一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

「復興の現状と取り組み」

2012-05-27 | 東日本大震災

復興交付金の2次配分決定 要望上回る 被災3県が評価
(2012年05月26日土曜日 河北新報)  

復興庁が25日発表した復興交付金の第2次配分額は、被災自治体の要望を大きく上回った。要求を削り込まれた第1次配分とは、打って変わっての大盤振る舞い。岩手、宮城、福島3県の知事らは「被災地の声をしっかり受け止めてもらえた」と評価した。  
「ここまでは想定していなかった。120点だ」。要求の倍近い配分額の通知を受けた村井嘉浩宮城県知事は、報道陣を前に笑顔を見せた。  
1次配分で「復興庁は査定庁だ」と激しく批判したことに触れ、「査定庁は取り消す。今回は国と十分なすり合わせをし、妥協点を見いだすことができた」と述べた。  

前回は自治体側も準備が不十分で震災復興と関係のなかったり優先順位の低そうな事業をあげてきたのも一因だったようで、復興庁も申請方法の見直しや交付金配分の考え方を示したりした結果だと思うので「大盤振る舞い」というのはちょっと言い過ぎのように思います。村井知事の「十分なすりあわせ」というのが正しいような。


ところでこれに先立つ5月21日には復興庁から復興の現状と取り組みが公表されています。

 
農業・漁業の復興状況を見ると、漁業については漁港の97%が復旧(部分復旧も含む)し、水揚げは約78%(金額で約84%、ともに前年同月比)の水準まで回復したものの、産地市場は64%、水産加工施設は約50%しか再開できていません。  
一方、農業では農地の約39%(面積ベース)、農業経営体の約40%が再開したにとどまっています。 (p13~25)  

p29~31では「福島県の状況と課題」を取り上げています。  
全避難者16万人のうち11万人が避難指示区域からの避難者で、しかも避難者の1/3以上の6.3万人が県外に避難しているというところが対応の困難さを象徴しています。  
避難指示区域の見直しについてもふれられていますが、一方で復興庁が4月に公開した空間線量の予測資料http://www.reconstruction.go.jp/topics/shiryo3.pdfを見ると、年間20mシーベルトという基準値が妥当だとしても5年後でもかなりの範囲がそれを上回るという予測ですし、5年も離れていると地域コミュニティを修復するのは難しそうです。  

p46~48では上の復興交付金の「すり合わせ」についてもふれられています。


現時点での進展度合いをどう評価するかはさておき、復興の現状についてわかりやすくまとめられています。

ただ、統計数字だけだとたとえば95%復旧したらほとんど終わったように思えてしまいますが、残りの5%の当事者にとってはゼロなので、そこをどのように支えていくかも考える必要があるでしょう(これは失業率などについてもあてはまります)。  

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『震災復興 欺瞞の構図』

2012-05-08 | 東日本大震災

一言で言えば著者の主張はつぎのとおり

東日本大震災で被災した人々を直接助ければ4兆円の復興費ですむ。個人財産を政府の費用ですべて復旧したとしても6兆円ですむ。19兆円から23兆円と言われる復興費も要らないし、そのための10.5兆円の増税も必要ない。にもかかわらず。なぜ震災復興に巨額の効果のないお金が使われるのか。それは政治が、人々を政治に依存させようとしているからである。

これだけ読むと陰謀論・トンデモ本に思われるかもしれませんが、分析の内容はまともですし、復興におきがちな非効率のメカニズムについては示唆に富むところが非常に多い本です。
 
震災がらみの費用・支出については、その多寡や是非を問うこと自体がはばかられるような雰囲気もあるなかで、冷静に分析し、批判すべきは批判しているところは、勇気ある本でもあります。


まず著者はそもそも東日本大震災で16.9兆円の部的資産が破壊されたという政府の見積もりは、日本国民の一人当たりの物的資産額や自治体の推計に照らして過大である、震災復興予算の総額を23兆円、深刻な被害にあった被災者を50万人とすると、一人当たり4600万円の復興費をかけることになると指摘します。

そして、過去に奥尻島では島民一人当たり1620万円の復興費をかけたにもかかわらず復興どころか島民の減少は続いたこと。阪神大震災においては被災者一人当たり4000万円かけたにもかかわらず長田区の空きの目立つ商業施設のような無駄な投資や神戸市が従来からの開発計画投資に振り向けられてしまったこと。解体までいれると戸あたり500万円かかる仮設住宅の効率性への疑問などを検証します。


また、今回の復興計画についても、瓦礫費用(著者の推計では一次補正予算の額も過大)の二重計上や震災復興とは関係ない項目が雑多に並んでいること、巨大な公共事業は時間がかかるため、かえって地場産業の復興を遅らせ、人口流出を加速させるデメリットが多いことも指摘します。  

雇用創出とは、震災前の東日本にあった生業を再建することではないか。  節電も林業の復興もエコタウンもレアアースの安定供給も配合飼料の価格安定も震災とは本来関係ないではないか。  

ちなみにこれは公共事業の本質に関わっていて、経済効果の高いインフラ事業を促進した場合には地元はその恩恵をすぐに享受するために政治の支持基盤もすぐに弱体化する反面、経済的に非効率な公共事業を推進すると事業予算の消化を自己目的とした土木工事を延々と続けることで集票組織を維持できる、という研究成果が引用されています。  


そして、復興のポイントとして、政府は公的部門が新しい産業を興すという過去一度も成功したことのない絵空事を描く前に、元からあった東北の産業を早期に復活させるべきとします。  
具体的には、東北の所得の源は農業・漁業・観光と、90年代後半から誘致が進んだ電子・自動車のサプライチェーンにあり、電子・自動車のサプライチェーンは既に民間企業により復活している。農業・漁業は人的資本はあるが物的資本が毀損した状態にあるので、個人財産(漁船など)の復活を援助するのが最も安価な復興支援策になると主張します。  

中央集権組織は、地域の実情について何も知らない。地域が復興するとは、東北の所得の源を復活させることだ。それは個々の人々の個人採算の復活になる。組織の役割は、個人財産の復活が不公平にならない仕組みをつくり、それがきちんと機能するように監督することではないだろうか。このような機能は、(注:復興庁を作らずとも)既存の組織でも果たせるのではないか。    


