サラリーマンNEO シーズン6の総集編を録画で観ていたら、「NEOビジネススクール」という東進ハイスクールのCMのパロディ5連発のなかに表題のテーマがあった。
曰く
a=声がやたら大きい
b=酒が強い
c=左利き
d=雑学
1つを除いてすべてあてはまるw
サラリーマンNEO シーズン6の総集編を録画で観ていたら、「NEOビジネススクール」という東進ハイスクールのCMのパロディ5連発のなかに表題のテーマがあった。
曰く
a=声がやたら大きい
b=酒が強い
c=左利き
d=雑学
1つを除いてすべてあてはまるw
昨日の続き
2冊目『どうする?日本企業』では、横並びでイノベーション、品質、多角化、国際化、をうたう日本企業の「成長戦略」が機能しないことを実例をあげて説明しています。
面白かったのが国際化のところ。
問題です。
つぎの外資規制はどこの国のことでしょうか
① 海外からの輸入、海外への送金、外国企業による土地の購入、外国企業による国内企業の買収を制限し、外国企業の活動を原則禁止
② 外国資本の出資比率を50%以下に制限した上で、投資を認可する条件を「国家経済の自立とその健全な発展に寄与する」「国際収支の改善に寄与する」とする。
③ 許認可を前提に独資(外国企業100%出資の子会社の設立を認める)。ただし利益の海外送金は依然として禁止。
ほとんどこれは今の中国の状態なのですが、実はこれは過去の日本の話です。
①は1949年「外国為替及び外国貿易管理法」、②1950年「外資に関する法律」、そして③は1961年の出来事です。
この後日本は④輸入の自由化・資本の自由化(1964年IMF8条国に指定、OECD加盟)⑤送金の自由化(1979年、1997年外為法改正)と続きますが、④のあとにも非関税障壁が残り、日米貿易摩擦の原因になったのは記憶に新しい(といっても30年前のことなので僕等の世代にとってですがw)ところです。
著者は少子高齢化で国内市場は縮む一方なのでグローバルに展開する必要がある、という安易な「国際化戦略」を批判します。
自らが新興国であったときは外国企業の「侵攻」を見事に阻止して自国企業を守り抜いた国が、次は外国に「侵攻」して成長を続けようと目論むのでは、いくら何でも身勝手に過ぎると思いませんか。そもそも、そこまで虫がいい目論見を新興国がすんなり許してくれるのでしょうか。海の向こうの「桃源郷」に甘い期待を寄せる前に、現実を見つめなおしてみませんか。
そして規制下の日本に進出して成功した外資企業の事例に基づき、業種により早期参入にメリットのある業種、後発参入のほうがよい業種、国内産業との競合があり難しい業種の違いがあること、自由化以前では政策にメリットがある企業でないと参入は難しいことなどについて語り、進出先の国のいるステージと自社の業種業態を冷静に判断することの重要性を指摘しています。
たとえば中国と日本を自由化にむけて仮に同じ時間軸に乗せると、今の中国は日本が裁量行政だった1970年代の位置にいることになります。
こんな感じで巷間言われている「成長戦略」の陥穽をついているので、どこか腑に落ちないと感じていた方は共感する部分が多いと思います。
中盤ちょっと冗長な感もありますが、さらっと読めますし、鋭い指摘も多いので、「成長戦略」を熱く語る側の人にも『経営戦略を問いなおす』とあわせて一読をオススメします。
著者の三品和弘氏は神戸大学大学院経営学研究科教授 もともとは一ツ橋大学・大学院出身です。
一ツ橋の経営学系の先生は面白い一般書をよく書いていますが(最近では『ストーリーとしての競争戦略』など)、本書も読みやすく、目からウロコや膝を打つ部分の多い本です。
余談ですが、マスコミへの露出も多く(野中郁次郎氏や米倉誠一郎氏企業の研修でも顧客の囲い込みが上手なので、その経営戦略自体をケーススタディにしてほしいと○大系の先生が自嘲気味に話していました。
『経営戦略を問いなおす』は2006年の発行で、「経営戦略」に関する一般の理解が誤っていて、日本の多くの企業(製造業を分析の材料にしています)において本来の意味での戦略が不在だという指摘をしています。
『どうする?日本企業』はこの8月の発行で、を中心に最近の日本企業の「成長戦略」の危険性に焦点をあてています。
両方に共通する著者の指摘をまとめるとこうなります。
日本企業(製造業)の利益率は1960年から現在まで一貫して下降トレンドをたどっている。
