7:15 スタッフ巡回
その後「丹田呼吸法入門」DVD視聴。「丹田の上に乗る」感覚がつかめるか。
10:45 「丹田呼吸のために知っておきたいこと」DVD視聴。丹田呼吸によりストレスを減らし、心身のバランスを取るということらしい。
11:30 昼食
読書に飽きたので、映画。
14:00 阪神ー中日戦
15:00 午後の検温・脈拍測定
17:00 夕食。夕食後読書。
18:50 入浴。入浴は男女日替わりで時間を前後交代。
amazon prime videoでTVシリーズ
不思議と空腹感はない。ぼーっとしたりもしない。
水は都合2500mlも飲んだ。
GWの10連休を利用して、断食道場に行ってきました。
行ったのは淡路島にある五色県民健康村健康道場。公益財団法人兵庫県健康財団というところが運営している公的施設だそう。
以前から気になっていたけど7日間以上がおすすめということで時間が取れずにいたところで10連休をこれ幸いと申込み。
同じことを考える人は多いらしく、申込み初日の朝一に電話したものの話中。つながったら洋室の個室は既に埋まっていて、和室の個室をかろうじて予約。
10連休初日だけあって、高知とか米子などの長距離便もけっこう人が乗ってる。
意外と近い。これは橋を架けたくなるのもわかる。
天気がいいので小豆島も見渡せる。
五色バスセンターにつくと、施設からワゴン車が迎えに来てくれる。
別館の1階は別の施設(グループホーム)。
食堂・トイレ・給水の場所などの簡単を受け、500mlのポットとコップを渡される。断食期間中は水を1日最低でも1500ml飲む必要があり、飲んだ量を測るため。
周りがとても静かなので、BGM用にblootoothの小さなスピーカーを持ってきたのも役立ちそう。
11:30 食堂でジュースを飲む。これ以降3食はこの特製ジュース(100kcal)のみ。
淡路島は兵庫県なので阪神戦の中継を必ずどこかの局がやっているのがうれしい。
その後、スタッフの人から経過表(体重・体温・血圧・脈拍・水分摂取量・ケトン体値などを1日2回測定して記録)の記入方法と、血圧計を渡されて測定方法のレクチャーを受ける。
左の下の親不知がもぐった上に斜め生えていて、かかりつけの歯医者には隣の歯にあたったところが虫歯になるとか、歯垢がたまると炎症を起こしやすいなどと抜くのを勧められていたのですが、ここ数年痛みが出ることもなかったので放っておりました。
今回決断の決め手になったのは、隣の歯との間が怪しくなってきたことと、「歳をとって体力が落ちた時に、炎症を起こしてから抜くと負担が大きい」という殺し文句でしたw
で、某大学病院を紹介されて手術、と相成ったわけです。
大学病院で抜く、というので身構えていたら、普通の歯科の椅子に座ってやるのでちょっと拍子抜け。
当日、大学病院らしく学部生と研修医?が一人ずつつき、合計3人に口の中を覗き込まれるという状態でスタート。
「こうやって切開する」などと解説付きなのですが、本人は見えないのでよくわかりません(カメラの実況付きだとちょっと怖いかも)
事前の診察でレントゲン写真を見たときは大学病院の先生は「そんなに難しい方ではないので2,30分で済みますよ」とと言われ、最初は順調だったのですが、最後の方でうまく抜けなくなったようで
「あれ?」
とかいう声が聞こえます。
このへん、指導教官でもある先生としては黙るわけにもいかず、難しいところですが、先生の声があわてている感じではなかったので安心感はありました。
結局歯の根っこがまっすぐ先細りになっていなくてちょっと膨らんでいたために、そこが引っかかっていたのが原因。
あとで抜いた歯(といってもいくつかに切断された残骸)を見せてもらいました。
けっこう歯石がたまって黒くなっていたので「抜いておいてよかったですね」と言われ、こちらも決断が正解だったと一安心。
結局1時間弱かかったのですが、自己負担は3,890円。3割自己負担なので総額でも13,000円です。
日本の健康保険制度の恩恵もそうですが、ちょっと診療報酬低いような。
かかりつけの歯医者が大学病院を紹介するのもわかる気がします。
たぶん道具さえあれば町の歯医者でもできるように思いますが、1時間かけて13,000円にしかならないのなら、15分の虫歯治療を4回やった方が効率がいいし自由診療のチャンスもあるから、万が一の時のバックアップとか、医療過誤のリスクとかを考えると大学病院に回したほうがいい、ということになるのでしょう。
