『バグダッド・バーニング』の続刊。
アメリカの占領政策のドタバタは別にして、印象に残ったのは、家族・親族や他の人間関係の濃密さや伝統的な行事は逆境から立ち上がるときのばねになるということ。
これは東日本大震災にも共通するように思います。
「絆」という言葉がクローズアップされてますが、あえて言葉にするまでもなく身体に染み付いているものの濃さが大事なんだと思います。
このへん、スコップ団の団員(参加者)にも共通する感じがあります。
911に関するアメリカの式典などがそれを強調する一方で、バグダッドの人たちの日常には自然に組み込まれていることの対照が印象的です。
そして、それが混乱が長期化し、過激派が勢いを増す中で徐々に侵食されていくのがつづられていて心が痛みます。
本書は2006年6月分までなのですが、元になったブログBaghdad Burningは2007年10月、著者リバーベンド一家がついにイラクを離れ、シリアに移住するところで更新が終わっています。
We live in an apartment building where two other Iraqis are renting. The people in the floor above us are a Christian family from northern Iraq who got chased out of their village by Peshmerga and the family on our floor is a Kurdish family who lost their home in Baghdad to militias and were waiting for immigration to Sweden or Switzerland or some such European refugee haven.
The first evening we arrived, exhausted, dragging suitcases behind us, morale a little bit bruised, the Kurdish family sent over their representative – a 9 year old boy missing two front teeth, holding a lopsided cake, “We’re Abu Mohammed’s house- across from you- mama says if you need anything, just ask- this is our number. Abu Dalia’s family live upstairs, this is their number. We’re all Iraqi too... Welcome to the building.”
このようなイスラム教徒であるかキリスト教徒であるかを問わないイラクの人々の結びつきが、ここでも力になることと思います。
そして最後の一文は、つぎのように結んでいます。
I cried that night because for the first time in a long time, so far away from home, I felt the unity that had been stolen from us in 2003.
"unity"は失われて初めてわかるものなのかもしれません。
そして、ひきつけあっていた強さが、元に戻るばねになるのだと思います。