一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『ビジネスをつくる仕事』

2014-03-30 | 乱読日記

著者のブログはかなり前から愛読している。
個人的には同世代ということもあり、共感したり、なるほどと気付かされたり、自らの怠惰を反省させられたりと面白い。

 本書はそのブログの記事などもベースに、「起業」という切り口での著者の考えをまとめたもの。
ビジネスに対するときの「構え」と「引出し」の両方で役に立つところ大だと思う。

「構え」について著者は「よく見て、どこでもやる」と一言でまとめている。  

新しいビジネスをつくるには、まず、様々な角度から、業界の既成概念にとらわれず、先入観を持たずに現実、現場をよく見ることである。そして、どこにいようとも、いろいろなアイデアを出し、たくさん検討し、実行する。チャレンジしなければ何も始まらないし、何も得られない。それもやりつつよく見て、見つつよくやる。見て学ぶことばかりに関心が向いていても、実行ばかりに気がはやっても、いいビジネスはつくれない。見ることと、やることを同時にやらなければ、価値ある経験にならないし、よりよいビジネスにならない。

そして、「構え」とともに、いざ現実に直面した時にさっと対応できる「引出し」についてはブログで好評だった話も含め、著者が経験から得たさまざまなノウハウがたくさん載っている。  
オジサンとしてはなるほど、と膝を打つところも多いが、これから経験をする若い人にとっても、経験という中身の受け皿として、まだ空でもいいからこういう引出しを用意しておくのは役に立つと思う。  
自分の経験が引出に合わなければ、そこで「引出し」を自分なりに変えていく、というのが大事なんだろうと思う。

などと偉そうに言う前に、横着をして普段よく使う引出しを限定してしまって他の維持更新追加を怠っている自分こそ、見習わないといけないのだが。


 

 

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『ニッポンの風景をつくりなおせ』

2014-03-26 | 乱読日記
高知県四万十川の中流域にある十和村に居を構えながら、村おこし・町おこしのためのデザインワークをおこなっている梅原真氏の作品集+エッセイ。
写真も豊富で、見ていて楽しい。

梅原氏のプロフィール・仕事などはこちらを参照。


デザインワークで地域の商品を全国に売り込んだり、地域に人を呼び込もうというスタンスは、ここ数年言われている「6次産業」
を地で行っているわけだが、6次産業化と同時に言われるときの経団連会長「日本の農業を成長産業に」 というような同時に企業の農業への参入を認めればより大きく成長する、というアプローチとは正反対である。

企業の参入な大規模化、集約化による利益の拡大を目的にしているわけだが、梅原氏の手伝っている仕事は、もともと地元にある産品に違った角度から光を当てて売れるようにする、というもの。
地元のいいものをニッチな商品として付加価値をつけることで、それで稼げるようにするという戦略で、いっぱい売れたからといって作付面積を倍にする、とか、大手企業が参入して採算に乗るという規模ではない。
大規模化・集約化というのは聞こえはいいが、現実に日本の地方の多くを占める中山間地(著者の住む高知県は84%が山林)では難しく、そういうところこそ著者のようなゲリラ的なアプローチは有効であると思う。

場所に即した戦い方、というものがあるわけで、こういうところに大企業が入っても、社会貢献なら別として、大企業的に採算に乗るのは難しく、結局規模や高効率を求めて、過剰な設備投資をしたり、無理な拡張を図ったりして失敗しそうな気がする(ベトナムにおける米軍がナパーム弾や枯葉剤を動員しても結局ゲリラ戦に敗れたのと同じ)。

本書にも紹介されているように、地域でも活性化に取り組もうという人は大勢いるわけで、それら地元の人々と著者のような人々が結びついて持続可能な6次産業化をしていくという将来像を想像するのは楽しい。


