一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『薬指の標本』

2014-08-22 | 乱読日記
久しぶりに小説らしい小説を読んだ。

小説を読まなくなって久しいので、気分転換にとみんなのミシマガジンで紹介されていたのを衝動買いしたのだが、そもそも作者の小川洋子は、ググってみると『妊娠カレンダー』で芥川賞を受賞(そういえば記憶にある)『博士の愛した数式』で読売文学賞、本屋大賞を受賞し映画化もされ(これも観ていないが覚えている)本作『薬指の標本』はフランスで映画化されているわけで、今まで読まずにごめんなさい、という感じの有名作家らしい。

まあ、そんな先入観なく読んだので、素直に楽しめたのはもっけの幸い。

独創的な物語を作ってそこに読者を引き込む、という冒頭にも書いたが王道を行く小説で、この作品は(文庫に中編2編収録)両方とも女性の身体感覚の描き方が(男の自分にとっては)新鮮だった。

ほかの本も読んでみよう。




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『文明崩壊』追記、または『里山資本主義』

2014-08-21 | 乱読日記
先日ふれた『文明崩壊』で現代の中国とオーストラリアの農業の持続可能性について触れた部分が面白かったので追記。


中国

・人口ボリュームが国土の環境負荷の限界を超えている。具体的には水資源、森林資源、耕作適地(地力)が問題
→三渓ダムにより下流水域の水供給(結果としての栄養供給)が細ったこと、非効率な灌漑・施肥などの耕作技術など、工業による環境汚染を除いて農業政策としても問題がある。

・現在でも熱帯雨林の輸入など環境破壊を輸出しているが、さらに先進国並の生活を求めるとなると、他国への影響が懸念される。
←人口問題はよく言われていることではあるが、一方で地力を細らせている方向に政策がとられているのであればさらに深刻。


豪州

・もともと豪州は農業に向いていない。
→もともと土壌の栄養は火山の噴火や氷河の浸食などによって長年堆積して得られるものだが、豪州大陸にはそれらがなく、限られた表土しかなかった。しかも小雨のため塩害で農地は年々浸食されつつある。

・その中で英国からの入植者が樹木を伐採し、羊を放牧し、外来種を導入したたことで貴重な表土が失われた
→羊の過放牧による草地の砂漠化、羊のこのまない外来植物の繁殖、ウサギ(天敵がないため加速度的に増殖し植生へのダメージ大)・キツネ(在来種の捕食)の導入などが原因

・その結果、豪州で農業は単独では成り立たない産業になっている。
→たとえばオレンジはブラジル産の濃縮果汁に席巻されてしまったし、ベーコンなどはカナダ産との価格競争に勝てない。農業に適した土地はパース周辺とアデレードなどの南部の一部に限られている。また、土壌の栄養価が低いので沿岸漁業も資源の再生産力が低い。



TPP議論などで豪州の輸出競争力への対抗とか日本の農業の生産性強化が議論されているが、この辺を読むと「農業の六次産業化」とか生産性の向上以上に「サステナブルな農業生産力の維持」が重要になってくるように思う。
特に日本は水資源や土壌の栄養(その結果近海漁業資源)にも恵まれているという意味では中国や豪州(それに水資源の点では米国西海岸)よりもアドバンテージがあるわけで、長期的な国家戦略としてはその部分を強化する(少なくとも短期的な経済原理だけでは放棄しない)ことが大事なのではないか。

もっともこれは昔ながらの棚田や小規模農家を守れという話ではなく、河川の水利権や地下水利用について農業・工業・家庭利用含めた最適化をするとか、流域全体の化学物質のコントロールや富栄養化対策をはかるとか、森林の維持コストをどう社会で負担してゆくかというあたりを含めて議論すべき問題だと思う。

『里山資本主義』もそれがさかんになった場合の自然資源の地域における配分が(もし盛んになった場合には)次の問題となってくる。著者にはそのあたりの分析も期待したい。


「食糧安全保障」というと生産力(≒担い手の維持)に、「国際競争力」というと価格と品質にフォーカスされるが、もう少し広い枠組みでとらえることも必要なのではないか。

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『中国停滞の核心』

2014-08-20 | 乱読日記

『中国台頭の終焉』の著者の続編。

前著の指摘通り、中国経済は減速しつつあるが、その中で中国がどういう方向を目指そうとしているかを分析している。

 「経済成長」は問題だらけだった中共統治の唯一の取り柄だった。それが行き詰ってしまったことは、中国政治の方向を大きく変えつつある。2013年11月に開催された三中全会が改革派の主張を数多く取り入れた「全方位」の改革になったことも、体制内の危機感の強さから説明できると思うが、決まった改革がどういう内容のものか、実行の難しさは那辺にあるのかを・・・本書では丁寧な解説を心掛けた。  

