一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

「食べログ」と「地球の歩き方」

2011-08-30 | 飲んだり食べたり
もともと食い意地飲み意地が張っている方で会食の店も自分で決めるタイプなのだが、ここのところ今ひとつ気持ちが盛り上がらない。

夏バテというか夏場の飲み食いで疲れ気味のこともあると思うが、「食べログ」にも原因があるように思う。


新規開拓しようと店を探すときに見ると点数順に表示されるので引きずられがちだし、ついついレビューを読み込んでしまう。

その結果、先入観や特定の期待のバイアスがかかってしまうし、レビュアーの「この店では○○を食べないとダメ」のようなコメントにも影響されてしまう。

そうすると、新規開拓したにもかかわらず食事がレビューの追体験や検証になってしまい、新鮮な驚きがなくなってしまう。


この食べログのポジションは昔--昭和、今の倍以上円安でネットもなく、海外旅行が稀な体験だった頃--の「地球の歩き方」のポジションに似ている。

大学の卒業旅行でヨーロッパを回ったときは学生の貧乏旅行には「地球の歩き
方」くらいしかガイドブックがなく、そこにある経験者のコメントは役に立つものも多かった。

しかし、ホテルやレストランで「ここが安い、CPがいい」という定評が広まってそこへのコメントが増えてくると、なにやら名所のようになってしまうところが出てくる。

旅行は新鮮な感動やハプニングが醍醐味なのに、そういうところに行くと結局「地球の歩き方」以上の経験はできなくなってしまう。

それはそれで一つの楽しみ方でもあるが、当時は円ベースではコストが高かったし、就職すると1ヶ月もの休みをとれることはなくなる身としては、「他人がいいと言っているからいい」「他人の感覚と自分の感覚があっているかを確認する」ために旅行をするのはあまりに勿体無かった。


食事も同じだと思う。

馴染みの店を作って通いつめるよりはいろんな店を回りたいけれど他人の言うなりはつまらん、という天邪鬼な性格がいけないんだけど。



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長寿の秘訣

2011-08-28 | キネマ
夏休み最後の週末だからなのか、TSUTAYAで旧作DVD100円につられて、『LOST』のファイナルシーズンをまとめて借りてきました。

週末は土日ともゴルフなのに借りてくるのが「ロスト」ってどうよ、という感もあったのですが。


DVDのおまけでついてくる8分15秒でわかる今までのダイジェストというのはなかなか面白く、自分の記憶がいかに曖昧だったかがよくわかります。

でまあ、相変わらず謎が謎を呼ぶというのが最後まで続きそうな展開ですけど、結局このシリーズは

 「この謎の答えを知りたければ一緒に来い」

という決め台詞と、ついていったあげくに新しい謎が登場し新展開があるというのの繰り返しが一つのお約束になっているんだなとやっと気がつきました。



『24』では、ジャック・バウアーが事態を解決するために他の登場人物に

 「俺を信じろ!」

とという決め台詞でリスクをおかすように説得して危機を解決するんだけど、ジャック・バウアーを信じた登場人物はけっこう悲惨な目にあうというのと似ていますね。


こういう決め台詞があるのが長寿の秘訣なのかもしれません。


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『ウォール・ストリート』(思いっきりネタバレあり)

2011-08-25 | キネマ
監督のオリバー・ストーンの意図はわかりませんが、自分にない他人の持つ資源をなんらかの形で得ようとするという点では、「強欲」も「社会貢献」も「愛」も同根なんだということがわかる映画です。


(以下ほとんどストーリーを明らかにしてしまうので、それをご承知の上お読みください)





前作『ウォール街』でインサイダー取引で捕まったマイケル・ダグラス演じるゴードン・ゲッコーが刑務所から出所するところから始まります。

その後ゲッコーは著書を著し、サブプライム・ローンがバブルだと指摘し、講演で「今やファンドマネジャーは他人の金を高いリスクの投資につぎ込むことで自らの報酬を得ている」と警鐘を鳴らす金融評論家として脚光を浴びます。
(ゲッコーは投資する資金がないのでそうやって糊口をしのぐしかないという事情もあります。)

それは、一匹狼の投資家が自らの手金で勝負していた1980年代のスタイルから見ると、庶民や年金(これも元をたどれば庶民)の金を投資銀行がファンドと言うかたちで吸い上げる時代のほうがより不健全だと見えたのかもしれません。
(正確に言えばゲッコーは自らの投資のためにインサイダー取引に手を染めたわけですが、昔はそのように「不健全さ」がわかりやすかったのに対して、現在ではそれが表に出にくいということでしょう)

一方で主人公ジェイコブ(『トランスフォーマー』のシャイア・ラブーフ)は投資銀行に勤務し、ゲッコーの娘(ウィニー、ゲッコーを嫌い、非営利のニュースサイトを運営)と婚約しています。
ところがジェイコブの投資銀行はサブプライム崩壊の過程で倒産し、さらに(この間はいろいろあるのですが)彼が投資先として支援していた常温核融合技術(のようなもの?)の会社が資金繰り難に陥ります。

ゲッコーとウィニーの仲を取り持とうとしていたジェイコブは、ゲッコーからウィニーのためにスイスの銀行に信託財産として1億ドルを隠していること、それはウィニーが24歳になるまでは引き出せないが、ウィニー(受益者)とゲッコー(委託者)の同意で契約を解除すれば引き出し可能なことを聞きます。

そして「父親の汚れた金なんて」と嫌がるウィニーをジェイコブは「地球の未来のために、(僕のために)その金の一部を役立ててくれ」と説得します。

ところが、ウィニーが銀行でサインをしたあと、ゲッコーは自分がサインをして手元に資金を手にするや否や、その資金を投資先に振り込まず、それを元に自らの投資会社をつくり、サブプライムの崩壊をとらまえて一気に資金を10億ドルに増やし、さらに自らのヘッジファンドを立ち上げます。

この辺はゲッコーの面目躍如です。


一方ジェイコブはウィニーに別れを切り出され、投資先の会社は資金難に陥ります。
はめられた当初はゲッコーを激しく非難したジェイコブですが最後にゲッコーのオフィスを訪れ、非難する代わりにウィニーがジェイコブの子供を妊娠していることを告げます。
(でいろいろあって)最終的にはゲッコーはジェイコブはウィニーのよりを戻すために自ら投資会社に出資することを告げ、最後はみんなハッピーエンドになります。

