一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『日本橋バビロン』

2013-10-18 | 乱読日記

作家の小林信彦が、生家の日本橋の和菓子店の明治時代の発祥から戦後の廃業までを、 関東大震災や戦争をくぐり抜けてきた日本橋地区の風物を背景に描いた自伝的小説。

あらかじめ結末がわかっているだけに、戦災から廃業に至るまで、 特に衰退した家業をとりまく親戚筋の振る舞いなどは切ない。

今では日本橋といえば橋を中心とした三越から高島屋の間の中央通り沿いを想像するが、 昔の「日本橋区」ではそこは西の端であり、そこから隅田川にかけて、茅場町、小伝馬町、人形町、兜町、 芳町(人形町の隣で花街があった)、水天宮、浜町、そして著者の生家のあった両国橋のたもとの両国(現在は東日本橋二丁目となっているが1971年までは両国という町名だった。 つまり両国橋をはさんで両国という地名が二つあったということ)まで広がっており、 特に隅田川沿いの両国橋にかけては下町のにぎやかな生活が繰り広げられていた。
その両国町が関東大震災後の区画整理、空襲による被災と復興、そして高度成長期を経て人々の生活が変わっていく様子が描かれている。

そして、戦中・戦後と著者が日本橋で育ち、そして成長する中で家業を継がずに日本橋から離れる心の動きも同時に描かれている。


「古き良き時代」というとき、どの時代が「良い」ものであるかは、語る人の経験による。
そして、大事なのは時代よりも経験の方である。

 

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『成長戦略のまやかし』

2013-10-17 | 乱読日記

どんなに給料がよくても、人がうらやむ有名外資企業でも、上司の指示通りにパワーポイントとエクセルの作業だけを行ない、 お客さんに接することも、上司とプロジェクトの意義を議論することもないような仕事なら、即刻辞めるべきだ。

歯切れのいい本。


まずはアベノミクスの「民間投資を喚起する成長戦略」について、日本経済は1960年代のように「投資が投資を呼ぶ」という状況にはなく、投資を喚起することは経済成長につながらない。 しかも特定産業や特定企業を念頭に置いた成長戦略は、現在衰退しつつある既存の企業や産業に依存するという 点でも誤っている、と 批判する。

個人的には「成長戦略」という言葉自体日本語として違和感があり-成長は目的であって戦略でない。 スポーツで「勝利戦略」というのが妙なのと同じ-で、本来は「(成長のための)○○戦略」であるべきだと思う。 なのに政府や経済界、マスコミなども「成長戦略」としか言っていないのは、戦略の少なさを本音では自覚しているようでならない。
上のアベノミクスの成長戦略も「投資乗数効果戦略」とでも言うべきだが、そう言ってしまうと、本当に喚起しようとしている投資に乗数効果があるのか というところを明確にしないといけなくなってしまう。
特に最近の「砂糖と塩」の投資促進税制などは無理やり投資をさせることだけを目的としているような感じがしてならないし、 産業競争力強化法による生産効率を上げるための設備投資は省エネにしろ省人員にしろ投資乗数効果は期待できないように思う。

「勢いをつける」にはいいかもしれない(その意味では反対はしない)が、その間に本命の成長分野が育ってきてほしいものだ。



特区戦略についても、立地競争を主とした立地戦略を批判する。
すなわち、簡単に言えば理論的にはすべての都市が優秀な企業や人を誘致しようとすれば 競争している側がすべての利益を誘致しようとする側に渡すことになり、最終的には破綻するからである。

これについては経済界が主張している法人税実効税率の引き下げについては当を得ていると思う。 (もっともこれは日本の地方自治体の財政の構造的な問題にもからんでくるし、税率下げを言いすぎると 上でいう「渡される側」としての企業に政治的に批判が高まるので、経済界も限度はわきまえていると思うのだが。)

また、国家戦略特区 については、議論されている項目がそれぞれ必要な規制緩和だとは思うが、外国人への医療・教育サービスの充実のように、こんな大がかりな仕掛けを使わなくてもとっととやってればいいと思うものが多い。
そもそも「特区」は小泉政権時の 構造改革特区 、民主党政権下の総合特区 があり、さらに今回はそれとは別に(政権の独自性を出すために?)やろうとしている感がある。
今までの特区がうまくいかなかったのか、なら今回はなぜうまくいくのか、というところが不明であるし、 そんな制度を作る前にとっとと規制緩和ができない、というところ-省庁の利権や既得権益層の存在- に問題の根源があると思うのだが。



さらに、異次元の金融緩和政策については、リフレ政策に批判的な著者は、期待で気分を動かしたことで株高とともに円安も進んだが 、副作用が大きくなる前に早く手じまいをしたほうがいい、と主張する。
特に、ほとんどの日本企業はまだ海外の生産ポートフォリオの確立-技術者・消費者・企業ネットワークのグローバルな最適戦略- が立てられていないので、今後それを進めていくためにも円安より円高が望ましいと言う。