一方で実質売上高は一貫して増え続けている。
つまり、1960年以降、日本企業はずっと「利益なき成長」をしている。
この原因をたどると、戦災からの復興は1970年代にはひと段落して、高度成長期以降の展望を真剣に描かなければならない時期に第一次オイルショックという一過性の混乱に巻き込まれたために、ソフトランディングの方途から注意がそれてしまったことにさかのぼる。
その後も米国市場の開拓と日米経済摩擦など目の前の成長を追い求める過程で「利益なき成長」が定着してしまった。
それぞれの企業について見ると、1950年代から戦時生産体制に代わる新たな事業立地を求めはじめ、それが1960年代に成功を収め高度経済成長を実現した。
しかし、この成功が各企業横並びで起きたために、1970年代以降は立地戦略を問うことなく個々の製品やオペレーションについての競争に注力するようになっていった。
このため1980年代以降製品やオペレーションについてのイノベーションと成長戦略への信仰が定着し、戦略的立地を変えて異次元競争を仕掛けてくる海外勢の前に「利益なき成長」を余儀なくされることになった。
どの企業も横並びでイノベーション、品質、多角化、国際化、をうたう「成長戦略」は既存の事業立地にしがみついた管理主導の利益なき成長戦略であり、不毛な努力、経営戦略の不在である。
となります。
1冊目の『経営戦略を問いなおす』では、「経営戦略とは何か」について丁寧に説明しています。
著者は経営戦略のポイントは「立地」(誰に何を売るか)「構え」(タテ(垂直統合)、とヨコ(多角化)、地域についてどこに経営資源を投入するか)、「均整」(ボトルネックはないか)であるといい、成功例や「戦略もどき」の失敗例をあげています。
そして、管理をマスターしたら次は経営、事業部長から経営者候補を選ぶという日本企業の経営者選定のやり方は、事業部長と経営者は求められる資質が異なるということを理解しておらず、その結果経営トップが管理(=目標達成志向)の発想になってしまい長期的な経営戦略を考えることができない、と批判します。
端的に言えば実務は知識でするものです。経営は、知識でするものではありません。知識の本質は過去の経験にありますが、経営は不確定な未来に向かって作用するものなのです。そこで求められる対極的な判断に、広い教養は役に立つとしても、実務の知識は必ずしも必要ないでしょう。
事業部制や「○○畑」の弊害については納得するところも多いのですが、終身雇用、内部昇格が多いの日本企業の人事システムとの関係をどうするかは難題だと思います。
実際、画期的な経営戦略を打ち出した経営者の多くは、その会社の人材育成システムによるものではなく、前任者の急逝などによって若くして社長に就任した人が多いということが象徴的です。
著者はここについてもアイデアを出しています。
それを実際に行なうには抵抗が多そうな感じがしましたが、たぶん一番のボトルネックが経営者の選抜というところにあるという指摘は正鵠を得ていると思います。
(とりあえず今日はここまで)
旧ソ連時代のこのジョークのようなオチになったりして、とふと思った次第。
衆議院のサーバーに不正侵入判明
(10月25日 17時55分 NHK)
ことし8月、衆議院のネットワークのサーバーが、外部から不正に侵入を受け、内部の情報にアクセスできる状態になっていたことが分かりました。衆議院事務局は「今のところ情報の流出は確認されていない」としていますが、詳しい調査を始めました。
著者の松岡正剛氏(有名な方らしいですが私は不勉強で存じあげませんでした)は日本文化はそれ自体「○○である」と一義的に定義できるもの(著者はこれを「主題の国」と表現します)ではなく、多様性多義性を「編集」するところにその文化の独自性がある「方法の国」であるとします。
そして本書では、「おもかげ」「うつろい」をキーワードに、古代の漢字文化を万葉仮名として取り込むところから、江戸幕府における朱子学・陽明学の輸入から国学への発展、明治維新後「近代国家」たらんとして結果満州事変に向かう「日本という方法」の失敗まで、豊富な例を挙げて説き起こしています。
外部の文化を取り込むという意味では内田樹の『日本辺境論』の視点に通じる部分もありますが、内田センセイは「辺境人であるがゆえに・・・自分の未成熟を正当化する文化においては、霊的な成熟に至ることが妨げられている」と「『主題の国』に至らない日本」を描いているのに対し、外部(や日本の中の多義性)を取り込む方法自体に日本の特殊性があるというとらえ方をしています。