抜歯後3,4日はほっぺたが腫れていたのですが(会社では指摘されなかったのは、腫れがその程度だったのか誰も関心がないからか?)痛みはさらに2,3日残りました。
1週間後に抜糸(3針縫った)をしたときに、もう普通の生活をして大丈夫とOKが出たのですが、まだ若干痛みというか違和感が残っているという状態で、なんとなく勢いが出ない今日この頃であります。
昨日のエントリのつづきで、じゃあなんで僕はブログをやってるんだ、ということをもう少し考えてみました。
ちょうどイトイさんに聞く「Web2.0」(その3)の耳の痛い指摘があります。
一部のブロガーさんは熱心だし、本当に頭がいいですよね。伝えることもあるし。僕はただただ、凄いなぁと尊敬して見ているんです。でも、そんな人ばかりじゃない。ブログを書くためにせっせと集めている情報って、一体その人個人にとって本当に必要な知識なのかなぁって、思うんです。否定しているわけではなくてね、そのエネルギーで、結局、何をするのか、という部分が見えにくいんですよね。
そのエネルギーで結局何をするのか?
最初にこのブログを始めたときは、僕は忘れっぽいので旅行や読書の感想とか、これとこれは実はつながってるよねというような思い付きを日記代わりに書こうと思ってました。
そのあと、コメントをいただくようになって、あらためて普段「立ち止まってちょっと考えてみる」ということをやってないよなと自覚をして、ちょっと考えてみて文章にしてみようという風になりました。
これはけっこう勉強にもなったのですが、<使う時間=話題の幅×考える深度>という限界があるので、よほどはまるネタがない限り「広く、ちょこっと深く」というのが多くなってます。
もうひとつの理由としては、深く考えたつもりでも文章にするとまとめ方が定型化してしまうという自分の欠点があります。
これは仕事で「簡潔、明瞭、定型化」の説明資料を長い間作っている悪影響ではないかと(そのせいにしておこう)。
結局組織で動いていると、市場分析だとかリスク要因だとかコンプライアンスだとかCSRだとかいろんなことに配慮しなければならなくて、結局「目黒の秋刀魚」になっちゃうんですよね。
そうすると「これをやりたい」にたどり着くまでのアイデアの当初の勢いとか方法の取捨選択に悩んだ過程とかそのへんのダイナミズムが失われてしまいがちになるわけです。
上の記事で糸井さんはこういってますが、これは非上場のオーナー社長ならではの醍醐味ですよね。
考えてみると、僕は本職の仕事をする時にはちゃんとやっているんです。周囲の人に「あの件は考えなくてもいいの?」と言われても、「いや、考えなくてもいい」って、どんどん決めてやっているんです。それでもなんにも問題はないんですよ。
で、仕事外のブログネタでは、そのへんの勢いやドロドロ・グルグルしたところを思考過程の全体の雰囲気を生かしたままそのままうまく言葉にできればいいんですが、そこまでの筆力がないので結局論理的な整合性をつけたり留保をつけたりする「目黒の秋刀魚」になってしまうわけです。
そうでなければTwitterのように、切り口だけ提示して思わせぶりをするとか。(Twitterでの議論を見ていると、140字の制限のために考えの「核」のところだけしか書けないので、「お前の反論はそもそもよくわかってない」「そんなことはいってなかっただろう」というようなすれ違いになりがちですね。)
まあ、そんなことを考えながら、日々是精進でございます。
(って、またまとまりがないしw)
Twitterもそんなに頻繁につぶやいてるわけじゃないのでそれほど目障りでもないかも知れないが、分けたほうが分かりやすいかもしれない。
というか、Twitterは言いっぱなしが逆にいいところなのかもしれない。
どっちも自分のペースでやりたいけど、あまり管理するのが増えるのも面倒なので、ちょっと検討中。
そういえば米国在住の友人からFacebookへの招待が来てたけど、そこまで手が回らないので放置している(ごめんなさい)。
ただでさえ生産性が低いと言われている日本のサラリーマンとしては考えどころかも。
せっかくご紹介いただいて恐縮至極、というお礼を申しあげようと思っていたのですが「ゴミの山」問題に話がそれてしまいました。
「ゴミの山」はさておき、ネットでの意見は「便所の落書き」などとも言われます。
