一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『アイ・アム・レジェンド』

2008-04-30 | キネマ
けっこう面白かったです。

全体のストーリーはネタバレになるので言いませんが、
設定の妙は○
細かいところの演出は○
主演のウィル・スミスの演技は○(まあ、いつもどおりなのですが。内輪ネタもあり好き嫌いは分かれるかも)
全体のストーリーは△(後半見えてきてしまう)

というところで、けっこう楽しめます。



ただ、ホラー系が苦手な人は避けたほうがいいかもしれません。

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オリンピックと人権問題

2008-04-29 | よしなしごと
聖火リレーが妨害されたり開会式をボイコットされたりしている北京オリンピックですが、中国としてみれば言いたいこともあると思います。


そもそも近代オリンピックの始まりと欧米列強の中国領土への支配が強化されたタイミングはほぼ同じです。

イギリスは1898年7月1日から99年の期限で香港を租借しました(参照
そしてフランスは1900年から同じく99年の期限で杭州湾租借地を租借しました(この租借地は1945日本軍の敗戦とともに中華民国に返還。(参照))

ちょうどその頃、近代オリンピックの第1回アテネ大会は1996年に開催されました。
そして第2回パリ大会(1900年)第4回ロンドン大会(1908年)と順に開催されています。(近代オリンピックの歴史はこちらを参照


その意味では開会式ボイコットなどと言われると、歴史と面子を重んじる中国は「自分のことは棚に上げて何を言う」と思うのでかもしれません。
英仏は条約に基づいた租借だとか植民地支配はしたが人権侵害はしていなかったというのかもしれませんが、自治権の主張を否定している今のチベットと同じともいえます。

確かにオリンピックをからめることは、逆にオリンピックくらいしか交渉ルートがない、ということでもあるので、きちんとした国がとる外交姿勢としてはどうかな、と思います。
(そう思ったのかどうか知りませんが、イギリスの首相はこういうスタンスのようです。
英首相、五輪閉会式は出席…開会式欠席「ボイコット」を否定


逆にチベット独立支持派のような他にアピールする術のない人々は聖火リレーで(またはそれに限らず)世界の注目の集まるところでアピールするのも仕方ないでしょうし、それぞれの国で違法行為にならない範囲であれば自由なわけです。

しかしこのへんは、「自発的意思に基づくデモ」というのが中国政府にはいまひとつピンと来ていないのかもしれないので「国を挙げての内政干渉」という風に思うのかもしれません。
(でも何年か前の中国での日本大使館へのデモもけっこう日本でも大きく取り上げていたのでいい勝負か。)

********(追記)************

韓国、中国人留学生の過激行動に抗議 聖火リレー(2008年04月28日23時17分 朝日新聞)
の続報で、今朝のBS世界のニュースでKBSが中国大使館が電子メールで中国人留学生をデモに動員していた疑いがあるという話をしていました。
なかなかこのへんの温度差を埋めるのは難しいかもしれません。

*****************************

いずれにしろ、チベット問題ではオリンピックを人質にとることはできませんし、そうしたとしてもオリンピックが終わったら(人質が解放されたら)かえって弾圧が激しくなるかもしれないので、独自の人権問題として取り上げたほうがいいと思います。
その意味では今回の騒動はダライラマ14世にとっては「北京オリンピックには賛成する」という姿勢を堅持したことで、各国が「オリンピックがらみ以外の外交的働きかけ」をする契機になったことでプラスになったことは確かのようです。

ただ、チベットのほかにも新彊ウイグル自治区のイスラム系部族の問題もあるので(天然資源的にはこちらのほうが大きい?)人権問題として取り上げるのであれば本来は「チベット=ダライ・ラマ問題」にとどめずに議論すべきだと思いますが、世界の注目度を考えるとそこまで一気にはいかなそうですね。


