介護施設がコロナのクラスターと化すケースが多い。
テレビ放映から知ったことであるが、痴呆症者は、自分がコロナに感染していることを認知できないことはおろか、コロナ感染症すら理解していないケースが殆どとされていた。そのため、病室に隔離することは「単なるイジメ」としか感じない故からか、病室を出歩いたり施設内の人と話し込んだりと、感染拡大のための隔離は不可能であるらしい。そのような環境であるから、一度施設内にコロナウィルスが持ち込まれたら施設内での蔓延は避けられないことになってしまう。
介護施設のクラスター化を防ぐためには、痴呆症の感染者をコロナ治療の病院に収容することが最適であろうが、収容先の病院では治療スタッフの他に認知症介護まで強いられることとなり、医療態勢の逼迫に拍車をかけることになる。番組司会者は「そんなことは前から分かっていることで、今まで有効な対策を取れなかったのは問題だ」とお気楽にコメントしていたが、有効な対策は極めて困難、いや不可能に近いものに感じられる。
介護施設内の感染予防対策として先ず思いつくのは、痴呆症の感染者を施錠区画に閉じ込めることや拘束具を用いて自由な行動を制限することであるが、その場合は人格の尊厳や人権擁護を至上とする論者からの非難の大合唱になることだろう。
自分には解決の方策など思いつかないが、高齢者であるが故の「足切り」に直面するかもしれないことは覚悟している。足切りという言葉は、社会的弱者を見捨てることであり、現代社会では口にすること自体慎まなければならない言葉であろうが、我々はこれまでもいろいろな形の足切りを暗黙の裡に認めてきた。入試や入社試験はその好例で、その他にも、懲戒免職には至らないものの勤労意欲に欠ける者、要求される能力を習得・発揮できない者、職場や集団の輪を乱す者を、転勤、雇止め、依願退職の形等でさりげなく排除(足切り)した経験や見聞は殆どの人が持っていると思う。
足切りされた側からすれば理不尽極まりないことであろうが、大多数の幸福追求という集団生活の前提からすれば、足切りは避けて通れない必要悪であると思う。
コロナの正体すら掴めず、重傷者治療には必須の人工呼吸器が圧倒的に不足していた昨年の春、パンデミックに直面したイタリアやスペインでは65歳以上の感染者には人工呼吸器を装管しないという医療機関の処置を暗黙の裡に認めざるを得なかったように、非常時には非常時の足切りが出来すると覚悟している。
年収1200万円を超える家庭の子供手当を廃止する案が浮上している。こちらは強者を足切りするものであるが、国庫支出の公平性や少子化対策の面から論議を呼んでいるものの、教育格差・経済格差改善の側面から見ると極めて妥当な施策と考える。社会主義の根本は、特権階級を排除して彼等の富を貧者に分配することで「極端な貧者はいないが公平に貧しく」を理想としていると思っている。
そう考えれば、今回の子供手当改正は極めて社会主義的な施策であるために立民・共産は反対の論拠に窮するのではと考えられるが、何らかの反対論拠を見つけるだろう。