便所の落書きといえば、学生時代に大学構内でこんな落書きを見つけたことがあります。
おとしがみ 水のかよひ路 ふきとぢよ 雲古のすがた しばしとどめむ
用を足そうとしゃがんだまま、思わず感心してしまいました。(思わず膝を叩いた、と言いたいところですが、体勢的に無理があったのでそれはかなわず。)
場末でやってる匿名のブログとして、こんな感じの思わずニヤっとしてもらえるような便所の落書きをしたためることができればと日々思っております。
今後ともご愛顧のほどよろしくお願い申しあげます。
電車で本が読めない状態でもできるので、通勤途中の駅までの徒歩と乗換え駅までの立っている時間を利用して主にやっています。
中に「成績」を表示する機能があってさっきそれを見たら、なんと通算2549分37秒も費やしていました。
時間を効率よく使っているつもりが無駄遣いになっている典型です。
キリよく終わらないと乗換で始発電車に乗っての読書の時間に食い込んでしまうこともしばしばです。
さらに歩きながらやっているのは危ないと自覚しているのですが、どうも癖になってしまっています(汗)
ところで今しがた、用足しをして駅から戻る途中で例によってゲームをしながら歩いていたのですが、交差点で右から来て右折する軽自動車を横目でやり過ごしたところ(気をつけていれば大丈夫。)、その軽自動車が50mくらい先のつぎの交差点で、横から来た車にもろにぶつけられてしまいました。
わき見運転なのか、かなり勢いよくぶつかったので軽自動車は交差点から押し出されて角の電柱にぶつかり全損に近い状態、ぶつかったほうの車もフロントグリルはぺしゃんこになってました。
車の方が見ていないときもあるわけで、ゲームに気をとられ車に轢かれたのではシャレにもならないので、これからは歩きながらするのはやめようと心に誓いました。
我々の先祖が100年前の経済危機を生き延びることができたからこそ我々が存在している
ということ。
そこで、正月に実家に帰って昔話を聞いたりしながら、この100年間私の先祖はどういう目にあってきたきたんだろうということを振り返ってみました
父親は新潟の漁村の漁師の分家の生まれで、多分100年前も先祖は細々と漁師をやっていたに違いなかろう、ということで明治・大正の頃のことはよくわかりません。
一方、母方の曽祖父という人は明治時代に北関東で手広く運送業を営んでいて羽振りがよかったのだそうです。
ただ、案の定一山当てた人の例にもれず、妾は囲うわ競馬の馬主業に金を突っ込むわで身上を食いつぶしてしまったとか。
明治30年代生まれの祖母が嫁に入った頃はもうそれほどの勢いはなく、鉄道馬車の権利は借金の抵当に某私鉄に取られるなどして商売は左前だったそうです。ただ、お妾さんは健在で、祖母は舅である曽祖父からお妾さんのところへの用足しを言いつかり、姑との板ばさみにあって困ったとか。
このあたりは伝聞の伝聞なので、実際は商売が左前になったのは不況の影響を受けたのかもしれません。
父親が出入りの激しい人生を送ると息子はそれを見て堅気になるという典型のように、祖父は大学を出て(明治生まれで大学を出たということは実家も完全に傾いてはいなかったようです)今で言う国土交通省の技官になりました。
母親が秩父の方に遠足に行ったときに、父親が設計したトンネルがあったとか。
祖父は僕が生まれたときには既に他界していたのですが、とても生真面目な人だったらしく、関東大震災のときには祖母の実家(神田の万世橋の近く)を見舞いに自転車で熊谷からかけつけたそうです(仏壇の遺影を見るだけでもそんな感じの人でした)。
ということで祖父母の時代は公務員という安定した職業だったので、昭和恐慌の影響などもあまり受けずに生活苦、というのは感じなかったそうです。
また、第二次世界大戦のときも徴兵年齢にあたる人がいなかったので、母親の兄弟は軍需工場に借り出されたそうですが、兵隊にとられる人もいませんでした。
しかし好事魔多しではないのですが、昭和20年8月14日の夜に熊谷市が空襲にあい、母親の実家は全焼してしまいました。焼け跡で呆然とする中で玉音放送を聞いたそうです。
ただ市の中心部の住宅密集地では大勢の死者が出て、街中を流れる川には死体が積み重なっていたそうで、それに比べれば生きているだけで十分とも思ったとか(参照)。
一方父親は漁師の分家の息子として本家を手伝ったりしながら育ったそうです。