私は「経済屋」で政治は専門外であるが、今回は政治や外交についても、あえて「領空侵犯」を試みた。・・・習近平主席が短期間に権力基盤を強化したことも、習主席に毛沢東ばりのカリスマがあるからではなく、体制内に広がる危機感が習主席を押し上げたからだと考えている。

興味深かったのは、中国には「単一王朝」という「経路依存性」があるという指摘。
もともと中国は広大な国土であるため、歴代王朝は「県」単位の街にしか政府機能を置かず「市・鎮・村落」には関心がなかった。また人についても四書五経に通じた知的エリート層の「士」ろ圧倒的多数の「庶」に分かれる中で、地方では士を地域リーダーとしたり、農村部の血族集団、都市部の同業者集団などの中間団体が権力と人民を接続する役割を果たしてきた。
つまり中国では伝統的に皇帝と人民の間には官僚と中間団体しかいない、そいう統治構造であり、その結果「単一王朝」への求心力・経路依存性が強い。

なので、孫文の民主主義よりは毛沢東の共産主義の方が中国にマッチしたという分析は大胆ではあるが非常に面白い。


内容的には三中全会で打ち出された方針とその背景、実現へのハードルが詳述されている。 三中全会については、新聞・雑誌記事経由でしかなぞっていなかったので、詳しく知るいい機会でもあった。


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『里山資本主義』

2014-08-18 | 乱読日記
『デフレの正体』の藻谷浩介氏の近著(といっても1年前だが)

『デフレの正体』では人口減少の経済への影響を分析したが、本書では、地域経済を中心とした新たな経済活性化の新しいモデルを具体的な事例を紹介しながら問題提起している。

かいつまんで言えば、経済が高度化した結果、資本が自己増殖を目的化してしまい、資源の効率的な配分という機能を特に地域経済では十分に果たさなくなっている。
地域での物々交換やエネルギーの自給、「顔の見える商品」の提供など、地域が「全国区の経済」から自立することが経済活性化のポイントになる、という主張。


「グローバルサプライチェーン」などとものものしく言うが、たとえば枝豆について言えば、中国で作って冷凍加工して船で輸送して物流センターを経由してスーパーの店頭に並んだものとの価格競争をするために、売値から逆算すると物流コストを引いた出荷価格はとても安いものになって、農作物としては生計が成り立たたない、ということが起きるなら、地域で流通させればいいではないか、ということ(枝豆の例が自分で考えたので適切かは不明)。

「農業の6次産業化」が言われているが、そういう既存の流通システムに乗せた「高付加価値化」でなく地元で回す「0次産業化」という道があってもいいと思う。
農業の規制改革で兼業農家が悪者にされているが、確かに戸別所得補償制度の恩恵を受けるためだけの農業生産や相続対策や節税のために「農地」(じつはこの認定基準はあいまいらしい)を維持しているのが問題なのであって、兼業で補助金などなしに成り立つのであればだれも文句は言わない。

本書では岡山県真庭市のバイオマス発電の話も出てくるが、エネルギーについてはローカルでの供給の効率性が認識されつつある。
電気の分野では東日本大震災以降、家庭での太陽光発電の導入が加速されている。これはもちろん固定価格買取制度や補助金の影響も大きいだろうが、長い経路をかけて供給を受けることのリスクも認識されているのではないか。
また、燃料電池やオフィスビルでのコジェネレーション・システムの導入は、BCPだけでなく発電時に発生する熱を熱源として利用することでエネルギーの利用を効率化するという観点からも注目されている。
(以前聞いたのですが、家庭でのエネルギー使用の6割が給湯に使われているそうです。)


本書は「マネー資本主義」へのアンチテーゼ風な書き方になっている(これは共著者のNHK取材班が最近「マネー」を目の敵にしていることの影響かもしれない)が、逆に里山資本主義は「グローバル・サプライチェーン」「全国ネットワーク」の非効率性をついた裁定取引の試みとしてとらえてみるのも面白いかもしれない。


少なくとも、どちらの立場に立っても、統一地方選を前に言い出された「ローカル・アベノミクス」「地方創生」は危ない匂いがすると思うのだが。





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『文明崩壊』

2014-08-17 | 乱読日記
『銃・病原菌・鉄』同様、積読・熟成に数年かけてしまったのだが、今読んだ方がよかったかもしれない。

一言でいえば、過去から現在に至る様々な文明や国家・都市が、環境変動、構成員の外部不経済や単なる浅慮、はたまた外部から移住した民族固有の文明とのミスマッチによる資源の収奪により環境の持続可能性を損なって崩壊していった過程を、該博な知識をもって分析することで、環境問題の重要性を説いている。

