一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

「おくすり手帳」その後

2014-04-29 | よしなしごと

一昨年、「おくすり手帳」が義務化されたときに こんなエントリ を書いたのだが、4月でまた制度が変わったようだ。

先日調剤薬局で処方薬をもらったときのやりとり

(薬剤師A)
おくすり手帳お持ちですか?

(私)
はいはい、どうぞ。

(薬剤師A) (薬と説明書、調剤明細書、領収書を用意)
○○円です。
ちなみに、4月1日から調剤報酬が改正されて、おくすり手帳にシールを張ることで「薬剤服用管理指導料」がかかることになりますが、他の調剤報酬が値下げされたので負担額は変わらないので了承ください。

(私)
え?ということはお薬手帳出さなきゃその分は安くなるの?
そもそも先月と同じ花粉症の薬をもらっただけなので、別にシール張らなくても投薬履歴はわかるんだけど。
それに、そういうことならさっき「お薬手帳ありますか?」と聞いた時点で説明すべきじゃないの?
でも、投薬履歴を管理するためのおくすり手帳だったと聞いたのに、出さないほうが得をするというような報酬改正って変ですよね・・・

(薬剤師B-上司風-) (会話に割り込む)
ならその分お引きしますよ!(ほとんどクレーマー扱い)

結果、調剤報酬が41点から34点に変わって、請求金額もその分安くなった。

なんか腑に落ちない制度改正が行われたようなので調べてみた。
4月から医療費が変わる!おくすり手帳は持つべきか、持たざるべきか? によると  

  • 3月まではおくすり手帳に情報を書き込むことで薬局は「薬剤服用管理指導料」として410円(41点)の報酬を得られた。
  • 調剤した日、薬の名称、用法、用量、服用時に注意することなどを手帳に記載するとともに「患者が飲み残した薬の数の確認」「医師が処方した薬にジェネリックがあるかどうかの情報提供」をすることも条件。
  • だが、実際には、おくすり手帳を持っていなかったり薬局で薬剤名が書かれたシールを渡しても手帳に貼られず、意味をなしていないケースもあるので、4月からは、おくすり手帳を必要としない患者の薬剤服用歴管理指導料は、1回あたり340円(34点)に引き下げられた。

ということだそう。 さらに「薬剤服用歴管理指導料」にはこういう条件があるらしい。

国は医療費削減のために、残薬の管理、後発医薬品の使用割合を高めることを目標としており、薬剤師から患者への情報提供を行うことを期待している。
おくすり手帳への調剤報酬が変更されたのも医療費削減が理由だが、今回は服薬指導のタイミングにまで注文が付けられた。 現在、ほとんどの薬局では、薬を揃え、必要な書類を作ってから、患者への服薬指導をしている。
だが、その時点で、飲み残した薬はどれくらいあるのか、患者がジェネリックを希望しているかどうかを聞いても後の祭りだ。 4月以降は、薬剤服用歴管理指導料を算定するためには、処方せんを受け付けた時点で、残薬の数、後発医薬品の使用を患者が希望するかどう確認しなければいけなくなる。

でも、今回最初はおくすり手帳に処方薬の情報のシールを貼るだけで、服薬指導も飲み残しの確認もされなかった。(どうせクレーマー扱いされるのなら、41点分払っておいて、後で薬事法違反とかで役所に言いつけるというのが正しいあり方だったか・・・)

実態がこんなだから、報酬が改定されるのかもしれないが、上のコラムの別の個所でも指摘されているように、医療費削減を目的にするとはいえ、国民の健康を守るという趣旨からは逆行している感じがする。

少なくとも、うまく運用されるようなインセンティブが患者側にも薬局側にも働いていない。
特に薬局は僕が直面したように「報酬額はいままでと同じですから」といって適当にごまかせばいい、という対応をするところが多いのではないか。
今後導入されるマイナンバー制度で医療保険給付関係情報も盛り込まれるのだから、その中の投薬履歴については、本人の同意がある場合や、救急車に乗せられて本人が意識不明等の緊急時には医療機関でも参照できるようにしておけば、現在のおくすり手帳よりもしっかりした運用ができるのではないかと思うのだが。

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『平和主義とは何か 政治哲学で考える戦争と平和』

2014-04-02 | 乱読日記

「白熱教室」どころか発火しがちな議論を白熱せず(、「朝生」にもならず)に戦わせるにはどうすればいいか。

本書は平和主義(=非暴力によって問題解決をはかる)の立場に立ちつつ、「平和主義」といっても多様なパターンを類型化し・評価し、著者のスタンスを特定するとともに、平和主義と反対の立場をとる非平和主義「正戦論」「現実主義」「人道介入主義」を検証している。

もっとも、本書は著者の主張ではなく、議論の過程を味わうための本と言える。

・・・本書は、平和「主義」あるいは非平和「主義」という特定の結論を、一足飛びに読者に推奨するものではない。そもそも戦争と平和めぐる論争が、本書のような小著によって収束するなら、それが今日までかくも長きにわたって続いてきたはずがない。本書で行ってきたことは、論争の継続であって、論争の決着ではない。哲学の役割はアジテーションではなく、議論の構造を明らかにし、その論理の力を確かめることである。科学的説明と同様に、哲学的議論もまた、反証のリスクを喜んで引き受けなければならない--しかしどうか、反証は議論の良し悪しを標的とするものであってほしい。もちろん筆者には筆者なりの議論の着地点があるが(それは先ほど述べた)、道筋はほかにも無数に広がっている。

その意味ではサンデル教授の「白熱教室」の平和主義における応用編とも言えるし、特に平和主義、戦争の是非の議論については「白熱」せずに議論をすることの難しさを改めて認識するための好著でもある。

 

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