一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

国内向けの抗議の不毛

2006-01-05 | 日中関係
領事館員自殺 中国「職務の重圧、日本表明」 外務省「事実でない」
(2006年 1月 3日 (火) 03:32産経新聞)

年末年始の注目の話題のひとつでしたが、週刊文春の年末号の記事をきっかけにした国民の批判をかわし、アピールするための抗議じゃないかと思います。

なにしろ2004年の事件以降遺族の意向に配慮して水面下で4回抗議していた、というのであれば、今さら急に公式に抗議するのはマスコミ対策以外の何ものでもないでしょう(遺族への配慮はもういいのか?)
※ ニュースの少ない正月にぶつけてアピールして、関心が去ったらフェードアウトするとしたら、それこそ遺族は浮かばれません。
また、そもそも中国情報機関の活動だとしたら中国側は絶対に認めるはずがない(決定的証拠があればとっくに出しているはず)ので、議論は平行線になるしかないのですから。


ところでそもそも外務省職員は何で自殺までしたのでしょうか。そこが僕にはよくわかりません。
外交官として少なくとも身の安全は保証されているので、暴露されたとしても家庭が壊れるくらいの話です。それが怖くて自殺するくらいなら(あえて中国国内で)誘いに乗らなければいいわけで、少なくとも外交機密を預かる人間としての自覚に欠けるように思います。
それとも、外務省の中での極端な減点主義があってキャリアの終わりを悲観したとか?
またはひょっとして、フーバーFBI長官が女装プレイの写真をネタにマフィアに脅迫されていたように、社会的地位を失うくらいの弱みを握られていたのでしょうか?
※そう考えると既に「変態」として認知されている山拓は強いですねw
※もうひとつ余談ですが、民間人が同様な目にあったら、単に「身から出たサビ」と言われて終わりのような気がするのですが・・・


どうも日中間の議論というのは、外交論争というより国内向けのアピールという色合いのものが多すぎるような感じがします。かなり以前のエントリに書いたのですが靖国問題への中国の反応なんかもそうじゃないかと思います(もっとも靖国参拝について僕自身は両手を上げて賛成ではないのですが)


政権の国内向けのアピールのために国民感情を煽るのはお互いにやめたほうがいいと思います。
問題解決に向けての冷静で建設的な議論をできる素地をつくるのが外交なんじゃないか、というのは素人の理想論なのかしら。



それに、中国に抗議するなら、まずは尖閣諸島で中国が行っている天然ガス開発でしょう。
領事館員問題でここまでがんばるのであれば、これについては、もっと継続的かつ徹底的に(少なくとも中国の靖国参拝批判以上には)抗議すべきだと思います。
また、陣取り合戦だけじゃ大人気ないとしたら、国際社会を巻き込んで大陸棚の地下資源の所有問題の議論をする必要もあるんじゃないでしょうか
※ もし水面下で日本が資金供与をしての共同開発の話でも進めているのならお見事ですが
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靖国参拝問題 続き (日中関係 その6)

2005-04-30 | 日中関係
靖国参拝問題の続きです。

今回は、何で中国は靖国参拝にこだわるんだろう、ということをちょと調べて&考えてみました


中国側の靖国参拝批判は1978年にA級戦犯を合祀したことに端を発していて、「戦争犯罪人であるA級戦犯が祀られた靖国神社を日本の政治指導者が参拝することは許し難い。」というのがその理由。


でもちょっと待てよ。
サンフランシスコ平和条約の第11条「日本国は,極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し,且つ,日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。(以下略)」
とはあるけど、死刑執行後の扱いや懲役刑を終えた人や、刑期中に亡くなった人の取り扱いまでは決めていない。(普通そうだよな)


