一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

今年最後の雪

2004-12-31 | よしなしごと
休暇中のメールを処理するために出社。

期待通り、留守中にも他のスタッフがきちんと仕事をしてくれていたようだ。
案件の展開でいえば
上々    3 
想定どおり 3
苦戦    2
という感じで、まあ善戦でしょう。


昼ごろ会社についた時は、まだ曇り空だったのだが、仕事中にふと外を見ると、雪が本格的に降りはじめていた。
3時間くらいでひと段落着いたので、車が動くうちにと3時半ごろ帰り仕度を始める。

外に出ると強風とみぞれに変わっているが気温は凍て付くように寒い。

路面もザラメ状態で、轍がないところはちょっと心配。

都内はどこものろのろとした走行。

首都高速が通行止めで東名・中央高速の帰省客も下におりているせいか、渋谷の3kmほど手前から渋滞。
抜け道を回るが、今度は積雪で運転に要注意。
ということで、けっこう時間がかかってしまった。

帰ってきたら、マンションの玄関に雪だるまがいた。

雨が早くやめばいいな、とそれまでと反対のことを願った。
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営業部長

2004-12-30 | おイヌさま
犬を預けていた実家に引き取りに行った。


さすがに1週間では飼い主のことは忘れないようだ。
嬉しがってぐるぐる駆け回って、挙句の果てにちびったりするのを見ると、やはり可愛いものだ。


最初はいろんなところでウンチやオシッコをして困ったらしいが、
よくなつくし、出かければ玄関で待っているし、夜はおとなしく寝るしと、情が移ったらしい。
ウンチやオシッコもきちんと所定の場所でするようになったとか。


どうもこいつは外面(そとづら)がいい。

他所のヒトには愛想を振りまくし、決してほえたりしない。
子供に触られても尻尾を振るくらい。
なので散歩では人気者。我が家の営業部長の異名を持っている。


しかし、その実、けっこう自己中な奴でもある

たとえばボールを投げると喜んでダッシュして取ってくるのだが、途中でヒトのことをチラッと上目遣いでみると、フイと横に歩いていってこっちに渡さない。
家でも愛想を振りまいてとても可愛いのであるが、意趣返しのように意表をついた場所にウンコをする癖がある。


これは単にしつけに失敗しただけ、とも言えるが・・・


なので、帰り際に「そのうち慣れてくると図々しくなってくるよ」と言おうとしたが、
また預かってもらえなくなえると困るので、黙っておいた。
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どこもかしこもコンテンツ不足

2004-12-29 | よしなしごと
パリのホテルでTVをザッピングしていたら、「クイズ$ミリオネア」とまったく同じつくりのクイズ番組をやっていた。

セットや画面構成、ヒントの出方までそっくり。
司会者の面構えまで似ているところが笑える。

帰国してフジテレビのサイトを調べてみると、「1998年イギリスで制作された『WHO WANTS TO BE A MILLIONAIRE?』の完全日本版」と断り書きがあった。

もともとはイギリスがオリジナルだったらしい。

フランスも日本も、外から計算できるネタを買ってきたほうが手っ取り早い、ということか。

ちょっと寂しい。
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ただいま

2004-12-28 | うろうろ歩き
長期休暇第2弾から帰ってきました。

パリ23:15発 成田19:00着という便のため、乗ってからいきなり5時間ぐらい爆睡出来たので、12時間弱(追い風なので行きよりチト早い)の飛行時間もさほど苦にならず。

映画の「ターミナル」ネタの繰り返しになるが、シャルルドゴール空港(CDG)の馬鹿広さに比べると成田の小ささは逆に驚異的に思える。ちょっと成田では暮らせなさそう。
何しろCDGはターミナルが3つあって、エールフランスなどのメインのターミナル2だけで成田の2つのターミナルを合わせたより大きい感じ。
円形のターミナルビルにエスカレーターが縦横無尽に行き交うことで有名になったターミナル1だけでも十分大きかったのに、「ヨーロッパのハブ」としての意地を見せている。

