島昭久議員も追加参加)。行程については、専用機で9日午後2時40分に台湾に到着、4時に蔡英文総統を表敬訪問、5時に台北賓館で李登輝氏に弔意献花して即日帰国という日帰りであった。弔問という儀礼的行為にも中國に阿る立憲民主党は代表団参加に消極的、共産党は当然に拒否であったことや、台湾のコロナ対策の制約としているものの中国を刺激しないために日帰りの弾丸ツワーとしたところに日本政府や政党の対台湾姿勢が凝縮されているように感じた。子供じみた考えと笑われるだろうが、弔問団の増員や滞在期間の延長を作為して、香港・尖閣・コロナ問題に対する中国へのメッセージとして欲しかったと思っている。