小学校に上がった頃は昭和恐慌の影響があり、米価下落の影響をもろに受けた小作農の子は弁当に生姜が一枚乗っているだけというのがほとんどで、商品にならない魚とはいえ現物の食べ物が手に入る漁師の家でよかったと子供心に思ったとか。
父親はその後海軍航海学校に進み(中学のときに軍事教練で教官から鉄製の模擬手榴弾で頭を殴られ脳震盪を起こして以来兵隊は嫌いだったそうですが田舎での進路は限られていたようです。陸軍を選ばなかったのは意地というよりは船がのほうがなじみがあったからだとか)、舞鶴の鎮守府(参照=海軍の司令部)で下士官見習いとして終戦を迎えます。
あと数ヶ月戦争が長引いていたら出撃する順番だったそうでその意味では幸運でした。
ただ下っ端は敵機の見張りの当番があり、見張り棟にいると、既に制空権を握っていた米軍の艦載機がたまにきて面白半分にする機銃掃射の恰好の標的になっていたそうです。
終戦後はまだ下っ端だったの父は舞鶴港が中国からの引揚船の受け入れ港になったためその作業のために2年ほど従事しました。
上級将校たちは終戦と同時に散り散りになり、それと同時に基地の隅においてあった古タイヤなども忽然と消えていたとか。父親も佐官に呼ばれ、司令官室にあった横山大観の画をはずして荷造りするのを手伝わされたそうですが、その画が誰の手に渡ったかは知らないそうです。
そういう父親も終戦直後は仕事があてがわれたために生活や食事の心配をせずにすみ、また引き揚げ物資のなかから毛布などを実家に「仕送り」していたそうです。
その後父親は親戚のつてをたどって東京に出てきて、(
当時はつぶれそうだったが)
今や大企業になった某社(参照)のお世話になったあと独立して町工場を始めました。
その後は戦後の経済成長に乗って一応順調にきたのですが、二十数年前、僕が大学生の頃に父親が原因不明のめまいを訴えて最後には1ヶ月ほど入院したことがありました。今思えば最近話題の男の更年期障害のようなものだったのではないかと思います。
しかし、一人親方でやっていた零細企業にとっては「親方」が仕事が出来ないのは即存続の危機につながります。
工場は借り物だし、家は抵当に入っている。親父が死んだり仕事に復帰できなかったら、などという前提での話は親にもしづにくいのですが、万が一のときは職人さんに退職金を払って会社をたたんで家を売って借金を返してチャラになれば御の字、貯金が残っていれば僕が就職した給料とあわせてどうにかなるか、などという計算を頭の中でしていたものです。
幸い父親はけろっと元気になり、数年前に会社も人に譲り、今では元気な隠居をしています。
今となってはホント、あれは何だったんだ、という話ですが、自営業者の脆弱性が骨身に沁みた経験でもありますし、サラリーマンになるとそのぬるま湯度合いがよくわかります(といってもそれにどっぷりつかって長いのですが(汗))。
セーフティネットは自助努力の及ばない状況の人に限定すべき、とか、企業の組織や意思決定は往々にして不合理だというような僕の発想はこんなあたりに根っこがあるのかもしれません。
ざっと我が家の100年を振り返ってみたのですが、1年間での日経平均株価の下げ幅が過去最大といってもたかだか△40%なわけで、家業丸ごと人に取られるとか焼夷弾で家が焼かれるとか機銃掃射にあうとかに比べれば屁みたいなものですね。
給料が下がるとかリストラされるとかいっても命までとられるわけではないですから。
「生きているだけで丸儲け」とはよく言ったものです。
「100年に一度の経済危機」というフレーズも「100年間みんなしっかり生き残ってきた」と前向きにとらえるのが大事ですね。
そして僕は虫歯になりにくい体質のようです。
確かに永久歯になってから虫歯になったことがありません。
逆にそういう人は歯周病になりやすいと言われ、ここ数年は半年にいっぺん歯科検診に行って歯石を取ってもらっています。
今回も定例の検診に行ったところ、下の前歯がちょっとぐらついている、という指摘を受けました。
ここの斜線の部分
なにか硬いものでもかじったのですか、と聞かれたものの、とっさに思いつくこともはありません。
ただ、昔から煎餅などは好きだし、よく歯で堅いキャップをあけたり日曜大工などでも両手がふさがっているときに工具を口にくわえたりと酷使はしていたのは確かです。
家に帰ってよく見たら、上の前歯も微妙にかけているところがあったりします。
何やったんでしょうね?