これは非常に興味深い指摘だと思います。
欲を言えば、近世まではアジアにおいてスタンダードだった中国文化を「編集」してきた「日本という方法」が、現在のグローバル・スタンダードの世の中においてどう生きているかの分析があるとより理解が進んだと思います。
これ、注目すべき動きだと思います。
秋サケ漁独占漁協に対抗、岩手に「第2漁協」
昨日の朝日新聞の記事ですが、有料版でしか見れないようなので引用します。
秋サケ漁をめぐって「漁協の独占」を批判する岩手県の漁師たちが、既存の漁協とは別に「第2漁協」をつくることになった。このような動きは全国的にも珍しいという。
同県山田町の漁師約20人が、「山田漁民組合」を23日に発足させる。労働組合的な役割も担い、将来的に法人格を取得したい考え。
中心になっている同町船越の橋端辰徳さん(63)は「今回の津波で、地元の漁師たちは船や漁具を失ったが、国の支援で漁協は自分たちの秋サケ用の定置網や設備の修理を優先し、我々小型漁船にはお金は下りてこない」と批判。「個人で何を言っても相手にされないので、団結して改善を訴えていくことにした」と話す。所属する船越湾漁協は辞めないという。
岩手県では、ドル箱の秋サケ漁について一般漁民の刺し網漁を禁止し、漁協にほぼ独占させている。反発する組合員の一部は2300世帯の署名を集め、漁協独占の改善を達増拓也知事に求めたが、事態は解決していない。
「第2漁協」設立について、船越湾漁協幹部は「コメントは差し控える」としている。
先日 「漁業権」 というエントリでちょっと調べたのですが、大型の定置網については「定置漁業権」に分類され、知事が優先順位(地元漁民の属する世帯が多数参加する地元自営漁協、漁民会社(株式会社を含む)が優先度が高い)に従い免許することになっています。
「漁業者及び漁業従事者を主体とする漁業調整機構の運用によつて水面を総合的に利用し、もつて漁業生産力を発展させ、あわせて漁業の民主化を図ること」を目的とした漁業法(昭和24年)が長年の運用される中で漁民のためでなく漁協という既得権と組織の維持のためになってしまっている、また、そこまでではなくとも少なくとも資金の効率的な配分を妨げているということなのでしょうか。
先のエントリでも現行の漁業法でも法人の参入は禁止されているわけではなく優先順位が低いだけで、要するに県知事の判断によるところが大きい、といいましたが、今回第二漁協という同じ優先順位のプレーヤーが登場したことで、県はその前哨戦といえる判断を迫られることになります。
復興に向けての漁業資源の有効な活用と資金の効率的な配分という見地で判断するのか、それとも既得権にどの程度の配慮をするのか注目したいと思います。
企業が参入すれば必ず上手くいくという保証はなく(現実的にはおいしいところにしか参入しないと思う)、今の漁民たちでより無駄なく儲かる漁業(それは長期的には補助金の減少などにつながるはずです)ができるのであれば、それにこしたことはないわけですから。
オリンパスの騒動のつづき
昨日オリンパスが一連の報道に対する当社の見解についてという適時開示をしましたが、これがまた突っ込みどころ満載です。
1.当社が同士の解職を決議した経緯について
これはオリンパスの従来からの言い分を書いてあります。
問題はつぎ。前社長が疑義を持ったM&A取引に関してです(下線は筆者)
2.M&A案件に関する一部報道に対する当社の見解
(1) Gyrus Group PLC(以下「ジャイラス社」)買収におけるフィナンシャル・アドバイザー(以下「FA」)への支払いについて
① FAとの当時の契約の概要
FAの業務内容:1.M&Aターゲットの提案
2.M&Aトランザクション推進のためのチーム編成と運営管理
3.トランザクションの最適ストラクチャーの設計、提案
4.トランザクションに必要な分析、評価、交渉および必要な
関連サービス
契約締結日:2007年6月21日
支払い金額:基本報酬 500万米ドル
成功報酬 買収金額の5%
(ただし買収金額に応じて所定の範囲で変動する)
内、現金15%(ただし上限1,200万米ドルとする) オプション85%
(ただし現金の上限超過部分はオプションに加算する)