一方で既存の制度や農協も含めた既存のシステム自体不合理な部分があるわけで、そこには企業が算入してビジネスとして成り立つところはあると思う。

現に既存の制度の中でも、北海道は「市町村別生産数量目標の設定方針」で生産性・品質向上のインセンティブを与え、等級・生産性の高いコメを作っている農家に作付面積を優先的に割り当てて、成績の悪いところは減反を多くするということをしながらブランド米「ゆめぴりか」を作ったりしている。
(参考)
北海道水稲優良品種地帯別作付指標
H26年度市町村別生産数量目標の設定方針(北海道)

また、先日増田寛也元総務相の講演で、地方から都市部への人口移動が収束しないと仮定した場合には若年女性人口の数が減り続けるため、出生率が改善されたとしても現在の3大都市圏以外の自治体の半数以上が消滅の危機にあるという試算を聞いた。
(詳しくは中央公論2013年12月号参照。また概要はこちら参照)
秋田県に至っては1つの自治体以外は全部消滅するという試算だったが、生き残るのは秋田市ではなく大潟村-国家プロジェクトの八郎潟干拓で入植した農家が国の減反政策に反対して自主流通米にいち早く取り組んだ-だけ(=大潟村は人口流出が少ない)、というのも象徴的である。


このような改善の余地のあるところに企業が算入して集約化・効率化を進めれば改善が加速する可能性は高いと思う。
ただ、企業が現在の農協に代わって流通や資材供給や金融を押さえればてっとり早く儲かる、という行動-それは企業活動として合理的である-をとってしまえば、あまり意味はなくなる。
携帯電話市場へのauやソフトバンクの新規算入がNTTの既得権の一部を自らの既得権にして利益を上げるようなもので、それでは生産者や消費者へのメリットは限定的になってしまう。


まだまだ地方にはいっぱいいいものもあれば、農林水産業にもまだまだ改善の余地はあるので、企業の参入と、著者や先日取り上げた田舎のパン屋のような、大きな声と小さな声、大規模地上戦とゲリラ戦、両方がそれぞれ得意なところで活動して、地方経済を支えていくのが理想的な姿ではないかと思う。





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『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』

2014-03-22 | 乱読日記

商品説明(下に引用)では「資本主義経済の矛盾」「田舎暮らし」「食の安全」というウケのいいキーワードが並んでいるので(さらに「マルクス」とくると「革命」と安易なキャッチもいまいちだった)、ちょっと懐疑的に(でもまあ、ミシマガジン経由だったので半分おつきあいで)読んでみたが、(意外といっては失礼ですが)地に足の着いたいい本だった。

詳細な商品説明はこちらから。

 どうしてこんなに働かされ続けるのか? なぜ給料が上がらないのか? 自分は何になりたいのか?--人生どん底の著者を田舎に導いたのは、天然菌とマルクスだった。講談社+ミシマ社三島邦弘コラボレーションによる、とても不思議なビジネス書ここに刊行。「この世に存在するものはすべて腐り土に帰る。なのにお金だけは腐らないのはなぜ?」--150年前、カール・マルクスが「資本論」であきらかにした資本主義の病理は、その後なんら改善されないどころかいまや終わりの始まりが。リーマン・ショック以降、世界経済の不全は、ヨーロッパや日本ほか新興国など地球上を覆い尽くした。「この世界のあらたな仕組み」を、岡山駅から2時間以上、蒜山高原の麓の古い街道筋の美しい集落の勝山で、築百年超の古民家に棲む天然酵母と自然栽培の小麦でパンを作るパン職人・渡邉格が実践している。パンを武器に日本の辺境から静かな革命「腐る経済」が始まっている。