もっとも日常生活に支障があるわけではなく、気をつけましょう、というレベルらしいのですが、上の絵を渡され、「斜線の部分では固い物を食いちぎったりしないように注意しましょう」と書かれてしまいました。
煎餅とか食べるときなどはいきなりばりっとやれないと醍醐味に欠けることになりますが、我慢しろということですね。
仕事などでは若い頃と違ってやたらに噛み付かないようになったつもりですし、やむを得ず噛みつく場合にも噛み付く場所を選んでいるつもりなのですが、確かに「自分の丈夫なところで噛む」というも大事なポイントですね。
硬い(タフな)相手は下手に手っ取り早く前歯でかじるとこっちが痛い目にあうので、誘い込んでおいて力の入れやすい丈夫な奥歯でしっかり噛まないといけないとか・・・
それにしても歳をとるといろんなことが起きるものです。
3人に1人、携帯が辞書代わり=漢字調べ、20代は8割利用-文化庁調査
(2007年9月7日(金)17:10 時事通信)
書き方の分からない漢字を携帯電話の変換機能を使って調べる人が3人に1人おり、20代では8割に上ることが7日、文化庁の「国語に関する世論調査」で分かった。一方、「役不足」「流れに棹(さお)さす」などの慣用句を正しく理解している割合は、4年前の調査より増えた。
今年2~3月、全国の16歳以上の男女3442人に実施、56%から回答を得た。
手書きできない漢字を調べる手段を複数回答で聞いたところ、「携帯電話」が35%。20代は79%(男性72%、女性85%)で、10代と30代でも6割を超えた。
僕だけじゃなく、文化庁も気になっていたみたいです。
携帯電話を使う人は全体で35%といいながら、20代で80%もいるので、同年代はやはり少ないということになるのでしょう。
僕も普段はちゃんと辞書を引きます。
(自分用のメモだとひらがなで書いちゃったりしますが・・・)
ところで、慣用句の理解が進んだのは最近のクイズ番組の影響でしょうか。
ブラックベリーの花です。
数年前に鉢植えを買ってきたら「つる性」の品種だったので、フェンス際に地植えしたものです。
新しい枝に翌年実がなります。
今年は豊作の予感ですが、毎年熟すまで待っていると、直前に鳥に食べられてしまいます。
何しろ向こうは年中見張っている上に早起きですから、なかなか勝ち目がありません。
さて今日は、水曜木曜と雨が降ったあとに好天が続いたので、芝生の雑草が一気に伸びてきました。特にメヒシバが大発生。
「出る杭は打たれる」ではないですが、あまり成長が早いとかえって目立ってしまい、攻撃の対象になる、というのは新規参入者に共通した問題のようです。
とはいいながら良くできたもので、簡単に抜こうとすると茎から上だけが切れてしまい、またしばらくすると生えてきます。
どうやら根が芝生の茎にからんでいたちするのもあるようです。
そこで根元をつまんでゆすり、根っこごと抜く、という作業が必要になります。
コツをつかむとけっこうはまってしまい、特に力加減のバランスがいいのか、左手のほうがうまく抜けます。
かれこれ1時間以上かけて、文字どおり「根絶」しました。
延び始めた芝生を刈ると、なかなかいい感じに仕上がっています。
つまみ続けた人差し指の指先が真っ黒になり、しびれが残るくらいの達成感に、家に入ってシャワーを浴びて祝杯のビールを飲んでいると、どうもふらふらします。
昼から飲む酒は回るワイ、と思っていたのですが、どうやら軽い熱中症のようです。
結局早めに床について養生することに。
雑草を侮ってはいけない、という教訓でした
(というより単なる不注意ですね・・・)