ちなみにターミナル2もターミナル1と同じポール・アンドリューの設計だそうです。
でも、空間を広くかつ解放的にしようとすると、構造部分を外側にもってくることになって、結局レンゾピアノの関西国際空港と似たような感じになっちゃってるなとも思うが、デザイン的には好きである。
やっぱりその国の顔となる空港は未来っぽくなきゃ。
(ターミナル3というのは普通の四角い建物だったけど)

そうこうしているうちに成田に到着。
周りに乗っていたフランスの高校生の修学旅行風の団体は、日本に行くのかと思ったらそのまま国際線乗り継ぎゲートに行った。
韓国にでも行くのだろうか。いずれにしろエールフランスの直行便のないところなんだろうか。


空港出口で駐車場サービスから車を受け取る。実質ホテルから家まで空港のカートに載せる以外は荷物を持他なくて済むのでとても楽チン。
帰りの高速も仕事納めの日だったせいかガラガラで、あっという間に家についてしまった(飛ばしすぎのため所要時間は秘密)。


これでイベントは終了。
あとは大掃除やらなにやらを。

まず明日は犬を引き取りに行かなきゃ。


留守中、空き巣にも入られず、
ほったらかしの花もどうにか持ったようだ。
越冬のため室内に入れたデュランタだけが、取り込むのが遅かったのか、ガラス・カーテン越しだと日照が不足するせいか、葉っぱがかなり枯れてしまって心配だが、総じて合格点でしょう。


仕事の方もどうにか進んでいるようで、年末年始に打合せ、ということはなさそう。
ま、1日くらいメール処理に会社に顔を出そうか。


旅行のあれこれは明日以降にアップする事にして、今日は寝ることにします
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ルノーは大丈夫か?

2004-12-27 | あきなひ
パリの街を行く自動車を眺めていると、ルノーが意外と少ないことに気がつく。

特にタクシーは、ざっと見た感じプジョー35%、VW(パサート)25%、ベンツ15%という印象で、ルノーは意外と少ない。

自家用車も斬新なスタイルで話題を呼んだアバンタイムは1台も見なかったし、その流れを汲むメガーヌも目立つはずなのにめったに見ない。中高級車のラグナも見ない。
結局小型車のルーテシアとトゥインゴがちょぼちょぼで、プジョーの306やシトロエンのピカソなどのほうが幅を利かせている。
目立つのはカングーなどの商用車とトラック。

日産は復活したが、親会社は大丈夫なんだろうか?

企業のスタンスがものづくりから投資家に変わったのだろうか。
そうだとすれば、親会社が苦しくなったときに日産株を売却する、という可能性もあるだろう。

または、儲かるのは小型車じゃなくてトラックで、日産も欲しかったのは実は日野自動車だけだったのではないか。
確か大型トラック市場は、世界的に見るとベンツとボルボ(=フォード)とルノーとあと何社かの寡占状態らしく、そこでの利益が結構大きいらしい。
なのでダイムラー・クライスラーもここまでなっても(三菱自動車は見捨てたけど)三菱ふそうは見捨てないという。
同じ伝でいけば、日産自動車への投資はそろそろ回収期にはいって、日野自動車のトラック部門だけ持ち続ければいい、という判断もありうるのではないか?

街角を見てのフラッシュアイデアでした。
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おのぼりさん全員集合!

2004-12-27 | うろうろ歩き
今日はチェックアウト(12:00)までにお土産の買い物を済ませ、荷造りをして荷物を預ける。
あとは観光コースをのんびり回ろうとしたのが間違いの元。

ノートルダム寺院では、回廊に登る入り口には50m以上の行列。
結局断念。

そのあとセーヌ川を船でエッフェル塔へ

ところがついてみると、エッフェル塔のチケット売り場(対角線に2つある)がそれぞれ当の根元半周ずつ、計1周分の行列。

クリスマス休暇でパリに来た観光客が全員見物に来たのかと思った。

空も曇ってきて強烈に寒くなってきたので、ここも断念。

フィレンツェでドゥオーモに登っておいてよかった、とか、ルーブルは今日はもっと混んでいるんだろうな~、などと妙な理屈で自分を納得させた。


そういえば「旅の恥はかき捨て」は洋の東西を問わないらしい。

ルーブル美術館はフラッシュをたかなければ写真撮影は原則可なのだが、記念撮影でフラッシュたきまくり。モナリザなどはフラッシュがガラスに反射して見る影もなかった。

オペラ座でもフラッシュたきまくりだったし、空いてる席に安い席からどやどやと押しかけてきたドイツ人のオバサンもいた。


でも、以前に比べるとパリは全体的に観光客に好意的に変わったような印象を受けた。
英語もほとんどのお店で通じるし、要領を得ないことを言っても皆親切。
不景気を経て、観光客にも親切にしていっぱいお金を落とさせたほうが得だ、という路線に転換したのだろうか。