では中国側が、何でA級戦犯にこだわっているかというと、
そもそも「日本の侵略戦争は、一握りの軍国主義者が引き起こしたものであり、日本人民も戦争の被害者である。」といういわば「A級戦犯戦争責任論」は、東京裁判の際に、国民党の蒋介石がこの「A級戦犯戦争責任論」に基づいて日本に対する戦時賠償請求権を放棄した、というところに遡るようだ。


毛沢東・周恩来も日中国交回復時にそれにならい、当時の中国国内にあった「賠償金を求めるべき。」とする意見に対して、「同じ戦争の被害者である日本人民に賠償を求めることはできない。」として、日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明(日中共同声明)の中で明確に賠償請求権を放棄した。

「五 中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。」


毛沢東・周恩来は、日本に復讐主義的な賠償金を科して両国間に過痕(第一次大戦のドイツに課された多額の賠償金がナチス台頭の遠因になったことなど)を残すことがないがように、「A級戦犯戦争責任論」を使って賠償金を放棄する形で戦争責任の決着を図ろうとしたのではないかと言われている。


そしてこの「A級戦犯戦争責任論」は中国側において今の指導部に至るまで日中間の前提条件であり続けてきた。

したがって、A級戦犯を合祀している靖国神社に参拝するということは、中国側から見れば日中友好の前提条件を覆す行為と受け止められることになる。


一方日本側も、中国は戦時賠償請求権を放棄したことに感謝し、それが1979年から開始された中国向けODAとなった。
※これは、もともと裏の約束があった、という人がいるかもしれないけど、そのあたりはよくわかりません。
※ちなみに、日本は韓国に対しても「日韓基本条約」とは別に「日韓請求権協定」を締結し、「賠償金」ではなく「経済協力」という形で財政的支援を行っています。

なので、現時点で既に3兆3千億円(!)を超える中国向けODAは、形を変えた戦後賠償だ、十分戦争の補償をしたじゃないかという見方もあながち間違ってはいない。


ところでこの日中国交回復時の「A級戦犯戦争責任論」は時の周恩来が自国民向けの説明に用いたもので、日中共同声明には条項として盛られていない。

したがって、日本側政府としては「A級戦犯戦争責任論」を公式に認めてはいない。


そして今回の反日騒ぎは、最近の中国国内における

①指導者のカリスマ性の低下

「中国権力者たちの身上調書」にあるように、小平までの指導者に比べ江沢民はかなり小粒で自らの権力の維持に汲々としていたし、胡錦濤らの「第四世代」(これもそもそも小平が登用をはじめた)の真価はこれから、という状況らしい(著者はそもそも江沢民に批判的なスタンスです)。

②反日ナショナリズムの存在

小平没後の中国では、「共産党による一党独裁の正統性強化」のために抗日歴史教育を中心とするナショナリズム教育が積極的に行われた。
特に江沢民政権時代は(天安門事件で失脚した先輩指導者がトラウマになってか)さらにそれが助長されたらしい。
そのためわずかなきっかけで反日運動がに火がつきやすい状況にある。

③中国政府への国民の不満

経済成長の不均衡、沿岸部・内陸部の所得格差、役人の汚職、失業問題、共産党の一党独裁への不満、(特に富裕層の)
更なる政治参加への欲求等の諸問題は、現代中国の抱える重要な政治問題となっている。

という背景事情があって、

このような状況で、中国政府が安易に小泉首相の靖国参拝を容認したとすると、反日ナショナリズムの怒りの矛先が「弱腰」の現指導部に向けられる危険性が大きく、
さらには
「そもそも「A級戦犯戦争責任論」はおかしいのではないか(日本人はすべて戦争責任があるのではないか)」
「戦時賠償を請求すべきではないか」
などとエスカレートした場合共産党政府の従来の方針、基盤となっている論理自体を覆す方向に働きかねないと危惧されているんじゃなかろうか。