ネットでレビューをみると最後のハッピーエンドが中途半端だという感想が多いようですが、よく考えるとジェイコブの行動は突っ込みどころ満載です。


・ジェイコブは最初から最後まで核融合会社に自分の金は1セントも投資していない。すべて顧客やガールフレンド(の父親)の金
・なおかつ相当ハイリスクな投資であり、しかもウィニーに持ちかけたのは自らの尻拭いをしてもらおうというもの。
・ジェイコブはゲッコーに資金を持ち逃げされたときに、ウイニーの金(そもそもはゲッコーの資産隠しの金)なのにあたかもゲッコーが自分の金を奪ったかのように激昂する(そもそも同じ業界の奴がはめられて逆切れしてるだけなんですが...)。
・ジェイコブは最終的には1セントも使わずにウィニーともよりを戻せたし核融合会社も救えて一番字ハッピー。

つまり、ジェイコブこそがゲッコー言うところの最近の投資銀行員の行動(他人の金でハイリスクな投資をし本人は報酬を得る)を一貫して実践しているわけ。


一方で、ゲッコーにとってみれば、資産が10倍に増えたあとであれば、その一部を投資するのは懐がほとんど痛まないわけで、それで娘との関係が修復するのなら安い投資なわけです。


そうするとウィニーは
・献身的なボーイフレンドの努力によって父親とも和解できた幸せな女性
なのか
・自分の欲得で動く男二人に振り回された挙句に本来自分が得るべき預金も失ったにもかかわらず丸め込まれてしまったお人よしの女性
なのかわからなくなってしまいますね。


では、ジェイコブは悪い奴なのか?

(ここで「愛はお金では買えない」という話は今回はひとまず置きます。)


ジェイコブの行動のポイントは、あたかも他人の金を投資させるために全身全霊をつくして説得し、一度コミットをえたらあたかもそれが自分の金であるかのように執着することにあります。

これを「情熱と努力と創意工夫と集中力」と言い換えれば、商売で成功する一つのコツでもあります。要するにジェイコブは商売上手なだけなのかもしれません。


ところで「他人の金を使う」ということ広くとらえると、自分にかけているもの(資産・技術・能力など)を他人から補うという日常よく見られる行動のひとつとも考えられます。

足りないものを補うためには対価として貨幣を払うこともあれば(これが日常生活ではほとんどを占めます)、互酬のこともあれば(親戚や友達づきあいがそうですね)、「善意にすがる」(親子・恋人関係)こともあるわけです。
竹内久美子流にいえば、親の庇護をうける子供が可愛さをアピールしたり、自らの遺伝子を残すために異性を獲得しようとしたりするのも同じです。


そう考えると、前作から一貫してゲッコーが問いかけている

 「強欲は悪か?」

という問いがよみがえってきます。


「欠けているものを補う」ことを否定したら人間の社会生活は成り立ちません。
(うろ覚えですが、マルクスも『経済学・哲学草稿』で「人間は受苦的な存在であることこそが、本来回復すべき情熱、人間の生の根源的な意味だ」というようなことを言っていたような-引用の文脈が違っていたらすみません-)

問題は何が欠けているか、という欲求が人によって違う(違いすぎる)ことです。
一方で上の命題は「強欲」に「過ぎたる欲求を持つ」という善悪・価値判断にかかわる意味を持たせるとトートロジーになってしまいます。



愛と新エネルギーへの投資用の資金を同時に得ようとするジェイコブの行動は「強欲」なのでしょうか、それとも「善」の行動なのでしょうか。



そうやっていろいろ考えるきっかけとしてはおもしろい映画だと思いました。



PS
前作のチャーリー・シーンが「その後」として一場面だけ登場して、けっこう笑えます。





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映画あれこれ

2011-08-24 | キネマ

震災関係は一休みして、夏の間に見たDVDの感想をまとめて。
一部ネタバレありですのでご注意を


『デュー・デート 出産まであと5日!史上最悪のアメリカ横断』

 副題があらすじを説明してくれているのは前作『ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』と同じ。
『ハングオーバー』の製作陣が同作で怪演したザック・ガリフィアナキスと主演にロバート・ダウニーJr.を迎えて作ったコメディです。

2人のからみが見所の中心ですが、前作同様せりふや設定が細かいところまで遊んでいるのでいろいろと楽しめます。コーヒー缶に入った遺灰というのは『ビッグ・リボウスキ』の「本歌取り」なのでしょうが(さすがに散灰したときに風下にいたので遺灰をかぶってしまう、というところまでは真似てなかった)、似たような仕掛けがほかにもあったのかもしれませんがよくわからず。

普通に面白いが前作以上ではない。


 

 

『デート&ナイト』

 トム・クルーズとキャメロン・ディアスの共演『ナイト&デイ』の二番煎じだと思ったら、日本未公開なだけでもともと"Date Night"という原題でした。
DVDの配給元の小手先技だったようです。

倦怠期というか中だるみ状態の夫婦がひょんなことから事件に巻き込まれて・・・という小品。それなりに面白いんだけど日本ではヒットはしないだろうなという感じ。
これが劇場公開でそこそこ投資回収できるとするとアメリカでは日常の娯楽として映画館が定着しているんですね。

WebCGのコラムでカーチェイスがオススメとあったのですが、カーチェイスも最近は派手さ、ハンドルさばきというよりは発想の面白さ勝負になっているようで、カーチェイスだけに期待するとちょっとがっかりするかも。


 

『マチェーテ』

 『グラインドハウス』の劇中劇の予告編を監督のロバート・ロドリゲス自身が1本の作品にしたもの。
「よい子は見てはいけません」の超B級(形容矛盾?)アクションです。

登場人物のキャラ設定が単純明快で、それを主役のダニー・トレホ(居るだけでものすごい存在感)にくわえスティーブン・セガール、ロバート・デ・ニーロが「いかにも」という役回りを演じてます。
他にドン・ジョンソン(老けたよな~。還暦過ぎたんだね。TVシリーズ『マイアミ・バイス』が懐かしい)、ミシェル・ロドリゲス(相変わらず態度の悪い女の役ははまり役)、リンジー・ローハン(ひとりだけ子供が混じってるw)が固めてます。

マチェーテというのはナタのようなもので(「マシェーテ」って発音してたようだけど)、これでトレホが暴れまくるのが見所。
ストーリーは一応ありますけど、トレホの生命力の濃さと容赦ない殺戮てんこ盛りの映画です。

土用の丑の日に鰻を食べるのと同じような意味で夏場に見るのはいいかもしれません。


 


『バウンド』

 『マトリックス』のウォシャウスキー兄弟の初監督・脚本作品(1996年)。
ストーリーの入り組んだクライム・ストーリー。

エロスも暴力も知恵比べもありで、どこかで見たような展開が続くのですが破綻なくまとまっています。

ウォシャウスキー兄弟のファンならもっといろんな楽しみ方があるのかも。




 

