ほぼ日を見て買ったという人が多かったそうですが、僕もその一人。
他のビジネス書にも出てくる方法論についての話も多く出てきますが、「その問いは意味のあるものなのか、今解く必要のあるものなのか、それは解のある問いなのか」という目的意識を常に念頭においている、と言う点がこの本の特色であり、著者の主張です。
仕事とは何かを生み出すためにあるもので、変化を生まないとわかっている活動に時間を使うのはムダ以外の何ものでもない。これを明確に意識しておかないと「悩む」ことを「考える」ことだと勘違いして、あっという間に貴重な時間を失ってしまう。
世の中にある「問題かもしれない」と言われていることのほとんどは、実はビジネス・研究上で本当に取り組む必要のある問題ではない。世の中で「問題かもしれない」と言われていることの総数を100とすれば、今、この局面で本当に白黒をはっきりさせるべき問題はせいぜい2つか3つくらいだ。
劇的に生産性を高めるには「このイシューとそれに対する仮説が正しいとすると、どんな論理と分析によって検証できるか」と最終的な姿から前倒しで考える。
この発想法はとても大事だと思いますが、これは畳の上の水練でなく、場数を踏んでいかないと身につかないようにも思います。
ただ、その場数を単なる「丁稚奉公」「下積み」にしないためには、常に心がけておくべき必要な視点でもあります。
著者が所属していたマッキンゼーにおける「憲法」として“Complete Staff Work”(自分がスタッフとして受けた仕事を完遂せよ。いかなるときにも)という言葉があるそうです。
「コンプリートワーク」をするためには命を削るような思いをするだろうが、命を削ることそれ自体には何の意味もない。その酷薄なまでの真実が、僕らを時間から解放し、本当の意味で自由にしてくれる。 「人から褒められること」ではなく、「生み出した結果」そのものが自分を支え、励ましてくれる。
生み出したものの結果によって確かに変化が起き、喜んでくれる人がいることが一番の報酬になる。
著者も「臨死体験をした」と書いていますが、臨死体験を伝承するのではなく、臨死体験をしなくても結果を出せるようになるために考えてたどり着いた結果が「イシューからはじめよ」ということでした。
ただ、上で「場数が必要」といいましたが、きちんとした経験を積むためには、そこまで判断を求められるような仕事を担当レベルが与えられているか、というそれぞれの組織の実際の仕事のあり方も問題になってきます。
単なるルーティンワークや前例踏襲になっていないか、解決すべき問題がイシューとして絞り込まれずに関係者への配慮のあげくに担当レベルに降りてきたときには「目黒のサンマ」になってしまってはいないか、という点こそ、中間管理職のオジサンとしては意識すべき、と反省を迫られた一冊でもあります。