というわけで、中国政府は靖国参拝には(日本から見ると)過剰反応するのだろう。

こう考えると、過去の経緯から配慮しなければいけない部分もあるけど、筋違いじゃないか、という部分もありますね。



じゃあ、日本はどうすればいいか、ということですが、

① 日本の戦争責任についての見解を明確にする(これは事あるごとにしているわけですので、これ以上はいいのでは)
② 靖国神社でなく、宗教性(宗派性?)のない戦争犠牲者慰霊施設を作る。
※そこにはA級戦犯も、非戦闘員である一般市民も全部まとめて慰霊するのがいいんじゃないかと思う。
※中国の「A級戦犯戦争責任論」はわかるとしても、日本は、成仏できないように敵の死体を切り刻んだり豚に食わせるというような徹底した報復をする文化(これは中国人が野蛮だ、といっているわけではなく、死者に対する日本独特の考え方があるのでは、と言っているだけですので誤解のなきよう)とは違うということを説明して理解してもらうしかないでしょう
※もっとも、日本人の中での戦争責任の総括(これも必要だと思う)の結果、「A級戦犯はけしからんから決して許すな」となったら別です(そうはならないと思うけど)。

まあ、結論からいえばありきたりだけど、この程度しかないのではないでしょうか。


こっちが筋的に文句を言われる隙を与えなければ、中国も上の②のような日本をスケープゴートにするようなことを安易に続けられないんじゃないか、と思います。

※ それでも過去の残虐行為を云々というなら、共同で歴史検証でもしますか?
  いや、政府間の公式研究だとどうせもめるからしないほうがいいかな?
  でも、民間レベルだと当事者によっては「自虐史観」派云々(レッテル貼りはいかがなものかと思うが、客観的な事実の検証を冷静にできない人は適任ではないと思う)の問題もあるか・・・
  となると、これは現実的には難しいかもしれないですね。
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国家として、個人として (日中関係 その5)

2005-04-28 | 日中関係
ここのところの日中関係の記事に関しコメントやTBをいただいて、改めて考えたのが、中国(人)の日本の戦争責任への言及に対して、国家として対応するか、個人として対応するか、ということ。


TBいただいたjack_fujiiさんの記事への僕のコメント(2回分)を僕自身の備忘のため再録したので、文脈がわかりにくいかもしれませんがご容赦ください。


************************

「戦争中とはいえ中国人を殺したことに対して、(中略)日本人は反省し続けねばならない」というところ、については、やはりちょっと違和感があります。

たとえば個人の日本人犯罪者が中国人を殺したからといって、日本人として(恥ずべきではあれ)謝罪することにはならないと思います。
やはり基本は国家の行為として侵略戦争を仕掛けた、その中で非戦闘員に対する残虐行為を行った、というところを反省すべきなのだと思います。

そして、国家としての行為の反省(または反省が不十分)というのは、(国民の感情は斟酌するにせよ)最終的には国家同士で手打ちをすべき問題だと思います。

その意味で、小泉首相のAA会議での演説は適切だと思います。

逆に、今回に限らず中国政府が「国民の反日感情」を外交カードや国内のガス抜きに使っていると思われる点には、個人的にはいかがなものか、と思います。

中国の人々が個人的な歴史に対する感情まで捨てる必要はないと思いますが、それが「反日デモ」という組織的行動になってしまうところが、(それは当局の誘導なのか、歴史教育の所産なのか、根深い反日感情なのかわかりませんが)残念です。
確かに相手の感情を逆撫でする行為をあえてするのは愚挙(そういう日本人が多いのも確かです)ですが、かといって日本国または日本人として中国人ひとりひとりの納得を得るまで謝罪・補償をしつづけることはできない以上、気に喰わない事があるとすぐに反日デモ、というような対応をされると、日本としてもお付き合いしにくくなってしまいます。