さらに、復興計画についても効率性の必要を説きます。  
たとえば高台移転についても、皆横並びで時間と費用のかかる高台移転をせずとも、リスクはあるが危険ではない床上浸水以下の被害にあった地域を(一定の防災対策をとったうえで)可住地域にすれば居住を放棄するのは10%で済む、そして、費用のかかる田畑の除塩も、住宅用地として買い上げて他所に移転する等で効率的に整備できるとします。


被災地を見ると、未だに必要な支援が行きわたっていないと思うことも多いですが、それは全体額が足りないのではなく、配分の非効率の問題だ、ということを、テンポのいい語り口に憤りをこめて熱く解説しています。

以前「復興庁ではなく査定庁」宮城知事、復興交付金に怒りあらわ(2012年03月03日 河北新報) というニュースもありましたが、(時間がなかったという事情はあるかもしれませんが)宮城県も震災前の事業計画を要求に入れてきたりしている部分もあったというような話も聞こえてきます。

報道では「善玉・悪玉」という切り口で語られがちですが、被災地の当事者の中にもそれぞれの事情や利害関係があるわけで、巨額の国費を支出する以上、その有効性・ムダの排除をしっかり見極めるべきだと思います。


若干違和感のあったところは、漁業についてのくだり。
著者は民間企業の参入(それは乱獲をもたらすだけ)よりは個人財産(漁船など)の補償が復興への近道と主張しています。
ただ、現地では数多くの漁港が堤防の損壊や地盤沈下という被害を受け、漁港の再建自体にかなりの土木工事が必要です。 漁港が整備されなければ漁船があっても漁業はできません。
一方で宮城県・岩手県で200を超える数の小規模漁港があり(参照)、早期かつ効率的な復興を考えれば、全ての港に予算を振り向けるのでなく集約化についても議論が必要になるように思います。
それに、企業が進出するとすれば、経営規模が小さい沿岸漁業でなく養殖業が主になるようにも思うので、そこの基盤整備に民間資金を入れさせれば収奪漁法のようなことも起きないように思います。  


予算は一度通ると検証されないという日本のまずい癖を省みるとともに、復興において何が有効なのか、国と地方自治体と被災者個人の負担はどうあるべきなのかを改めて考え直すにはおすすめです。

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被災地再訪(その4(完))

2012-04-26 | 東日本大震災

最後は石巻市 (昨年の状況はこちら参照)


日和山から石巻私立病院方面を望む

もともと眺望の名所で、ちょうど桜の開花の時期でもあり混雑していました。
市民病院の周辺・海岸沿いの地域はまだ建築制限がかかっているのだと思います。
海沿いに自動車のスクラップが積みあがっているのは昨年7月と同じ。

 

反対側(旧北上川)

 

中洲にある宇宙船のような建物が石森萬画館



日本製紙の工場

 

工業港の側は比較的復旧が進んでいて、日本製紙だけでなく飼料会社や合板会社などの工場が稼動していました。
港にも大きな貨物船が接岸していたので、港の復旧を優先して進めていた感じです。



工業港の先では瓦礫の焼却炉を建設中

 

焼却炉24日から稼働 宮城県受託がれき処理(河北新報 2012年03月07日)によれば  

がれき量が県内最大の石巻地区(石巻市、東松島市、女川町)では4月中に、整備予定の5基のうち1基を稼働する。

とのことです。

石巻は他の自治体と比べて圧倒的な瓦礫の量なので(参照)焼却炉の建設は重要です。



 旧北上川の東側にある漁港

 



市場は再築されていました。

 



ただ、市場の裏手の水産加工工場のあたりは、まだ壊れた建物を撤去して整地した状態。 





中央分離帯にひっくり返っているタンクもそのままです。




このタンクは震災のモニュメントとして残す予定とか。



確かに近くで見るとポップアート風でもあります。
周りに飾りつけの展示もされてたりします。



駅近くの商店街では日常風景が復活しつつあります。



でも閉めている店も多く、全体としてはシャッター街の印象です。



総合運動公園にある仮設住宅
石巻市は宮城県第二の人口の市なだけに仮設住宅の規模も大きいです。

隣棟との間隔が想像以上に狭いのに驚きました。

海沿いの地区から内陸部にある三陸自動車道インター近くへの集団移転の計画があるようで(参照)、移転先となっている蛇田地区を見てきました。
インター近くは田んぼが多く、地主の同意さえ得られれば受託を整備するハードルは低そうです。
しかも、インター付近は既にロードサイド型店舗が多く集積しているので、住むにも便利そうです。

逆にこうやって内陸部への移転が進むと、震災前から押され気味だった中心部の商店街がより空洞化するのではないかと心配です。
石巻市、商店街の再興を加速 復興まちづくり会社を活用(2012年4月25日 日本経済新聞)によれば市も同様の課題認識を持っているようで、  

市立病院を比較的被害が軽微だった駅前に移転。周囲に訪問介護の拠点や薬局、飲食店、小売店などを配し、「高齢者が歩いて暮らせる街づくり」を目指す

としています。

うまく両方が棲み分けができて活性化できれば理想的なのですが。



(前のエントリはこちら)
被災地再訪(その1)
被災地再訪(その2)
被災地再訪(その3)

 

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被災地再訪(その3)

2012-04-25 | 東日本大震災
南三陸町の志津川地区に入ります。
(昨年の状況はこちら参照)

まずは高台にあるベイサイドアリーナへ



ここは震災直後から仮庁舎やボランティアセンターができ、救援の中心になっていました。


当時ボランティアのバスの駐車場になっていたところに、町役場(右)と診療所(左)が建てられています。




ボラセンのテントはまだ残っています。
当時は大きなテントに思えたのですが・・・




南三陸町は震災の前からこの高台地区の造成を進めていて、住宅地や水産加工工場が進出していました。
そこに仮設住宅を作り、水産加工工場も移転して稼動を始めていました。


南三陸町の復興計画は住宅と水産加工業の高台移転を軸にしています。
既にある程度宅地造成がされていて、水産加工場なども立地していたので、市民にも抵抗は少なそうだし、造成費用もそれほど大きくなさそうなので、計画の実現可能性は比較的高いように思います。