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ボート競技

2008-04-28 | よしなしごと

中国に何か言いたい人は聖火リレーに乱入する、というパターンが定着してしまったようです。

ソウル聖火リレー 脱北者ら抗議、けが人も
(2008年4月27日(日)22:48 朝日新聞)
どうして脱北者が中国に抗議?と思ったのですが

脱北者支援団体などは「中国は脱北者を強制送還している」と訴えた。

ということが問題なようです。

長野オリンピックのときに「捕鯨をやめろ」というような抗議活動はなかったと思うのですが・・・



一足先に始まったボート競技、でしょうか。


ただ暴徒になってしまうと主張のアピールがかえって弱まってしまうので、「坊と協議」くらいにしておいたほうがいいのではないかと思います。



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セイカ主義

2008-04-26 | よしなしごと

一時期脚光を浴びたセイカ主義ですが、実施してみるといろいろと問題があることがわかってきました。

短期の結果を重視し失敗を恐れるために、計画通りに進めることを最優先して自由な雰囲気がなくなる。

そもそもセイカを評価する基準となる目標設定が人によって異なったり、状況が悪くセイカの恩恵にあずかりにくいところにいる人々の不公平感が出る。

自分だけセイカがあればいいということになり連帯感が失われる。ひとつのセイカにどこまで貢献したかで複数の人の取り合いになる。

セイカ主義を導入するにはこのような問題点を意識して、個人のモチベーションを下げたり、組織全体の活力も失わせないような工夫が必要になります。



さて、長野のセイカはどう評価されるのでしょうか。

長野、聖火走った 騒然3000人超す警備の盾
(2008年4月26日(土)16:15 産経新聞)

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Sue Easy.comと弁護士ドットコム

2008-04-25 | 法律・裁判・弁護士
医学都市伝説さん経由のネタ。

アメリカに、訴訟を起こしたい人が登録すると弁護士がアクセスしたり、弁護士の登録したクラスアクションに参加できる、いわば「訴訟出会いサイト」的なSue Easy.comというサイトがあるとか。

早速拝見してみると、仕組みとしては①自分の事件をガイドに沿って登録する②それを見た弁護士が本人にアクセスする③訴訟を依頼するという手順を踏み、④成約するとこのサイトが弁護士から報酬を得るというもののようです。

うたい文句では
"No Yellow Pages Scrambling, Frantic Phone Calls or Confusing Internet Searches. Let lawyers contact you!"(もう電話帳をめくって電話を掛け捲ったり、インターネットで苦労して検索をする必要はありません。弁護士があなたに声をおかけします!)
ということです。

WSJ Law-blogによると、以前からmaltindale.comのような弁護士検索サイトはあったものの、弁護士からコンタクトを取る仕組みは初めてだとか。

サイトを覗いてみると、事件のカテゴリが「ケガ」「破産」「交通事故」「労働災害」「親族問題」「入国審査」など10に分けられ、さらにそれぞれに小分類がされています。
たとえば「ケガ」では「動物によるもの」「第三者による危害」「製品事故」「危険物質」「転倒・転落」など更に10に分けられています。
そして、それぞれの項目では「どこの州で」「いつ起こった」「医療費はかかったか」「休業したか」「相手は保険にはいっているか」など20項目近くの質問に大半はyes-no形式で答えて自分の事件を登録します。

なんだか個別の質問に答えているうちに、訴訟を提起したくなってしまうところがうまく出来ています(笑)

そのせいか
「ホットドッグのパンとソーセージの一袋に入っている個数が異なるのは、最小公倍数まで買わせようとする陰謀だ」
とか
「割礼は"the most sensitive part of the penis"を除去する性的虐待だ」
というようなクラスアクションも提起されているようです(参照)ただし前者はリンク切れなので、敗訴したか参加者が少なかったかどっちかなのかもしれません。


一方日本でも、弁護士ドットコムというサイトがあり、弁護士検索、インターネット法律相談(有料)、弁護士報酬見積などのサービスを提供しています。
実は報酬見積サービスを開始したのは2005年と弁護士がアクセスするタイプのビジネスモデルとしてはこちらのほうが早いみたいです。

ただ、こちらのほうは「さあ訴えましょう!」と盛り上げるよりは、相談する弁護士を探すことに主眼を置いているような感じがします。

このへんは、国民性の違いとか弁護士の需給関係の違い(アメリカだとカネに結びつかないサイトだと弁護士側の登録も減ってしまう?)もあると思います。
さらに日本では弁護士法72条で弁護士以外のものが法律事務の周旋を業として行うことが禁じられているので広告サイトという建てつけにしている(推測)ことも影響しているのかもしれません。