少なくとも民主主義国家においては国民の理性に働きかけ、無意味な軋轢を起こさないようにするのが政府やマスコミの役割だと思うのですが。

*****************************

国家としての責任、個人としての責任についてですが、私自身、国家としてけじめをつければ、個人としてはどうでもいい、と思っているわけではありません。
ただ、日本としてどう対応するか、を考えるに、まず国家としてのけじめを考えなければならないのではないかと思います。

TBさせていただいた私の記事とコメントに書いたのですが、まず最初の問題は、日本が自国内で戦争責任についてのけじめをつけていないところにあるのではないか、と今は考えています。

結局ここの部分の基本線の胆が据わっていないので、日本の国としてのスタンスが対外的にも認識されておらず、個人の感情レベルの応酬になってしまいがちなのではないでしょうか。
また、日本人自身「戦争被害者」という意識が残っている
のも(確かに被害者と言う部分もあるのですが)誰と誰の関係において誰が被害者で誰が加害者なのかをはっきりさせていないことが原因なのではないかと思います。


引き合いに出すのは申し訳ないのですが、先日のJRの事故で、遺族に謝罪したJR幹部に対して「子供(妻/夫)を返せ!」と言う遺族の叫びが報道されていました。
その気持ちはわかるのですが、JRとしてできること(すべきこと)は、遺族への補償と安全運行の徹底であって、たとえば遺族の人がJRを利用するたびに駅員が深く頭を下げること(を義務付けること)ではないと思います。
それは、個々の駅員が、そのような事情を知ったときに、改めて哀悼/反省の意を表すべき問題だと思います。

>国家がその責任を負うか、個人が責任を負うか、という問題であり、過去のことを過去のこととしてみるか、自分たちとリンクさせるべきものであるかという違いがあるのだと思います。

というjack_fujiiさんのコメントについては、私はそれらは両立しうるものだと思います。
ただし、国家間の議論においては、まず、国家としてのスタンスをはっきりさせることが問題なのではないかと思います。

個人同士の関係についてはお互いの立場に共感できるかどうかと言う部分もあり、一概にべき論でくくるのは難しいですね。

**********************

PS 改めて読み直すと、コメントの文章とはいえ「・・・と思います。」で終わっている文章ばかりで、リズム感がなく平板ですね。
反省
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靖国参拝問題 (日中関係 その4)

2005-04-26 | 日中関係
昨日の続きです。

今回は靖国参拝問題。

靖国問題はいくつかの議論が錯綜しているように思う。

① A級戦犯を合祀している靖国神社に首相が参拝するのは、戦争責任を自覚していない
② 靖国神社は1宗教法人であり、公式参拝は憲法の政教分離の原則に反する
③ 公式参拝でなければ信教の自由だ
④ 戦争犠牲者を慰霊すること自体悪くはないはず 
⑤ そもそも東京裁判自体が正統性がないのでA級戦犯というくくりはおかしい

で、僕の考え


1 戦没者の慰霊と靖国神社
戦没者を慰霊するというのはあった方がいいだろう。戦争自体は国民にとっても不幸な歴史であるし、それを繰り返さないためにも、戦争犠牲者に思いを致すというのは必要だと思う。
もっとも、それは宗教的な祭祀では信教の自由との問題が出ると思う(強制的に埋葬するとかはやりすぎ)

靖国神社の問題はただ、特定の(しかも軍国主義体制の一翼を担った)宗教法人が慰霊者というのはよくないと思う。
政教分離という憲法問題だけでなく、国民のガバナンスの効かない特定の法人に委ねるのはそもそもおかしいのではないか、と思う。


2 公式参拝の問題点
なので、靖国神社が当然に戦後も国民を代表して戦没者慰霊をする権利を独占するのはおかしいし、したがって首相が公式参拝するのは国内的にも適当でないと思う。
私的な参拝、信仰は自由(ブッシュの教会での礼拝と同じ)だとしても、小泉首相は以前は参拝していなかったのだから、それはやはり言い訳に過ぎない。