シャンゼリゼのライトアップは有名だが、高所作業車が巡回して切れた電球をこまめに交換しているし、Rond-Point des Champs-Elyseesの広場ではポケットパークが雪景色の装飾を施され、色が順に変わるライティングがされていて幻想的な雰囲気をかもしだしていた(写真)


ひるがえって、東京も「浅草」「秋葉原」「京都」だけでなく外国人観光客を誘致するような工夫をしたほうがいいのかもしれない。
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Kitty≠キティ

2004-12-26 | うろうろ歩き
夕方ポンピドゥーセンターへ。

お目当ては、ブランクーシのアトリエが保存されていると知ったから。
(以前きたときにもあったはずなんだけどね。)

ブランクーシは、20世紀前半の抽象芸術を代表する彫刻家で、現在マイ・ブームのイサムノグチがパリに渡ったときに短期間ではあるが弟子入りして、その創作にかける厳しい姿勢に影響を受けたといわれる。

そのアトリエは天井壁床が一面白く塗られた有名なものだった。
写真家マン・レイは共通の友デュシャンに連れられてこのアトリエを訪れたとき
「どんな聖堂に踏み込んだときよりも強い感銘を受けた。その白さと明るさに圧倒されてしまったのだ。別世界に入っていくみたいだった」(『セルフ・ポートレイト』)と表現している。

ブランクーシはそこで白いスモックを着て、2匹の白い犬を飼っていたという。

本当に実物も真っ白で、天窓の白いすりガラスからの光で輝いている。白以外のものは、白くない作品と工具、それとなぜかあるゴルフクラブくらい。

「最初だからこそ出来るものを大切にせよ。はじめから破棄する試作としてものをけっして作るな。いまより以上の良いものができるとけっして思うな。」
「いまという瞬間こそを最高のものとせよ」
という教えをイサムノグチはブランクーシからもらった「最高の財産」と言っていたそうだが、この教えは凡人にとっても、もって銘ずべし、といえよう。

* ドウス昌代『イサムノグチ 宿命の越境者』講談社文庫 上巻p259~261から引用



同じ入場券で入れるのでせっかくなのでポンピドゥーセンター4,5階にある国立近代美術館にも行く(実際はこっちが先)。

ブランクーシの作品は2点、イサムノグチはテーブルと「あかり」が1点ずつ。
「現代美術」の中に入ると、これらはきわめてオーソドックスな作品に見える。


現代美術は詳しくないが、抽象芸術が「意味」を過剰にとり込んだことで、形式と表現されたものの関係が逆転してしまっていて、「楽屋落ち」のようなものになってしまっているような感じがする。

シャネルの装飾をしたギロチン、とかフィボナッチ数列(1,1,2,3,5・・・と前の2つの数の和が次の数になる数列。自然界に現れたり、数字が大きくなると隣り合う2項のどこをとっても黄金分割比率になること等で有名)の上を歩くワニとか、"Hello Kitty"(写真)とか・・・


"Hello Kitty"を眺めていて、「キティはもっと平べったくなきゃ」と思ったところでふと思い出したのは、東浩之が村上隆には「萌え」要素を捉える能力に欠けている、と書いていたこと。

正確に調べると、村上隆の制作協力者でもあるあさのまさひこがあるイベントで「村上には「オタク遺伝子」が欠けていると述べている」といったことを引用しながら

<そもそも現代美術の批評的な世界では、シュミラークルの生産は「新たな前衛を構成するための武器」と位置づけられている。(中略)その文脈で理解すれば、『DOB』や『S・M・P・ko2』はまさに、オタク的なデザインがもつもっとも過激で無根拠な部分を抽出し、純粋化して作られた作品であり、その点で高く評価されるべき質を備えている。しかしオタクたちにとっては、村上のその実験は、萌え要素のデータベースを理解することなしに、デザインというシュミラークルだけ(まさに表層だけ)を抽出して模倣した、不完全な試みでしかない。>
* 東浩之『動物化するポストモダン』講談社現代新書 p92~94から引用

