「清武の乱」などでヒールになっているナベツネ氏の、本業である政治についての本。
帯に例のご尊顔と「橋下現象」などと売らんかなの感じが見え隠れするのですが、中身はスポーツ新聞に書かれているような放言ではなく、けっこうまともです。
確かに現在の読売新聞主筆としての主張の繰り返しや自慢話・昔話も多いですが、
4章ポピュリズムの理論的考察
5章大衆迎合を煽るメディア
あたりは真っ当で面白いです。
4章については、欧米における選挙の大衆化についての研究の紹介や分析が主で、50年前の論考が意味を失っていないことは新鮮です。
ただ、なぜ現代の日本でそれが問題になっているのか、そこにはどういう背景があるのかをもう少し踏み込んで欲しかった感じがします。
ナベツネ氏は選挙制度改革において単純に欧米を見習って中選挙区→小選挙区にしたのがいけない、と言いますが、では欧米とどういう背景が違うのか(ちょっとだけ言及はありますが)、どこが一番問題なのかが詳しく語って欲しかったところです。
1955年の保守合同体制は70年代の保革伯仲状況から曲がり角に来ていたわけで、にもかかわらずそれを生き永らえさせたのが中選挙区制ではないか、中選挙区制における安定に政治が安住していたのではないか、そして今中選挙区に戻したからといって課題は解決できるのか、また同様の轍を踏んでしまうのではないか、という疑問に対する回答は本書にはありません。
たとえば低成長下の税収伸び悩みや社会保障費増加、社会資本の老朽化などの現在の課題は、合計特殊出生率は50年代末に既に2を切っていたし70年代には住宅戸数は世帯数を上回っていたわけで、そもそも55年体制においても顕在化していた(少なくとも予見可能だった)はずです。
そこの課題解決の遅れは政権の安定も一因だったのではないでしょうか。
また、低成長化においては以前より政治の課題の難易度が上がっているのか、そうであれば、政治家に期待される資質も異なってくるのではないか、というあたりも突っ込んで欲しかったところです。
田中角栄は自民党幹事長のときに当時の大蔵省の課長クラスに直接電話していた、という話が紹介されていますが、一方で現代の複雑な制度の下ではブレーンも必要だと語っているものの、昔の政治家は大物が多かった、ブレーンも強力だった、という話になってしまっているのが残念です。
5章ではメディア、特にテレビの政治に与える悪影響について触れています。
ウォルター・クロンカイトの自身への戒めも含めたメディアへの辛らつな評価のところは非常に面白いですが、ナベツネ氏はもっぱらテレビ朝日の悪口に終始しているのが残念です。
少なくとも自らが取締役になっている日本テレビ放送網はどのようにあろうとしている、という言及があればもっとよかったのに。
「近いうち」は修正されつつあるようですが、選挙や自民党総裁選を前に通勤電車で斜め読みするには悪くはないかなと思います。