ワラントの付与
※上記報酬にはFAを通じて外部に委託する法律関連等の費用も含む。
② FAに対する支払いの金額およびその内訳
2006年6月16日 基本報酬 300万
2006年6月18日 基本報酬 200万
2007年11月26日 成功報酬(現金) 1,200万
2008年9月30日 ワラントの買い取り 5,000万
2008年9月30日 オプションの買い取り 17,698万
(以上FA報酬)
2010年3月31日 優先株の買い取り 44,302万
(優先株の値上がり分)
支払合計 68,700万
③ FAから取得した優先株の詳細について
発行経緯:資本参加を希望するFAの要請によりジャイラス社の優先株を発行
発行主体:Gyrus Group Limited (Gyrus Group PLCの変更後社名)
発行時期:208年9月30日
発行価格:1億7,698万米ドル
買取価格:6億2,000万米ドル
④ FAから優先株を取得した経緯
ジャイラス社を当社の100%保有とするため、FAに発行した優先株を2010年3月31日に6億2,000万米ドルで買い取りました。買取金額は双方の時価算定の中間値(当社は第三者による算定)によって決定しております。
⑤ その後のFAの状況について
当該FAと当社との取引関係は優先株の買い取りをもって終了しておりますので、当該FAのその後の状況については当社では認識しておりません。
⑥ ジャイラス社の買収に関する当社の認識について
本件買収により、成長を期待される外科事業における当社ラインナップを強化することに加え、ジャイラス社の得意とする米国での販売網を拡充することができ、当社の企業価値の最大化に大きく貢献すると判断しました。買収金額については、デュー・ディリジェンス等を通じてジャイラス社の資産内容、事業内容他潜在的シナジー等について総合的に検討を重ねた結果、妥当な金額であると判断しました。
⑦ ジャイラス社の買収に係る決議に関する監査役の意見
監査役全員一致の見解として、「取引自体に不正・違法行為は認められず、取締役の善管注意義務違反および手続き的瑕疵は認められない」との結論に至っております。
そもそもFAに成功報酬を大きくしてにぎった上で「ターゲットの提案」「分析・評価・交渉」まで任せたら、FAとしては手っ取り早く買えそうな会社を見つけてきて割高な評価をして緩めの交渉をしようというインセンティブが働くはずです。
そこで報酬として買収先の株を持たせれば利害が一致すると考えたのかもしれませんが、FAがもともとそっちはおまけと考えられていたら意味がありません。
それに、買収して1年半後には100%保有にするためにFAから買い取っているわけで、当時からそういう約束があった(またはその意図を見透かされて足元を見られた)と思われても仕方ありません。
当初そういう意図がなかったとしたら、買収1年半で(交渉期間を入れれば実質1年くらい?)いきなり資本政策を変更した理由が知りたいです。
取得価格にしても、オリンパス側は第三者評価をしたと言ってますが、相手の根拠不明な評価額(言い値?)との中間値で買ってるというのはかえって言わない方がよかったと思います。
しかも、FAが何者かについての言及がないところも怪しいです。WSJによればタックスヘイブンに籍のある会社だとかで、そのへんの説明がないのは反論としては弱いです。
百歩譲ってやましいところがなかったとしても、相当脇が甘い感じです。
⑦については、今回改めて意見を求めたのか、当該取引の年度にかかる監査報告書について言及しているのか不明なので、記載の趣旨がわかりません。
今回監査役が独自に調査したのであれば、その報告書自身を開示したほうが説得力があると思います。
つぎに 別のM&Aに関する論点
(2) 株式会社アルティス(以下「アルティス」)、NEWS CHEF株式会社(以下「NEWS CHEF」)および株式会社ヒューマンラボ(以下「ヒューマラボ」)買収およびその後の減損処理について
2006年5月から2008年4月にかけて(段階的に?)買収した3社(住所が同じで業種がばらばら、しかもオリンパスの本業とも関係なさげ、という時点で胡散臭い感じです)について2009年3月期に「リーマンショック等により外部環境が悪化したことを考慮し、保守的に減損処理を行なった」としています。
減損処理金額は
