一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『語られざる中国の結末』

2014-05-19 | 乱読日記

書名は刺激的だが、キワモノではない。  

本書では、いま中国が海洋に進出し米国に挑戦する理由、中国経済の行き詰まりが共産主義中国の興亡に及ぼす影響、すでに始まっている米中紛争の具体的シミュレーション、その後の中国の内部変化などを考慮したあと、日本がとるべき国家戦略のあり方について提言を行っている。  

政経が常に一体となっている中国を、文化的背景からひもといている部分は面白くかつ参考になる。

 中国を変えたければ、中国自身が内側から変わるのを待つしかない。この巨大で多様な人間集団を短期間で変えるなど至難の業である。このことがわからない日本人はいまも多い・・・
 意外に聞こえるかもしれないが、現代中国を理解するキーワードはその「弱さ・脆弱さ」だ。中国人との付き合いが難しいのは、彼らが「強い」からではなく、じつは「弱い」からだ。「弱い」からこそ「怖い」。「怖い」からこそ、彼らは自分たちが長年受け継いできた文化に「逃げ込む」のである。  
 自信があれば、もっと上手く外国人と付き合える。自信がないからこそ、主観的判断、自己正当化、短期的利益追求などの自己中心的言動を繰り返し、平気で嘘もつく。・・・彼らがまだ開発途上国のメンタリティをもっているからと思えば、理解しやすいだろう。  
 もう一つ外国人が理解すべきことは、中国人が外国からいかに思われているかを人一倍気にする、とても「傷つきやすい」民族であるということだ。・・・このような性格は中国人の専売特許ではなく、他の開発途上国人にもほぼ共通するものだ。
 ・・・中国を変えるには、中国人自身が内側から中国のあり方を変える必要がある。過去百五十年間、中国はさまざまな変革モデルを試してきたが、結局中国の変革のヒントは中国の伝統文化のなかにしかなかったことを忘れてはならない。

また、米中紛争のシミュレーションの部分は、米中の当事者で語られていることの現実味が乏しい、ということ自体を注意した方がいいのかもしれない。
「結末」 については、順列組合せの頭の体操に近い。
そして、そういう将来に向け、日本がどういう立場に立つことになるか、そして中国やアジアの安定化にどういう役割を果たすかについて最後の章で簡単に触れられているが、ここにもう少し紙数をさいてほしかった感じがするのは欲張り過ぎだろうか。

 

 

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『ひとの居場所をつくる』

2014-05-13 | 乱読日記

ランドスケープデザイナーで、アクロス福岡の植栽などを手掛け今は岩手県でクイーンズ・メドゥ・カントリーハウスという馬の放牧と農業を中心とした活動も行っている田瀬理夫さんへのインタビューを中心とした本。

<アクロス福岡:提供 福岡市>

 


田瀬さんのいい意味での力の抜け方と、原理主義的にならず実践に向けた筋を通した考え方は、甲野善紀氏の身体の使い方とも共通する感じがする。

「捻らない、タメない、うねらない」というのは人生の技法としても重要なのかもしれない。

以下、備忘を兼ねて引用

 日本の土地は山林も都市も、所有によって線引きされ細分化している。持ち主は死んでいなくなってしまうし、相談を受ける人もどこかへ行ってしまっていて・・・というような例がどんどん目に見えてきていますよね。
 けれどもランドスケープというか景色には、本来的に境界線などないわけです。
  (中略)
 明治の地租改正と、戦後のGHQによる左寄りの政策や税制を通じて、この国の土地は細かく分割されてきた。古い法律がまだ生き残っていてものごとを破壊しているというか、それが故に生じている不合理なことがたくさんあるんですよね。

 これから地上については、所有を超えて使ってゆくやり方をつくり出してゆくことになると思う。
 いまは建物を建てるための土地は買わないと自由にできないけれど、ただ使いたいまわりの土地については借りればいい。地権者には、どう使うかという展望がないわけですから。

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 その地域に住んでいる人たちが、本当に夢中になってやっていることが表に出てくるというか、それが結果としてまちにもなれば、景色にもなる。そういういのがいいんじゃないかと思うんですよね。本物をやるというのはそういうことでしょう。

 田舎や地方の景色が汚くなっているのは、農業や林業がちゃんと生業になっていないからだと思う。
 農業でいえば、たとえばいまはもう大半が兼業農家であって、農民ではない。専業農民なんてほとんどいないわけです・・・

 国内の田んぼの大半は兼業農家の仕事だけど、兼業ではろくな農業は出来ませんよ。休日しか働けないのだから。田植えと稲刈りをやるだけで、その間は除草剤と農薬だけ散布してなにもしない。
 時間を投入してないし、大量に薬を散布して、買ってきた機械で仕事を済ませていて、息を呑むような田んぼや山里の景観は、国内でも本当に限られているんじゃない?