クラスアクションといえば日本でも消費者団体訴訟制度が始まりました。
内容的には「消費者団体」訴訟制度なので団体訴訟(class action)とは微妙に違うのですが、どのような発展をするのでしょうか。



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敏感と過敏の違いに鈍感なのかも

2008-04-24 | よしなしごと

特定危険部位の脊柱混入 米国産牛肉、吉野家向け
(2008年4月23日(水)21:27 共同通信)

 特定危険部位が見つかったのは06年夏の輸入再開後、初めて。この牛肉は牛丼チェーン「吉野家」向けで、特定危険部位は加工工場での検品作業で発見され、市場には一切流通していない。

消費者が「検査体制がしっかりしているから安全」ととらえるか「なんとなく心配」と思うかは微妙。
現地査察で問題のない施設からの輸入ということだったと思うのですが、査察はその一回だけだった(要するに政治的セレモニー)のでしょうか。


食品の安全だけでなく、土壌汚染とかアスベストとか、検査技術が向上すればするほどリスク要因が見つかりやすくなるという状況にあります。

また、「事後監督型」に変わった行政の「何でも届け出ろ」という姿勢もそれに拍車をかけているように思います。
たとえば個人情報の漏洩などは、非常に微細なものまで報告・公表がされるので逆に「オオカミが出たぞ」風になってかえって鈍感になっている感じがします。

リスク要因についての報道がなされる反面、それががどの程度のリスク要因なのかについての検証がされないと、受け止めるほうの感覚が麻痺してしまうことが一番の問題ではないかと。


そのうちインサイダー取引も「ああ、またか」という風になってくるのでしょうか。


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『確率的発想法』

2008-04-23 | 乱読日記

以前のエントリで紹介した『使える!確率的思考』の著者の本。
そこで著者は本書について「不確実性下における選択の正しさとはいったい何か」についてより積極的に語ったのが本書だと紹介しています。

本書では確率理論が世の中にある事象を説明しようと発展させてきた不確実性下における意思決定をめぐる確率理論を紹介しています。
後半「選択の正しさ」を語り始めると、徐々に語りの温度が高くなります。
そして最後に著者は富の再配分についても確率論から位置づけられないかというアイデアを語ります。  

・・・筆者は「賭けにとって時制は本質的だ」と考えます。繰り返しになりますが、不確実なできごとへの選好を扱うためには、結果として得られた報酬・報償だけでなく、「事前の過去の時点では、こういう可能性もあった」というできごとを加えて判断する必要があります。いうならば、「そうであったかもしれない世界」を対にして初めて、不確実性への選好が評価できるのです。  

・・・ここから自然に導かれるのは、不確実性下の意思決定では、事前と事後で認識がズレることによって「過誤」が生じることを無視できない、ということです。 
一方、この「過誤」という現象は、不確実性を含まない経済学には存在しない観点なのです。確実性下の経済学では「事前にどういう最適化をするか」が問題であり・・・過誤が生じることはありえないからです。 
しかし、不確実性下の意思決定理論では・・・不確実性とは「時間の未到達」や「知識や経験の不十分さ」、「集団の知識の食い違い」などから生じるのであり、そこではそもそも過誤が前提となっているからです。  

現実の経済を営む人々は、生起した「サプライズ」を体験することで自分の過去の決定に誤りがあったことを認めるのに対し、従来の経済理論では未来の利益を最適化するためのデータ構造を修正するだけであるがそれでいいのか、「人は過去をも最適化したいと思っているし、そうあるべきだ」(この「過去の行動の最適化」とは「そうであったかもしれない世界」に対する責任、「形而上の罪」の意識--自分が現在享受している利益はすべてが事前の最適化の結果によるものではないという「居心地の悪さ」--を解消しようとすることを意味します)という問題提起をします。

富の再配分を「最適でなかった過去の意思決定を最適化するための富の再配分のメカニズム」として確率論的に位置づけられないか、という意欲的な試みです。


時制の制約の問題、自己と他者の問題など、確率論も人間の意思決定のメカニズムに近づこうとするほど哲学に近くなるのかもしれません。




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ホンモノの王子はスケールが違う

2008-04-22 | よしなしごと

William Chinook landing defended
(02:00 GMT, Sunday, 20 April 2008 )

昨日の朝のBS世界のニュースネタ。
英国のウイリアムズ王子はアフガニスタンから帰ってきた(戻された/一応顔を出すだけ出してきた?)あと空軍でパイロットの訓練を受けていたそうですが、訓練飛行と称してで交際中のガールフレンドの家の敷地に着陸して問題になっているそうです。

Defence officials have justified giving Prince William permission to land a helicopter in a field belonging to his girlfriend Kate Middleton's family.