3 中国との関係
したがって、中国やその他アジアの国が批判するしないにかかわらず、首相の靖国参拝はやめるべきだと思う。
そして、中国に対しては、日本国としては戦争責任は認識している事、一方で(靖国参拝は政府としても不適切だと思うからやめるが)国家としては戦没者を慰霊する意思のあること、を表明すべきだと思う。


4 では、「慰霊」の対象は?-将来に向けて
つまり、個人的には靖国神社に代えて将来公営の「戦没者慰霊館」のようなものがを作る必要があると思うが、それができた場合に、「戦没者」の対象をどうするのかが問題になる。

ひとつは戦争責任の問題
極東軍事裁判の正統性は議論があることは承知しているが、じゃあ、日本人は誰も悪くなかったのか、というと、さすがにそうは言えまい(一方で今更昭和天皇一人に責任を押し付けるわけにもいかない)。
この点、ナチスという「絶対悪」があったドイツは明快に処理ができたわけだが、極東裁判(=戦犯の戦争責任)も天皇の責任も否定する(または全面的にそれらの人々の責任にすることはしない)場合、国家としてあらためて歴史を総括する必要が生じる。
ここは個人的にも考えが整理できていません(でも、「一億総懺悔」は違うと思う)

次に、「合祀」の対象の問題
靖国神社でも問題になった台湾・朝鮮人軍属の問題や、日本人においても、非戦闘員の犠牲者と軍人・軍属・公務員はどう違うのか、ということも問題になると思う(軍人・公務員だけなら、軍人恩給や公務員共済の予算から出せ、という主張もありえよう)。


うーん、そう考えると、結局戦争責任を国内的にもどう総括するか、という問題になるんですね。
これは日本政府としても正面から向き合ってこなかっただけに、難しいですね。


※ つぎには安保理常任理事国入り問題の順番ですが、元をたどると中国と戦争補償とサンフランシスコ平和条約あたりまで遡りそうなので、ちょっと時間がかかると思います。
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ちょっと踏み込んで・・・まずは尖閣諸島 (日中関係 その3)

2005-04-25 | 日中関係
このblogであまり政治的な議論はしたくないのですが、中国との問題を考える上でいくつか整理しなければいけない問題があると思いますので、ちょっと踏み込んでコメントします。

僕の今の時点での考えは

1 尖閣諸島は日本の(固有の、とか古来の、ではないが正式な)領土である。

2 小泉総理は靖国神社に参拝すべきでない

3 日本の国連安全保障委員会常任理事国入りについてはよくわからん(知識不足で判断保留)

というものです。


(途中で挫折しなければ)何回かに分けてUPしたうえで、その後、なんでいつも日中関係がこんなに感情的になるんだろう(国内で意見表明する自体でも上のような注意書きを書きたくなるような雰囲気って何なんだろう)、ということについても考えてみたいと思います。



まずは尖閣諸島問題

これは僕の知識では、国際法上は比較的明快に日本の領土であるはずです。

1895年、日本政府は尖閣諸島の領有状況を調査し、いずれの国にも属していないことを確認したうえで沖縄県に編入した。国際的にも異議は申し立てられておらず、日本の領土と認められてきている。

 「固有の領土ではなく」と留保をつけたのは、「固有の領土」という言い方が北方領土問題とリンクされ、感情的なトーンが出ているから。(そもそも領土って共有ってないわけだし)

また、古来の、ではないというのは、そもそもこの辺はそれ以前は琉球王国の支配地域だったことにある。
琉球王国は17世紀から江戸幕府の許しを得た薩摩藩に侵攻され、江戸幕府に使節を送ることを義務付けられるようになった(実質上の属国)。一方で中国の清朝に対しても朝貢貿易を継続し(これを実質的にコントロールしていた薩摩藩の大きな収益源だったという事情もあるのだろう)、形式的には朝貢国を2つ持つ王国という状態だった。