対照的に現状は山のところを一から造成して高台移転をしようという自治体は、造成費用は復興交付金から出るとしても造成には数年単位で時間がかかるので、それまでの経済や住民の生活をどう支えるかが課題になりそうです。


そうはいうものの、旧市街地はまだ瓦礫の集積・分別がやっと終わったという状況です。



まだ、建物の上に車が・・・


防災庁舎



祭壇ができていて、訪問者がたくさんいました。
左奥に見える志津川病院も瓦礫だけ撤去したそのままの状態でした。



(前のエントリはこちら)
被災地再訪(その1)
被災地再訪(その2)

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被災地再訪(その2)

2012-04-24 | 東日本大震災
気仙沼から南三陸町へ向かいます。


気仙沼市本吉町の小泉大橋の上をまたぐ気仙沼線の高架橋(陸前小泉駅の近く)。



昨年7月に行ったときは橋げたの上に引き波で運ばれてきた民家が乗っかっていて津波の大きさを実感したのですが(参照)、さすがに片付けられていました。
ただ、橋や駅舎の復旧工事は始まっていません。


南三陸町に入り、歌津地区へ。

歌津大橋は未だ復旧しておらず、国道は街中の旧道を迂回していきます。



迂回路がある以上、復旧の優先順位は低そうです。


歌津の仮設商店街





小泉大橋だけでなく気仙沼線はいたるところで駅舎や線路が流されたり橋が落ちたりしています。
地元は復旧を希望している一方で、JRは多額の復旧費用と復旧した後の採算を理由に難色を示しているそうです。

寸断されている現場を見るとJRが二の足を踏むのもよくわかります。
橋は橋げたごと作り変える必要があるものが多いでしょうし、線路の土盛りも改めてやらなければいけなそうです。

ただ、本吉町や歌津地区のように三陸自動車道から距離があり内陸部に向かう道路も弱いところでは沿岸部を走る鉄道の需要が高いのもわかります。

輸送力だけをとってみると路線バスに代替することは可能だと思いますが、地元住民は反対しているようです。
僕も直感的には(資金の面を無視すれば)鉄道の方がいいと思います。

その理由を考えてみると、「列車」と「バス」という車両・運行システムの違いではなく、「駅」と「バス停」の違いが大きいように思います。


乗り降りのしやすさや荷物の持ち込みやすさなどは、バスも車両を改造すればかなり改善できると思いますし、運行時刻の正確さも列車よりバスの運行本数を増やすことでカバーできそうです。

ただ、駅はバス停に比べて
・待合室で雨にぬれずに座って待つことができる
・駅員がいて、いろいろ尋ねることが出来る
・駅前にちょっとした広場があって、送り迎えや短時間の駐車ができる
という旅(移動)の快適さの部分ではるかに優位にあるように思います。

バス停にぽつんと立ってバスを待つのは、高齢者でなくても心細く苦痛でもあります。

それならば、バス停を駅と同じ機能を持つようにすれば、鉄道を路線バスで代替してもそれほど不便にはならないのではないでしょうか。

具体的には鉄道駅と同じ程度の主要なバス停に次のものを設置します。
・屋根つきの待合室
・送迎用の駐停車スペース
・バスの乗降、荷物の積み下ろしが容易なような専用の車路
・駅員の代わりの案内要員

上3つは200坪くらいの土地があれば設置可能でしょうし、コンビニや郵便局、地元商店などに隣接すれば案内要員を委託することもできます。

そうすればその停留所は、地元のコミュニティの一つの核にもなると思います。


「鉄道かバスか」でなく、その間のものを考えてみてもいいのではないでしょうか。



(前のエントリはこちら)
被災地再訪(その1)
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被災地再訪(その1)

2012-04-22 | 東日本大震災
昨年の7月以来の被災地再訪です。
(前回については被災地に行ってきました(まとめ)をご覧ください。)

今回は駆け足で陸前高田から石巻までを回ってきました。



まずは陸前高田。
(昨年の状況はこちら参照)


市街地の中心部にあった市庁舎付近からの光景。



きれいに瓦礫が撤去され、残っているのは市庁舎やスーパー、病院などの3,4階建の鉄筋コンクリート造の建物くらいです。

しかも瓦礫はきちんと分別され、処理を待っている状態です。






コンクリートのガラ




鉄くず




後で他の町と比較して後で気がついたのは、陸前高田は建物の基礎まできっちりと処理していること。
そのために、平坦な市街地が津波でほぼ全滅してしまったことが強調されています。

さらに陸前高田はもともと大きな漁港や工場がなく人口も少なかったので、平坦な光景が復興のエンジン役を見つけにくいという悩みを象徴しているように感じました。



次は気仙沼
(昨年の状況はこちら参照)

三陸道から市街地に入っていくと、鹿折歩道橋の近くに鹿折(ししおり)復幸マルシェができていました。



そもそもは塩田さん(うどん屋のご主人)の発案で、商店主に声をかけ、土地探しと地主との交渉を行い、行政の補助が出ない整地作業は自ら重機の免許を取って作業をし、側溝の掃除はボランティアの協力を得て、と、プレハブの建物以外は行政の援助をほとんど受けずに立ち上げたそうです。

鹿折復幸マルシェ完成までの道のりをご参照)


熱く語る塩田さん。




昨年7月の時点では鹿折歩道橋の交差点から南は通行止めになっていて、迂回したのですが、この鹿折歩道橋に流されてきた家や瓦礫がひっかかって火のついた瓦礫をせき止める役目を果たしたそうで、そのうちに風向きが変わって、延焼が食い止められたのだそうです。

歩道橋の階段に焼けた跡が残ってます。




気仙沼の中心部では
復興屋台村 気仙沼横丁が出来、気仙沼 お魚いちばも営業再開していて、にぎわっていました。


気仙沼は魚市場の建物が残っていたので、比較的早くから水揚げが再開し、取扱高は大きく減ったものの、昨年のカツオの水揚げは日本一を維持したそうです。

問題は冷蔵倉庫などが被災したために、水産加工業の復興が進んでいないこと。

昨年の7月の時点では市場から南は地盤沈下と津波で堤防が壊れて浸水が激しく、通行止めでした。
(当時の写真。運河ではなく道がつながっているはずのところです)