と述べている。

(ここでは東は、オタク文化の特質として、従来の「オリジナル対コピー」(核にある大きな物語の伝承に成功した「オリジナル」と失敗したコピーの対立)の図式でなく、コピー(二次創作)が氾濫する中で正しいものと正しくないものを判別するデータベース(たとえば「萌え要素」)の共有が大事で、いわば根幹に「大きな非物語」であるデータベースがあり、その同じ情報の表現系としてのシュミラークルがある、という議論をしている。
そして現代社会ではデータベースレベルでの「大きな非物語への欲望」=社会的共感の喪失、とシュミラークルレベルでの「小さな物語への欲求」=「動物的」=直接的に自己の満足のみを求めるによって動かされるという、これはこれで非常に興味深い論を展開しているのだが、それはおいておいて)


そういう意味でkittyを引用することも意味があるのだろうが、表層での差異化が「新たな前衛を構成するための武器」でなく自己目的になってしまったとき、楽屋落ちにしかならなくなってしまうのだろう。

僕は残念ながらそこの違いがよくわからない。




イサム・ノグチ―宿命の越境者〈上〉

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動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会

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右往左往

2004-12-26 | よしなしごと
パリは渋滞+一方通行が多く、タクシーだととんでもない料金がかかることもあるので、移動はやはりメトロ。
ただ、同じ駅とは思えないくらい乗り換えに歩かされることがある。
みんな大江戸線との乗り換えのようだ。

ところでパリの地下は、メトロのほかRERという国鉄系の電車も走っている。
こちらはメトロより治安が悪いと言われているが、試しに乗ってみてなるほど。
走る電車が2階建ての中距離電車のためかトンネルが大きく、駅も天井がなく薄暗い。
人気がなければかなり不安になる。

しかも困ったことに、メトロは右側通行なのにRERは左側通行。
ようやくホームの左側から電車が来るぞ、と慣れてきたのに、ちょいと意表をつかれる。
ドイツなどの鉄道も左側通行だったと思うので、メトロが鉄道の世界では異端なのかもしれないが、道路は右側通行なのだからこれまたややこしい。
テンキーの話もそうだが、日本は道路・鉄道とすべて左側通行で統一が取れているが、フランスまたはEUも域内で統一したらいいのでは?

あ、でも、イギリスがいるからダメか・・・


ここでふと思ったんだけど、飛行機って何で左側からしか乗り降りしないんだろう?
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蒐集への情熱と覇権主義の境界

2004-12-26 | うろうろ歩き
今日はルーブル美術館

pyramideが出来てから初めて行く(いつの話じゃ・・・)
入り口に向かって建物の屋根のところにブリキの太鼓を叩く子供の人形が置いてあり、「テンテンテン」と音を響かせていた。映画へのオマージュなのだろうか?

昔(だからいつの話だってのw)とくらべて展示室がはるかに大きくなり、ガイド・インフォメーションも充実したことに驚く(そりゃ15年前に比べればそうだ)。

正直ルネッサンス絵画は見飽きたので、地下・1階のメソポタミア・エジプト関係を重点的に見て回る。
ちょうど、NYのメトロポリタン博物館からメソポタミア関係の所蔵品の特別展示が来ていた。装飾タイルの色彩やタピストリーが充実していて、楽しめた。
過剰に技巧的でなく、またprimitiveでもない、素直に楽しめる美しさがあって好きである。

エジプト(ここは大人気)の展示になると、石柱や石窟や石棺など、よくもまあこんなものまで持ってきて、というほど大規模な展示に毎度のことながら関心すると同時にあきれる。

財力に物を言わせた収集癖というか、美術的覇権主義というか、何でも気に入ったものは取ってきてしまうという当時のフランスの勢いを象徴する部分なんだろうけど。
この収集癖は、ウイーンの美術史美術館ではもっと顕著で「ハプスブルグ家の威信」を象徴するように、エジプトからギリシャ・ローマのものが略奪といっていいくらいいっぱい並んでいたように記憶している。