【著者・渡邉格(わたなべ いたる)から読者のみなさんに】
まっとうに働いて、はやく一人前になりたいーー。回り道して30歳ではじめて社会に出た僕が抱いたのは、ほんのささやかな願いでした。ところが、僕が飛び込んだパンの世界には、多くの矛盾がありました。過酷な長時間労働、添加物を使っているのに「無添加な」パン……。効率や利潤をひたすら追求する資本主義経済のなかで、パン屋で働くパン職人は、経済の矛盾を一身に背負わされていたのです。 僕は妻とふたり、「そうではない」パン屋を営むために、田舎で店を開きました。それから5年半、見えてきたひとつのかたちが、「腐る経済」です。この世でお金だけが「腐らない」。そのお金が、社会と人の暮らしを振り回しています。「職」(労働力)も「食」(商品)も安さばかりが追求され、 その結果、2つの「しょく(職・食)」はどんどんおかしくなっています。そんな社会を、僕らは子どもに残したくはない。僕らは、子どもに残したい社会をつくるために、田舎でパンをつくり、そこから見えてきたことをこの本に記しました。いまの働き方に疑問や矛盾を感じている人に、そして、パンを食べるすべての人に、手にとってもらいたい一冊です。

上でも著者自身は別に革命を起こそうとか言っているわけでも、田舎暮らしを手放しで礼賛しているわけでもない。
試行錯誤の結果たどり着いたのが今の形であり、本書は著者のその試行錯誤の過程が描かれているのが本書の魅力になっている。

著者がマルクスから示唆を受けたのは、資本主義経済においては、労働力も他の商品と同様「交換価値」になってしまい(なつかしいが『経済学・哲学草稿』でいう「疎外」「外化」が起きるということ)、その結果生産手段を持つ資本家が超過利潤が集中し、労働者は自らの労働が生み出した利潤を搾取される、というところ。
ただ、

そこでマルクスは、労働者みんなで「生産手段」を共有する共産主義(社会主義)を目指したわけだが、マルクスには申し訳ないけれど、今さらそういう方法がうまくいくとも思えない。それよりも、今の時代は、ひとりひとりが自前の「生産手段」を取り戻すことが、有効な策になるのではないかと思う。

そのためには利潤を蓄積することを目的にせず、従業員にも適切な分配をし、良質な原材料を使った高い原価率の高品質なパンを売る、という今の形にたどりついた。

しかし利潤を出すことを目的としないといっても赤字では商売が継続しないので、そのためには適正価格で(都会のパン屋より高い値段で)商品を売ることも必要だし、商品を売るには宅急便やSNSなどによる情報発信といういわば資本主義の成果も必要であることは否定していない。
そして、パン屋という仕事が原料の小麦や水の調達、蔵付き酵母の存在など「田舎」と親和性の高いものであり、また田舎の生活費が安さなどさまざまなもののバランスの中で今の著者のパン屋が成り立っていることを十分に認識している。

著者の田舎のパン屋は「特殊解」であり、誰もが同じことや似たようなことをすればうまくいくわけではない。その意味では無邪気な田舎暮らし礼賛、自然礼賛、という人には冷や水を浴びせる部分もある。  

「田舎」に住む人たちは、人が「都会」に吸い寄せられていくことに頭を悩ませてはいるものの、かと言って、誰でもいいから人が来てくれればいいとは思っていない。技術もなにもない、なにもできない人間がノコノコやってきたところで、「田舎」のためにはならない。力がなければ「田舎」で生きていくこともできないし、「田舎」に活力を取り戻させることもとうていできるはずがないのだ。

本書で大事なのは「特殊解」を求める試行錯誤をする人が増えることが、世の中をよくすることにつながるのではないかということだと思う。
そのためには資本主義と大上段にいかなくても世の中の仕組みに対して自覚的であることが必要だ、ということを本書は示唆している。


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『銀二貫』

2014-03-16 | 乱読日記
みんなのミシマガジン経由。
普段はあまり縁のないジャンルで、作者の高田郁も含め初めて知ったのだが、書店でも大体似たような棚しかのぞかなくなっているなかでは、こういう本との出会いには重宝している。

amazonや楽天ブックスなどのおすすめは購入・閲覧履歴からピックアップするのでなかなかこうはいかない。


一言でいえば江戸時代の大坂の商家を舞台にした人情話なのだが、「始末、才覚、神信心」という大阪商人の心得を軸に、寒天問屋の商い、大坂の町をたびたび襲う大火、そして冒頭から登場する「銀ニ貫」をめぐる登場人物それぞれの思いを、入念なストーリー立てでテンポよく語っている。