しかし、日本の明治政府は近代化を目指し、国際社会の仲間入りをもくろむ中で、国際法上の手立てをきっちり打つことの必要性を意識したのであろう、最終的に琉球王朝を日本国に編入した。
これについて清国は反撥し、日清戦争、その講和としての下関条約につながる。

このように日本は、明治時代に沖縄やその他周辺の島々(竹島など)も日本の領土として着々と宣言し、国際的な承認を得ていた。
(このあたり詳しくはWikipediaなどをご参照ください)

そこは近代国家として日本は同時代の清朝よりはしっかりしていたし、力があったわけだ。

その後、沖縄と南西諸島についてはサンフランシスコ平和条約第3条でアメリカの信託統治となり、その後日本に返還されてしまった。


結局中華人民共和国にしてみれば「琉球王朝は日本と中国に朝貢していたのに、結局ちゃっかり日本国に・・・」という不満もあるのだろう。


しかし、先に囲い込んだ方がズルイ、とかルールを勝手に作ったのがずるい(これは「グローバル・スタンダード」について日本のマスコミがよく言う文句でもあるのだがそれはここではおいておく)といっても、国家間の約束事はどこかの時点を基準にしなければならないし、歴史的には加速度的に国際関係が緊密になっている以上、「気に入らない」からといって過去の条約などの国家間の決め事を無視するというのも通らないと思う。


そもそも中華人民共和国も
① 清国の英国への99年間の香港租借の約束の効力を認め、しかも自らをその正当な承継者として認めて、香港の返還を受けた。
⇒ならば、他の清国の締結した条約を認めないのは筋が通らない。

② チベットは1912年に清国勢力を掃討して以来、チベット王国の統治下にあったにもかかわらず、国家として国際的に承認される手続き(条約の締結や大使の交換など)を怠っていたのをいいことに、中華人民共和国はチベット王国に武力侵攻し、チベット政府の外交団と無理やり(本国政府の承認なく)『チベット解放十七箇条協定』を締結させ、以来「固有の領土」と主張している。
※ この辺は「ダライ・ラマ自伝」やジル・ヴァン・グラスドルフ「ダライ・ラマ その知られざる真実」に詳しい。
⇒ならば、国際的に承認手続きを取った先後で、文句を言うのも筋違いではある。


話がそれてしまったが、尖閣諸島自体は日本の領土であると主張する根拠が十分にあると思います。

いろんな問題にかこつけて(多分ここのところが日中関係の一番のポイントなのだろう)言われたとしても、この点については毅然とした態度で臨むべきでしょう。

逆に他の問題を、きっちりしないといけないですね。


※ 長くなってしまったので、続きは明日以降。
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大人の話し合いができたと思います。(日中関係 その2)

2005-04-24 | 日中関係
アジア・アフリカ首脳会議での演説で、小泉首相は村山首相の1995年の談話を引用し、反省と謝罪の意を表した。
具体的には以下のとおり。

我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受けとめ、痛切なる反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻みつつ、我が国は第二次世界大戦後一貫して、いかなる問題も、武力に依らず平和的に解決するとの立場を堅持しています。今後とも、世界の国々との信頼関係を大切にして、世界の平和と繁栄に貢献していく決意であることを、改めて表明します。(外務省HPからの引用)

基本的にはこれが正しい方向だと思う。
以前の記事でも書いたが、過去の話は過去の話として総括した上で、今後の友好関係について前向きな姿勢を見せる、というスタンスが大事ではないか。
※ 「経済大国になっても軍事大国にはならず、」というのはちょっと自慢/恩着せ風なので余計だと思うけど、過去のどこかの国の発言に対応するように外務省が周到に用意したという可能性もあるので、その辺は本職のセンスが正しいのでしょう。