『ザ・タウン』

DVDの裏に「『ヒート』を超える銃撃戦」と書いてあって、その時点でだめじゃん(少なくともこのコピーは)、と思いました。

派手な銃撃戦という時点でギャング側としては追い詰められているわけで、『ヒート』もそこに至るまでのストーリーが大事だったんですけどね。

本作はボストンの犯罪多発地区のギャングの話。ベン・アフレックが主演、監督を努めていて、このギャングの町に生まれた若者の葛藤を描いています。
ただ、主人公は、女にはもてるし、警察より頭は切れるし、一般人を傷つけないことに気を使うしときれいに演じすぎて、「ザ・タウン」というタイトルが示す犯罪地区に生まれた若者の行き場のなさのようなものが感じ取れないのが残念。
ギャング仲間はそのへんを好演しているのですが、そうであるほど主人公が「正義の味方」に見えてきてしまいます。
義賊なわけでもないし(アメリカで義賊を名乗ると政治的主張を持った犯罪者=「テロリスト」になっちゃうのかな?)単なる犯罪者なんですけどね。

犯罪者(銀行強盗)を素材にしたアクション映画としてはよく出来ていますが、それ以上の深みがないのが残念。

あと、昨年亡くなったピート・ポスルスウェイトがいい味出しています。これが遺作になるのでしょうか。合掌。


 

 

  

『エクスペリメント』

1971年にスタンフォード監獄実験を題材にした映画としては、2001年に『es』というドイツ映画が製作されたのですがそれのハリウッドリメイクという、帰国子女みたいな経緯の作品。

舞台が現代のアメリカになっている以外は『es』同様基本的に史実に忠実なようです。
「事実は小説より・・・」の題材勝負の映画なので、素材の味を生かして丁寧に料理しています。

看守役を演じるフォレスト・ウィテカーは相変わらずいい雰囲気を出してます。
おどおどしている普通の人間が何かのきっかけで(いろんな方向に)変わるところを演じるのは上手。

実験が中止になったあと手に入れた報酬で主人公が先に渡航したガールフレンドを追ってインドを訪れます、こういうインドのイメージは1970年代と変わってないんでしょうか。


※ 実験を行なったフィリップ・ジンバルドーは"Stanford Prison Experiment"というサイトを作ってます。学術的な評価というよりはドキュメンタリー風なつくりなのがどうなのよ、という感じです。

 

 

 

 

『23年の沈黙』

ドイツ映画。
23年前に少女暴行殺人事件が起きた場所で同じ事件が繰り返されたかのように13歳の少女が失踪し自転車が発見される。この事件の伸展に23年前に犯行を傍観していた者、犯人を追い続けていた刑事らが巻き込まれていく、という話。

世界では、アメリカ(ハリウッド)流の感情表現でない生活がいっぱいあって当然だよね、というところでまずホッとします。
役者も感情表現が大げさでないかわりに、暗喩的な映像が多く使われるのはドイツ風。
それぞれの登場人物の屈折したり歪んだ内面がわかりやすい解説をされないまま投げ出されてくるのでずっしりと来ます。
しかもカタルシスのない終わり方。

たまにはこういう映画も見たいな、という人向けです。


 

『ミックマック』

『アメリ』や『デリカテッセン』の監督ジャン・ピエール・ジュネの作品。
最初の30分で荒唐無稽な設定とキャラのたった登場人物を並べ、残りの60分でそれを上手に料理する、というフランスのブラックユーモアあふれるコメディの典型のような作品。

なかなか面白いです。

珍妙な仲間が変な大活躍をするという点では『デリカテッセン』に近い感じ。
ストーリーの展開は予想できるのですが、それをどうやって面白く見せようかというサービス精神が旺盛で楽しめます。


 

 

  

  

  

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数字で見る被災状況・復旧状況(その2)

2011-08-23 | 東日本大震災
先日の数字で見る被災状況・復旧状況の表ではそれぞれの町の規模に対する被災の影響がわからなかったので、人口と予算規模を加えた表を作りました。


別窓はこちら


人口比でいうと現在でも10人に1人が避難している南三陸町が突出しています。
また、仮設住宅の世帯数比(世帯あたり人数の県平均値からの概算)では、大槌町、南三陸町、女川町で1/3以上の家屋が利用不能な状態にあることがわかります。

瓦礫については実際の処理費用がわからないので、瓦礫推定総量を一般会計の歳入額で割った数字、つまり「瓦礫1万トンあたり一般会計がどれくらいの規模があるか」で計ってみました。
この数字が大きければ財政規模に対するインパクトは少ない(=余裕がある)ということになります。

大きくニ桁と一桁に分かれていますが、ニ桁のところはそもそも瓦礫の総量が少ないところ。
一桁のグループでは直感的に言うと2台、特に2.0を下回るところは財政規模的につらそうな感じでした。
具体的には山田町、陸前高田市、気仙沼市、南三陸町、女川市、石巻市、松島町、亘理町、山元町です。
1.0を割り込んでいる石巻市や東松島市の瓦礫撤去が進んでいないのも致し方ない部分かもしれません。
その中で山田町や陸前高田市は瓦礫撤去をがんばっているといえます。

そのほか1を割り込んでいるのは亘理町と山元町。
宮城県南部は平地のため津波が内陸部まで遡上したため被災した建物の割合も比較的多いです。
他の自治体に比べると総量は少ないものの財政規模が小さいので苦しいのではないでしょうか。
現在のスコップ団は山元町を中心に活動しているのですが、街中に瓦礫が山積みと言う状態ではないものの、個々の家々や畑の片づけまでは手が回っていない状況です。


これまでは、個人個人のエピソードと大所高所の計画とか総額の予算の話が語られてきましたが、そろそろ予算の箇所付けや配分の優先順位についてきちんと議論すべき時期なのではないかと思います。
それは政治的には避けたほうが得策なのかもしれませんし、逆にお上の言いなりでいいという問題でもありません。
被害の現状とこれからを見据えながら、国、県、自治体、企業、個人が何をどのように負担するのか、それについての合意が早くできれば、復旧・復興の段階に早く入ることができるように思います。


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被災地に行ってきました(まとめ)

2011-08-22 | 東日本大震災
7月27日から5泊6日で被災地に行ってきました。

結局全部書き終わるまでに3週間もかかってしまいました。

特に帰ってきて1週間は写真の整理以上に、自分の中で消化するのに時間がかかった感じがします。

現地はまだ全然片付いていませんし、あと4ヶ月もすれば雪が降ります。
そうなると人力による屋外の片付けなど活動は今ほど活発にはできないでしょうし、土木工事も減速せざるを得ないと思います。
プレハブの仮設住宅は厳冬をしのげるのでしょうか。
家は残っても一部損壊のままのところは冬場は厳しそうです。


  まだまだ

  まだまだ

  これからが大事



一言で言えばこれが感想です。



【関連エントリ】

岩手県普代村
田野畑村、宮古市小堀内漁港
宮古市田老町
宮古市中心部
大槌町
釜石市
大船渡市吉浜町
大船渡市
大船渡市末崎町大田団地
陸前高田市
気仙沼市
気仙沼~南三陸町
南三陸町女川町・牡鹿半島
石巻市
塩竈市他(石巻以南)
数字で見る被災状況・復旧状況
スコップ団