こちらの本によれば、日本でも自衛隊は検察官などにはヘリで実家などへの観光飛行のサービスを提供しているようですので、まあ、そんなこともあるのかな、と思ったのですが、感心したのがガールフレンドのKate Middletonさんのご自宅の大きさ。

"Chinook"というのは大型輸送用ヘリコプターCH-47の愛称で、何と全長30.1mもあるそうです。
これが着陸できる(しかもなりたてのパイロットの操縦で)ということは100m四方くらいの空き地が必要なんじゃないかと思うのですが・・・


格差社会というのは格差がある程度小さいからこそ問題になるのかもしれません。

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『問題は、躁なんです』

2008-04-21 | 乱読日記

書名につられて買ってみました(「新書はタイトルが9割」ですね)。

本書は、「躁病」の解説書ではありません。
医学的には躁状態の原因としては躁病以外にも、統合失調症、ヒステリー、人格障害、認知症、アルコール・覚せい剤・薬剤の影響、ホルモン異常、神経疾患、脳炎、脳腫瘍と様々なものがあり、診断自体は難しいらしいです。

最近「うつ」が日本の国民病になりつつある中で、精神科医の著者が、躁というものは単に「明るい」「元気があってよろしい」「テンションが高い」というものではなく、また「うつ」と正反対の原因や症状と言うわけでもないんだよ、といろいろな実例を交えて説明するお手軽なエッセイという感じです。

躁の特徴として「全能感」「衝動性」「自滅指向」があり、単に「明るい」のではなく破滅的、攻撃的、チープな感情ダイレクトに表面に出てくる、ということを多くの事例で説明しています。

おそらく人間は、ほぼ完璧なうつにはなれるにもかかわらず、自分の心を躁のみで塗り上げ誇大妄想にどっぷりと浸り切ることは困難なような気がしてならない。・・・うつが自然で躁が不自然、これが人の心の基本的な構図であるように思われる。嫌な話であるけれども。

精神を病んだものは孤独である。そして孤独が精神を蝕んでいくことも少なくない。躁病は俗物さ加減を露呈させ、チープな欲望を剥き出しにさせてしまうといった点では、きわめて人間くさい病気なのであった。躁病になりやすい性質とは、周囲の人々と共振し自分で勝手に思い定めたキャラクターを演じきろうとするうちに失速してしまうような性向である。彼らは他人を、社会を必要とする。それなのに彼は躁という状態ゆえに孤立していく。

なるほど、と思う部分もあり、また、ここまで行かないけど似たような人はけっこういるんじゃないか、要は処世訓との差はどこにあるんだろうと思ったりもします。
わかったようなわからないような中途半端感が一般書の限界なのかも知れません。
もっとも、このことについては著者も言及しています。

少なくとも、誰かがわたしに向かって「本当のあなたは自尊心の低さや罪悪感や恥辱感に苦しんでおり、それを覆い隠して自分を護るべく、本業の傍らに次々と本を書き続けているのですよ」と告げたら、おそらく何も言い返せないままうな垂れてしまうだろう。精神医療の胡散臭さは、このゆおなあまりにも「まことしやかな」言説が横行しすぎることが一因であるに違いない。

著者は精神医療に関する著書を多数出しているようですが、躁にはならずにうつになりそうな人かもしれません。
こんなこと書いてるくらいですから。

躁について語っていくと、その語り手は「うつ」になっていく。本書を著しながら、わたしはそんな思いを強くせずにはいられなかったのであった。

 

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『犬身』

2008-04-20 | 乱読日記
松浦理英子は『親指Pの修行時代』以来ですが、そもそも寡作で、長編はその間に一冊あるだけです。

犬になりたいと願ういわば「種同一障害」の女性を主人公にしたものです。

詳細はネタバレになってしまいますが、設定の妙と「性器結合至上主義」的性愛へのアンチテーゼ、そして導入部に時間をかけて非常に長い作品になっているところは『親指P』と同様です。

