一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

地震とか航空機事故とか

2005-08-16 | 天災・人災
宮城県南部で震度6弱、5都県で重軽傷58人
(2005年 8月16日 (火) 22:19 朝日新聞)

今日の地震は初期微動が長く、しかも本震も大きくて長時間揺れたので、遠いけどかなり大きな地震だと感じました。
宮城県でも一部が震度6弱ということで、規模の割には比較的被害も少ない方だったのではないでしょうか。

今のところ余震はないようですが、できれば今のうちにたまったエネルギーを小出しになった方がいいんじゃないかと思います。



それより気になるのが飛行機事故

飛行機事故ってなぜか続くんですよね
JAL系機から金属片落下 福岡、5人けが
(2005年 8月13日 (土) 01:59 共同通信)

に続いて

キプロス機墜落、121人全員が死亡
(2005年 8月15日 (月) 07:49 ロイター)

が起きました。
これは原因が不明でさまざまな意見があるようです。

そうこうしているうちに
ベネズエラで旅客機墜落 乗客152人絶望か
(2005年 8月16日 (火) 22:53 共同通信)

という事故まで起きてます。


理屈はないですが、しばらく要注意かもしれません。
コメント (3)
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地震

2005-07-23 | 天災・人災
地震がおきたときは駅に向かう途中でした。

歩いていてもはっきりわかるくらいの強い縦揺れで、しかもけっこう強くかつ長く続きました。

ちょうど鉄道の高架線の脇を歩いていたのですが、架線同士が揺れてバチバチぶつかっているので、電車が脱線して落ちてくるんじゃないか、と思わず近くの建物の陰に隠れました。

僕は今まで震度5が最大の経験なのですが、それよりは揺れなかったかな、という感じでした。
震度5でもかなり揺れたという記憶があるので、阪神淡路大震災や新潟のような震度6とか7だと、ほとんど動けないんでしょうね・・・


上を見て心配になったのが電柱。
今や変圧器のほかに光ケーブルやらなにやらいっぱい機器が載っていて、大きい揺れに対して不安定そうです。


駅に近づくにつれ、建物から飛び出してきたらしき人たちで道路が騒然としてましたが、いきなり外に飛び出すのも危ないかもしれません。



僕の利用する電車は比較的早く動き出したのですが、地下鉄はまだ動いておらず、また、帰りのときまでダイヤは乱れっぱなしでした。
でも、駅のアナウンスでは地震の関係で列車が遅れて「ご迷惑をおかけし、まことに申し訳ございません」と連呼していたのはちょっとへりくだりすぎじゃないかと思いました。

やはり線路の安全点検は大事ですし、時間がかかると思います。それを十分説明すれば、福知山線の事故もあるので、乗客も「危険でもいいから走らせろ」などという人もいないでしょうから。

「安全確認のために一部運休や徐行運転をしています。ご協力ありがとうございます」程度で十分なのではないかな、と思いました。
なんか企業の「とりあえず謝っておけ」モードが感じられて、ちょっと引っかかってしまいました。
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「怖い経験」をする訓練はあったか?

2005-05-07 | 天災・人災
JR福知山線の事故について。

事故の原因はカーブ直前で急ブレーキを掛け、しかも速度オーバーで進入したために大きな遠心力がかかり、脱線したと想定されている。


実は自動車で似たような体験をしたことがある。


学生のころのアルバイトで、1トントラックを運転していた。
首都高速を5号線から品川方面まで運ぶというのがその日の仕事。
竹橋インターから環状線をそのまま走ると江戸橋インターの渋滞にかかるので、八重洲トンネルを通ることにした。

八重洲トンネルは、高架の竹橋インター(毎日新聞社の裏あたり)から八重洲の地下トンネルに入るため、環状線の分岐から一気に下り坂になる。
そしてそのまま緩い右カーブが続く。

しかし緩いといっても程度問題。

その日積荷を満載したトラックは下り坂でかなりの加速がついていた。
気がつくとカーブの入り口が近づいている。

そこで思ったのが
・このままでは曲がりきれない
・ブレーキを踏んだままカーブに入ると横転する
・急ハンドルを切っても横転する


しかしサイドミラーで確認すると、幸いなことに後続車はいない。

そこで、
2車線全部をつかって大きな弧を描いて(左車線→右車線→左車線、という形で右カーブを緩和させる)回り、あとは運を天にまかせることにした

残りの直線でタイヤがロックしない程度に急ブレーキをかけ
カーブに入るところでブレーキを若干もどすとともに、ゆっくりハンドルを切る

右車線の右の壁ぎりぎりまで寄せ、カーブの出口で左の壁とタイヤのスキール音とハンドルの感触を確かめながら、どうにかすれすれで抜ける事ができた



なので、運転士の「やばっ!」という気持ちはよくわかる。


事故を防げなかったのはATSが旧式だったのが原因、といわれているがはたしてそうだろうか?


運転士の訓練で、緊急対応とか危険な操作のシミュレーションが足りなかったのではないか。


電車は1トントラックのような軽いものではないから、上のように運を天に任せてどうなる、という余地は小さいはずなので、たとえば

制限速度70km/hのカーブは実際の限界速度がどれくらいなのか、
乗客数による車両の重さが車体の姿勢変化にどのような影響を与えるか、
列車のように連結部のあるものはカーブの途中でブレーキをかけるとどうなるか
を知っておく事は重要だと思う。

そうすれば、「カーブは怖い」ということが頭に叩き込まれる(僕は叩き込まれました)し
最悪速度超過で進入したときにやっていいことといけないことの区別がつくのではないか

飛行機でフライトシュミレーターがあるように、列車でも運転手シュミレーターは(「電車でGO」があるくらいなんだから)あるんじゃないかと思うが、実車でできないそういう訓練は十分だったのだろうか?