アルティス NEWS CHEFF ヒューマラボ
買収総額 288億12百万円 214億8百万円 231億99百万円
減損処理額 196億14百万円 176億99百万円 183億70百万円
と、それぞれ70%~80%も企業価値が減少しています。
算定方法の当否についてはよくわかりませんが、いくらリーマンショックがあったとはいえ、3年前から前年まで株を買い進めていて、当然財務内容には精通していたはずの会社が一気に企業価値が1/4~1/5になるのは解せません。
しかし当時の適時開示はさらっとしたもので、「リーマンショック」にも言及していません。
これについても「監査人全員一致の意見」が出てきますが、手続きが適法だからといって経営責任(善管注意義務違反でなく経営者として適任でないという点で)を問う声はなかったのでしょうか。
ちなみに、いちいち引き合いに出される監査役について、有価証券報告書を見ると、社外監査役2名は菊川現会長兼社長が当初社長になって最初の監査役改選期に就任した人で、奇しくも同い年(早生まれ等で学年は違う人が1名)。
いずれも他の企業の役員等をやっていたサラリーマン上がりの人で監査の分野に専門性がある感じではありません。
社長の同級生とかじゃないだろうかとググッた範囲でわかったことは、島田誠氏は菊川氏(経歴はこちら)と同じ慶応大学法学部卒ですが卒業年次は2年違い(ここの3ページ目上段の記事参照)、中村靖夫氏は北海道大学理学部出身(こちらの下のほう)のようです。
中村氏は合成繊維の研究をしていた人のようで社外監査役としてはやはりちょっと異色な感じがします。
「違法ではない」ということを強調したいがためにM&Aの下手さを詳細に述べて突っ込みどころを増やすという展開が味わい深いですし、まだ黙っていることも多そうで、今後もいろいろ出てきそうです。
お鉢を回された監査役あたりが次のキーになるかもしれません。
話題になっているオリンパスの社長解任騒動。
おさらいをすると、 17日の日経新聞では取締役会側の解任理由は以下のとおり
ウッドフォード氏がデジタルカメラなど各事業のトップを通り越して現場に直接指示を出し、独断専行的な経営判断で組織間の連携を損なった。
一方 18日の読売新聞によると、ウッドフォード氏の言い分はつぎのとおり
英紙フィナンシャル・タイムズによると、ウッドフォード氏は、一部雑誌で社長就任前の過去の買収を巡っての疑惑が報じられたことから調査を行った。
その結果、2008年に英医療機器メーカー「ジャイラス」を9億3500万ポンド(当時約2150億円)で買収した際に不透明な支出があったことが分かったという。具体的には、買収のフィナンシャル・アドバイザー(FA)を務めた、カリブ海の英領ケイマン諸島の企業に総額6億8700万ドル(同約730億円)を支払ったとしている。
米紙ウォール・ストリート・ジャーナルによると、ウッドフォード氏はFAへの巨額報酬について、過去3週間にわたって菊川剛会長(当時、現会長兼社長)らに書面でただした。解職2日前には、「深刻なガバナンス(企業統治)の懸念」を理由に菊川氏に辞任を促したという。ウッドフォード氏は、こうした行為が自らの解職につながった可能性があると主張している。
これに対して、内部情報を外部のメディアに流したと見られることに、会社側が「法的措置を含めて対応する」という報道もなされています。
会社としては会計処理が適切だと言っているので、(内部告発の正当性の議論を置いたとしても)「守秘義務違反」でなく「風説の流布」なんじゃないの?とか、正しい会計処理の根拠となる情報を漏えいしたとしても解任以上の更なる「法的措置」って何なんだろう?などという素朴な疑問がわいてくるのですが、そのへんは専門家の方が整理されるのを待ちたいと思います。
それはさておき今回興味があるのは、ウッドフォード氏が外部からのお雇い外国人社長でなく「生え抜き」であること。
2011年2月23日の日経ビジネス「時事深層」 “生え抜き外国人”社長の勝算によると、
(ウッドフォード氏は)経営のプロとして出資先や提携先から招かれたのでなく、オリンパス一筋の生え抜きだ。20歳で英子会社の医療機器の営業マンとして入社して以降、勤続年数は30年に及ぶ。