現在は、護岸の仮復旧も終わり市場の区まで通行が可能になっていました。
一番南には大型の冷蔵倉庫が集中していますが、それぞれ復旧工事が進んでいました。



南の部分は不思議なことに、埠頭の先端部分はよりも手前の方が道路も含めて地盤の被害が大きいこと。
場所によって被害が違うのは新浦安の液状化と同様で、埋め立ての時期によるのでしょうか。
そのため、埠頭の先端部分にある大型の冷蔵倉庫は比較的復旧が早いかもしれません。

逆にその手前の、おそらく昔からある中小業者の加工工場のところは、被害が大きく建物も残っていないので、復旧には時間がかかりそうです。

こんな感じ。




地盤の安定していた方のところに立っている宮城県合同庁舎
(上の昨年の写真の左隅の建物)



建物の左側、2階と3階の間にある青い印は、津波がここまで来た、という印。
気仙沼市内の主だった建物(取り壊さないで使う建物)にはこの印がつけられていました。

将来への教訓としても、また観光資源としてもいいアイデアだと思います。


漁港の対岸にある造船所。



火災の原因になった重油タンクが高台に移されています。



気仙沼は震災前から日本有数の漁港で被害も比較的少なかったことと、水産加工業や冷蔵倉庫には大手企業もあるので(ほてい、ヨコレイなど。地元でも阿部長商店という会社が水産加工業やホテル観洋など売上200億円規模の会社がある)、民間の力でも復興が進んでいるようです。

あとは市の復興計画がどれくらいのスピード感で進むかが、中小事業者や被災者の住宅問題のポイントになりそうです。


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区切り

2012-03-11 | 東日本大震災
東日本大震災から1年ということで、テレビでも特番が組まれている。

ただこれで「犠牲者を弔おう」「震災後の対応に反省すべきところを反省しよう」そして「復興に向けて前を向こう」、というひとつの「区切り」にしてしまうことで関心が薄れてしまうのではないか。

「復興はまだ先が見えない」と指摘されてはいるし確かにそれは事実だが、これからは「国(復興庁)や県はけしからん」という「他人事」になってはしまいかねない。

ちょうどNHKで"激論!知事VS仮設住宅"という番組をやっているが、そこに対立構造を持ち込むことで、視聴者は局外者としての視点を持ってしまうように思う。
(どうせなら"激論・瓦礫処理:首都圏住民VS被災地住民"とかをやればよかったのに)


企業もウェブサイトの頭に「東日本大震災の被災者の皆様に心からお見舞い申しあげます」と載せていたが、1周年を機にとりやめるところが増えるのではないだろうか。
現にさっき利用した銀行のサイトにはなくなっていた。

「じゃあいつまでやればいいんだ」とか「そもそも載せなければよかったかもしれないが他社が載せているのにウチだけ載せないのもまずいんじゃないか」などという議論が交わされたであろうことは想像に難くない。
実際自分が担当していたら悩むとは思う。
その会社が被災地支援への具体的な取り組みをしていてそれを紹介するコーナーがあれば別だが、そうでなければちょっと体裁は悪いが1年を「区切り」に取りさげよう、ということになるかもしれない。


そういう小さいことの積み重ねが全体の雰囲気に影響を与えないようにしないといけないと思う。



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男性限界

2012-01-26 | 東日本大震災

ではなく「弾性限界」の話。

東日本大震災地震でも、免震装置のついているマンションに住んでいた友人は揺れがかなり少なかったようです。
ただ大きな入力がかかった場合、免震ゴムが弾性限界を超えて亀裂が入るなどして免震性能が低下しなかったんだろうかと思っていたのですが、やはり専門家の調査がなされていたようです。

免震建物の可動部、大震災で3割損傷 ビル主要部は無事
(2012年1月26日5時0分 朝日新聞)  

免震建物に取り付けられた可動部材の約3割が東日本大震災で損傷したことが、日本免震構造協会の調査でわかった。損傷で天井や壁に傷がついたり、けが人が出たりする恐れもあるうえ、設計通りに機能しないのは問題だとして、同協会は再発防止に向けた指針作りを検討する。    

これだけ読むと、「可動部」というのは地震で揺れると動く免震装置(ゴムやボールベアリングやダンパー)のことで3割も損傷したのかと驚いたのですが損傷を受けたのは「免震建物と地面の間など地震での動きが異なる部分を橋渡しする装置」この図で言う「エキスパンションジョイント」の部分のようです。



(エキスパンションジョイントについてはこちら参照)  

記事のつづきによると、  

不具合は、製品の機能や設置に問題があったもののほか、レールにほこりがついていた、動くのを妨げる柱が別の工事でつけられていたなど、維持管理が不十分な例が目立った。揺れを押さえる装置に亀裂が見つかった例もあった。  

ホコリはともかく、柱があったりそもそも動かないようになっているのはダメですが、それでも素人的に考えるとエキスパンションジョイントが損傷する程度なら取り替えればそれほど費用もかからないように思います。  

より大事なのは最後の部分で、「揺れを押さえる装置」=免震装置に亀裂が見つかったということは、やはり、免震ゴムが弾性限界をこえてしまったものがあるようです。  

免震装置が地震のエネルギーを受け止めた結果の亀裂なので装置自体はきちんと機能したと思うのですが、今回大丈夫だったからといって安心するだけでなく次の地震に備えて点検・交換が必要だというのは注意した方がいいですね。
また、マンションなどでは、一定以上の規模の地震があった後は、免震装置を点検したほうがいいのかもしれません。

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日本郵便の怠慢

2011-11-02 | 東日本大震災

こんなことだから年賀状がジリ貧になるのだと思う。

被災地で年賀はがき販売開始
(11月1日 13時3分 NHKニュース)

被災者のなかには、仮設住宅などに入居したあと、郵便局に転居届けを出していない人も多く、年賀状が届かないケースも懸念されるということです。

仮設住宅住まいの被災者は過去の年賀状リストもない人がほとんどどだろから「送りもできず届きもしない」という状態にあるのではないか。
「懸念」などという受身では公共サービスを事業独占する資格はないと思う。