素人考えで恐縮だが、脱線の原因となる遠心力や車台の傾きへの影響が速度超過と急ブレーキによる姿勢変化のどちらの要因が大きいかを運転士が理解していたら、ひょっとして最後の最後に何かできること(急ブレーキをかけ続けずに姿勢を制御したまま設計限界速度まで減速して抜ける、とか、フルロックまでの急制動をかけつづけてとにかく速度を落とすとか)があったのではないか。

今回の事故は何も対処のしようがないくらいの速度オーバーだったのかもしれないが、もし運転士が怖さを知っていたら、そんなどうにもならない速度まで直線で加速する事もなかったのではないか、と思うのだが。


コメント (2)
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Bowling for JR West

2005-05-06 | 天災・人災
JR事故に関連して、車掌がボウリング大会に興じていたことがとりざたされている。

確かに不謹慎な行為ではあるが、ボウリングをやめなかったことや、そのあと居酒屋に行った事、はたまた二次会でどうしたこうした、というのがそんなに公共放送を使って報道するほど大事な事なのだろうか?


確かにブランドを傷つける行為ではあるし、「バッシング」には最適のネタではあるが、重要なのは、組織全体で価値観の共有化ができていないことであって、ボウリングをどうしたこうしたという個々の非行の詳細ではないと思う。

ここが「法人の責任」の難しさでもあるが

たとえばJR西日本の個人株主がどこまで責任を感じるかと言えば、「自分の株の価値を下げるようなことをして」と文句を言うだけだろう。

また、従業員=サラリーマンも有限責任の集合体であり、だからこそ統制の取れた安定した組織運営ができる(彼らに言わせえれば「こんな安月給で働いてるんだ」(実際に安いかどうかはさておき))という部分もある。

となると、経営者の責任、ということになるが、経営者は「組織を機能的に運営できなかった」ということで責められるべきであろう。

すなわち、ボウリング事件も「反省の気持ちが足りない」というのでなく、内部統制や価値観の共有化ができていなかったという文脈で議論されるべきではないか。
鉄道会社の任務は、ダイヤどおり安全確実に列車を運行させる事にあるから、たとえば翌日の夜行列車の乗務員が、事故の報道に衝撃を受けて前の晩一睡もできなかった、というのでは困るわけだ。


さて、ボウリング事件に話をもどすと、マスコミもボウリングを何ゲームやったかとか、居酒屋でいくら使ったかという現象面をあげつらい、それに対して頭を下げる車掌区長の映像を映してウサ晴らしするだけでなく、「なぜそれが起きたのか」を掘り下げて考えて欲しい。


個人的な意見では、自浄作用が効かない、内部統制が徹底できない理由の一つとして、鉄道事業の許認可制があるのではないか。
つまり「こんな安月給で働いてるんだ」と「許認可なので競合相手がいないからつぶれやしない」が重なると、組織の論理優先の行動に走るのではないかと思う。


そう考えると、このメンタリティは、同じ許可業態であるテレビ局にもあてはまる。

たとえば名義株を使って有価証券報告書虚偽記載をしていたことは記憶に新しい。


だから、気持ちはすごくよくわかると思うんだけどな・・・

あ、だから、つっこんだ報道はしないのか・・・
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列車事故の教訓

2005-04-27 | 天災・人災
昨日の夕方地下鉄銀座線に乗っていたら、虎ノ門駅に着いたところで「車両点検のためお待ちください」とのアナウンスが流れた。

しばらく待っていても一向に発車する気配がない。

もうしばらく待っていると、いきなり「この電車は回送になりますので、全員降りてください」と言われ、電車は無人で走り去ってしまった。

ホームに下りて聞いたアナウンスによれば、社内に異臭がしたという通報があったので原因を確認しようとしたが、原因がつかめなかったので安全を優先し回送としたとのこと。


福知山線の事故の影響か、地下鉄も安全第一を改めて徹底しているようだし、乗客側も文句を言わずに指示に従っていた。


事故が起きて見ると、我々はダイヤの正確さやスピードと引き換えに、自分の安全をリスクにさらしていたということに改めて気がつく。

「速さ」「正確さ」「安全」を同時に実現するには、今のダイヤは限界で、何かをプラスして得るためには何かを失うことを覚悟しなければいけない、という臨界点に達しているのかもしれない。


少なくともあの電車の運転士は、「正確さ」を実現するのに必死でそれが「安全」を損なう事だという意識を(少なくとも急ブレーキをかける直前までは)もっていなかったのだろう。


確かに評価基準としては「速さ」と「正確さ」は客観的に計測可能なので、まずはそれを実現するように組織としてはプレッシャーをかけがち、という構造は理解できる。


それは、目標管理制度、成果主義が全盛の今の企業の姿にも共通する落とし穴かもしれない。

そしてまた、個人にとっても、目に見える指標を得るために、眼には見えにくいが重要なものを損なっていることはないだろうか。


今回の事故を教訓に、ちょっと幅広く身の回りを見直してみようと思う。
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