そして「寒天問屋」という設定が最後に効いてくる。
このへんは「みをつくし料理帖」という江戸時代の大坂の料理店を舞台にした小説をものしている作者ならでは、というところか。


作者は泣かせるツボを心得ていて、ベタな仕掛けと承知でも泣かされてしまう。
上の大坂商人の心得同様「真っ当に生きる」ということが清々しいまでに通底しているから、ベタであるほど心に響くのかもしれない。


本書は「大坂の本屋と問屋が選んだほんまに読んでほしい本 」を選ぶ"Osaka Book One Project"の第一回受賞作だそうで、自分の歳のせいで涙腺が緩くなったというだけでもないようだ。




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『法服の王国  小説 裁判官』(上・下)

2014-03-09 | 乱読日記
エリート司法官僚と現場組という異なった道を歩いてきた二人の裁判官を中心に、
昭和40年代から現在に至る司法行政の変遷を重要な判決・事件、政治や行政との関係
をからめて描いた力作。

裁判官は裁判においては独立とはいうものの、組織の中の一人の人間であり、
その欲望と葛藤と矜持を主人公の二人を中心にした群像劇として見事に描き上げています。

黒木亮といえば経済小説というイメージだったのですが、綿密な取材に裏打ちされたであろう
人物造形と構成はさすがです。

長沼ナイキ訴訟や尊属殺人罪の違憲判決などだけでなく鬼頭判事補の事件なども取り込み、
時代の変遷を判例でなく裁判官自体の変化も交え、奥行きの深いものとなっています。

以前企業法務担当だったときも、何人もの裁判官と接する機会がありましたが、
裁判官の訴訟指揮、特に和解への誘導の仕方の違いは
最初から和解しろと面倒くささ丸出しの人から、落とし所を抑えて絶妙のタイミングで切り出す人まで、
千差万別だったと印象に残っていますが、そんな裁判官の質のばらつきの問題なども言及されているあたりも
個人的にはリアリティあふれる小説でした。


PS
最高裁人事や裁判所内での人事粛清や原発訴訟なども含むこの微妙なテーマが産経新聞の連載だったというのにも驚きました。








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吾妻ひでお『アル中病棟 失踪日記2』

2014-03-05 | 乱読日記

このブログを始めた最初の頃に出た『失踪日記』 の続編で、漫画家の吾妻ひでおがアルコール依存症になり失踪、野外生活をしていた時代が描かれた全編に続き、本書では家族にアルコール依存症治療の専門病院に入院させられてから退院するまでの日々が描かれています。

『失踪日記』については
吾妻ひでお『失踪日記』(前編) または宮澤賢治「眼にて云ふ」
吾妻ひでお『失踪日記』(後編)
と、退院直後の日記風の 『うつうつひでお日記』 をご参照。

『失踪日記』から8年が経ってから、つまり退院してかなりの期間が経ってから上梓されたことに象徴されるように、本書は一つの作品として、病棟に入っている自分を含めた患者を漫画家としての視点から描いています。
(巻末の対談でとり・みきも触れていますが、退院したところで終わる本書の最後の大ゴマが象徴的です)

『失踪日記』と異なり、今回は依存症治療の病院が舞台なので、患者が沢山登場します。
そこでは皆アルコール依存症の患者が日常を送っているわけで、依存症が「いい」とか「悪い」 とかではなく「こういうものだ」、という風にリアルにかつコミカルに描かれます。
そしてそれをとりまく病院のしくみとか依存症の人をささえるボランティアの会(2つあってそれぞれ微妙な距離感らしい)の様子も、(多少)面白おかしく描かれます。