*******************

またフォトチャンネルも作りましたので写真だけご覧になりたい方はどうぞ。
 岩手県編:http://blog.goo.ne.jp/photo/96993 
 宮城県編:http://blog.goo.ne.jp/photo/97618

また、今回の行程や街の位置関係がわかるようにGoogleマップを作ってみました。
 こちら

この地図とは別に街ごとのマップも作っています。
個別のマップは上の地図のコメントか目印をクリックしてた吹き出しのurlをコピペしてください(マップの中からマップへのリンクをしようと思ったがうまくいかないので)。

個別のマップではひとことコメントとともに、カメラのアイコンで写真の撮影場所を示しています。

※ 写真やGoogleマップのリンクの不備等を見つけられた方はコメントいただけると幸いです。

コメント (4)
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スコップ団

2011-08-21 | スコップ団
7/31には「スコップ団」にも参加してきました。

スコップ団、一部ではとても有名なのですが、震災後にとにかく何とかしなければと動き出した数人の若者が中心になって始めた活動です。

タンクローリーを調達して新潟からガソリンを運んだり、安置所にドライアイスを届けたり、時には打ち上げられたスナメリ(イルカの仲間)を助けたりと並外れた行動力を発揮し、現在は被災した家を、泥かき、瓦礫片付け、思い出の品々の救出と高圧洗浄で手直しすれば住める状態にまで持っていくという活動をしています。

「団長」のブログ震災当日の分から順に読むことをお勧めします。
たぶん3時間くらいかかると思いますが、震災の現場の実態とスコップ団を理解するのに一番いいと思います。


最近過去を振り返るエントリがあったので時間のない方はこちらをご覧ください

 思い出したくないけど、記すこと。
 (とそこで紹介されている3.11を記す
 熱中症


スコップ団の活動は経験、年齢、性別不問。毎回集合場所に行ける人が集まる、というもの。
※ 詳しくは事務局のブログスコップ団とはをご覧ください。



事前のリサーチで見つけてどうしても参加せねばと思い、7月31日に参加。

前日の南三陸町では体力的には大丈夫だったけど、こっちはもっとハードらしいし、ほとんどが20代30代みたいなので邪魔にだけはならないようにしよう、などとちょっとどきどきしながら集合場所へ。

集合の山下駅前には三々五々団員が集まっています。
その日は35人くらい。うち12~3人が女性でした。
東京からスコップ団に参加するために週末来ている人も。


その日は、新しく購入した機材運搬用のダンプ「タートル号」のお披露目がありました。

それまで機材の運搬は軽トラのレンタカーを使ってたらしいのですが、スコップの本数も半端じゃないけど、それだけでなく運搬用一輪車(「猫車」って奴ですね)とか高圧洗浄器などの機材が充実してきたので車も大型化。
※ ダンプの入手経緯については「タートル号」の名前の由来でもある手配した亀井さんのブログ参照。
 (ヤフオクって中古のダンプも売ってるんですね。)
 スコップ団プ、顛末報告。(前編)
 スコップ団プ、顛末報告。(後編)
 そして日本一の男前に会う。


ダンプに乗って隊長登場




後ろにもスコップ団のロゴがばっちり



ロゴのカッティングシートは自製なので、つけたい放題。


でもなんにでも"FU・K"つければいいってモンじゃないだろw




それだけじゃないぞ、と団長




じゃじゃ~ん




団員大ウケ




この日はPVを撮るとかでカメラマンが同行。
集合場所の山下駅(現在常磐線は不通)の線路を団員が歩くシーンを撮影。



もう一回~





さて、一軒目

駅から比較的近いところのお宅。
1階は津波で浸水して家具やら流れてきたものやらでぐちゃくちゃの状態。

こちらに当日の現場の画像があります。

大きく瓦礫はこっち、燃えるものはこっち、使えるもの・大事そうなものはここ、とおき場所を決めてスコッピング開始。

特に役割分担を決めなくても各自片付ける場所を選んで道具を手にとって始めます。
最初は見よう見真似でやっていたのですが、どこからやっても最後は全部きれいにするんだから一緒だということがわかり、なんとなく自分の持ち場を決めてそこに集中したり、手が足りないと声をかけられたら応じたり、重そうなものを運ぶのを手伝ったりとなんとなく入り込むことができます。

自分のペースを考えて休んだり給水をするのが基本なので、汗かきのオジサンは適宜休んで汗を拭いたり水を飲んだり。
全体休憩や昼休みもあるけど、やり残しがあればやってたり、団長が作業しててもその他は昼飯食べてたりとそれぞれのペースでやっている自由さが長続きのコツかも。


ベテランの団員はさすがに動きがいい。
特に感心したのが女性陣(「レディース」と呼ばれているw)

泥掻きなどの力仕事も普通にやるし、台所の食器棚(津波をかぶって泥がつまっている)から食器を仕分けしたり、風呂場に立てこもって浴槽に4ヶ月溜まった泥水をひたすら掻きだしたり、高圧洗浄のモップがけにと大活躍。
それに、救い出した品々を洗ってきちんと整理。
一方で男性陣はスチール製の物置の解体とかだとわいわい集まって来る。
片付け本能には性差があるのかもしれない。


1軒目が大きめの家だったので昼過ぎまでかかり、つぎは2軒目に。
高圧洗浄の係りの団長と救出した品々を整理する係りは1軒目に残って仕上げを。

2件目は分譲地の中らしく1軒目より小さく、比較的早く終わりました。
ただ逆に瓦礫やゴミの置場がとりづらかったり、搬入搬出の動線が交差するのが少し苦労。


2軒目もほぼ終盤、の図




お疲れ様でした~




団員が和気あいあいと、しかもモチベーション高く真面目にやってるところ、新参者でも違和感なく受け入れるところなど、最近の若者は立派だと昭和のサラリーマンである私はつくづく感心しました。


皆さんも機会があれば参加してみてはいかがでしょうか。
年齢・性別・経験不問です。

詳しくはスコップ団事務局のブログをご覧ください。

また、Tシャツやステッカーを買っての活動支援もできますのでよろしくお願いします。


<おまけ>
団長のブログの当日の活動報告(こちら)の隅っこにへっぴり腰の私が写っている写真がありますw




※ 関連エントリはこちらから被災地に行ってきました。

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数字で見る被災状況・復旧状況

2011-08-20 | 東日本大震災
「助け合いジャパン」のサイトがリニューアルされ、各地の復興状況のデータが復興状況マップとしてわかるようになりました。


今アップされているデータが8月初旬時点でちょうど実査の時期と合っていたので、印象を数字で確認するために一覧にまとめてみました(ただし内陸部は省略しています)


