もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

駆逐艦「雪風」と特年兵に思う

2020年09月20日 | 歴史

 昨日のNHKの番組で帝国海軍「雪風」が紹介された。

 番組は、帝国海軍で随一の「幸運な艦」と称された雪風の軌跡とともに、乗艦した兵曹の述懐を基に構成されていたが、近世の反戦・お涙頂戴の筋立てではなく淡々と事実を追う構成となっていた。ご覧になった方も多いと思うので詳細は置くとして、紹介したいのは乗艦した兵曹が「海軍特別年少兵」であったことである。
 帝国海軍では、音響判別能力を要求される水測(ソーナ)員と電信員や、航空機操縦員には早い時期からの教育が有効で、かつ教育に長期間を要するという理由から、16歳以上の志願兵を年少兵として採用していた。しかしながら、戦争の長期化に伴って、操縦・水測・電信兵以外にも兵員の補充所要が増大したために、機関兵を含む多くの職域で採用年齢を最終的には14歳以上に引き下げた特別年少兵(通称「特年兵」)導入に踏み切った。数え年14歳と云えば満年齢では13歳であり、現在では中学1・2年生に該当すると思うが、そんな世代に対しても戦死傷が当然に予想される選択をさせざるを得なかった時代を悪と切り捨てるのは簡単であるが、国を守るために志願した彼等の心情は切り捨てるべきではないように思う。現に番組に登場した特年兵は、非情とも云える選択を求めた帝国を呪うのでも無く、戦闘の悲惨さには一部触れるものの特年兵としての矜持を持ち続けているように感じた。
 なお、番組に登場した特年兵の口述を女性ライターが編纂した著書も存在するが、口述内容を恣意的に取捨・増幅した感が露骨で、彼の人生観と人間像を歪め・冒涜しているように感じる。そこには、20歳未満を未成熟と規定して少年法で保護する現在の尺度で往時を観るという悪しき歴史観が働いているように感じる。閑話休題。
 雪風は陽炎型駆逐艦の8番艦として佐世保海軍工廠で建造され1940(昭和15)年)1月に就役した。大東亜戦争に於いては開戦劈頭の南方攻略作戦を皮切りに、ミッドウェー・ソロモン・スラバヤ沖・ガダルカナルと多くの作戦に参加し被害を受けたものの奇跡的に沈没を免れ、連合艦隊掉尾の沖縄作戦では大和の終焉を見届けている。
 終戦後は復員・引揚げ業務に従事した後に、1947年に戦時賠償艦として中華民国(台湾)に引き渡され「丹陽」と改名された。引き渡しに際しても「敗戦国の軍艦で斯くも見事に整備された艦を見た事が無い。まさに驚異である」と立ち会った各国の高級軍人が高く評価したとされている。
 「丹陽」となった後も1970年(艦齢30年)に解体されるまで「幸運の雪風」であり続け、舵輪と錨は江田島の教育参考館に、スクリューは台湾の海軍軍官学校に展示されているとされている。

 自分が最初に乗艦した護衛艦では軍歴を持つ人も多く、艦長は海兵、先任伍長(海曹士の最上級者)は予科練出身の天山艦攻操縦員、機械員長は特年兵出身者であった。この人々は総じて温厚で日常荒い言葉を吐くこともなかったが、卑劣な振る舞いに対しては容赦無かった。また、海難者を救助した際の対処は実戦でしか体得できないもので、まさに先達であったように記憶している。