昨日のエントリで取り上げたパリのシテ島の"Quai des Orfevres"(日本語だと「金細工河岸」?)のつづきです。
現在ヴァンドーム広場には高級宝飾店が軒を連ねていて、そのなかでも高級宝飾協会が認めた高級宝飾5店は「グランサンク」と呼ばれています。
これらの店は帝政の時代はパレ・ロワイヤルのあたりに集積していたそうですが、その職人たちの工房がシテ島にあったのでしょうか。
1990年代には、世界的な高級ブランドが老舗中の老舗であるグランサンクを傘下に入れようと熾烈な買収合戦を仕掛けていた、というのを(あまりファッションとか宝飾品には縁のない人生を送ってきたはずの)某高級ブランドに勤務する知人から聞いたことがあったので、前回の前振りになった次第です。
この5店とは
メレリオ・ディ・メレー、ショーメ、
モーブッサン、ブシュロン、ヴァン クリーフ&アーペルでいずれも王侯貴族などが顧客のお店です。
上の5店のうちリンクしていない3店は、既に大手の傘下に入っています。
ショーメがLVMH(ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー)グループ
ブシュロンがグッチグループ
ヴァン クリーフ&アーペルがリシュモン(カルティエ・ピアジェなどを傘下に持つ)グループ
(聞きかじりの知識なので、updateされていないかもしれません)
このあたりの歴史は
こちらをご参照ください。
※またこの記事を書いている途中で見つけた
宝石月夜話という宝石業界の方のブログは、畑違いのものが読んでも楽しめます。
考えてみれば最近話題の投資ファンドによるM&Aでなくても、買収でグループを大きくしていくという手法は昔からよくある話ではありますし、ファンド規制を言っているヨーロッパでもけっこう盛んに行われていました。
酒類販売だと、アブサンの代用酒であるパスティス(
参照、『南仏プロヴァンスの12ヶ月』では日常的な飲み物として登場しますね)から大きくなった
ペルノ・リカールとか、自動車業界だとアルファ・ロメオを傘下におさめたフィアットとかBMWがminiを、アウディがランボルギーニをと日常茶飯事ですね。
たとえばA社が「A社の商品」というブランド力があって十分に業績を上げていれば、経営の独立性を損なったり従業員に対して強引なコストカットをしても買収側には何のプラスにもならないので、買収者は「いいタニマチ」でいたほうが得になります(高級宝飾店などはあまり強引なことをして顧客が離れるのは得ではないのではないかと思います)。
逆に業績が低迷している会社については、現経営陣や従業員のパフォーマンスがよくないわけなので経営陣をすげかえたりコストカットをしたりする必要があります(自動車会社なんかはそうみたいですね)。
でも考えてみると、世の中の大半の企業はそんなにドラスティックに業績が変わるというのは少ないはずで、逆に言えば「誰が経営者をやっても当面はそこそこ現状維持はできる」という状態の企業が多いのではないでしょうか。
経営者や従業員も「無理せずそこそこ仲良く楽しくやろう」となるわけです。それを「家族的経営」と言ったりしますね。
また株主も、非上場ならもちろん、上場していたとしても株主は配当があって市場全体にリンクした株価上昇があればそんなに文句を言わないのが普通でしょう。
そこに、ライ○ドアとか○天のように株式公開したものの投資先がなく現金が余っている企業にとっては、多少高くても連結の収益を取り込めるので自社の株価にはプラスに働くので買ってしまおうということになるわけです。
または、そういう会社が出てくることを見越して、会社を買っておいて、資産を切り分けリストラをして売りやすくするという投資ファンドもでてくるわけです(いわばマグロを買って解体して切り身で売る卸問屋のようなものですね)。
いや、ここで企業価値とは何ぞやとか会社は誰のものか、などと言うつもりはないです(酔っ払ってるしw)。
ただ何で「無理せずそこそこ仲良く楽しくやろう」とか、「職人気質で儲けはそこそこだけどいい会社」という、個人的にはなじむ世界は資本市場には居づらくなってしまっているな(それを理屈で語ると岩井克人とか、マルクスまで遡ってしまうのかもしれませんが)、それでも「ブランド」とか「職人」のてっぺんというのは、買収にしてもまた違うロジックが働いているのかな、と思ったもので。
(なんかとっちらかったエントリですが、推敲する余力もないのでそのままアップします)