別窓はこちら

太字のところが今回実査したところです。


石巻市の被害の大きさが群を抜いて大きいのが印象的です。

岩手県の中では、陸前高田市の瓦礫撤去の進捗の早さ、大槌「町」山田「町」の仮設住宅の多さが目立ちます。

宮城県では近接しているにもかかわらず石巻市・東松島市のダメージの深さと松島に守られた松島町・塩竈市の被害の少なさの対照が目を引きます。また石巻市以外でも気仙沼市の瓦礫は陸前高田市・釜石市・大船渡市の倍近く、南三陸町がこの3市と同程度であることがわかります。
それから、完成した仮設住宅の入居率が気仙沼市、南三陸町、石巻市では80%前後なのが少し気になります。完成から入居までのタイムラグの問題ならいいのですが。

全般的には岩手県に比較して宮城県の被害が大きく、瓦礫撤去が遅れていることがわかります。

前にも少し触れたのですが、素人考えとしてはつぎのとおり。

・岩手県の方がリアス式海岸が海岸まで迫っていて、それぞれの町で平坦な部分の面積が少ないのにに比べて宮城県は比較的大きな河口の三角州のような平坦な場所が多く、集落・漁港の数も多い(漁港は岩手111に対し宮城県142)。
・その結果宮城県においては津波の遡上した範囲がそれぞれの町で広範囲に渡り被害が大きかった。
・岩手県は海岸沿いの地形が険しいため、道路が山沿いを走りそこから枝分かれして海岸部の町に行く構造をとっているのに対し、宮城県は海岸沿いの道が整備されていた。今回は海岸沿いの道が津波で被害を受けたため、復旧の輸送ルートの回復に時間がかかったのではないか。
(逆に岩手県では平坦なところが少ないのか、仮設住宅は町から相当離れたところや戸数の小規模なものが多かった印象があります。)


ただ、宮城県の名誉のために言えば、絶対数で言えば宮城県は岩手県より3倍以上の避難者と5割多い避難所に物資を供給しつつ、5,600戸多く仮設住宅を完成させ、倍以上の瓦礫を処理しています。しかし宮城県の処理しなければいけない瓦礫の量は岩手県の3倍以上なので、進捗度合を比較すると遅れているということになってしまいます。


ややもすれば原発問題に関心がシフトしつつある中で、被災地の現状を正確に理解することはとても大事なので、こういう情報提供は大いに必要だと思います。



※ 関連エントリはこちらから被災地に行ってきました。
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塩竈市他(石巻以南)

2011-08-19 | 東日本大震災
石巻から塩竃に向かいます。

海沿いの道を行こうとしたのですが、石巻の工業地帯から航空自衛隊松島基地を通る県道251号線は定川大橋(Googleマップ参照)が落橋していて通行できません。仮橋は9月末に完成予定とのこと。

私は迂回したのですが、被災地 石巻からに写真がありますのでご覧ください。


国道45号線をくだり、東松島市に入り鳴瀬川を越えて県道60号線で松島に向かいますが、宮戸島に向かう奥松島パークライン(Googleマップ参照)は道路流出のため未だに通行止めの箇所があり寸断されていました。
工事車両が頻繁に行き来しているので先までは行かずに県道27号線を松島に向かいます。

道沿いの東松島市の野蒜(のびる)地区(Googleマップ参照)は、石巻湾に面しており津波の被害が甚大だったところです。(松の枝・自宅の庭…遺体続々 宮城・東松島市野蒜地区(asahi.com)参照)
未だに解体を待つ家屋や未整理の瓦礫が見られました。



ところが松島湾に入ると、被害の痕がほとんど残っていないことに驚きます。
観光客も見られ、旅館も普通に営業を行なっているようです。

おそらく、景勝松島の島々が天然の防波堤になって、津波の被害を大きく減殺したのでしょう。
その代わり、島々では大きな被害があったと思われます。



同じ松島湾の中にある塩竃も、津波の被害は比較的軽微なようでした。
Googleマップ参照

塩竃漁港。
電柱が傾いていたり、船が乗り上げていたり、また全体的に地盤沈下もあるようですが、漁船は数多く停泊していました。





岸壁に近い建物も普通に建っています。





魚市場も営業しています。





対岸のマリンゲート塩釜から港をのぞむ。
どこも日常に近いの光景のように見えました。





しかし、松島湾の外海に面した七ヶ浜地区では、津波の被害は大きかったようです。



海岸にコンテナが打ち上げられています。
仙台塩釜港から流れてきたのでしょうか。



平地が続いている部分は内陸部まで被害が広がっています。





今回の震災は地震の揺れよりも、津波がどれだけ遡上したか、外海に面していたか、平地だったか、地形が津波の遡上を加速する形だったかで明暗が大きく分かれたことを象徴しています。



仙台港(仙台塩釜港)では多くの施設は復旧して営業を再開していましたが、ここも外海に面していて平地が広がっていたため津波の被害は大きかったようです。

南三陸町へのボラツアの添乗員氏によると、被災3日後に本社からの支援物資を受け取りに仙台港に行ったところ、流された車は折り重なり、キリンビールの工場から流れ出てきた飲食店用の生ビールのタンクが辺り一面に散乱していたそうです。
もっとも数日後には生ビールのタンクはきれいに片付いていたそうで、うわさではキリンビール以外の誰かが持っていったのではないかということです。
自動車も高級車のタイヤだけはずされていたとか。

悪い奴も一定数いるということです。



仙台から南は、日曜に山元町に行く途中に駆け足で見てきました。

仙台東部有料道路で仙台空港へ
定期便も7月から運行を再開していますが、また復旧途中のところもあります。

"SENDAI AIRPORT"の看板は曲がったまま。





エアカーゴターミナルはまだ復旧工事中でした。



窓ガラスを見ると、2階レベルまで津波が来ていたようです。



仙台東部有料道路から常盤自動車道が走る若林区、名取市、岩沼市、亘理町のあたりは田んぼが広がる平坦地で、津波がかなり内陸部まで遡上しました。
道路が土盛りされていたところはそれが防潮堤の役割を果たしたそうです。

地盤沈下もかなりあるようで、特に岩沼市や亘理市にはいると、路面が荒れているところや橋の継ぎ目での段差などが目立ちました。

平地を内陸部に遡上した場合、波高が急に高まることはありませんが、人命や家屋への被害は広範囲にわたります。
また、実際に被災家屋を見ると、1階だけ被災した家屋は火災保険上は「半壊」「一部損壊」という評価なのでしょうが、実際は家財道具のうちの経済的価値の高いものは大半が1階に集中している(テレビ、パソコン、ソファ、リビングボード、冷蔵庫、洗濯機など)ので、経済的、心理的ななダメージは「半壊」以上だということがわかりました。