ストーリーテラーとしての底力は健在で面白く読めますが、面白い読み物と思っていると鋭い批評が混じっていたり、まじめなテーマと思っているとたまに脱力させられたりと、相変わらず松浦理恵子の独自の世界が展開されます。


直球より変化球の好きな方には勧めです。


ところで本書はTimebook Townという電子書籍配信サービスのサイト(初めて知りました)に連載されていたものの単行本化ということですが、これを全部ダウンロードして読むのは大変だったろうと思います。


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後日談

2008-04-19 | ネタ
公募するとこんなところに落ち着くんでしょう。

センスよくなった?「裁判員参上」は「裁判員誕生」に
(2008年4月18日(金)18:54 朝日新聞)

話題づくりだけして、看板は変えない、という手もあったのではないかと。



(裁判員参照)

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『株主に勝つ・株主が勝つ』

2008-04-18 | 乱読日記

『敵対的買収の最前線』同様、toshiさんの課題図書になっていた『株主に勝つ・株主が勝つ―プロキシファイトと総会運営』をようやく読了。

これも前半は上の本と同様講演会のパネルディスカッション、後半に論文が載っているという構成です。

後半の西本弁護士の論文「株主提案・委任状争奪戦にまつわる法律上の諸問題と実務上の戦略」は、実務的にかなり細かい部分まで網羅的に検討していて、手元に置いておくと万が一の時のために(または自分から仕掛ける時のために)便利です。
パネルディスカッションは久保利弁護士がモデレーター、パネリストに江頭憲治郎教授を配し、なかなか濃い目の内容になっています。  

パネルのまとめでの久保利弁護士の言葉。  

要するにわれわれが今置かれている現状というものは、・・・最高裁判例が確かたる基準を一般論として示しているわけではない。一定の射程距離でそこから先は・・・次の判例が出てみなければわからないと。一体サメ寄せになってしまったのかサメよけになりうるのか(go2c注:ブルドックソース事件のように買収者への経済的補償が必要となると買収者を遠ざけるはずの防衛策がかえって買収者を誘引することになりかねないということ)、何の意味もなかったのか、こういう状態に実は今いると。私が今日お聞きの方々に少なくとも言えることは、次に判例を取る第1号にはならないでいただきたいと、・・・そういう点でやはり事前警告型の買収防衛策というのはやっぱりサメよけの効果を期待して、毅然とした対応策をとる・・・仮に発動段階で、特別委員会が駄目だと言われても、何だと言われても、その判例第1号にはうちはならないんだと。それは他社さんにやって頂いて、敗けたら特別委員会の方も考え直すさというぐらいで事前の対応をしていくことが必要な時代ではないかなと。

ご指摘の通り、多くの企業はとりあえず標準的な事前警告型買収防衛策を導入または導入をスタンバイしつつ様子見、というのスタンスを取っているのではないかと思います。

もっとも「1番くじ」を回避しようというのは自分で努力しても限界があるところが悩ましいところです(上場企業としては仕方ないと言えば仕方ないわけですが。)。
いったん1番くじを引いてしまうと、待ち構えていた弁護士やM&Aアドバイザーの自薦他薦、その他もろもろ外野からのヤジアドバイスが殺到して、さながら「公開実験」のようになってしまうのは目に見えています。

しかも、今までの事例を見ると、映画『七人の侍』のように「勝ったのは侍(弁護士・アドバイザー)たちでなく農民(依頼した企業や買収者以外の株主)だ」となればまだいいのですが、どうやら侍の方が名を上げることが多いようで、あまり農民は幸せになれていないようにも思います(しかもブルドックのケースでは野武士もお土産をもらって帰ってますしw)。  

もっとも農民としても、襲われた他の村の事例を教訓にせっせと土塁を作ろうとしているわけなのでどっちもどっちですが(笑)


 

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「広告批評」休刊

2008-04-17 | よしなしごと

気がつくのが遅れました。

「広告批評」が来春休刊へ 広告形態の多様化で
(2008年4月9日(水)20:27 共同通信)