これじゃあ、地元の人は怒るよな・・・
テロの対象にならなければいいが
(そのせいか、どこも手荷物検査は厳しかった)

イタリアのもの(またはメディチ家がスポンサーになったもの)を展示しているウフィッツィ美術館はやはり立派だ。


お約束のモナリザは黒山の人だかり。
ガラス越しなのに写真を撮ろうとする人ばかりで、フラッシュの光や距離測定の赤外線ライトで絵が落ち着いて見られない(写真)。

ミロのビーナスやサモトラニのニケ像は彫像なので広いところに展示してあり、比較的落ち着いてみることが出来たけど。記念撮影はここでも大変だった。


同じ階でナポレオンの特別展示をしていて、有名な戴冠式の大作のほか、王冠や衣服も展示してあった。思った以上に小柄な人だったんだな、といまさらのように驚く。

一通り見ると午後になってしまったが、入場者はひっきりなし。
日曜+クリスマス休暇ということか。
展示室のキャパを増やして動線を整理したのは大成功だったようだ。
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オペラ座のガイジン

2004-12-25 | うろうろ歩き
夜はオペラ・バスティーユで「セビリアの理髪師」を観る。
オペラ・バスティーユは1998年にミッテラン大統領時に第2オペラ座として建設された。現在元のオペラ座(オペラ・ガルニエ)はバレエ専門、バスティーユがオペラという役割分担になっている。

オペラ座のHPでチケットが予約でき、事前に自宅に郵送してくれる。
予約したのは1ヶ月ほど前だったが、既に2階席の前列というようなちょっと安くていい席、というのは売り切れ。座席が自動的に指定されるシステムで、空いているとされたのが1階6列目左端(€130)か3階席7列目(€50)かということなので、3階席を選ぶ。

ホテルからタクシーでオペラ・バスティーユへ。
途中いたるところがクリスマスのイルミネーションで飾られている。
また、大きな広場では移動遊園地が設置されていて、回転木馬などがきらきら光っている。

オペラ・バスティーユの建物は国際コンペによるカナダ人の設計らしい。例によって竣工当初は街の景観を壊すなどいろんな批判を浴びたらしい。
とはいいながら、フランス人はエッフェル塔やポンピドゥー・センターなど、新しい建物を立てるときは思いっきり新規な意匠のものを建てたがる。これは既存建物の保存を義務付けられていることの反動か?

個人的にはこの建物は好きである。
外観の趣味はあろうが、内部に入ると、ロビーは上階までの吹き抜け、床壁を構成する白い大理石と外壁ガラスサッシで明るい印象、劇場内部はもちろん黒を基調としながらも、椅子の背や側面に格子状の木がアクセントになっている。ちょっと和風なテイストもある。
全体的に仕上げの質感も高い。

エレベーターのキャパが小さいことや、便所の小便器が単なる「溝」なことなど「おいおい」という部分はあるが、細かいことは気にしない気にしない。

フィガロの結婚は、事前にストーリーを予習していたこと、また話がコメディーで、登場人物のアクションも大きいので、オペラ初心者にも、イタリア語の音楽+フランス語の字幕でもけっこう楽しめた。

クリスマス休みのせいか、観光客と地元の(けっこう子供連れも多かった)人で満席。
ドレスアップした人もちらほらいるが、けっこう普通の服装(男性はジャケット程度女性もワンピースとか)も多く、観光客はけっこうおかまいなしにセーター姿なども多い。

観光客のマナーはどこも同じで、公演中にフラッシュをたく人が多く、幕間に場内アナウンスで注意がされ、場内割れんばかりの拍手(ちなみに写真はカーテンコール時にフラッシュなしで撮ったものです)

帰りはタクシーの争奪戦。
あやうく風邪をひくところだった。
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眺めのいい部屋(パリ編)