この点については同感。
円安と株高のリンクというのは、輸出依存度が高くないうえに原発問題で化石燃料に依存している日本経済を考えると直感的に本来おかしいと思うのだが、 相場は相場のロジックがあるのだろう。



では、どうすれば成長が実現できるかについて、著者は人の育成がすべてである、と主張する。
二十数年前に登場した新経済成長理論では、資本と労働の他に知識を投入財として技術進歩-新しいものを生み出す力-を 説明しようとした。
知識を投入する方法としては次の4つの方法がある

・外から持ってくる-これは途上国の成長モデルであり日本には当てはまらない
・資本に体化させる-機械を輸入するだけでは日本経済は成長しない
・直接作る-どうやって作るかは未だわかっていない
・労働力に体化させる→これが軸となる

つまり、一人ひとりが自分の力を高めるとともに、日本経済が知識を生み出す環境を整えることが必要になる。
そのためには若年層が勉強になり、自分が成長する機会-人的資本を実践の中で積み上げられる仕事-を持ち続けられることが重要だ。 

賃金水準が高いとか、正規雇用とか、そんなことは関係ない。低くてもよいから、身分保障がされていなくてもよいから、意味のある仕事をさせてもらえる職が必要なのだ。その仕事を一所懸命やることで、次につながる、個人が成長する、次の職場に移っても、以前より人的資本を蓄積した労働力として働けるようになる機会を与える仕事が必要である。

具体的なポイントを二つだけあげると、上司あるいは同僚に尊敬できる人がいて、その人から学べる職場であること。そして仕事のなかで、お客さんと直接接する場面があることだ。仕事の上での学びは、上司または同僚(部下ということもあるが、それは日本の特徴だ)か、またはお客さんか、その二つの軸から得られる。その二つの軸の質が高いことが理想だが、そもそも、その軸に接せられることが最低条件だ。

そして、冒頭のフレーズにつながる。

ここについては、いちばん腹に落ちた。


他に「地方があっての都会である」という部分については共感するものがあるが、 「しがらみこそ信頼の基礎」というあたりは「安心社会」を評価しているようで 違和感があったりするが、そのへんは歯切れの良さの代償かとも思う。


それよりも、自分のようなオジサンは若者に「場」を与えるということを実践できているだろうかと 改めて考えることが必要だ。

 

 

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『目くらましの道』

2013-10-15 | 乱読日記

スウェーデンの作家ヘニング・マンケルの「刑事ヴァランダー」シリーズ。

本書は1995年刊行(日本語版は2007年)で、以前取り上げた『リガの犬たち』と、日本での最新刊である 『ファイアー・ウォール』の間に位置する。

このシリーズは描かれる犯罪や登場人物の人生がを通して現代スウェーデン社会を描いているところに魅力があるのだが、本作は上の2作がスウェーデンが外国の影響を受けつつある(前者はソ連邦の崩壊、後者はインターネットの普及とグローバル化)という切り口だったのに対し、本作は 国内問題-富裕層の犯罪・異常犯罪・幼児売春・DVなど-を取り上げている。


本書も小説として読みごたえがあるのであるが、話の本筋とは別に印象に残ったのが社会保障制度のありかた。

スウェーデンは日本と比べて社会保障制度が進んでいることに加え、女性の社会参加が進み、 個人が自立を尊重する文化風土からか、結婚・離婚のハードルも低い。
そのため日本では社会保障制度について「自助・共助・公助のバランス」が語られることが多いが、 ここで描かれている社会は(高負担に支えられた)厚い「公助」とそこからこぼれた場合個人の「自助」だけであり、 家族・コミュニティの「共助」は出てこない。

少子高齢化の中で日本の成長の方策として女性の就職支援や高齢者の社会参加が語られるが、 そうやって個人が自立していくにつれ、日本もそうなっていくのではないか。
一方でそれと同時に社会保障において「共助」を柱の一つにするのは、あるべき日本社会のイメージとして期待するの気持ちは分からなくもないが、現実的には無理があるのではないか、とふと思った。


 

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終戦

2013-10-14 | よしなしごと
レギュラーシーズン通りの試合をして、レギュラーシーズン通りの負け方をした。


得点力不足とリリーフ陣の弱体は明らかだったにもかかわらず、若手の登用もせずに、不振のベテラン高給取りを使い続けた監督・コーチ陣と、有効な補強をしなかったGMという見事な連携の結果。


会長と社長の役割分担がうまくいっておらず、仕事はできないがベテランの高給取りが管理職を占めている会社のようだった。


文句も含めて今季は終了。
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