今でよかった、というのは、地球温暖化であったり、化石燃料や水資源の枯渇であったり、往々にして環境問題は(「環境」問題という用語にもかかわらず)一つの要因をもって語られ、それがブームになることが多い(ちょっと前でも「シェールガス革命」が石油資源問題を解決するという話が出てきたし、一方で現状維持がすべての解決策になると唱える人も多い)。

本書は、環境問題はそんなに単純なものではないし、脅威の種類もその要因も様々であるということを明らかにしている。
何しろ最後の方で環境問題を分類するのに12のグループに分けているくらいだ。
ちなみにそれらは、天然資源の破壊・枯渇、天然資源の限界、人類が生み出した有害物質、人口増加などの要因に関連している。

著者は具体的な解決策を提示しているわけではなく、地球環境を人類共通の公共財として考えることが大事だ、という至極真っ当なことを説いている。
そのこと自体は昔から言われてきたことではあるが(「宇宙船地球号」というフレーズは子供のころからあった)、そのためには長期的・多面的視野と政治的な成熟が必要という、じつは人類にとって一番難しいことが必要、ということが再認識できるだけでも(かなりの大作であるが)この本を読む価値はあると思う。

上巻の冒頭は、モンタナの自然破壊の話からはじまり、イースター島ではモアイ像を建立するために石材移動用のコロに使うために島中の木を伐採してしまったために表面土壌が流出して食糧維持が難しくなってしまったとか、マヤ文明からアイスランド、グリーンランドのバイキング、スマトラ島やドミニカなど延々と続くので、途中で飽きてしまうかもしれない(実際自分はそれで何度か中断してしまった)のでご留意を。






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『金融の世界史』

2014-08-15 | 乱読日記
本は読んでいたもののブログにアップしておらず、時間がないのか、気力がないのか(夏バテ?歳?)反省しながらも放置していたのですが、夏休み期間にまとめて在庫一掃します。

まずは簡単な奴から。


金融・広くはモノとカネ(古くはモノとモノ)の仲介機能や会社(共同投資や出資)、市場が形成されてきた歴史を古くはメソポタミア文明まで遡ってまとめた本。

もともと新聞の連載コラムだったので、細かく章に分かれていて、拾い読みもしやすい。


個人的には『明日を拓く現代史』ではアメリカが基軸通貨の地位をイギリスから奪ったブレトンウッズ体制の構築が詳しく語られていたのですが、本書ではスペインから独立したオランダ、そしてイギリスと経済の中心が移るところが興味深かった。




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『グランド・ブダペスト・ホテル』

2014-08-14 | キネマ

『ロイヤル・テネンバウムズ』や『ダージリン急行』のウェス・アンダーソンが監督・脚本を手がけた作品。

CGや大げさなセットを使わなくても、ストーリー次第で面白い映画は作れる、という意気込みは本作からもうかがえるし、あえてチープなセットとコミカルなカット割りを多用したところも面白い。
ただ、ちょっとくどかったかな、という感じが残念。
今回、役者は大物がかなり登場するので、気を使ったのだろうか。

飛行機の機内で観たので、劇場であれば印象は違ったかもしれない。

「グランド・ブダペスト・ホテル」予告編

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『ゼロ・グラビティ』

2014-08-13 | キネマ
宇宙空間というものはもちろん体験したことはないのだが、その手の機器の設計をやっている知り合いの話だと無重力の空間では動作の慣性をいかに制御するかが重要らしい。
その意味で、実際こういう風にものが動くんだろうな、というところは非常にリアリティがあった。
どうやって撮影したのか、どこまでがCGなのか非常に興味があるところ。
(レンタルのDVDには特典映像がないあたりが商売上手でもある)
俳優は2人しか出ていないし、あとは声の出演なのでCGが予算の大半だったのではなかろうか。

ストーリーとしては脱出ものだが、ストーリーよりは映像を楽しむ映画で、宇宙空間の描写だけでなく、米露中各国の宇宙ステーションの中の浮遊物や置物などの小物(けっこう笑える)とか、船内のディテールも非常に凝っている。

ストーリーに敬意を表するとするならば、原題の『Gravity』のままで、あえて邦題の『ゼロ・グラビティ』とする必要もないとは思うが、楽しみ方の視点としては間違ってはいないと思う。






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