「どんな過疎地でも郵便を届ける」というのが民営化への抵抗の謳い文句だったが、それは平時に限定されるということだろうか。

日本郵便のサイトを見ても、4月6日に 避難先届(お客さま確認シート)等の提出のお願い というのがあるだけ。

転居届けを待つのでなく、仮設住宅に聞き取りのローラーをかけるとかなぜしないのだろうか。

「昔の正しい住所に送れば、仮設住宅に転居している人については必ず届ける」
「被災地からの年賀状は、名前と大体の住所さえ書いてくれれば、最大限届ける努力をする」

くらいのことはすべきではないか。

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岩手県に「第二漁協」

2011-10-23 | 東日本大震災

これ、注目すべき動きだと思います。

秋サケ漁独占漁協に対抗、岩手に「第2漁協」

昨日の朝日新聞の記事ですが、有料版でしか見れないようなので引用します。  

秋サケ漁をめぐって「漁協の独占」を批判する岩手県の漁師たちが、既存の漁協とは別に「第2漁協」をつくることになった。このような動きは全国的にも珍しいという。  

同県山田町の漁師約20人が、「山田漁民組合」を23日に発足させる。労働組合的な役割も担い、将来的に法人格を取得したい考え。  

中心になっている同町船越の橋端辰徳さん(63)は「今回の津波で、地元の漁師たちは船や漁具を失ったが、国の支援で漁協は自分たちの秋サケ用の定置網や設備の修理を優先し、我々小型漁船にはお金は下りてこない」と批判。「個人で何を言っても相手にされないので、団結して改善を訴えていくことにした」と話す。所属する船越湾漁協は辞めないという。  

岩手県では、ドル箱の秋サケ漁について一般漁民の刺し網漁を禁止し、漁協にほぼ独占させている。反発する組合員の一部は2300世帯の署名を集め、漁協独占の改善を達増拓也知事に求めたが、事態は解決していない。

 「第2漁協」設立について、船越湾漁協幹部は「コメントは差し控える」としている。

先日 「漁業権」 というエントリでちょっと調べたのですが、大型の定置網については「定置漁業権」に分類され、知事が優先順位(地元漁民の属する世帯が多数参加する地元自営漁協、漁民会社(株式会社を含む)が優先度が高い)に従い免許することになっています。

「漁業者及び漁業従事者を主体とする漁業調整機構の運用によつて水面を総合的に利用し、もつて漁業生産力を発展させ、あわせて漁業の民主化を図ること」を目的とした漁業法(昭和24年)が長年の運用される中で漁民のためでなく漁協という既得権と組織の維持のためになってしまっている、また、そこまでではなくとも少なくとも資金の効率的な配分を妨げているということなのでしょうか。

先のエントリでも現行の漁業法でも法人の参入は禁止されているわけではなく優先順位が低いだけで、要するに県知事の判断によるところが大きい、といいましたが、今回第二漁協という同じ優先順位のプレーヤーが登場したことで、県はその前哨戦といえる判断を迫られることになります。

復興に向けての漁業資源の有効な活用と資金の効率的な配分という見地で判断するのか、それとも既得権にどの程度の配慮をするのか注目したいと思います。

企業が参入すれば必ず上手くいくという保証はなく(現実的にはおいしいところにしか参入しないと思う)、今の漁民たちでより無駄なく儲かる漁業(それは長期的には補助金の減少などにつながるはずです)ができるのであれば、それにこしたことはないわけですから。

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漁業権

2011-09-14 | 東日本大震災

昨日の日経の特集記事「復興へ今」で水産復興特区と漁業権の問題がとりあげられていたので、備忘録的に。

記事によると、特区については民間資金を呼び込もうと言う県と漁業権を持つ漁協が激しく対立していたが、9月6日に県漁協の幹部と県とが水産業復興特区を巡って初めて話し合う「沿岸漁業復興連絡会議」が開かれました。
この特区構想は復興構想会議のときにも水産庁の抵抗を押し切って「何とか枠組みを残した」とのこと。

復興への提言(平成23年6月 東日本大震災復興構想会議)を見るとこのようになっています。(太字は筆者、以下同じ。)

漁場・資源の回復、漁業者と民間企業との連携促進(p22)

必要な地域では、以下の取組を「特区」手法の活用により実現すべきである。具体的には、地元漁業者が主体となった法人が漁協に劣後しないで漁業権を取得できる仕組みとする。ただし、民間企業が単独で免許を求める場合にはそのようにせず地元漁業者の生業の保全に留意した仕組みとする。その際、関係者間の協議・調整を行う第三者機関を設置するなど、所要の対応を行うべきである。

この「特区」に対して宮城県の「水産業復興特区」構想に思う(農中総研 調査と情報 2011.7(第25号) 内容は6月20日現在)では具体的にどのような漁業権に対してどのように規制を緩和するのかがはっきりしないまま議論がされていると指摘しています。  

ここで漁業権の種類について上の論文と水産庁のサイトの 漁業法の目的からまとめると、漁業権は4種類あります。

1.定置漁業権 (存続期間5年)
・ 漁具を定置して営む漁業であって身網の設置水深が27m以上のものを営む権利。
(ex.大型定置網、北海道のサケ定置漁業など)
・ 自ら定置漁業を営む者に適格性が認められ、漁協による管理を認めていない。
・ 知事が優先順位に従い免許する:地元漁民の属する世帯が多数参加する地元自営漁協、漁民会社(株式会社を含む)が優先度が高い。

2.区画漁業権(存続期間5年(一部10年))
・ 一定の区域において養殖業を営む権利
(ex.カキ、ノリ、真珠養殖、小割り式魚類養殖など)
・ 自ら区画漁業を営む者に適格性が認められる。
・ 知事が優先順位に従い免許する:地元漁民の属する世帯が多数参加する地元自営漁協、漁民会社(株式会社会社を含む)が優先度が高い。

3.特定区画漁業権(存続期間5年(一部10年))
・ 区画漁業のうち特定のもの:ひび建養殖業、藻類養殖業、真珠養殖業を除く垂下式養殖業、小割り式養殖業、地まき式貝類養殖業。区画漁業の大半を占める。
・ 管理をする漁協が最優先される。
・ 特定区画漁業権の管理を行なう漁協においては、組合員は組合の定める漁業権行使規則に従い漁業権を行使する。