雑誌「広告批評」が2009年4月号をもって休刊することになりました。
社会人になってからは業界も違うので定期的に読まなくなってからはかれこれ20年くらい経つのですが、学生の頃はちょいと首を突っ込んでいたこともあり、感慨深いものがあります。

「お知らせ」によると  

創刊した1979年と言えば、テレビCMを中心に、広告が大きな転換点を迎えた年です。マスメディアの中で巨大化していく広告を、暮らしの視点から、あるいは大衆文化の視点からどうとらえ、どうみんなの話題にしていくか。現代の「抗告評判記」をどうつくっていくか。そんな思いで走り続けた30年だったと感じています。 
そしていま、広告はマスメディア一辺倒の時代からウェブとの連携時へ、ふたたび大きな転形期を迎えています。マスメディア広告と一緒に歩きつづけてきた小誌としては、このへんでひとつの区切りをつけたいと考えました。

いわゆる「コピーライータブーム」に代表されるマス広告のクリエイティブを中心にした広告の批評を中心にとりあげていたのですが、社主で初代編集長の天野祐吉氏は、しばしば広告の中にある世の中に対する批評精神に言及していました。

しかし、こういう広告に対するメタレベルの切り口での批評は、マス広告が唯一(または最大)の社会への媒体でなくなりつつあるというそれこそメタレベルの状況変化の中ではもはや「暮らし」や「大衆文化」に対する有効な批評になりえなくなった、という問題意識があるのかもしれません。


なにはともあれ、おつかれさまでした。


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どういう会?

2008-04-16 | M&A

toshiさんのブログ でも紹介されていましたが

健全なM&Aを促す法改正を
(経済同友会 企業・経済法制委員会 2008年4月14日)

なんかこのタイミングで妙なことを言っているな、という感じではあります。
経済産業省の北畑事務次官とのコラボかな、と思わせます。

提言の細かい内容はさておき、冒頭のスタンスがいちばん引っ掛かりました。

1.企業の存在意義と企業買収

企業は、法律的観点からは「株主のもの」であることは言うまでもないが、また同時に「財・サービスの生産・提供にとどまらず、そのプロセスにおいて社会のあらゆる範囲での人間の活動に大きな関わり合いを持つ『社会の公器』」(当会「第15 回企業白書」)としての性格も有している。
(中略)
その意味で企業経営者は、企業活動にかかわるあらゆるステークホルダーとのバランスをとりつつ、企業価値を持続的に向上させ、利潤を追求する事業体としての機能を果たしながら、社会に対するミッションを実現し、それを通じて生活水準・利便性の持続的な向上をもたらし、ひいてはグローバルな経済発展に貢献するという、きわめて重大な責務を負っていると言えよう。
(中略)
通常、上場企業の少数株式を有している株主には、経営の才覚が求められる必然性はない。しかしながら、一旦買収によって支配的株主となった瞬間に、その投資行為を通じて、企業にかかわる様々なステークホルダーとの関係が生じ、社会に対する責任を負うこととなる。

2.「健全な買収」と排除すべき「悪質な買収」

敵対的買収の脅威は経営に規律を与え、また買収によって企業価値の向上をもたらす場合もあり、こうした敵対的買収まで阻止する防衛策は認められるべきではない。あくまで、企業価値の向上に向けた努力を阻害し、企業価値を毀損しかねない「悪質な買収」に対してのみ、企業が適法にこれに対抗できる手段を保持し得るべきではないか、との考えに基づくものである。

そして悪質な買収の例として

  • いわゆるグリーンメーラー等の濫用的買収者による略奪的な経営支配
  • 短期的な運用利益の獲得を重視するあまり、中長期的な企業価値の向上、企業のミッションの実現を疎かにしかねない経営支配

をあげています。

しかし企業経営者の責任を支配株主の責任に転嫁しているところに論理の飛躍があるように思います。

「健全な買収」と排除すべき「悪質な買収」を言うなら、その前に「健全な株式公開」と「悪質な株式公開」についての規律の強化が先にあるべきだと思いますし、支配株主が「企業にかかわる様々なステークホルダーとの関係が生じ、社会に対する責任を負う」というのであれば、種類株式の上場のほうに切り込んでいった方が説得力があったように思います。
また、この論は「経営者の首をすげ替えるなら株主も責任を持てよ」というロジックにつながりかねない危うさを持っているようにも思います。