山元町からさらに南下すると福島県相馬市・南相馬市になりますが、平地が広がっている部分は同様の被害があったものと思われます。


********************************************


結局3週間遅れで被災地の写真とコメントをアップしたのですが、物理的な写真の整理(400枚くらい)以上に自分の中でどのように整理して書くかに1週間ほどかかった感じです。

それくらい、現地の被害の大きさと復旧の困難さは印象的でした。



※ 関連エントリはこちらから被災地に行ってきました。

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石巻市

2011-08-18 | 東日本大震災
女川町から石巻市に戻ります。
Googlemap参照)

石巻市に入って渡海駅の周辺あたりから津波の爪跡が見えはじめます。
私立女子高の手前には瓦礫の集積場がありました。



国道から漁港方面へ向かう道に入ると、漁業関連施設の建物が大きな被害に遭っていることがわかります。



全壊していない建物については解体するか補修するかの判断(資金繰り?)が所有者に任されているためか、被災した状態のままの建物が多く見られます。
このあたりでは未だに魚の腐敗臭がし、蝿も多く、片づけが進んでいないことが想像されます。


タンクも転がったまま。





卸売市場。再開はまだまだ先のようです。




市場周辺の建物はほぼ壊滅的な打撃を受けています。




石巻漁港の埠頭




埠頭から漁港をのぞむ。





旧北上川を渡って市街地や工業地帯の側に入ります。
こちらも大きな被害を受けています。

地盤沈下はここでも大きな問題。




海岸から500~600mの範囲では多くの建物が倒壊して、残っているのは鉄筋コンクリート造の建物だけです。
奥に見えるのは市立病院。




門脇小学校。
焼け焦げたような跡があります。
津波の後の火災によるものでしょうか。





被災した人たちの「がんばろう」という言葉を見ると、軽々に「がんばれ」という言葉をかけることには躊躇してしまいます。



自分は何ができるのか、すべきなのか。





日本製紙の工場。9月の再稼動に向けて復旧活動中です。




日本製紙工場への引込線。
手前に線路がかろうじて見えますが、地盤沈下と冠水は復旧の大きな妨げになりそうです。





8月1日は石巻川開き祭りでした。

多くの人が集まっていました。



こういう催しは今だからこそ重要だと思います。
「皆が心を一つにする」とよく言いますが、皆が同じ事を思う(同じ事を思う人が集まる)必要はなく、いろいろな思いを一つの催しをきっかけに持ち寄ることが大事だと思います。
「正しいこと」よりも「うれしいこと」が大事なんじゃないかということについては後日触れようと思います。


子供たちにとって、来年のお祭りをもっと楽しいものにするのは、われわれ大人たちの責任。







しかし、縁日の開かれている通りの一本裏では、川沿いに遡上した津波の爪跡が未だに残っています。












石巻市は宮城県第二の人口を擁する大きな市でそれだけに財政規模も大きいと思いますが、市の産業の軸である漁業と工業の双方が打撃を受け、しかも海岸沿いの市街地の被害も大きいため、復旧にはまだまだ時間がかかりそうです。



※ 関連エントリはこちらから被災地に行ってきました。
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女川町・牡鹿半島

2011-08-17 | 東日本大震災
日曜については後で触れるとして(って一体半月前の話をいつまでやってるんだろう)、8月1日(月曜)は残りの行程。
6時に仙台を出て三陸自動車道に乗ったのですが、途中は渋滞でした。やはり鳴瀬奥松嶋の料金所がボトルネック。

石巻の被災の様子を横目に見ながら、まずは女川町へ。(Googleマップ参照)


途中、内海のようになっている万石浦沿いに走りますが、ここはまったく津波の被害がなかったようで、平穏な日常です。
ところが牡鹿半島の付け根を越えて女川湾側にはいったとたん、津波に流された光景がひろがります。
ここも、津波が遡上したか否かの「0-100」の世界です。



まず、小高い丘の上にある町立病院から市街地を眺めます。


女川町は、津波で転倒した鉄筋コンクリートのビルが数棟あるのが有名で、これらは記念物として保存が決まったそうです。



この町立病院は、港のすぐ近く、しかもかなりの高台にあります。




町民の避難場所になっていたくらいです。




しかし、津波は丘を越えて病院まで襲っています。
病院の1階部分17.4mまで津波の遡上が観測されたそうです。
ただ、病院の上階は大丈夫だったようで、避難所としての役割は果たせたようです。





さきほど上から見た転倒ビル。基礎杭ごと壊されています。
押し波の側に倒れているので、地震のダメージ(後述しますが牡鹿半島は揺れが大きかったのかもしれません)に津波が加わって転倒したのかもしれません。





別の転倒ビル。
鉄筋コンクリート造ですが2階建てなのでそれほど基礎が丈夫でなかったのかもしれません。





床壁天井という構造体だけが残った建物



不謹慎ですがル・コルビュジエが近代建築の五原則を確立したサヴォア邸を連想してしまいました。



津波の向きに正対していたので構造躯体はダメージを受けずに残されたのではないでしょうか。




港の破壊された堤防。地盤面も沈下しているのがわかります。



女川湾も湾口防波堤があったのですが、津波はそのはるか上を越えていったようです。
(釜石同様一定の減衰効果はあったと思いたいです。)



漁港。まだ全然片付いていません。





魚市場。こちらも復旧には程遠い感じです。
周辺の水産加工業者の建物もほぼ全滅でした。





港の奥のほうでは野焼きをしていました。
ダイオキシンの問題等があるので瓦礫や廃棄物は野焼きをしてはいけないはずですが、背に腹は変えられないということでしょうか。野焼きを見たのは被災地でもここだけなので、よほど切羽詰っているのかもしれません。
牡鹿半島の小さい漁港でも野焼きをしていました。





女川市の中心部を離れて牡鹿半島へ。
牡鹿半島は津波だけでなく地震の被害も大きかったのが特徴とのことで、尾根筋の道路はいまだに通行止めです。
海側の道もこのように崩れかけたところや完全に崩れてしまったところがいくつもあります。



南三陸町へのボランティア・ツアーの添乗員氏によると、牡鹿半島は本当に鹿が多いそうで、釣りのために夜車を走らせていると時々鹿に出くわすことがあるそうです。ぶつかると車の方が壊れるような大きいのがいるとか。
道の駅では鹿肉も売っていました。



折角なので女川原発まで足を伸ばしました。


もっともここから先は入れません。

女川原発は女川湾の湾口防波堤の外なので津波の直撃を受けているはずですが、よく無事だったものです。



もう少し先にある女川原子力PRセンター
ここは当然のことながら休館中。





帰り道の看板



そちらこそ安全運転よろしくお願いします。



JR石巻線は現在も石巻-女川間は不通で代行バスが頼りです。
女川町の中心部もまだ片付けが終わっていない状態なので、牡鹿半島沿いにある集落はさらに復旧に時間がかかりそうです。
現時点では道路などのインフラ復旧のためにダンプが頻繁に行き来しているという状態でした。