※ 補足
漁業法第6条、第7条によると区画漁業権とは「第三種区画漁業たる貝類養殖業を内容とする区画漁業権」をいい、第三種区画漁業とは「一定の区域内において石、かわら、竹、木等を敷設して営む養殖業」および「土、石、竹、木等によつて囲まれた一定の区域内において営む養殖業」以外のもの、ということですから、大規模な貝類の養殖業はこのカテゴリに属することになるようです。

4.共同漁業権(存続期間10年)
・ 一定の水面を共同に利用して漁業を営む権利
(ex.アワビ、サザエ、ウニ漁業、小型定置網、固定式刺し網)
・ 地元の漁協・漁連が免許を受ける適格性を有する。
・ 漁協においては、組合員は組合の定める漁業権行使規則に従い漁業権を行使する。

上の論文は、特区の議論が「現行漁業法の元でも企業が参入できる分野についての優先順位の見直し」なのか、「現行漁業法では企業が参入できない分野について認める」ということなのかがはっきりしない、と指摘し、また後者だとしても企業が漁協の組合員になることで参入が可能だ、としています。
確かに「復興への提言」は現在の漁業法を基本としながら漁協の意見をそんちょうしつつちょっと広げましょう、というトーンです。これが「何とか枠組みを残した」ということなのでしょう。

その後の政府の 東日本大震災からの復興の基本方針(平成23 年7月29 日 東日本大震災復興対策本部 p19)では

5 復興施策
 (3)地域経済活動の再生
  ⑤水産業
  () 地域の理解を基礎としつつ、漁業者が主体的に技術・ノウハウや資本を有する企業と連携できるよう仲介・マッチングを進めるとともに、必要な地域では、地元漁業者が主体の法人が漁協に劣後しないで漁業権を取得できる特区制度を創設する。

と、やはり漁業権を与える場合の優先順位を見直す、つまり特定区画漁業権と共同漁業権は開放しない(?)ようにも読めます。


そして宮城県の 宮城県震災復興計画(平成23年8月 p12)では

復興のポイント

2.水産県みやぎの復興
■ 具体的な取組
○ 水産業集積地域,漁業拠点の集約再編
・ 「水産業集積拠点漁港」を再構築するとともに,漁港の3分の1程度を「沿岸拠点漁港」として選定し,当該漁港に機能を集約再編しつつ,優先的に復旧します。また,拠点漁港以外については,安全に利用できるよう必要な施設の復旧を行います。
・ 流通加工団地等の漁港背後地を一体的に整備し,水産業関連産業の集積を図ります。 

○ 新しい経営形態の導入・ 漁船漁業・水産加工業等の早期の復旧・復興に向けて,直接助成制度の創設を国に求めます。
・ 沿岸漁業・養殖業の振興に向けて,施設の共同利用,協業化等の促進や民間資本の活用など新たな経営組織の導入を推進します。

○ 競争力と魅力ある水産業の形成
・ 水産業の集積度と付加価値の向上に向けて,漁業を中心とした産業の集積・高度化に努めます。関連産業との連携のもとに流通体系を再整備し,水産加工品のブランド化,6次産業化等の取組を推進します。

■ 検討すべき課題
・ 漁船,養殖施設,加工施設等の基盤を国が一定期間直接助成するスキームの創設
国の「東日本大震災からの復興の基本方針」に基づく民間資本導入の促進に資する水産業復興特区の次期漁業権切替までの検討及び漁業者との協議・調整

6 分野別の復興の方向性
(4)農業・林業・水産業
③ 新たな水産業の創造(p44~)
3 水産業集積拠点の再構築及び沿岸漁業拠点の集約再編
(中略)
水産業集積拠点となる漁港を除く県内漁港は,沿岸漁船漁業及び養殖業を行う上で重要な漁港を沿岸漁業拠点として整備するとともに,沿岸市町のまちづくり計画に合わせて集落の復興計画の策定支援や漁業権の変更・更新などに取り組みます。(以下略)

4 新たな経営方式の導入による経営体質強化,後継者確保,漁業の総合産業化等
沿岸漁業・養殖業等の第一次産業の経営体質強化を図るため,業生産組合や漁業会社など漁業経営の共同化,協業化,法人化を促すとともに,地元漁業者と技術・ノウハウや資本を有する民間企業との連携を積極的に進め,自立した産業としての礎となる新たな経営形態の導入支援に取り組みます。

そしてそれぞれの【主な事業】として

・ 漁業権変更及び一斉切り替え事業 【復旧期】

をあげています。

これを見る限りでは漁業権の見直しの範囲ははっきりしませんが、「沿岸漁業・養殖業等」の強化をうたっている以上、特定区画漁業権と共同漁業権も含まれているようにも読めます。
ここは宮城県としてはちょっと踏み込んだのでしょうか。 (しかしまあ、役所の作文は面倒くさいですね・・・)


またはそれほど厳密に考えずに、「国の基本方針に基づき」という方が基本方針としては通しやすいのであとは具体的な交渉で進めていこうという政治的な判断なのかもしれません。

たしかに地元の漁協がいやがるのに特区に指定して県知事が免許を与えたとしても、そこにトラブルを覚悟して参入しようとする企業は少ないでしょうし、知事としても選挙をにらむと得策ではないと思います。

逆に、こういう枠組みを作ることで、一つの漁協でも民間企業の資本を入れることに前向きになり、そこが早期の復興の成功例を作れば、バスに乗り遅れまいと希望する漁協は増えてくると思います。
また、バスに乗らずに自力で資金調達できる漁協があればそれに越したことはないわけですから。


つまり協力的な漁協への「太陽政策」のほうが、「強権的に既得権を奪う」という「北風政策」よりも有効だと思いますし、村井知事もそう考えているのではないでしょうか。

何しろ生業なのですから、「漁業権」を抱えて行き詰るより、稼げる提案があれ漁協も乗ってくると思うのですが。

なのでマスコミも「既得権にしがみつく漁協」というような切り口一辺倒はやめたほうがいいと思います。
(僕が現実を知らないだけで、漁協の人々はそんなに柔軟じゃない、とか、漁師でなく漁協の役職員が抵抗するのかもしれませんけど)



