もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

森喜朗氏の女性発言に思う

2021年02月05日 | 与党

 東京五輪組織委員会の森喜朗会長(元総理)の女性感に起因する発言が波紋を広げている。

 問題視される発言は「女性理事が多い理事会は時間がかかるので、女性理事の発言には時間規制も必要」とした点にある。メディアは「女性蔑視」と騒ぎ、欧米諸国からは女性の地位が低い日本の典型的な事例と観られているらしいが、森氏はこれまでも思慮に欠ける発言で窮地に陥る度に陳謝・撤回を繰り返しているので、一向に学習していないように思える。
 本日は、森氏に劣らぬ非難・罵倒を覚悟しての女性観に関する独白である。
 現役の後半では女性自衛官が陸上補給部隊等の中堅に位置するようになり、彼女等らとの調整・関係では少なからぬストレスを感じたものである。彼女等は女性自衛官の先駆者・先導者としての気概に溢れていたが、総じて教条的であったように思う。平時における自衛隊の使命(目的)は、正面部隊を即応状態に維持することであり、目的達成の手段として補給を始めとする後方部隊が置かれているが、彼女等の使命は正面部隊の即応状態(目的)を犠牲にしても補給規則に則った補給体制という「手段」を維持することであるかのようであった。それを突破するためには多くの時間をかけて説得するか、若しくは彼女を無視して男性上司に訴えるという非常手段を採る必要があった。。
 海自定年後の民間企業で、大手企業2社の男性社員とチームを組んで仕事をしたことがあるが、更に1社が加わることになり代表として女性管理職が参加してきた途端、女性管理職が全ての事項を持ち帰るために会議は長引き、1回の会議では決められないことが通例となった。派遣元会社の姿勢もあったのだろうが、社を代表する女性に「チームの目的と自分の権限を把握していないのでは?」との疑念を棄て切れなかった。
 規則を墨守する教条的な判断・要務処理は平時に於いては有効かつ必至であるが、果断・積極性・非常時対処には阻害要因となる危険性を含んでいるように感じられる。石原莞爾氏(当時大佐)が東条英機氏(大将)を「陸軍規定を着た特務曹長」と悪し様に評したように、いつの時代にあっても手段を守るために目的を忘れることはあってはならないように思う

 自分の数少ない経験を元に女性観を述べるのはおこがましいことであるが、森会長の発言にも、一片の真実が含まれているように感じられる。政府は、雇用機会均等法を制定するとともに、官民に女性管理者の数値目標を掲げているが、このことについて世界の女権拡張論者は懐疑的であると聞いている。それらの人は、女性の地位は与えられるものでは無く、勝ち取るものと認識しているためであり、日本の現状が男女機会均等の過渡期にあるということを考慮しても、日本女性も現状に甘えることなく大局観を持つ人物になるための研鑽・奮起を期待するものである。
 各政党の女性役員を眺めてみると、蓮舫氏・辻元清美氏・森ゆうこ氏・青木愛氏・吉川有美氏・牧島かれん氏・福島瑞穂氏・矢田わか子氏等々、百花繚乱である。
 しかしながら、政治は「世界に誇れる日本を後世に残す」のを目的とし、政権を握ることは手段の一つに過ぎない。政党人の多く、特に蓮舫氏や辻元氏にあっては、政権を握ることを目的としているように思える。信長を倒すことは天下安定のための手段に一つにしか過ぎないことを知らなかった光秀の例を引くまでもなく、現在の政治家は目的と手段をはき違えているように感じるところである。
 野党は折に触れて「自民党から政権を取り戻す」と呼号するが、その先に何があるのかは提示し得ない。最悪の主張は「政治を国民に取り戻す」という主張で、議院内閣制の下に自民党に政治を委ねている国民をこれほど愚弄するものは無いように思う。