30歳でこの英子会社の社長に就き、その後も医療部門を中心に現地の要職を歴任。地域別営業利益で221億円(2010年3月期)と、米州の3倍以上を稼ぐ欧州事業の拡大に貢献した。「欧米でオリンパスのあらゆる事業に関わってきた」(ウッドフォード氏)。活躍の場が地球の反対側で日本人社員の目には留まらなかったが、日本的な出世レースを制して白羽の矢が立ったとも言える。
ということです。
雇われ社長が保身のために騒いでいるというのとは性格が違うようです。
さらに同じ記事での就任時の菊川社長(当時、現会長兼社長=解任した張本人)のコメントがこれ。
菊川社長によると、「リーダーシップと決断力、迅速な業務執行」が持ち味だ。
これが半年たつと「独断専行」になってしまうのですから、人物評価は難しいということでしょうか。
さらに(日経ビジネスの記者の見立てですが)
外国人の抜擢という点に注目が集まっているが、もう1つ見逃せないのは、医療畑から社長を出したこと。同社は歴代、映像部門が社長を輩出してきた。ウッドフォード氏の社長就任で、「オリンパスは医療機器の会社」というイメージが社内外で一段と強まる。
映像畑の菊川社長は会長兼CEO(最高経営責任者)にとどまるが、米国のゼネラル・エレクトリックや独シーメンスといった医療機器の巨人と伍していくにはウッドフォード氏の手腕に頼らざるを得ないと言える。
また、しがらみの多い日本人とは違い、外国人なら気兼ねなく同社の本流である映像部門に大ナタを振るえる。まして落下傘型の“助っ人”でなく、社内実績が十分なウッドフォード氏であれば、周囲の納得も得られやすいだろう。同氏に求められるのは、そんな“生え抜き外国人”であることを生かした改革だ。
と菊川会長自身も大ナタを振るうことを期待してたんじゃなかったの? という疑問を持つ人もいると思います。
今回で日本企業のの経営者が「結局外国人は生え抜きだとしても先輩に対する配慮に欠けるからあぶない」という意識を持ちそうですね。
「英語を公用語にしたけど役員会は日本語」とかいう会社が続出しなければいいのですが。
逆にこれを機に、どこかのマスコミが上場企業の(創業者以外の)社長に対して「自分を指名してくれた前任の社長時代の会計不正の疑問がでたらどうする?」というアンケートをとってもらいたいものです。
日本企業における模範解答は「第三者委員会で不正の有無を追及する」(でも解任レベルの責任追及は経理担当役員(社長交代時に既に引退していればなおよし)にとどめる)というあたりでしょうか。
テレビで『ダイ・ハード2』をやっていたので懐かしく観てしまった。
公開は1990年
ブルース・ウイリスもまだまだ若く、テロリストの端役で『ターミネーター2』で敵役のターミネーターをやった役者が出てたりと、とっても時代を感じさせる。
この作品は『○○2』とついた中では『エイリアン2』『ターミネーター2』と並んでかなり出来のいいほうだと思う。
CGに頼らなかったころの方が荒唐無稽な作品でもアクションにリアリティがあってよかったのかもしれない。
そして、1990年といえば日本ではバブルまっさかり。
でも当時はまだ今に比べると笑ってしまうくらいローテクだった。
インターネットももちろん普及していないし、映画でも連絡手段はFAX。
携帯電話は業務用くらいしか持っていなくて、しかも子供の弁当箱くらいの分厚い奴。
でも、アメリカの航空会社は飛行機の中に電話があったのはちと驚き。
そして皆断りもなくどこでもタバコを吸ってる。
20年も経つといろいろ変わるもんだ。
一番変わったのが先行きに対するマインドだったりするのがかなり問題だけど。
(昔話のおまけ)
先週ジャコビニ流星群が見えたらしい。
個人的にはジャコビニ流星群といえば、『アストロ球団』の「ジャコビニ流星打法」なんだが、話題に出たとき知ってる奴が居なかったのがちと悲しかった。
(追記あり)
東京でもホットスポットが見つかったという話が話題になってます。
東京・世田谷で高線量 2.7マイクロシーベルト
(2011年10月12日 asahi.com)
今回の数値は、計画的避難区域の福島県飯舘村役場のモニタリングポストで12日に測定された毎時2.115マイクロシーベルトより高い。ただ、毎日8時間を外で、残りを木造家屋で過ごしたと仮定して計算すると、年間被曝(ひばく)量は14.2ミリシーベルトとなり、国が避難を促す目安としている20ミリシーベルトよりは低い。
数値の持つ健康被害に対する意味を科学的に説明せずに、ここで飯館村を引き合いに出すのはなぜなのでしょうか?
