戦争や内乱、部族紛争、飢餓、難民問題などにおいて人道援助団体の活躍がしばしば報道されているが、それぞれの団体は資金提供者にアピールする必要があるため、「アピールしやすい」「他の団体もやっている」「テレビで報道される」援助に殺到しがちであるが、実はそれが現地での戦争や紛争を助長することになっている一面がある、ということを、数々のしかも有名な事例から具体的に説き起こしている。
たとえば
フツ族によるツチ族の虐殺から始まったルワンダ内乱はツチ族の軍隊によって制圧されたが、その結果大量のフツ族難民が隣国コンゴにあるゴマの難民キャンプに押し寄せた。 しかし、その難民キャンプは、フツ族の過激派によって支配されていて、援助物資や現地人スタッフの(法外な)給料は過激派の資金源になり、国境を越えてルワンダのツチ族への攻撃に使われている。
また、
アフガニスタンでは、テロとの戦いのもとに、人道援助を装った空爆中の食糧投下や文民を装った特殊部隊の投入によるタリバンと縁を切ることをバーターにした食糧援助などにより、人道主義者と「テロとの戦い」の部隊との区別がつかなくなった。 その結果、アフガニスタンにおける人道援助は非常に危険なものになり、NGOスタッフはほとんど表に出ず、現地人を使って援助プロジェクトの写真だけをドナーに報告するようなものになっている。
その過程で援助資金はほとんどが無駄に使われ、事実上の略奪、「アフガン詐欺」とカブールでは言われている。
たぶんそういう部分もあるよな、とは思っていたが、ここではNGOのいて構造的なエージェンシー問題が--(効果にかかわらず)援助の実績(資金を使ったこと)をアピールしないと次の資金が集まらない--が起きていていることがわかる
そして一方で、援助を受ける側はそれを見越して、より精巧なマーケティングを仕掛け、それによって現地での悲劇が増幅される結果になる。
・・・彼らは欧米の援助世界に行動を促すメカニズムを、半世紀以上にわたって研究し試してきたのだ。犠牲者のグループは、どのように人道援助世界が動いているかについて、しだいにとてもよく理解するようになってきているようだ。戦争状態にある国々の人々でさえ、インターネットにアクセスしている。ほとんどの難民キャンプにはCNNが映るテレビがあり、そのため難民たちは「自分たちが」どのように犠牲者を演じているのかがわかっている。彼らは期待されているイメージに合うようにと学習しているのだ。
人道主義者たちは赤十字原則-中立性、独立性、公平性-の高潔さを自身の前に盾のように備えており、原則はそれによる帰結よりも重要だということを自明のことだと考えている。避けれらない人道的な義務があるのだ、と彼らは主張する。たとえもし悪いやつらを利するとしても、彼らには人々の苦しみを和らげること以外に選択肢はない。
問われるべきは、「それなら、ただたんにまったく何もしないでおくべきかどうか」ということではない。問われるべきは次のようなことだ。戦争当事者による搾取を考慮しても、援助によるプラスの効果を推し量るとするなら、どこに分岐点があるのか、そして人道援助が倫理的でなくなる地点はどこなのか?
人道的危機はほとんど常に政治的危機か、あるいは政治的な解決だけが存在する危機である。ドナー、民兵組織や政府軍、それにとりわけ我々の国の軍隊やNATO軍が人道援助で政治的に画策するとき、NGOは政治に無関係ではいられない。
著者はフリーのジャーナリストだが、危険地帯に行くジャーナリストの面目躍如という著作にmなっている。