2004-12-25 | うろうろ歩き
親切なレセプションに案内してもらい、部屋へ。
オペラ座に面した3角形の街区全体がひとつの建物なので、中は迷路のよう。
部屋はとても広く、バスルームと便所が分かれているし、バスルームにはシャワーブースもある。
部屋は3角形の「Opera Wing」と名づけられた側で、オペラ座に面している。
部屋は2階だが、その分オペラ座見物の観光客が目の前に見られる。
今回の旅行はフィレンツェといいパリといい、眺めのいい部屋には恵まれているようだ。

難点といえば、メトロが真下を通っているので振動が2,3分おきにすることと、排水溝からの異臭があがってくること。異臭は洗面台の排水口を閉じて解決したが、メトロはいかんともしがたい。

細かいことには目をつぶり、ふかふかのベッドで一休み。
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アルプス越え

2004-12-25 | うろうろ歩き
12月25日。クリスマス休日でどこもかしこも休み、ということでこの日は移動日に当てる。
8時半にホテルを出て空港へ。
タクシーの運転手さんは休みだというのに朝からご苦労様。

空港に着いたところ、チェックアウトの際に忘れ物に気がついて、部屋に戻ったままルームキー(カード式でなく現物)を持ってきてしまったことに気がつき、侘びの電話を入れて、空港から郵送することにする。ホテルの勘定書きを入れた封筒が生まれて初めて役に立った。

10:15のエールフランスでパリへ、2時間弱のフライト。
といっても実際はCityJetという会社が運行を委託されている。日本で言えば乗ったことはないが名古屋-仙台便のようなこじんまりした感じ。

今回は昼間なので、きれいにアルプスが見える。

機内はフィレンツェ観光帰りのフランス人1/3、フランス観光のイタリア人1/3、フィレンツェから里帰りするアフリカ人1/3という割合。
アフリカ人の大半はセネガルに帰る団体の若者らしく、このおしゃべりがうるさいのなんの。
まあ、たまの里帰りなんだし、気持ちはわかる。それに地声が大きいのは仕方ないので、まったくわからないアフリカ語のシャワーを後ろから浴びて、異国情緒にひたる。

シャルルドゴールからバスでホテルへ。ホテルの目の前がバス停だったのでちょっと節約。

さすがにパリは大きい。
空港自体も大きいし、市街地に入ってからも街中にたどり着くまでにけっこうかかる。
バスは他のターミナルにも寄ったりして(おかげでターミナル1と3を見ることができた)1時間程度で到着。

到着して、しまった、と思った。


というのは、今回のホテルはネットで早期予約割引があったので奮発してInterContinental Le Grand Hotel Paris、★★★★Lという最高級ランクのホテルを(中級価格で)予約したのだが、入り口を見て「これはタクシーで横付けしなけりゃいかんわい」とちと恥ずかしい思いをする。

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寝クリスマス

2004-12-24 | うろうろ歩き
せっかくだからあとでドゥオーモのクリスマス礼拝を見に行こう、
と思っていた。

夕食後、ホテルに戻ってフロントで礼拝は何時から始まるかと聞いたら、0時ちょうどだ、という。
まだかなり時間がある。


カトリックのミサは司祭がボソボソとお説教を2時間くらい話すもので、あまりイベント的な盛り上げはせず、説教が終わって最後にキリスト生誕の劇をやるという結構地味なものらしい。

しかも、雨が降り出していて、今晩は底冷えがしそう。

さらに、夕食のワインが美味しくて、いい感じで回ってきたし・・・


なので、1時ころ途中参加しても後ろのほうで眺めている分には、顰蹙も買うまい。
それまで部屋に帰って一眠りしよう。
目覚ましをかけて。




教会の鐘の音が深夜に響く


まだ目ざましは鳴ってない。11:45。
ふむふむ、ミサが始まるぞ、という合図なのかな。
じゃあ、もう一眠りできるな・・・



目覚まし。12:45。
うーん、眠い。外は寒そう・・・
もう一眠り・・・



大砲の音が何発か
2:00
あ、しまった!
ミサが終わってお祝い、ということか

でも、仕方がない。
飾りつけは見たし、
耳でクリスマス気分は味わったし、
十分満足満足

おやすみなさい・・・
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阿呆と煙は・・・

2004-12-24 | うろうろ歩き
フィレンツェ2日目
今日はちょっと早起きする。
街はクリスマスイブ。近くのサン・ロレンツォ広場には露天がずらーっと立ち並んでいる。皮製のバッグやスカーフ、Tシャツ、トレーナー、その他小物を扱っていて、何となく浅草仲見世風。
後で冷やかすことにして呼び込みをかいくぐり、歩みをすすめる。