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 本当にこの国の農業を持続させたいのなら、たとえば農業を学びたい若者の学資ローンは国や自治体が引き取って清算するような枠組みでも用意しないことには、いくら本人が始めたくてもできないと思う。農家の個別補償なんてしていないで、将来の世代に投資してゆかないと先がないですよね。
 ・・・結局いちばん低いレベルに合わせた政策ばかりで、状況を引っ張ってゆくはずの人たちの輝きを損ねてしまっている。

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 (沿岸部の震災復興について)沿岸部の状況にかかわっていったところで、プランニングしようのない状況が容易に想像できてしまうというのもある。
 国や県や市町村が土木系のコンサルタントと一緒に絵を描いて、大事なところはもうあらかた決めた時点で住民に公開する。「これをつくる」「ここにつくる」「いつまでに完成させなければならない」「そうしないと予算そのものがなくなってしまう」という具合に。

 そんな風に進めておきながら、「住民側から提案が出てこない」なんて失礼な話ですよね。
 でも実際のところ住民側からは出せないと思いますよ。そういう訓練をしてきていないのだもの。

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 機会や経験が足りないんですよ、「これからの社会づくりは参加型で」とか急に言われても、パブリック・マインドがまだ訓練されていないんですよね、「かかわる」ことについて。
 そういうことに慣れていないから、大人のくせに「絆」とか「一丸になって」とか、ちょっとしたヒューマン・ストーリーにすごく感動してしまったりするんです。ちょっと子どもじみているよね。

 でもそれは親の責任がどうこうという話だけでなく、まちや地域が、そういう空間になっていないんです。

 マンションに人が住んでも、コミュニティが形成されるわけでもなく、あれは集合住宅というよりただの「住宅集合」ですよね。
 なんのための集合化・高層化かといえば、それによって生まれる公共的な空間の質を高めて環境を良くしてゆくためであって、逆にそれがないとしたら、集合することの社会的な意味合いはほとんど失われる。
 むしろ、都市の環境に負荷ばかりかけてゆく。

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 自分ができないことについて、出来るようにならなくちゃいけないとは、あまり考えたことがないんです。事務所のありかたについてもそうで、「こうするもんだ」とか「これくらい人数がいなきゃ」とか「こういう資格を持っている人がいないと役所の仕事はできない」とはあまり気にしないでやってきた。
 それよりも、「誰がどんなことをやっているか」ということのほうに興味を持ってきました。

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『身体から革命を起こす』

2014-05-09 | 乱読日記

武術研究家甲野善紀氏の著書
(「武術を基盤とした身体技法の実践研究家」と奥付の紹介にあったのでそちらが正確な表現なのかもしれない)

もともと進退感覚に優れない身としては、本で読んだからコツがわかる、というものでもないのだが、有名になった「捻らない、ためない、うねらない」や本書で書かれている「筋肉の緊張を伴う『実感』でなく身体の『装置化』」「二つの異方向の力を合成する」「足裏の垂直離陸」など、意識していると何かのきっかけにはなるのではないかな、と。




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『明日を拓く現代史』

2014-05-05 | 乱読日記

内閣官房審議官で安倍首相のスピーチライターと呼ばれる谷口智彦氏が慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特別招聘教授のときにおこなった講義を元にした本。

「歴史学」にとらわれずに、今日の国際関係を近過去に遡ってその因果の流れを再構築しながら「これからどうなっていくのか」の問いの参考にするという意識で、ジャーナリスティックな筆致で歴史を描くという著者の意図は、単にとっつきやすいというだけでなく、歴史の因果の「流れ」を俯瞰して理解するのに成功している。