アルコール依存症は、何年後でも一度飲むと再発してしまうそうで、巻末のおまけでも酒の自販機と半日にらめっこしたエピソードが描かれていますが、 「中の人」だったころのことを作品として描けるようになるまでにここまでの時間がかかったということは頭の片隅に入れながらも、 ギャグ漫画家吾妻ひでおの復活を喜びながら、所々でクスッと笑いつつ読んでいただきたいと思います。



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『日本農業への正しい絶望法』

2014-03-02 | 乱読日記

数年前に大企業を退職して農業を始めた友人から、今の日本の農業の問題点を鋭く指摘している、と勧められた本。

自分自身は農業についてほとんど知識を持ってはいないのですが、「有機農法・無農薬栽培」の無条件な信奉や 「農業の六次産業化」という企業の掛け声にはどうも胡散臭い、というか主唱者はそれを真面目に信じていそうなだけに危うさを 感じています(そんなにいいものだったら規制(農薬の禁止)なり規制改革なりを強引に進めても、賛同者の方が多いはずなのに)。

農業経済学者であり、また、数多くの農業の名人とも親交がある著者は、現在の「農業ブーム」の誤解や危うさを片端から切って捨てています。

  • 有機栽培といっても処理が不適切な家畜の糞尿を使うと窒素過多になり、品質が劣る。また、そもそも農薬・化学肥料かどうかの境界自体もあいまい。
  • 耕作放棄地は単に担い手不足なだけでなく、転用・転売目的のものも多い。
  • 中国や東南アジアの富裕層向けの「日本ブランド信仰」は永続するものと勘違いしてはいけない。
  • 農業を語るうえで「美しい農家像」というノスタルジーによるバイアスに気を付ける必要がある。 ・そもそも日本の農地法の規制は有名無実化しており、この状態で「規制緩和」をしても非営農目的の農地取得を助長するだけである(農水省OBに聞いた話でも、20年以上前から農業委員会は補助金を受けるということ以外にはほとんど機能していなかったらしい)。
  • JAは非営農関連の事業の方が大きく、また定義のあいまいな準組合員が多数を占めており、もはや農家を代表していない(JAの正組合員戸数は農水省統計の農家戸数をはるかに上回るという妙な状態が生じている)。またJAはすでに政治的にも弱体化している。

こういう状況下で、著者は、現在の「どういう人(または企業)が農業にふさわしいか」という担い手や「大規模化」などの理想論でなく、「それぞれの土地にどういう土地利用がふさわしいか」という土地利用政策に農業政策を転換すべきと主張します。

具体的には

  • あいまいなまま放置されている農地基本台帳を徹底的に見直して、所有者や利用状況を洗いなおして情報公開する。
  • 徹底的な農地の利用規定を作成し(栽培する作物、肥料や農薬の種類や量、共用用水路の利用方法など)、その利用規定さえ守っていれば 誰が農地を使ってもいいとする
  • これにより、より高い地価や小作料を提示できる担い手(=耕作技術の高い担い手)が耕作することが可能になる。 という競争原理を取り入れた方策を提唱する。

これが上手くいくかどうかは素人にはわかりませんが、TPP交渉が推進する一方で(これについても著者は論点がずれていると主張するがここは割愛)、経済団体だけでなく農水省まで「六次産業化」と言っているなかでは、 ルールを決めたうえで参入を容易にし、その代り言い訳を(どちらの側にも)させない、という方法は、やってみる価値はあるように思います。

新書版としては手を広げ過ぎた分、表現が過激だったり、論旨が飛んでいて素人にはわかりにくかったりする部分もありますが「農業(農家)善玉論」にも「悪玉論」にも組みしない主張として、読んでみる価値はあると思います。

PS
それにしても、帯にある「養老孟司さん推薦!!」というのはいまだに効くのでしょうかね?


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