タイトルと異なり、中身は著者の「うつ」との闘病生活の日記になっています。
吾妻ひでおの『失踪日記』との対比に興味があって読んでみました。
本書は闘病記をふり返るのでなくリアルタイムで日記をつけそれが月刊誌に掲載されていたものです。
その点では『うつうつひでお日記』のほうに近いです。
両者の違いを一言で言えば、山本文緒氏の「まじめ」と吾妻ひでお氏の「罰当たり」。
これは山本氏がこのエッセイの仕事をしながらうつが悪化したのに対し、吾妻氏は入院中につけていた日記を
貧乏でヒマだったんで、これを漫画にして出したら食っていけないかなって思って
出版社に持ち込んだ、というもの。
なので、吾妻氏はホントになんにもしない(できない)日常をつづっています。
一方で山本氏は一時の中断はあるもののうつが悪化して入院しながらも連載を続けています。
本書にはしばしば
賞をもらい、山手線の円の中にマンションを買い、再婚までして
というフレーズが出てきます(この本を読むまで知らなかったのですが山本氏は直木賞作家だそうです)。
そして、秘書も雇い、札幌に夏用の仕事場を持ち、元気なときには買い物や夜遊びにも繰り出しと、経済的には不安がなさそうなところも吾妻氏とは異なります。
それがかえってよくなかったのかもしれません。
守るべき生活スタイルとかあるべき自分の姿へのこだわりが随所に見られます。
入院中にダイエットとか気にしている場合じゃないだろう、とか読んでいるほうが心配になるくらいです。
とはいっても、自分がそういう状況になったときに、「落ちるとこまで落ちて楽になっちゃえ」と開き直れるか、「ここでふんばって早く元の生活に復帰しよう」と考えるかというと、やはり後者を選びそうに思います。
まあ、吾妻しひでお氏もアルコール依存症で入院までしたくてしたわけではなく、結果的にそこで開き直れたわけですし、前者を最初から選べる人ならうつにはならないですよね。
結局、絶対値(あるべき自分の姿とか以前の自分)と比べすぎてもよくないし、変化(これができるようになった、あれができなくなった)にこだわりすぎてもよくない、というなかで、のんびりとではあるが回復を目指すというところに、うつの難しさがあるように思います。
そう考えると『問題は、躁なんです』で春日武彦先生が書いていた
うつが自然で躁が不自然、これが人の心の基本的な構図であるように思われる。
という言葉が思い出されます。
だとすると、「自然には逆らえない」くらいの気構えでいることが大事なのかもしれませんね。