全体を通して解きたいと思った問いを改めて列挙すると。

  • 米国がつくった世界システムとは何か
  • なぜ日本はそのシステムでうまく成長できたのか
  • ここでいう「システム」とは初めからすんなりできたものなのか
  • 挑戦者として現れたかに見える中国は、この先どうなるのか
  • 日本は果たして、これからも立派に生きていけるのか

特に、第一次大戦後英国の覇権を米国が奪いに行く過程と、その中での第二次世界大戦を描いた部分は非常に印象的。  

・・・このように、日本にとってあと戻りができなくなる41年こそは、欧州大戦勃発後二年にして米英で戦後構想の立案が勢いを増した時期に当たっていた。日本人は、勝つつもりで戦後計画を立案してさえいた相手に戦いを仕掛けたのだという事実を、当時満足に知らなかった。70年以上を経たいまも、十分知っているとはいえない。    

・・・この認識格差と、それをもたらした情報力の差こそが、思えば日本の計算を狂わせ、無謀な戦いへ進ませたものといえる。「もしも」と問いたいことがいくらもあった時期だ。  

・・・認識格差、情報ギャップが埋まらなかった原因は、おそらく第一次世界大戦を当事者としてどれほど切実に体験した(欧米各国)か、あるいはしなかったか(日本)の差に由来する。

このへんの認識格差、大局観の欠如については、日本の国内事情を中心にした視点から描いた加藤陽子氏の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』でも触れられているが、現在への教訓ともすべき部分である。
(ところでダボス会議で安倍首相が日中関係について第一次世界大戦前の英独関係を引き合いに出して物議をかもした発言をスピーチライターとして著者が書いたとしたら、その理由はなんだったのだろうという疑問がわく。日中関係に関する真意がどこにあったにせよ、初の総力戦となり多大な犠牲を出した上に、英国にとっては覇権を米国にとってかわられるきっかけとなった第一次世界大戦を引き合いに出して刺激する必要はどこにあったのだろうか。)


最後の日本の未来を語る部分、特に明治維新や終戦直後を引き合いに出して「向日性と楽観性」「若さ」の重要性を説き、「当時と今は違う、というのは言い訳にならない」という部分は、「歴史書」としてはそこの示唆で終わるのは仕方ないかもしれないが、もう少し大胆に「今」に切り込んでもよかったと思うのは贅沢というものだろうか。


 

 

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カジノ法案

2014-05-01 | 余計なひとこと

いわゆる「カジノ法案」が話題になっている。

カジノ 法案に黄信号 与党・公明、慎重論強く
(2014/4/28 1:00 日本経済新聞 電子版)
カジノ法案 :5月下旬に衆院委審議入りで調整-議連成立狙う
(2014/04/28 18:53 Bloomberg)

個人的には「IR:統合型リゾート」というのがそこまで収益性が高いのか、カジノがなければ大規模MICEの誘致はできないのか、という点については今一つピンとこないのだが、ここはひとつ切り口を変えて考えてみる。

現在公営ギャンブルの利権所管は
 競馬:農林水産省
 競艇:国土交通省
 競輪:経済産業省
 オートレース:経済産業省
 スポーツ振興くじ(TOTO):文部科学省
 宝くじ:総務省
それに「公営ギャンブル」ではないが
 パチンコ:警察庁(内閣府)
と主要官庁はそれぞれ既に何かしら持っている。

カジノ法案(特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律 案要綱)ではカジノ委員会を内閣府の外局に置くことになっているが、どうせやるのであれば、ここはひとつ厚生労働省の所管にしたらどうだろうか。

いままで公営ギャンブルのおこぼれに預かっていなかったので、ほかの官庁も文句を言わないだろうし、カジノからの収益を急増する社会保障費の足しにするのであれば国民全体の理解も得られるのではないか。
もっともここによると、(出典不詳だが)シンガポールの2012年のカジノ税収額+入場税は約812億円で、社会保障関係費に使うとされている消費税が3%増税で約8兆円の税収増になる(参照)のと比べると焼け石に水、少なくともカジノ収益を社会保障関係費に周りたとしても消費増税をしなくて済むことにはならないレベルだ。
しかし法案にあるように地域振興を旗印にすると各地にカジノ目当ての「統合型リゾート」が乱立して結局赤字垂れ流しになったりしそうなので、誘致のハードルをあげるためにもいいのではなかろうか。

それに弊害が指摘されるギャンブル依存症についても、健康保険制度で面倒を見ることになるのだし。

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