一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『狭小邸宅』

2015-12-28 | 乱読日記

不動産業界の内輪ネタ満載とTwitter界隈で有名になったので買ってみたが、小説としても結構面白かった。

「おい、お前、今人生考えてたろ。何でこんなことしてんだろって思ってたろ。なぁ。何人生考えてんだよ。てめぇ、人生考えてる暇あったら客見つけてこいよ」

など、冒頭から名セリフ炸裂中編なのだが、途中から主人公の成長物語風になっていく。

ただ、中編のため、人物の背景描写やエピソードが少なく、ストーリーも抛り出すように終わるが、かえってその分、主人公のその後に思いを巡らすことになる。

城繁幸の解説は、「そもそも日本人にとって仕事とはなにか」というのが本書のテーマではないかという。
解説では、日本の雇用環境の枠組みを前提とするならば、仕事は仕事と割り切って目立たぬようにノルマをこなし続けるか、プレイヤーとしての充実感を貪欲に追及するかのどちらかにならざるをえない。そこの部分をこの小説は描き出しているという。

なら何で作者は『狭小住宅』というタイトルにしたのだろうか、と考えて、実はタイトルは『狭小邸宅』であることに気が付いた。

そこには単なるカテゴリーではない、住む人の思いが入っている。

--下手に喋るな、現実を見てわからせればいい。客が納得するまで何件でもまわしつづけろ。

予算や利便性、快適さ、さらには見栄などのすべてを満足させる理想的な物件はない。
その中でどこかで妥協しつつ家を買うか、または買わないかを客は悩み、そういう客にどうやって買わせるかに不動産屋はあの手この手を使う。

そのことをわかりはじめてきた主人公は、自らの仕事についてどういう選択をするのだろうか。

 

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春画展

2015-12-26 | うろうろ歩き
永春文庫で開催の春画展に。

せっかくなら事前に勉強しようと「美術手帖」10月号の春画特集を買ったのですが、忘年会シーズンでなかなか読む暇がなく、また、パッと見のインパクトがあるので通勤電車の中で読むわけにもいかず、結局読み終わったのが12月も下旬になってしまいました。


大行列。



最終日のためもあるのだろうが、行列の横に仮設トイレがあったので、期間中ずっと人気だったことがうかがわれる。

展示会場が狭いので、入場制限しているのも行列の理由の一つだろう。




展示は、解説も充実していて、絵師ごとの特徴や時代による装丁やモチーフの変遷もわかりやすい。

基本は性器と交合の様子をきっちり描く、ということのようで、多くが現実的には無理があるであろう体位で描かれてる。
また性器も女性器は精緻に、男性器は誇張されて描かれているのも共通の特徴。

そして詞書も面白く、特に北斎は擬音語の使い方が秀逸で、まさにエロの王道を行っているし、現在のエロ漫画(劇画)に脈々と受け継がれているように思う。
実際、床にくしゃくしゃになったチリ紙が散らばっていたりと(この当時は貴重品ではなかったのだろうか?)妙に親近感を持つものも多かった。


この展覧会は、大英博物館で特集されたのを受け、本家の日本でも後れを取るなと企画されたものの、多くの美術館で断られ、永春文庫(細川家に伝わる歴史資料や美術品を展示する博物館)が引き受けたという経緯らしい。

この手のものは「藝術だ!」と大手を振って表通りを闊歩するよりも、裏路地でこそっと見せながらお上もそこには片目をつぶる、というバランスがいいと思うので、今回の展示は場所も含めてよかったのではないか。

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お墓の話

2015-12-20 | よしなしごと

今週の日経ビジネス「敗軍の将、兵を語る」の 「ハイテク納骨堂、課税に異議」の記事。

赤坂にあるハイテク納骨堂(ICカードでお骨が搬送されてくるロッカー式の納骨堂)について、経営主体の宗教法人が固定資産税の非課税申請をしたものの、東京都から宗教活動とはみなされず、固定資産税が課税されることになったという案件。

この記事に東京都主税局の話として以下のコメントが載っている。

当該法人の固定資産税が非課税に当たるか当たらないかは地方税法348条第2項第3号の「宗教法人が専らその本来の用に供する宗教法人法第3条に規定する境内建物及び境内地」に該当するかどうかを1件1件確認して、判断した。「本来の用」とは「宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成すること」と規定している。宗教法人が「本来の用に施設を使用していない場合」には、課税対象になる。

しかしそうはいっても実際に民間で募集している墓地は「境内地」というには無理があるし、「教義を広め、教化育成」などは全然していない(そもそも「宗派不問」というのが多い)ように思う。
やっているとしても読経・法事などの「儀式行事」だけで、そういう建前が「葬式仏教」化をすすめ、さらには改葬申請書への住職の同意などで既得権益化しまっているのだと思う。
(この点については『寺院消滅』でも宗教本来の姿に立ち戻ることを含めて指摘されている。)