※ 関連エントリはこちらから被災地に行ってきました。
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南三陸町

2011-08-16 | 東日本大震災
南三陸町も津波の被害が甚大だったところのひとつです。
南三陸町は元は歌津町と志津川町が「平成の大合併」により誕生した町ですが、町役場などの中心部は旧志津川町にあります。(Googleマップ参照)

国道45号線を下ってくると、中心部に入るはるか前の気仙沼線を越えたあたりから津波の爪跡が残っていることに驚きます。


港の堤防
津波の威力と共にかなり地盤沈下していることがわかります。





港周辺
右に見える水門しか残っていません。





港から市街地側をのぞむ



平地部分の建物は大半が津波に流されてしまったようです。一部の鉄筋コンクリートの建物を除けば解体が進んでいるようですが、基礎周り外向部分はまだ片付いていません。
大船渡、陸前高田や気仙沼に比べると、心なしか重機の数が少ない感じもします。


志津川病院
4階まで津波の跡があります。
5階建ての増築部と屋上に避難した人だけが助かったそうです。





南三陸町防災庁舎
職員の女性が最後まで防災放送で避難を呼びかけていたところです。
津波は庁舎の屋上を越えていったそうです。



南三陸町のwebsiteにある防災庁舎屋上からの写真は息を呑みます。



市街地から南に3kmほど行った戸倉地区。
周辺部はまだ手が回っていないところが多いようです。





2日目はここから北上川の河口(落橋した北上大橋は工事中のため近づけず)経由で一関で東北自動車道に乗り盛岡までレンタカーを返却に行き(予約がいっぱいだったので乗り捨てができなかった)、新幹線で仙台まで戻って仙台泊。
ちなみに、軽自動車は高速を飛ばすよりより一般道を流す方が燃費がいいみたいです。

東北自動車道は被災者の無料通行が有人ゲートを通る必要があるために出口のかなり手前から渋滞してました。
この措置は8月いっぱいで終了ということですが、ETCカードを使ってもう少し効率的な方法もできたのではなかったかと思います。



そして翌日土曜日は仙台から日帰りの南三陸町へのボランティアツアーに参加しました。

仙台駅を7時に出発するツアーですが、バスは満員。仙台の人は一人だけで、あとは首都圏などの人たちです。
東京からのツアーは夜行バスなのできついと思うのは僕だけではないようですが、仙台市内のホテルは予約が取りづらくなっています。

三陸自動車道は朝早くから渋滞していました。
この道は東松島市、石巻市、女川町など被害の大きかった町に向かう主要道なので、支援に向かう車が集中するようです(それに無料通行証チェックのための渋滞もあります)。



南三陸町のボランティアセンターは、市の仮庁舎などがある丘の上のスポーツ交流村にあります。





ここの体育館は避難所になっています。





同じ丘の上には町の商工団地があり、水産加工業者などの工場が被災を逃れて残っています。
また、コンビニや銀行なども仮設店舗を建てていて、ここが復旧の拠点になっています。





ボランティアツアーのバスは自分たちのを含めて5台。遠く和歌山県からも来ていました。
また、個人単位で自家用車で来る人もけっこういます。
そして、空き地にテントを張って長期滞在している人も10名以上いるようです。
ヤマト運輸は自分でマイクロバスを仕立てて20人くらいのチームで来てました。




ここで奇遇が。
ボランティア・コーディネーター(班に分けて割り振りをする人)とツアーの人が知り合い。
しかも両方とも鹿児島から来た人。
ツアーの参加者は鹿児島の建設業の人数名で、水曜から被災地を視察し、土曜はボランティア、そして日曜は千葉県浦安市で液状化の視察という盛りだくさんの業界視察団。一方のコーディネーター氏(水色のTシャツ)は鹿児島で建設業に勤めていたのを震災を契機に辞めて、3月からずっと南三陸町でボランティア・コーディネーターをやっているそうです。
同業だけ合ってよく飲む機会もあったそうでお互いに「何でここにいるんだ?(in 鹿児島弁)」と盛り上がってました。





今回は建物が流された跡の細かい瓦礫などの整理。
建物自体は20mほど流されてしまい、大きなものは重機で撤去が終わっているのですが、屋根瓦、ガラス、建材の破片や残っている食器などの家財道具を分別して整理します。
多分、そこまで終えれば、持ち主が(資金のめどが立てば)立て直すなり整地するなりが可能になるということだと思います。

ボラセンのリーダーが1名ついて、その人の指示で動きますが、細かい役割分担を決めなくても、自然と分担ができてきます。
ちなみに旅行会社の添乗員の人も参加します。
スコップなどはボラセンが用意してくれるので、長靴(踏み抜き防止のソール入り)と手袋(軍手でなくガラスなどに強いもの)を持ってくれば大丈夫です。
あと、破傷風の予防接種も忘れずに。


昼休み。
雨よけ・日よけのテントもボラセンで用意していただきました。
当日は雨だったのですが、ピーカンよりは暑さと日射がないだけずいぶん楽だそうです。




ちょうど僕のやっていたところが居間にあたったらしく、沖縄土産のシーサーを1匹見つけたので対もいるはずと探したら、2組見つけることができました。





添乗員氏は釣りが好きでよく南三陸町にも来ていたそうです。
牡蠣やアワビのとれる豊かな港だった、ここに何のお店があって・・・という話を聞くと、改めて津波の奪っていったものの大きさを感じます。

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気仙沼~南三陸町

2011-08-15 | 東日本大震災
気仙沼から南三陸町までの国道45号線(Googleマップ参照)は大きな橋が落橋しています。
ただ道路は仮設の架橋がされたり迂回路が整備されたりと復旧していました。
気仙沼線は高架橋が至る所で流されていて当分復旧の目処が立たないなかで、海岸沿いの集落を孤立させないために、優先順位高く進められたのだと思います。



気仙沼線の陸前小泉駅と高架橋。
右手前の盛り土の上の瓦礫が駅舎の跡です




気仙沼線の高架橋は国道45号線の小泉大橋の上をまたいで作られていましたが、その橋げたまで流されています。




橋げたの上に民家が。
ということは、引き波がこの高さまできていたことになります。




その下を通る国道45号線の小泉大橋は仮設の架橋で復旧していました。





国道45号線の歌津大橋(ここから南三陸町にはいります)
これは落橋したままで、迂回路になっています。





気仙沼線清水浜駅
高架橋が落橋しています。




橋げたが落ちてせき止めたためか、土砂と瓦礫がうずたかく積みあがっていて、引き波の勢いを物語っています。




このように海岸沿いの集落と漁港がそれぞれ壊滅的な被害を受けていてしかも道路も寸断されていたので、行政の対応も手が回りきらなかったところがかなりあったと思います。

道路が復旧して孤立集落の存在は回避されたのでしょうが、まだ丘の上で侵入路が崩れて自宅が孤立している家も見かけました。また、避難所も分散しているのでしょうから、物資を円滑に届けるだけでもかなりの大変さだと思います。



