どんなに給料がよくても、人がうらやむ有名外資企業でも、上司の指示通りにパワーポイントとエクセルの作業だけを行ない、 お客さんに接することも、上司とプロジェクトの意義を議論することもないような仕事なら、即刻辞めるべきだ。
歯切れのいい本。
まずはアベノミクスの「民間投資を喚起する成長戦略」について、日本経済は1960年代のように「投資が投資を呼ぶ」という状況にはなく、投資を喚起することは経済成長につながらない。 しかも特定産業や特定企業を念頭に置いた成長戦略は、現在衰退しつつある既存の企業や産業に依存するという 点でも誤っている、と 批判する。
個人的には「成長戦略」という言葉自体日本語として違和感があり-成長は目的であって戦略でない。 スポーツで「勝利戦略」というのが妙なのと同じ-で、本来は「(成長のための)○○戦略」であるべきだと思う。 なのに政府や経済界、マスコミなども「成長戦略」としか言っていないのは、戦略の少なさを本音では自覚しているようでならない。
上のアベノミクスの成長戦略も「投資乗数効果戦略」とでも言うべきだが、そう言ってしまうと、本当に喚起しようとしている投資に乗数効果があるのか というところを明確にしないといけなくなってしまう。
特に最近の「砂糖と塩」の投資促進税制などは無理やり投資をさせることだけを目的としているような感じがしてならないし、 産業競争力強化法による生産効率を上げるための設備投資は省エネにしろ省人員にしろ投資乗数効果は期待できないように思う。
「勢いをつける」にはいいかもしれない(その意味では反対はしない)が、その間に本命の成長分野が育ってきてほしいものだ。
特区戦略についても、立地競争を主とした立地戦略を批判する。
すなわち、簡単に言えば理論的にはすべての都市が優秀な企業や人を誘致しようとすれば 競争している側がすべての利益を誘致しようとする側に渡すことになり、最終的には破綻するからである。
これについては経済界が主張している法人税実効税率の引き下げについては当を得ていると思う。 (もっともこれは日本の地方自治体の財政の構造的な問題にもからんでくるし、税率下げを言いすぎると 上でいう「渡される側」としての企業に政治的に批判が高まるので、経済界も限度はわきまえていると思うのだが。)
また、国家戦略特区 については、議論されている項目がそれぞれ必要な規制緩和だとは思うが、外国人への医療・教育サービスの充実のように、こんな大がかりな仕掛けを使わなくてもとっととやってればいいと思うものが多い。
そもそも「特区」は小泉政権時の 構造改革特区 、民主党政権下の総合特区 があり、さらに今回はそれとは別に(政権の独自性を出すために?)やろうとしている感がある。
今までの特区がうまくいかなかったのか、なら今回はなぜうまくいくのか、というところが不明であるし、 そんな制度を作る前にとっとと規制緩和ができない、というところ-省庁の利権や既得権益層の存在- に問題の根源があると思うのだが。
さらに、異次元の金融緩和政策については、リフレ政策に批判的な著者は、期待で気分を動かしたことで株高とともに円安も進んだが 、副作用が大きくなる前に早く手じまいをしたほうがいい、と主張する。
特に、ほとんどの日本企業はまだ海外の生産ポートフォリオの確立-技術者・消費者・企業ネットワークのグローバルな最適戦略- が立てられていないので、今後それを進めていくためにも円安より円高が望ましいと言う。
この点については同感。
円安と株高のリンクというのは、輸出依存度が高くないうえに原発問題で化石燃料に依存している日本経済を考えると直感的に本来おかしいと思うのだが、 相場は相場のロジックがあるのだろう。
では、どうすれば成長が実現できるかについて、著者は人の育成がすべてである、と主張する。
二十数年前に登場した新経済成長理論では、資本と労働の他に知識を投入財として技術進歩-新しいものを生み出す力-を 説明しようとした。
知識を投入する方法としては次の4つの方法がある
・外から持ってくる-これは途上国の成長モデルであり日本には当てはまらない
・資本に体化させる-機械を輸入するだけでは日本経済は成長しない
・直接作る-どうやって作るかは未だわかっていない
・労働力に体化させる→これが軸となる
つまり、一人ひとりが自分の力を高めるとともに、日本経済が知識を生み出す環境を整えることが必要になる。
そのためには若年層が勉強になり、自分が成長する機会-人的資本を実践の中で積み上げられる仕事-を持ち続けられることが重要だ。
賃金水準が高いとか、正規雇用とか、そんなことは関係ない。低くてもよいから、身分保障がされていなくてもよいから、意味のある仕事をさせてもらえる職が必要なのだ。その仕事を一所懸命やることで、次につながる、個人が成長する、次の職場に移っても、以前より人的資本を蓄積した労働力として働けるようになる機会を与える仕事が必要である。
具体的なポイントを二つだけあげると、上司あるいは同僚に尊敬できる人がいて、その人から学べる職場であること。そして仕事のなかで、お客さんと直接接する場面があることだ。仕事の上での学びは、上司または同僚(部下ということもあるが、それは日本の特徴だ)か、またはお客さんか、その二つの軸から得られる。その二つの軸の質が高いことが理想だが、そもそも、その軸に接せられることが最低条件だ。
そして、冒頭のフレーズにつながる。
ここについては、いちばん腹に落ちた。
他に「地方があっての都会である」という部分については共感するものがあるが、 「しがらみこそ信頼の基礎」というあたりは「安心社会」を評価しているようで 違和感があったりするが、そのへんは歯切れの良さの代償かとも思う。
それよりも、自分のようなオジサンは若者に「場」を与えるということを実践できているだろうかと 改めて考えることが必要だ。