だとすると逆に民間にも経営を認めたうえで固定資産税の非課税要件を厳格にした方が、少なくとも既得権益の排除にはつながるように思う。

しかし調べてみると、墓地経営・管理の指針等について(平成12年12月6日 厚生省生活衛生局長)という通達がある。

そこでは

〇 墓地経営主体は、市町村等の地方公共団体が原則であり、これによりがたい事情があっても宗教法人又は公益法人等に限られること。

墓地の永続性及び非営利性の確保の観点から、従前の厚生省の通知等により、営利企業を墓地経営主体として認めることは適当ではないとの考え方が示されている。この考え方を変更すべき国民意識の大きな変化は特段認められないことから、従来どおり「市町村等の地方公共団体が原則であり、これによりがたい場合であっても宗教法人、公益法人等に限る」との行政指針にのっとって行うことが適当であり、具体的な運用に当たっては、こうした要件を条例、規則等に定めておくことが望ましいと考えられる。

さらに  

地方公共団体が行うのが望ましい理由は、墓地については、その公共性、公益性にかんがみ、住民に対する基礎的なサービスとして需要に応じて行政が計画的に供給することが望ましいと考えられること、将来にわたって安定的な(破綻の可能性がない)運営を行うことができ、住民がより安心して利用できることである。このため、例えば市町村が地域の実情を踏まえた墓地の設置等に関する計画を立てる仕組みの導入等も有効であると考えられる。宗教法人や公益法人も非営利性の面では墓地経営の主体としての適格性は認められるが、永続性の面では地方公共団体の方がより適格性が高いと考えられる。

とまで言っている。

これは①墓地使用権の販売によりあつまる一時的な収入目当てに経営しようとする者がいる。②低金利により、当初集めた財産の運用を運用した経営が難しくなっている。③少子化、核家族化が進むと同時に家意識も希薄化しており、無縁化などの長期経営リスクもあるので、墓地経営は経営破たんのリスクが高いという認識を背景にしている。

だとすれば、公共の墓地が増えれば一番いいのだが、そこには財政の制約があるので供給が進んでいないのだろう。
予算の使途としては優先順位は低いし、近隣住民の反対も多そうである。
また、地方議会レベルになると先祖の墓がある既存住民の方が投票率が高く、また昔からの有力者である寺院の政治力というのも無視できないのかもしれない。

そうなると八方ふさがりだが、通達の出た平成12年からは時代も変化し(なにしろ「厚生省」の通達)には少なかったであろう納骨堂形式の墓地(しかも最近はハイテクらしい)も増えてきたり、樹木葬なども人気になってくる以上、一定の経営監視を義務付けながら民営化する、というのも一つの方策ではないかと思う。

販売収入に依存する収益構造も、「永代供養料」という建前をなくせば年会費を原則にすることもできるし、一時金については老人ホーム同様に法規制をかければいい。

無縁化したり、年会費が払えなくなったらときのためには、自治体が共同埋葬所をどこかに用意しておけばいいし。
また、一定の年会費を安定的に徴収できるのであればPFI化して自治体の財政負担を軽減することも可能かもしれない(ここまでは相当ハードルが高いだろうが)。

一方、信仰に篤い人は、今まで通り寺院の檀家として境内地の墓地を選ぶだろうし、そのためにも寺院は、より本来の布教・強化活動に力を入れるという宗教法人本来の姿に近づくことになるのではないか。

宗教法人の非課税問題という以上に大きな問題を含んでいると思う。

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『漁港の肉子ちゃん』

2015-12-09 | 乱読日記
面白い。

『サラバ』の西加奈子の作品(こちらの方が古い)。

男にだまされ続けて北の港町に流れ着いて漁港の焼肉屋で働くことになった肉子ちゃんと娘を中心とした話。
設定と登場人物の造形、ストーリーの妙に加え、肉子ちゃんの出身の関西弁と地元の方言に大人びた主人公のつっこみが入り混じった語り口が見事。

それっぽいことを言えば「成長と救済の物語」なんだろうが、小説は楽しいと思わせる力の方が勝っているので、小難しいことを考えずに一気に読むのが正解。


PS
『サラバ』はついこの間読んだと思ってたら2月だったことに呆然とした師走も半ば。



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『アートは資本主義の行方を予言する』

2015-12-07 | 乱読日記
タイトルは大仰だが面白い。

日本で最初に現代アートを取扱い始めた東京画廊の二代目当主が、日本の戦後の現代アートの歩みと現在の世界の潮流を語る本。

特に、現代美術は世界のカネの流れとつながっている、というところが本のタイトルでもありポイント。
ただ、単にカネを持っているところに美術品が集まるという話ではなく、経済力を持った国が自国の文化的地位を向上させるための政策の一環として現代美術に取り組んでいるが、一方で日本はいまだにハコモノから抜け出せていないという部分を著者は力説している。