最初の目的地はサンマルコ美術館ベアト・アンジェリコの「受胎告知」で有名。
ホテルから徒歩10分ほど。
フィレンツェの旧市街地は端から端まで2km四方程度ととにかくこじんまりした街なので、徒歩で十分。

途中「85セント shop」という日本で言えば100円ショップ(為替レートでいうとやはり100円くらいなのが笑える)があったので思わず入ってしまう。
中はクリスマスの飾りつけが半分弱を占めていて、かなり人気。そのほかの品揃えは日本のほうが充実している。やはり東南アジアが近くにあるのは強みか。

サンマルコ美術館は修道院を改装してそこの壁画ごと美術館にしたもの。
美術館にはいるとまずは中庭を囲む回廊に出る。
この静かな雰囲気だけでも十分に価値がある。
美術館としての規模はさほど大きくないこともあり、急いで回ろうという気分にもならず、ゆっくり落ち着いた気分で中庭を眺める。

実際の修道院の講堂などに描かれた壁画をみると、ルネッサンス絵画がこうやって発展したんだな、という実感がわく。

2階にあがる階段の踊り場を曲がると、いきなり正面に「受胎告知」が見えてくる。
色使いや人物の表情が不思議な優しさをたたえた絵。
こういう絵が、毎日通るであろう場所(2回は修道女の居室がある)にあるというのは大事なことなのだろう。

2階は天井がなく大屋根の屋根裏がむき出しのかわり、廊下を挟んで壁側の居室部分に天井がある、つまり大部屋の中に小さい蔵がいっぱいつながっている2重構造になっている。
したがってそれぞれの居室はけっこう天井が低い。広さは6~8畳くらいか。
それぞれの部屋の壁に絵が描かれていて、また、小さい窓からはフィレンツェの町並みや中庭が見える。
改装したときに出てきた床下の構造物も覗けるようになっていたり、壁画のレストアの様子を解説していたり(イタリア語だったので写真しかわからなかったけど)、細かいところで親切。

こころ休まる美術館でした。

つぎは徒歩3分のアカデミア美術館。出口は立派だが入り口はふと見落としてしまいそうなほど小さい。
ここはミケランジェロのダビデ像で有名、というかダビデ像の1発芸。

(特にウフィッツィを見た後では)他にとりたてて見るべき展示もないので、ほとんどの人(特に観光客)はダビデ像に一直線。
確かに圧倒的な存在感である。
旅行前に東京都美術館で見たフィレンツェ展で頭部のレプリカが飾ってあったが、それだけでもリアルさと表情の豊かさは群を抜いていた。
それが全身(15mくらい?)で立っている。
今にも動き出しそうな筋肉の表現など、さすがミケランジェロ。

で、ダビデ像の周りで15分ほどしげしげと見つめたり、椅子に腰かけてぽかんと見上げたりして、ここは終わり。

つぎはドゥオーモ(サンタ・マリア・デル・フィオーレ教会)。
本来はここを最初に、というのがフィレンツェ巡りの基本らしい。
大空間を擁した大聖堂というのはシンボルとなる教会の鉄則であるが、フィレンツェのドゥオーモは概観もフィレンツェ様式と呼ばれるけっこう派手目な外皮の装飾をほどこされていて、遠くからだときれいだが、近づくとかなりの圧迫感がある。

中に入ると大空間はそれだけで落ち着くし、厳粛な気分になる。
クリスマスイブなので中央部分にクリスマス礼拝用にイエスの誕生の人形の飾りつけがしてある。
裁断には礼拝用の飾りつけと参列者用の座席もあり、観光客は立ち入り禁止。
天蓋は裁断の上部にあたるので、その天井部分に書かれた「天国と地獄」の絵はちらっとしか見えないのが残念。

ここで一度外に出て、脇の入り口からドゥォーモのてっぺんに階段で登る。
約500段という階段は途中から小さく急な螺旋階段になり、目が回り、息が切れそうになったところで天蓋の内側、「天国と地獄」の絵の下端部分にある回廊にポコっという感じで出る。

