もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

ベラルーシを学ぶ

2021年02月25日 | 歴史

 欧州最後の独裁国と呼ばれるベラルーシ共和国の反体制運動が度々報じられている。

 海外旅行に関心がない.自分には無縁の国と思っていたが、この際にとネットを拾い読みした。
 ベラルーシはソ連邦解体により1991年にベラルーシ共和国として独立したが、同時に独立国家共同体(CIS)創設に関する協定に参加したため、将来的にはロシアに統合される可能性を残した独立であったとされている。
 現ルカシェンコ大統領は1994年の大統領選挙で当選したが、大統領任期を2期10年と定めていた憲法を改正して現在まで30年近くも大統領に居座り続けている。
 欧米諸国との関係は険悪で、西側からの経済制裁に反発して2008年にはアメリカと国交を事実上断絶し、ブッシュ大統領はベラルーシを「悪の枢軸」の一国と定義している。
 一方ロシアとの関係については、1999年に政治・経済・軍事などの各分野での統合を目指すロシア・ベラルーシ連邦国家創設条約に調印したものの、両国の統合は停滞しているが、その原因はロシアの事実上の最高指導者になる野望を持っていたルカシェンコ大統領が反発しているためとみられている。
 森林の他にはめぼしい資源を持たないために慢性的な経済不況にあるとされながらも、ソ連時代から続く富の分配政策や物価の低価格設定などにより、国民の生活は一応の安定を保っているとされているが、エネルギーの全てをロシアに依存していることから、ロシアと袂を分かつことは不可能であるようである。
 米露の双方から決定的な制裁を受けることを免れているのは、ロシアとNATOの狭間に位置する地勢を最大限に生かしたルカシェンコ大統領の天秤外交手腕と長年における反体制勢力弾圧によって彼に代わる有力な指導者がいないことであるらしい。ロシアにしてみれば欧州への出口をNATOに追いやることは出来ず、アメリカは反体制指導者不在ではルカシェンコ体制崩壊の混乱に乗じてロシアが軍事介入することを恐れているためであるように思える。しかしながら、隣国ウクライナに対するロシアの強硬姿勢を思えば、ベラルーシの現在の綱渡りと小康安定が将来にわたって期待できるものでは無く、ルカシェンコ以後について西側社会は安閑とはできないようにも思える。

 ベラルーシの首都はミンスクであるが、ソ連時代にはミンスクと命名されたキエフ級空母が太平洋艦隊に配属されていた。ある時、津軽海峡西方で演習中のミンスクが随伴艦とともに突如東航を始め、未明に津軽海峡を通峡したことがあった。冷戦の象徴である空母ミンスクが眼前を航行することは絶好の情報収集の機会であったために、監視艦艇を緊急出港させ、陸上ヘリを飛ばしてと大童の夜を過ごしたが、当夜の当直責任者であったために司令部機能が整うまでの初動対処にてんてこ舞いしたことを懐かしく思いだした。