アメリカは経済的な覇権を握った後に、文化面でも欧州に対抗するために自国文化としての現代アートの発信に取り組み現代アートの覇権を握った。
今日では(日本を素通りして)中国が世界第二の美術市場になっているだけでなく、美術館を建設し、アートフェアを開催し、中国人アーティストを発掘してそれを高値で買うことで市場に注目させるという一貫した政策を行っている。
実際、2011年のアーティストの年間落札額トップ10のうち6人が中国人となっている。
(それに対して日本は、バブル期にハコモノを建てて印象派の絵画を買い集めるだけ・・・)


それ以外にも、グローバルで売れるにはその国の美術史や文化とつながる歴史性と物語性が必要、とか、自分の主観だけで作られた「閉じた」作品でなくメッセージ性をいかに伝えるかという客観性も持った「開いた」作品であるかがプロとアマの違い、など、画廊経営者ならではの切り口も多い。


最後の方で資本主義の限界が見える中で、アートや文化の持つ力が未来を切り開く原動力になるという著者の主張の部分から、(おそらく編集者がビジネスマンをターゲットにすべく)題名を考えたのでしょうが、手に取る動機はさておき、現代アートand/orお金に関心のある人には面白い本だと思う。


(参考)
本書は画廊・ギャラリーでの二次流通の市場の話が中心になっているが、美術館の経営、特に米国で資産家・蒐集家の所蔵品を寄贈させるしくみなどについては、『美術館は眠らない』がおすすめ。
絶版ですが中古では入手可能なようです。
(その部分についてはこちらのエントリでもちょっと触れています。)





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『ぼっち村』

2015-12-04 | 乱読日記
売れない漫画家が田舎暮らしをするという「週間SPA!」のエッセイ漫画。

売れない漫画家の自虐ネタや週刊SPA!の内輪ネタはともかく、まったくの素人が田舎暮らしを始めたらどうなるかを、一切飾らずに書いてあるという点でとても面白い。

よくある「田舎暮らしのすすめ」とか「里山移住記」は、結局は上手くいっている人の話だし、そこまでの苦労話も「今となってはいい思い出」程度の語られ方をすることが多い。
これに対して本書はそもそも作者がやりたくて始めたわけでもなく、今もうまくいっているわけでもないので、畑仕事の難しさだけでなく、物件探しの苦労、大家とのトラブル、近所づきあい、冬場の過ごし方など、いきなり何の経験もなく係累もいないところで田舎暮らしを始めようとする人が直面することがガチで書いてある。

田舎住まいをしようという人(僕も年に何回かは思う)にはとても参考になると思う。




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『田宮模型の仕事』

2015-12-02 | 乱読日記

田宮模型を世界を代表するプラモデルメーカーに育て上げた田宮俊作氏(現会長)の一代記。
木製模型を扱っていた先代の後を継ぎ、プラモデルに進出、精密な模型作りで名をはせ、海外でも高い評価を受ける。そしてその後のミニ四駆の大ヒットなどが語られている。

文中でもしばしば言及される、少ない小遣いを握りしめながら模型屋の店頭にいる子どもであった身としては、涙なしには読めない。

当時1/35ミリタリーミニチュアシリーズがブームであったが、何を作れるか、買えるかは、プラモ作りの技術とともに小遣いの資金量によって歴然とした格差があり、小学生の中学年の頃は指をくわえて見ているしかなかった。
ちょうど当時88ミリ砲という非常に精緻な傑作が出たところで、値段も1000円近くして、部品の組み立て方の難しさも合わせて、高値の花であった。さらに残酷なことに、88ミリ砲をけん引する8トンハーフトラック(後輪がキャタピラになっていて不整地の輸送に適している)もセットで売り出されていた。

ということで僕自身は、小さなジープや兵士のミニチュアなどの小物ばかりを作っていた。
もっともドイツ軍のはキューベルワーゲンという普通のジープとシュビムワーゲンという水陸両用のがあるなど、バリエーションには事欠かなかった。
(ちなみに、シュビムワーゲンについては、今年ハーグ郊外のLouwman Museumで感激の再会(?)を果たすことができた)




本書にも兵士のミニチュアについてはこんなくだりがある。

たとえば、MMシリーズの人形には、頭の部分とヘルメットを分けているものがあります。パーツで見ると頭の上半分がないので異様な感じがしますが、ヘルメットをかぶるラインで分離することにより、ヘルメットのつばのシャープさが表現できるのです。逆に、ヘルメットをかぶった状態で一体成型すると、つばがぶ厚くなってしまいます。

こういうように模型に対してすみからすみまでまで情熱を注いだ田宮模型の一代記、プラモデルに熱狂した人に面白くないはずがない。


そうでない人が読んでも、たぶん面白いと思います。


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