ちなみに水産庁は東日本大震災による水産業への影響と今後の対応(平成23年6月)ではこう書いてます。

漁港の機能分担
 
中核漁港の高度化 周辺漁港のネットワーク化(p10)
共同利用漁船等復旧支援対策事業 274億円 (p9)
被災した漁船・定置漁具の復旧のため、漁業協同組合等が行う以下の取組を支援・ 激甚法に基づく共同利用小型漁船の建造・ 共同計画に基づく漁船の導入・ 共同定置網の導入

これは従来の漁協中心の枠組みに沿った復興計画ですね。
国の基本方針が出る前の時点での役所としては仕方ないかもしれません。
でも補正予算の要求はどういう枠組みでやるのでしょうか。

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数字で見る被災状況・復旧状況(その2)

2011-08-23 | 東日本大震災
先日の数字で見る被災状況・復旧状況の表ではそれぞれの町の規模に対する被災の影響がわからなかったので、人口と予算規模を加えた表を作りました。


別窓はこちら


人口比でいうと現在でも10人に1人が避難している南三陸町が突出しています。
また、仮設住宅の世帯数比(世帯あたり人数の県平均値からの概算)では、大槌町、南三陸町、女川町で1/3以上の家屋が利用不能な状態にあることがわかります。

瓦礫については実際の処理費用がわからないので、瓦礫推定総量を一般会計の歳入額で割った数字、つまり「瓦礫1万トンあたり一般会計がどれくらいの規模があるか」で計ってみました。
この数字が大きければ財政規模に対するインパクトは少ない(=余裕がある)ということになります。

大きくニ桁と一桁に分かれていますが、ニ桁のところはそもそも瓦礫の総量が少ないところ。
一桁のグループでは直感的に言うと2台、特に2.0を下回るところは財政規模的につらそうな感じでした。
具体的には山田町、陸前高田市、気仙沼市、南三陸町、女川市、石巻市、松島町、亘理町、山元町です。
1.0を割り込んでいる石巻市や東松島市の瓦礫撤去が進んでいないのも致し方ない部分かもしれません。
その中で山田町や陸前高田市は瓦礫撤去をがんばっているといえます。

そのほか1を割り込んでいるのは亘理町と山元町。
宮城県南部は平地のため津波が内陸部まで遡上したため被災した建物の割合も比較的多いです。
他の自治体に比べると総量は少ないものの財政規模が小さいので苦しいのではないでしょうか。
現在のスコップ団は山元町を中心に活動しているのですが、街中に瓦礫が山積みと言う状態ではないものの、個々の家々や畑の片づけまでは手が回っていない状況です。


これまでは、個人個人のエピソードと大所高所の計画とか総額の予算の話が語られてきましたが、そろそろ予算の箇所付けや配分の優先順位についてきちんと議論すべき時期なのではないかと思います。
それは政治的には避けたほうが得策なのかもしれませんし、逆にお上の言いなりでいいという問題でもありません。
被害の現状とこれからを見据えながら、国、県、自治体、企業、個人が何をどのように負担するのか、それについての合意が早くできれば、復旧・復興の段階に早く入ることができるように思います。


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被災地に行ってきました(まとめ)

2011-08-22 | 東日本大震災
7月27日から5泊6日で被災地に行ってきました。

結局全部書き終わるまでに3週間もかかってしまいました。

特に帰ってきて1週間は写真の整理以上に、自分の中で消化するのに時間がかかった感じがします。

現地はまだ全然片付いていませんし、あと4ヶ月もすれば雪が降ります。
そうなると人力による屋外の片付けなど活動は今ほど活発にはできないでしょうし、土木工事も減速せざるを得ないと思います。
プレハブの仮設住宅は厳冬をしのげるのでしょうか。
家は残っても一部損壊のままのところは冬場は厳しそうです。


  まだまだ

  まだまだ

  これからが大事



一言で言えばこれが感想です。



【関連エントリ】

岩手県普代村
田野畑村、宮古市小堀内漁港
宮古市田老町
宮古市中心部
大槌町
釜石市
大船渡市吉浜町
大船渡市
大船渡市末崎町大田団地
陸前高田市
気仙沼市
気仙沼~南三陸町
南三陸町女川町・牡鹿半島
石巻市
塩竈市他(石巻以南)
数字で見る被災状況・復旧状況
スコップ団

*******************

またフォトチャンネルも作りましたので写真だけご覧になりたい方はどうぞ。
 岩手県編:http://blog.goo.ne.jp/photo/96993 
 宮城県編:http://blog.goo.ne.jp/photo/97618

また、今回の行程や街の位置関係がわかるようにGoogleマップを作ってみました。
 こちら

この地図とは別に街ごとのマップも作っています。
個別のマップは上の地図のコメントか目印をクリックしてた吹き出しのurlをコピペしてください(マップの中からマップへのリンクをしようと思ったがうまくいかないので)。

個別のマップではひとことコメントとともに、カメラのアイコンで写真の撮影場所を示しています。

※ 写真やGoogleマップのリンクの不備等を見つけられた方はコメントいただけると幸いです。

コメント (4)
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数字で見る被災状況・復旧状況

2011-08-20 | 東日本大震災
「助け合いジャパン」のサイトがリニューアルされ、各地の復興状況のデータが復興状況マップとしてわかるようになりました。


今アップされているデータが8月初旬時点でちょうど実査の時期と合っていたので、印象を数字で確認するために一覧にまとめてみました(ただし内陸部は省略しています)


別窓はこちら

太字のところが今回実査したところです。


石巻市の被害の大きさが群を抜いて大きいのが印象的です。

岩手県の中では、陸前高田市の瓦礫撤去の進捗の早さ、大槌「町」山田「町」の仮設住宅の多さが目立ちます。

宮城県では近接しているにもかかわらず石巻市・東松島市のダメージの深さと松島に守られた松島町・塩竈市の被害の少なさの対照が目を引きます。また石巻市以外でも気仙沼市の瓦礫は陸前高田市・釜石市・大船渡市の倍近く、南三陸町がこの3市と同程度であることがわかります。
それから、完成した仮設住宅の入居率が気仙沼市、南三陸町、石巻市では80%前後なのが少し気になります。完成から入居までのタイムラグの問題ならいいのですが。