ところで、経済同友会のサイトの経済同友会とは を見ると  

経済同友会は、企業経営者が個人として参加し、自由社会における経済社会の主体は経営者であるという自覚と連帯の下に、一企業や特定業種の利害を超えた幅広い先見的な視野から、変転きわまりない国内外の経済社会の諸問題について考え、議論していくところに最大の特色があります。
(下線は私)

とあるので、まあ、経営者の自由な発言、くらいに考えて聞き流した方がいいのかな、と思います。

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ニュース三題

2008-04-15 | よしなしごと

昨晩は久しぶりにゆっくりとNHKニュース9を見ました。

まずは道路特定財源問題。トラックの過積載をモニターするシステムが稼動していなかったり不具合なのに年間100億円以上も使っている、という話。

道路財源で整備 装置使われず
(4月14日 19時32分)

トラックの過積載などを24時間態勢で自動的に取り締まるため、国が全国の国道に整備してきた装置が、実際にはほとんど使われていないことがわかりました。装置の整備には道路特定財源から100億円以上が支出されており、国土交通省では、できるだけ早い時期に運用を始めたいとしています。

マスコミ報道の真剣さを見ると、道路特定財源は一般財源化して「前年比」での議論になるより、一般化しないかわりに自民党案のような10年でなく1、2年で更新するようにして、毎回こうやってマスコミなどが無駄遣いを検証したほうがかえってよくなるのではないかとふと思ってしまいました。


つぎは後期高齢者保険法問題

野党、高齢者医療制度の廃止を
4月14日 17時4分

75歳以上の高齢者を対象とした新しい医療制度の保険料負担が15日から始まるのを前に、民主党、共産党、社民党、国民新党の野党4党の幹事長と書記局長らが東京・巣鴨でそろって街頭演説をし、この制度の廃止を訴えました。

鳩山代表は「現代の姥捨て山」とまで言っていましたが、問題は高齢化に伴い医療保険の負担が増えてきたことが原因で、今まで優遇されてきた人に応分の負担を求めるということ自体はそんなに悪いことではないんじゃないでしょうか。
「扶養家族控除」などの家庭の主婦の優遇策の廃止は、いわば野口悠紀雄教授の言う「1940年体制」のモデルが機能しなくなった結果であって、それを既得権と考えるのはどうかと思います。

問題は現在年金受給で生活費をギリギリまかなっていて貯金もないような高齢者に対してセーフティネットが十分かという部分にあるのではないかと。

いずれにしても、野党も国会での法案審議か政令が変わったとすればパブコメで制度改革の内容は事前にわかっていたはずなので、直前になって大騒ぎするというのもおかしいんじゃないか、という印象を強く持ちました。


裁判員制度の話もありました

同じ事件審理 量刑判断を検証
(4月14日 19時32分)

裁判員制度が来年5月に始まるのを前に、東京地方裁判所で、裁判官と裁判員役の5つのグループが模擬裁判で同じ事件を審理し、刑の重さがどのように分かれるか検証する初めての試みが行われました。

結果は5グループのうち4つが、懲役3年、執行猶予5年、1グループが懲役2年6月の実刑、という結果でした。
裁判官も「予想外に差が少なかった」と言っていたのが印象的でした。

もともと僕は(裁判員制度を前提とすれば)裁判員に量刑は負担が大きいのでは、という意見なのですが、この報道でも気になったのは「裁判の結果は客観的に正しいものでなければならない」という前提でした。
裁判員がやろうと裁判官がやろうと、人が人を裁く以上「絶対」というものはないのは当然で、そのために裁判官は「ぶれ」を減らそうと努力してきたのだと思います。しかしこの裁判官の自己研鑽が裁判所の判断を固定化してしまい、結果的に市民感覚とのズレが生じたという問題意識が裁判員制度の導入のきっかけになったのであれば、そもそもその「ぶれ」は許容されるべきものなのではないでしょうか。

どの裁判員でも同じ結論になってしまうのでは、それこそ制度を導入する意味もないのではないでしょうか。
裁判官だって控訴審で逆転、なんてこともあるわけですし、量刑までまかせるという制度設計をした以上あまり神経質になるべきではないと思います。



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