その後の日中首脳会談もお互いのスタンスを確認しあった、ということで成果があったと思う。

胡錦涛主席の声明は
(1)日中双方が日中共同宣言など3つの文書の原則と精神を厳格に尊重する。実際の行動でもって21世紀の友好関係に資する。
(2)歴史を鑑とし、未来に向かうという精神を堅持する。侵略戦争に対して表明した反省を行動に反映させる。中国とアジアの人民の感情を傷つけるいかなる行動もとらない。
(3)台湾問題を正確に処理する。実際の行動でもって1つの中国政策を体現し、台湾独立を支持しない。
(4)日中両国間の問題や意見の違いを平等、協調の精神で処理する姿勢を堅持する。
(5)幅広い領域での交流を拡大するとともに、民間の交流をさらに促進する。
Nikkei Net(4/23)による)

(3)はどんな局面でもデフォルトで入ってくるのでおいとくとしても、(1)(4)(5)は結局「日中間の密接な経済関係を勘案し、将来に向けての発展的な問題解決が必要」と言う事だと思う。

個人的には、中国側からは公式にはもっと木で鼻をくくったようなセリフが出てくると思っていたので、ここは意外。
中国も国際社会を今まで以上に意識している、という証拠だろう。

多分一番大事なのは(2)で、ここには

①なんだかんだ言っても、今後の(両国の)経済発展が大事だよね
②サンフランシスコ平和条約と日中平和友好条約の中で、戦争補償についてあいまいにしてあげてることもちょっと考えてよね。
③国内を統一するために反日教育してきちゃったというウチの事情もちょっとは理解して欲しいな。あんまり逆撫でされると困るんだよね

という含意があるように思う。

*************************
【4/28補訂】
その後よく調べたら日中共同声明の第5条に
「中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。 」
とあります。
なので、②は誤りですね、訂正します。
*************************



また、新華社通信も「日本が歴史問題や台湾問題で過去の約束に背いたことは、中国やアジアの国民の感情を傷つけ、大きな不満を引き起こした」との中国側の主張を報道。一方で、胡主席が「中日関係の悪化は両国に不利なだけでなく、アジアの安定と発展にも影響する」などと述べたと強調、全体としては日中関係改善に力点を置いた伝え方になっている。(サンケイ新聞(共同通信配信)による)というように、かなり配慮している。


つまり、中国は「政権の権威が傷つくようなことをされると困るけど、多少の民衆の騒動はコントロールするよ」というサインなのではないか。

基本的にはこの線に乗っていくのが正解だと思うし、中国政府が過剰にdemandingになってきた場合には、都度しっかり釘をさせばいいと思う。

これに関して、町村外相が「反日教科書」に改善求めるというような発言をしている。
小泉首相との不仲も噂されているが、まあ、これくらいのジャブは必要だと思う。


こうなると、小泉首相の靖国参拝問題が焦点になってくる。


※以後(気が向いたら)次回へ続く(続かなかったらごめんなさい)
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大人の対応が必要だと思います。(日中関係 その1)

2005-04-13 | 日中関係
ここ数日、中国のデモが話題になっている。

暴徒から在中邦人を保護するのは治安維持をする中国政府の責任か、
はたまたデモの原因である日本の責任か、
などと両国政府の間で議論が交わされている(のかな?)

そもそも今回のデモのきっかけは何だったかというと、日本の教科書検定が歴史を歪曲している、ということだったと思う。

そこで考えてみると

そもそも日本の教科書検定内容を知るためには中国国営メディアが報道しなければ市民はわからないはずなので、きっかけは中国政府の誘導だったんじゃないだろうか

しかし、日本の教科書検定制度は、「検定を通らなきゃ教科書として売ってはいけない」というだけで、教師が実際に教科書の内容を教えようが教えまいが自由だし、副読本の選定も自由。
そこは、(多分)国定の教科書とカリキュラムのある中国と違う
⇒善意に解釈すると誤解があるんじゃないだろうか

また、昨日の朝のTVでやっていたけど、デモのプラカードを見ると「日本の国連常任理事国入り反対」とか「釣魚島は中国領土だ」とか、もともとのきっかけに関係のないものが多い
⇒このデモは組織されたものではないか?