北から順に見てくると、素人の感想ですが、岩手県より宮城県の方が復旧が遅れている印象を受けました。

その理由として、岩手県はリアス式海岸で崖が迫っているのに対し、宮城県は比較的海岸部にも平坦地が多いというのがあるのではないかと思いました。

そのため岩手県では国道45号線が海岸沿いギリギリを走っているところが少なく集落には道路が枝分かれしているため、国道の分断が少なかったのではないでしょうか。
海沿いの国道45号線が分断されてしまうと北上高地の方まで経由していかなければならず、物資の輸送に苦労したことが想像できます。

また、海沿いの集落も岩手県のほうが平地が少ないために集落も坂の途中や丘の上に作られているところが多いように思います。
一方で宮城県は川の河口の三角州のような比較的平坦なところが多く、そこに集落・漁港がたくさんあるように感じました。

ちなみに漁港の数を比較しても、岩手県の111に対し宮城県は142となっています。(Wikipedia「日本の漁港」参照)
そのため、宮城県の方が多くの箇所に救援・支援・復旧の手を割かざるを得ないのではないでしょうか。



※ 関連エントリはこちらから被災地に行ってきました。

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気仙沼市

2011-08-14 | 東日本大震災
つぎは気仙沼市。ここから宮城県です。
震災当日市街地で大規模な火災が起きていたのがヘリから中継されていたのが記憶に残っています。
Googleマップ参照)


ここも山側を走っている国道45号線沿いは普通と変わりませんが、市街地に下りていくと平地部が広範に批正しています。


市街地に入ろうとすると、火災のあった市街地はまだ交通止めになっていました。




市の中心部の港。フェリーの臨時発着所になっていました。
看板がゆがんでいるのは、この高さまで津波が来たか(周辺の建物の様子からはそこまでは高くなさそうな感じもします)漂流物がぶつかったのでしょうか。





男山本店



これは古い建物なので地震で座屈したのか、地震+津波のあわせ技かもしれません。
幸い酒蔵は津波を免れたそうです。(参照



フェリー臨時発着所から西側の市街地。
こんなところまで漁船が打ち上げられています。



漁船は直せばまだ使えそうなので持ち主との関係でまだ放置しているのでしょうか?



同じところから市街地方向。
少なくとも1階は軒並み津波でやられています。





観光客用の「お魚いちば」は営業を再開していました。





こちらは魚市場
建物は新しく、丈夫に作られていたためか、ほとんど無傷です。
しかしトラックは2台しかとまっていませんでした。






というのは、魚市場から南側が壊滅的な打撃をうけていたからだというのが先に行くとわかってきます。



魚市場の南端の駐車場から市場方面。



実はきれいに残っていたのは市場の建物だけでした。



眼を南に転じると、港湾施設が地盤沈下した上に津波をもろに受けています。





西側の水産関係の会社が集積していたであろうところ。
建物の被害も大きい上に、地盤沈下によりいまだに水に浸かっています。




頑丈な冷蔵庫も全体が道路面より沈下しているので、下水道など道路にあるインフラの取り合いが心配です。





更に南にいくと、道路が通行止めになっています。
ここから先は運河のようになっていますが、元は道路が通っていて、フェリー埠頭や市の合同庁舎(左側の建物がそれ?)があったところです。
特に大潮のときだったので、復旧や片付け以前に、立ち入ること自体が危険な感じでした。





同じ場所から内陸側。
南にいくほど建物の被害が甚大になっていることがわかります。





気仙沼は漁業・水産業が主力で集積が進んでいただけに被害も集中していて、建物や瓦礫の撤去、道路の復旧も半ばという感じでした。
さらに、火災が広がった北部の市街地の復旧もしなければならず、全体的に手が回っていないという感じで、まだまだ相当時間がかかりそうです。



※ 関連エントリはこちらから被災地に行ってきました。

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陸前高田市

2011-08-13 | 東日本大震災
大田団地からはすぐ陸前高田市に入ります。
Googleマップ参照)

陸前高田市は市の中心部の被害が有名ですが、ちょうど大田団地の側の外海からも津波が押し寄せて両方の湾をつなぐ低い部分に津波が遡上し、半島(地図で言うと仁田山、大森山があるところ)が分断されるような形になりました。



陸前高田市に入ったすぐの小友中学校からの景色
見渡す限りの田んぼに瓦礫が打ち上げられています。



ちなみにこの小友中学校は支援に来ている山口県警の拠点になっていました。
被災地を回ると、各市町村ごとにそれぞれの県警が応援に来ているようで、大槌町は京都府警、大船渡市は大阪府警が来ていました。



県道からはるか陸前高田側の海を望む


こんなところまで船や自動車が打ち上げられています。



陸前高田市の中心部はは平地の部分が広かっただけに広範囲に打撃を受けています。
建物の撤去が進んでいる分、荒涼とした景色が広がっています。


道の駅。この先に高田松原が広がっていたそうですが・・・




道の駅から南西側



陸前高田の市街地は瓦礫の撤去・分別集積が比較的進んでいます。



道の駅から市街地方向をのぞむ
再利用可能な?鉄筋コンクリート造の建物以外はきれいに片付けられています。





海から陸前高田駅の間は以前は田んぼが広がっていたようですが、地盤沈下して冠水したままになっています。





整然と積み重ねられた瓦礫。そのボリュームがわかります。
でも、この山は小さい方です。





気仙大橋(陸前高田市ですが川が気仙川なのでそういうネーミングのようです)。
落橋したのですが仮設の橋が既にかけられていて、ダンプなどが頻繁に通行していました。



おそらく自衛隊によるのではないかと思うのですが、このへんの技術とスピードは立派なものだと思います。
特に河口の橋が落橋してしまうと、沿岸部の集落への交通ルートが遮断されてしまうので復旧は優先順位が高かったものと思われます。


陸前高田は平地部が多いので、津波からの避難は大変だったと思います。
避難所になった第一中学校は丘の上のかなり高いところにあるのですが、市の中心部からそこにたどり着くまでに1km以上あります。
しかも丘のふもとにある酔仙酒造は壊滅的な被害を受けている(よくテレビなどで取り上げられてました)ので、丘の上まで登り切らないと津波から逃れることはできなかったことになります。
避難の初動の重要性を実感します。



※ 関連エントリはこちらから被災地に行ってきました。

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