昨日は朝から国際平和展示室で小学6年生相手にボランティアしました。兵服を見ていた男児が声を上げました。”えっ!第2次世界大戦って洋服を着て戦っていたの?僕は着物を着て言戦争していると思っていた!”
この言葉で私は国民服と言う言葉を久しぶりに思い出しました。昭和の初め頃の父の写真は背広でしたが、私の記憶にある戦時中の父はいつも国民服を着ていました。丁度個人ファイルの中に父も兄たちも国民服を着ている家族の写真がありましたので、子どもに見せて服装も統一されていているのを理解してもらいました。若い人には理解できないでしょうが、今の北朝鮮の人民服の様は服を着ており、おしゃれなど許されない時代であったのです。
後で、付き添いの先生と少し話ができましたが、教科書には年号と出来事はきちんと載っているがそれを理解させるのは難しいと嘆いていました。今後アジアの人々と付き合ってゆくためには歴史認識が必要と思うのですが、軽く通り過ぎてしまう、現在、韓国併合について学習しているが、当時の韓国人の状況など子どもには見えていないと。そんな事を考えるのは面倒くさいという子が多いそうです。
多くの子たちが地雷の模型に興味を示しました。今も地雷が存在している事、なぜ、今戦争していない場所で地雷が問題なのか、真剣に考える児童もいましたが、多くの男児が地雷に興味を持っているのは、今”地雷ゲーム”というのが流行っているからだそうです。それでは大きくなったら地雷除去のために働くきましょうというと本当にするのは恐いという返事が返ってきました。恐いことと認識していることで私たち大人は良しとすべきなのでしょうか。いつか河原で戦争ごっこに夢中になって、葦の中を駆け回っている青年たちの映像を見ましたが、その人たちは特殊なのでしょうか。好戦的にならないようにと願うだけです。