となると、このデモを「中国民衆に反日感情型が高まっている」と評価するのは本当にいいのだろうか?
という疑問が湧く。

米軍のイラク侵攻のときも、バグダッドでサダムフセインの像を壊して喜んでいた映像は、ごく一部の市民を撮ったものだった、ということがあったけど、今回のデモも、「中国全土が反日感情に沸き立っている」と思うのは早計ではないか。


今回のデモは、中国政府が日本への牽制と、(ひょっとすると)国内のガス抜きのため、と考えた方がいいのではなかろうか。


中国政府はことあるごとに日本の「戦争責任」を言うが、
調べてみるとそれは、日中関係が戦争責任について国際法上けっこうあいまいなことになっていることが原因らしい。

そもそも終戦時連合国は中華民国だった。
しかし、サンフランシスコ平和条約調印の際には、中華人民共和国が並存していたので、代表権問題で米英の意見が一致せず、会議には双方とも招集されていない。

したがって、両国とも同条約第25条に定める「この条約に署名・批准した連合国」に当たらないため、
同条約の効力は両国に及ぶことはない。

その結果、同条約第14条【賠償、在外財産】
(a)日本国は、戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して、連合国に賠償を支払うべきことが承認される。しかし、また、存立可能な経済を維持すべきものとすれば、日本国の資源は、日本国がすべての前記の損害及び苦痛に対して完全な賠償を行い且つ同時に他の債務を履行するためには現在充分でないことが承認される。
 よって、
1 日本国は、現在の領域が日本国軍隊によつて占領され、且つ、日本国によつて損害を与えられた連合国が希望するときは、生産、沈船引揚げその他の作業における日本人の役務を当該連合国の利用に供することによつて、与えた損害を修復する費用をこれらの国に補償することに資するために、当該連合国とすみやかに交渉を開始するものとする。
(中略)
(b) この条約に別段の定がある場合を除き、連合国は、連合国のすべての賠償請求権、戦争の遂行中に日本国及びその国民がとつた行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事費に関する連合国の請求権を放棄する。


という条項も日中両国間には適用されない。


また、過去中華民国と締結した「日華平和条約」(日中共同声明により失効)、および中華人民共和国との間の「日中共同声明」「日中平和友好条約」のいずれにもサンフランシスコ条約第14条に該当するような規定はない。
(日中共同声明に「日本側は、過去において日本国が戦争を通して中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。」という記述があるだけ。これは、田中角栄と周恩来の国交回復を最優先にした「大人の解決」の結果だと言われている。)


つまり、中国政府としては、ときどき「戦時賠償カード」をちらつかせて、日本政府を牽制する必要があるわけ。
*************************
【4/28補訂】
その後よく調べたら日中共同声明の第5条に
「中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。 」
とあります。
なので、ここは「戦時賠償カード」というのは適切ではないと思います。
あえて言うなら「戦争責任論」でしょうか。
*************************

だとすると、過剰反応は禁物だと思う。
かといって完全無視だと中国政府も面子が立たないだろうし、逆に沈黙を弱腰と勘違いしてより居丈高に凝られても迷惑なので、「遺憾の意を表す」とか「やりすぎたら怒るぞ」程度の意思表示(ジャブの応酬)は必要なんだろう。

そして、中国側があまり調子に乗りすぎた、と思ったらしっかり釘をさすことも必要だろう(多分、彼ら自身とか国際世論が「あ、やりすぎだな」と思った瞬間を捉えるのが効果的だと思う)。


日本政府もバカじゃないんだろうからその辺は承知で外交的駆け引きをやっているんだと思う(のだけど)。


だから、僕らも、マスコミにおどらされず、大人の対応をしたほうがいいと思うのだが、いかがでしょうか?
コメント (3)
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