週末からTSUTAYAでDVD旧作半額セールをやっていたので何かシリーズものをまとめて観ようと思い、結局「新世紀エヴァンゲリオン」を借りてきました。
これ、放映時にアシスタントの子(当時20代前半?)から「面白いですよ」と言われ1回だけ観たものの、その回だけではいまいちよくわからず、当時(から)僕(30代前半)は帰宅も遅くビデオ録画をする習慣がないためそのまま見過ごしてしまったものです。
これを観る前にブログを定期巡回していると、ウチダ先生の「情報を抜く」というエントリを発見
「情報を抜く」とは何かと言うと、橋本治氏との対談での橋本氏の言葉
『桃尻娘』を書くときに、こっちが二十七、八じゃないですか。主人公は十五だったでしょう。
何が違うかというと、男と女が違うと考える前に、彼女は俺より十二年若いんだ。とすると、俺が知っている十二年分、彼女が知らないんだな。そういう引き算をしちゃったんです。
をきっかけにしています。
情報があるせいで、理解できないことがある。
過去においてつねに「未来は霧の中」なのであるが、「過去における未来」のうち「現在において過去になったこと」はその「霧」的要素を失ってしまう。
それはもう「起きてしまったこと」なのである。
「起きてしまったこと」が目の前にあるとき、「どうして、『このこと』が起きて、『それとは違うこと』が起きなかったのか?」と問うことはきわめてむずかしい。
私たちは「起きてしまったこと」の宿命性をつねに過大評価するからである。
前に紹介した『まぐれ』では「生存バイアス」とか「後知恵バイアス」とも言われています。
これを読んだのもなにかの縁なので、エヴァも現在からの目線での評価をしながら観ないようにしようとしました。
この作品は既にいろんな人が論評してますし、そもそも舞台が2015年ともう近未来じゃなくなってる(歳とるわけだ(笑))などという事情もありますので。
だとすれば没入したほうがいいかと、土日で結末の部分をリメイクした劇場版まで一気に観ました。
批評めいたことを考えずに「綾波レイは左利きなんだ」(学校での掃除当番の雑巾の絞り方がそうだったんで)とか楽しみながら観たので今日は小難しい話はなしです。
一言で言えばやりたい放題やった作品ですね。
だからインパクトがあるのでしょう。
さすがに今朝は眠いです。
それに、実は『ツインピークス』も借りてきちゃってるんですよね(笑)