「(危険な)飯館村より放射線量が高い(ので危険だ)」という妙な三段論法風を用いるのは如何なものかと思います。(先般辞任した「放射能うつっちゃうぞ」大臣と根っこのところは似たような発想のような・・・)
それはさておき、 国の除染基準、1ミリシーベルトに引き下げ 環境省案(2011年10月10日 asahi.com)によると
除染は事故で過剰に被曝(ひばく)する放射線量(追加被曝線量)が年1ミリシーベルト以上の地域、災害廃棄物の処理は1キロ当たり8千ベクレル超を基準に、国の責任で対処する。
とのことなので、ここの除染費用も国が負担することになるのでしょうか。
比較的時間に余裕のある都市部で早期に念入りな測定が始まり、そちらに除染の予算と人手が割かれて福島県などの被災地に手が回らないということのないように願いたいものです。
さて、冒頭の記事では
野口邦和・日本大学専任講師(放射線防護学)は「これぐらいの高い値のまま放射性物質が都内に降ったとは考えにくく、雨水がたまるなどして濃縮されたのではないか。(以下略)
とありました。
ならば雨水が流れ込む下水道施設は放射線量を測っていないのだろうかと東京と下水道局のサイトを調べるとちゃんと測定していました。
下水道 放射線情報
そこにある「下水処理における放射能等測定結果」をグラフにしてみました。
「脱水汚泥」(下水を処理する際に発生した汚泥から水分を取り除いたもの)を測定したもので、単位はBq/kgです。
測定対象は放射性ヨウ素131、放射性セシウム134、放射性セシウム137の3種類です。
放射性ヨウ素131
放射性セシウム134
放射性セシウム137
これをみると、5月以降順調に減っていたものの、ヨウ素は7月以降場所によって濃度が高いところがでてきていて、8月から9月にかけては5月を上回るところもあることがわかります。
またセシウムはおおむね順調に減っているものの、7月には一度高くなっています。
ちなみに下水道局の測定は脱水汚泥を焼却した汚泥焼却灰についてもおこなわれていて、9月26日時点でも国が災害廃棄物の処理費用を負担する1kgあたり8000ベクレル超のセシウムを検出しているところもあります。
素人考えですが、原発事故時に地上や樹上に堆積した物質が大雨や台風のたびに下水に流れ込んだためこのような測定結果になったのではないかと思います。
その意味ではまだまだ地上に蓄積している量は多いのではないかと推測されます。
そしてそれが地上でたまっていたのが上のホットスポットなのではないでしょうか。
東京都民も放射能とは息の長いおつきあいが必要なようですし、除染も他人事ではない人が増えれば、技術も従事する人も増えるので、考えようによっては逆にいいことかもしれません。
***************
(追記)
文科省「原発と無関係」と断定 瓶の中身はラジウム
だったそうです。
戦前から戦後にかけてはラジウムががん治療に広く使われていたといい、処分費用が高額だったため不法に廃棄されるケースもあったとされる。
って、そっちのほうも心配。
ヒ素紛失と勘違い?九大准教授、飛び降り自殺か
研究者の評価が純粋に研究成果だけで判断されるわけではないのは日本に限ったことではないのかもしれないでしょうが、一度マイナス評価がつくと挽回が難しいという日本の現実を反映しているようで気分が滅入るニュース。
九大ヒ素紛失は勘違い? 保管庫内で瓶発見(2011年10月8日 読売新聞)
によると、
九大は6日、約100人分の致死量にあたる15・06グラムのヒ素が入った瓶を紛失したと発表した。しかし、福岡県職員が7日夕に調査に入ったところ、ヒ素であることを示す表記がある瓶を発見。(中略)
准教授は4日、生物環境利用推進センターの実験室にある保管庫を開けた際、あると思っていた茶色のふたの瓶1個がなかったため、紛失したと思い込んだという。実際には瓶のふたの色は白だった。
自分が盗んで外部の犯行にしようというにしてはお粗末なので、おそらくは毒物だけに大事をとって公表したら勘違いだったのだと思います。
確かに格好よくはないですし、劇物・毒物の在庫管理のあり方を見直す必要はあるでしょうが「無くなってなくてよかった」という話だと思います。
また、紛失したと思った直後に安全サイドの選択をして報告するというのは悪いことではないし、報告を受けた大学当局も改めて探してみればよかっただけの話です。
これが自殺まで至ったということは、この「勘違い」が大学内部で激しい非難を浴びたり、今後のキャリアに大きな影響を及ぼす現実があるということでしょう。
理科系のポストは少ないので競争が激しく研究以外の部分でもミスが許されないとか、他の大学に転じるとしても「系列」や「師弟」関係があるので難しいというような事情があったのでしょうか。