全般的には岩手県に比較して宮城県の被害が大きく、瓦礫撤去が遅れていることがわかります。

前にも少し触れたのですが、素人考えとしてはつぎのとおり。

・岩手県の方がリアス式海岸が海岸まで迫っていて、それぞれの町で平坦な部分の面積が少ないのにに比べて宮城県は比較的大きな河口の三角州のような平坦な場所が多く、集落・漁港の数も多い(漁港は岩手111に対し宮城県142)。
・その結果宮城県においては津波の遡上した範囲がそれぞれの町で広範囲に渡り被害が大きかった。
・岩手県は海岸沿いの地形が険しいため、道路が山沿いを走りそこから枝分かれして海岸部の町に行く構造をとっているのに対し、宮城県は海岸沿いの道が整備されていた。今回は海岸沿いの道が津波で被害を受けたため、復旧の輸送ルートの回復に時間がかかったのではないか。
(逆に岩手県では平坦なところが少ないのか、仮設住宅は町から相当離れたところや戸数の小規模なものが多かった印象があります。)


ただ、宮城県の名誉のために言えば、絶対数で言えば宮城県は岩手県より3倍以上の避難者と5割多い避難所に物資を供給しつつ、5,600戸多く仮設住宅を完成させ、倍以上の瓦礫を処理しています。しかし宮城県の処理しなければいけない瓦礫の量は岩手県の3倍以上なので、進捗度合を比較すると遅れているということになってしまいます。


ややもすれば原発問題に関心がシフトしつつある中で、被災地の現状を正確に理解することはとても大事なので、こういう情報提供は大いに必要だと思います。



※ 関連エントリはこちらから被災地に行ってきました。
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塩竈市他(石巻以南)

2011-08-19 | 東日本大震災
石巻から塩竃に向かいます。

海沿いの道を行こうとしたのですが、石巻の工業地帯から航空自衛隊松島基地を通る県道251号線は定川大橋(Googleマップ参照)が落橋していて通行できません。仮橋は9月末に完成予定とのこと。

私は迂回したのですが、被災地 石巻からに写真がありますのでご覧ください。


国道45号線をくだり、東松島市に入り鳴瀬川を越えて県道60号線で松島に向かいますが、宮戸島に向かう奥松島パークライン(Googleマップ参照)は道路流出のため未だに通行止めの箇所があり寸断されていました。
工事車両が頻繁に行き来しているので先までは行かずに県道27号線を松島に向かいます。

道沿いの東松島市の野蒜(のびる)地区(Googleマップ参照)は、石巻湾に面しており津波の被害が甚大だったところです。(松の枝・自宅の庭…遺体続々 宮城・東松島市野蒜地区(asahi.com)参照)
未だに解体を待つ家屋や未整理の瓦礫が見られました。



ところが松島湾に入ると、被害の痕がほとんど残っていないことに驚きます。
観光客も見られ、旅館も普通に営業を行なっているようです。

おそらく、景勝松島の島々が天然の防波堤になって、津波の被害を大きく減殺したのでしょう。
その代わり、島々では大きな被害があったと思われます。



同じ松島湾の中にある塩竃も、津波の被害は比較的軽微なようでした。
Googleマップ参照

塩竃漁港。
電柱が傾いていたり、船が乗り上げていたり、また全体的に地盤沈下もあるようですが、漁船は数多く停泊していました。





岸壁に近い建物も普通に建っています。





魚市場も営業しています。





対岸のマリンゲート塩釜から港をのぞむ。
どこも日常に近いの光景のように見えました。





しかし、松島湾の外海に面した七ヶ浜地区では、津波の被害は大きかったようです。



海岸にコンテナが打ち上げられています。
仙台塩釜港から流れてきたのでしょうか。



平地が続いている部分は内陸部まで被害が広がっています。





今回の震災は地震の揺れよりも、津波がどれだけ遡上したか、外海に面していたか、平地だったか、地形が津波の遡上を加速する形だったかで明暗が大きく分かれたことを象徴しています。



仙台港(仙台塩釜港)では多くの施設は復旧して営業を再開していましたが、ここも外海に面していて平地が広がっていたため津波の被害は大きかったようです。

南三陸町へのボラツアの添乗員氏によると、被災3日後に本社からの支援物資を受け取りに仙台港に行ったところ、流された車は折り重なり、キリンビールの工場から流れ出てきた飲食店用の生ビールのタンクが辺り一面に散乱していたそうです。
もっとも数日後には生ビールのタンクはきれいに片付いていたそうで、うわさではキリンビール以外の誰かが持っていったのではないかということです。
自動車も高級車のタイヤだけはずされていたとか。

悪い奴も一定数いるということです。



仙台から南は、日曜に山元町に行く途中に駆け足で見てきました。

仙台東部有料道路で仙台空港へ
定期便も7月から運行を再開していますが、また復旧途中のところもあります。

"SENDAI AIRPORT"の看板は曲がったまま。





エアカーゴターミナルはまだ復旧工事中でした。



窓ガラスを見ると、2階レベルまで津波が来ていたようです。



仙台東部有料道路から常盤自動車道が走る若林区、名取市、岩沼市、亘理町のあたりは田んぼが広がる平坦地で、津波がかなり内陸部まで遡上しました。
道路が土盛りされていたところはそれが防潮堤の役割を果たしたそうです。

地盤沈下もかなりあるようで、特に岩沼市や亘理市にはいると、路面が荒れているところや橋の継ぎ目での段差などが目立ちました。

平地を内陸部に遡上した場合、波高が急に高まることはありませんが、人命や家屋への被害は広範囲にわたります。
また、実際に被災家屋を見ると、1階だけ被災した家屋は火災保険上は「半壊」「一部損壊」という評価なのでしょうが、実際は家財道具のうちの経済的価値の高いものは大半が1階に集中している(テレビ、パソコン、ソファ、リビングボード、冷蔵庫、洗濯機など)ので、経済的、心理的ななダメージは「半壊」以上だということがわかりました。


山元町からさらに南下すると福島県相馬市・南相馬市になりますが、平地が広がっている部分は同様の被害があったものと思われます。


********************************************


結局3週間遅れで被災地の写真とコメントをアップしたのですが、物理的な写真の整理(400枚くらい)以上に自分の中でどのように整理して書くかに1週間ほどかかった感じです。

それくらい、現地の被害の大きさと復旧の困難さは印象的でした。



※ 関連エントリはこちらから被災地に行ってきました。

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