ここから下の教会内部を見下ろしたときの達成感(まだ半分なんだけど)と天井の絵の迫力に、登ってきた人々は休憩をかねてしばし佇む。
毎日ここまで登って、しかも一日中上を向いて天井絵画を描き続けた人ってどんなひとなんだろう
、と素朴な感慨にひたっていると、後続が詰まってきたので先に進む。

最後の最後は手すりにつかまってよじ登るようにして外に出る。

「阿呆と煙は高いところに登りたがる」ではないが、街の中心から市内を一望できる眺望に苦労も吹っ飛ぶ。

となりのジョットの鐘楼のほうにも上に登って景色を眺めている人がいた。そっちもほぼ同じ高さ。鐘楼のほうがちょっと低いけどドゥオーモが見られるというメリットがある。まあ、両方登るのはやめにしておこう。

ベンチに腰掛け、しばし景色に見とれながら息を整えてました。
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身の丈にあった街

2004-12-23 | うろうろ歩き
フィレンツェといえばドウォーモとウフィッツィ美術館と言われるくらいの名所なので、まずはウフィッツィ美術館を訪れる。

最初、ホテルからの道を間違えたのだが、そもそもフィレンツェはとても小さな街なのですぐ元に戻れることがわかって安心。
写真のベッキオ宮殿の隣に建物としては地味な大きな凹型の建物がある。

予約がないと並ぶ、予約がないと並ぶと脅かされていたので予約を取って望んだウフィッツィであったが、さすがにクリスマス休暇期間中のためかガラガラ。かえって予約のチケットを入り口と別の窓口に受取りに行くのが手間なくらいだった。

美術館は階段を上って3階(イタリア流だと2階)。回廊だけを見ると、ああ、こんなもんか、と思うが、展示室の奥行きがけっこうある。
ちゃんと日本語版のボイスガイドもあるのでそれを聞きながらゆっくり回る。

展示物だけでなく、建物・展示室の装飾が見もの。
回廊の天井は「グロテスク様式」という。
もともとはイタリアで15世紀に洞窟で発見された古代壁画装飾の名称に由来する。そこから人間や動物、植物を空想的な形態で組合せたファンタスティックな装飾芸術の様式をいう。16世紀以降、イタリアのこのグロテスク模様が周りの国々に伝播した結果、その後文学で「グロテスク」という言葉が用いられるようになったらしい。
なので一般に言われる「グロテスク」の語感よりは醜悪な感じはしない。

また、回廊には内側(中庭に面して)は女性の胸像、外側(展示室側)には歴代ローマ皇帝の胸像が並んでいる。
ローマ皇帝の胸像はなかなかにリアルで、塩野七生「ローマ人の物語」でも引用されていて、そこでの皇帝の表情に現れた性格描写を思い出しながら、なるほど、といちいちうなずくことが多かった。

ルネサンス絵画はやはり15世紀後半から16世紀にかけての、表現が劇的に変わるあたりの表現形式の多様性・百花繚乱が魅力的。

17・8世紀に入ると、メディチ家も勢いではなく蓄積した財力と閨閥にものを言わせようという、お大尽になってしまい、絵画もフランス・ドイツが中心になってくるし、魅力が薄れる。
やはり青年期が一番勢いがあるのだろう。

でも、このあと行ったルーブルとかウィーンの美術史美術館のように「世界中から財力にあかせて古今東西の財宝をかき集めた」というのではなく、自分の身の回りのいいものを集めた、という姿勢が、とても真っ当だと思う。

フィレンツェは、町並みといい、教会や美術館といい、レストランといい、とにかく身の丈に近い、変に威張っていない、自然体で格好いいところがいい。
これは昔の街並みの中に古い建物を改装して暮らしているせいだろうか。


そのあと、アルノ川を渡って市を一望するミケランジェロ広場へ(写真)。

一面に広がる茶色い瓦の間からドゥォーモやベッキオ宮が頭を出している。
市内が立て込んでいる(それも趣があるが)分、こういう街を一望できる場所があるのは住んでいる人にとっても憩いの場になるだろう。

コメント
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