その後続報もなく、一過性のニュースとして扱われただけというのも、物悲しい感じがします。
これが次に紛失が起きたときの報告の遅れや隠蔽につながらなければいいのですが。
<福島第1原発>半径100キロの海域「操業禁止」サンマ漁
(10月7日(金)21時10分 毎日新聞)
前日の
<サンマ>金華山以南扱うな…北海道の流通加工団体が要望
(10月6日(木)22時34分 毎日新聞) を受けたものです。
今後漁場になってくる100キロ圏以東の海域は今月中旬、100キロ圏以南は11月上旬に検査し、操業できるかどうかを決める。
とのことですが、北海道サンマ産地流通協議会の主張は
サンマの漁場は今後、北海道沖から南下するため、同協議会は、同原発から100キロ以上南で漁獲されるサンマも福島沖を南下する際に放射能の影響を受けている可能性があると心配している。
会見に同席した幹部は「水揚げされても競りに参加しない」「一匹でも放射能が検出されれば、国内のサンマ業界はすべて駄目になる」
というものなので、今回の意思決定についても「自粛緩和にならず前進したが、要請通りではない」と言っています。
サンマのような足がはやく単価が安い魚について全数検査体制を引くのは現実的ではないので、「君子危うきに近寄らず」で行こうというのは消費者側から見ても安心です。
ただ、これによる水揚げ減が東京電力の補償対象になるかというと微妙なところなので、漁協としてはできれば水揚げを増やしたいところなのでしょう。
しかし、水揚げをしたサンマから放射能が検出された場合は、廃棄コストや相場の下落、風評被害防止のための検査強化費用を損害として東電に請求することになりますががその場合も、相場の下落については漁獲量とも関係するので東電が争ってくるリスクもあります。
不法行為の損害賠償請求一般についても言えるのですが、裁判になった場合に損害額の認定というのは損害の回復に対して現実的には不十分なことが多く、しかも金銭賠償なので失ったものが戻ってくるわけではありません。結局「やられ損」になってしまうわけで、今後の被害を少なくするためには、原発事故の影響を最小限に食い止めようという努力を会社や個人が自腹で行なう必要が出てきます。
一方で、愛知県の花火や大阪府の橋梁工事などにも影響が出ているので、賠償請求の範囲が想定以上に広がる可能性もあり、東電としては、最悪バンザイしてしまうという選択肢もあるわけで、そうなると破たん処理になり、間接的に国民の負担ということになります。
だとすると、このような放射能被害(風評被害も含む)を未然に防ぐ努力は事業者だけでなく国民のためにもなるわけです。
そうすると消費者としても不必要に消費を手控えないことも大事だし、生産者も安心感を与えるために努力をするという好循環を作っていく必要があります。
その点からは、今年は福島以南は全面禁漁という北海道サンマ産地流通協議会の主張には共感できます。
ところでサンマ以外にも、回遊している魚(マグロやカツオなど)の蓄積の有無というのは継続的にモニタリングする仕組みができているのでしょうか。
今朝の日経のスポーツ面の「フットボールの熱源」というコラムは「小走りする必要はない」。
陸上競技のコーチが本田圭祐を「ふつう小走りするような場面で歩いている。そこが素晴らしいんです」と評している。
その理由は、小走りをすると消耗しやすいふくらはぎに負担がかかるが、背筋を伸ばして骨盤から始動して歩くと効率的に体を運ぶことができ、無駄な消耗を防げるからだという。
しかし、日本のサッカー界では、歩いているとさぼっていると思われがちだ。サッカー選手なら、ベンチから「こら、歩いているんじゃない」としかられた経験があるのではないだろうか。歩く姿をさらすと印象が悪くなる。
だから走る必要がない場面でも「私はさぼっていません」と示すために、無意識のうちに小走りをしているような気がする。
これはサラリーマンについてもあてはまる。
暇そうにしている社内ではとサボっているように見られたり、下手をすると余剰人員扱いされる、また社外の人には「暇だ」というと閑職におかれていると見られかねない、というような意識もあって「忙しくなければいけない」という意識があるような気がする。
営業上羽振りのいいふりをするのが必要なときはあるが、身内に対して忙しいふりをするのは何の生産性もない。
しかも、自分だけでなく他の人間も消耗させたりして、挙句の果てにいざというときに余力がなくなってしまう。
サッカーならピッチの外から俯瞰すれば全体の動きや空いているスペースはわかるが、商売だとそうはいかないところにも原因があるのかもしれない。
これは、組織の目標設定と個別の役割分担・課題設定、さらには人事評価が難しいということにもつながるし、ピッチ(市場)の中に立ちながらなお俯瞰する能力を求められるのが監督(経営者)の役割ということになるのだろう。