(以下ちょっとネタばれ注意)
主人公はテレビ番組で糾弾されても、議会の公聴会に召喚されても、相手の弱みを突いたり話をうまくすり変えて規制論者をやりこめる、といういわばアンチヒーローなんですが、思わぬ展開から窮地に陥り、会社からも見放され・・・というなかで、家族の支えを軸に自分の能力を生かして立ち上がって行くという風にうまくまとめています。
きれいにまとまりすぎて「読後感」が薄いくらいですが、「よくできた二時間ドラマ」と思えばいいと思います。(半額クーポンで195円だったし。)
主人公の基本技として「タバコは有害ではないというのか?」という問いに対して「喫うか喫わないかは個人の選択でありその自由を奪うべきでない」という論点のすり替えがあります。
ただ、今の日本でこれをやっても、小泉改革以後は悪のキーワードになっている感のある「自己責任論」とされて批判されそう。
日経ビジネス2/22号 「日本の近代史から学ぶ変革期を生き延びる道」加藤陽子東大教授
米国の歴史家、アーネスト・メイの『歴史の教訓』にこんな言葉があります。「政策形成者(policy makers)は、通常、歴史を誤用する」。我々は、自らの都合のいい歴史にのみ、今直面している課題との共通点を見出しがちだ、ということでしょう。
歴史を学ぶには、広い範囲を、公平な解釈に基づいて知っていおくことが望ましい。でも、実社会で忙しい方には、なかなかそこまでの時間はないですよね。ならば、こんな一言だけ覚えておくというのはいかがでしょう。変革期について歴史から学ぶなら、いつ、誰が、何を「捨てたか」を考えるのです。
大雑把に申し上げましょう。歴史上の体制の変革とは大抵、「どうやら、この制度の下では貸したお金は戻ってこないぞ」と思った人が現れた時から始まります。「どうせ返ってこないなら、崩してしまうか」と考えた人が、時代を動かすに足る数に至ったタイミングで、誰でも何がしかは持っている自分の既得権を捨て、「崩される側」から「崩す側」に飛び移った人だけが、次の時代に生き延びた。
「誰でも何がしかは持っている自分の既得権」を捨てる、というところがポイント。他人の既得権を批判しているうちは、そこを自覚できない。
言わずと知れた名作なので、あらすじはYahoo映画でもごらんください。
ジャック・ニコルソンとヘレン・ハントと犬の好演が光ります。
今回気がついたのは、英語が聞き取りやすいこと。
専門用語もスラングも出ず、また登場人物もおじさんおばさんが多いので早口な人もいないからでしょう。
それから1997年の映画ですが、アメリカの医療問題や「クラス」の問題なども象徴的にわかります。
英語の教材としてもいいかもしれません。
「東横線」(東京-横浜)「京阪」(京都-大阪)電気鉄道など起点と終点からとった名称や「羽越」(羽後-越後)本線のように旧国名をとったものが多いのですが、中には当初の計画が途中で頓挫して看板倒れになった路線名もあり、その一つが東武東上線。
もとは東京と上州(群馬県)渋川を結ぶ遠大な計画だったそうです。(現在は埼玉県の寄居止まりになっている)
これに限らず、明治時代にはいろんな地方有力者が鉄道を計画しながらも、資金不足で途中で挫折したり、合併などで路線を延ばしたりと盛んに鉄道投資が行われていたようです。
(Wikipediaの東武東上本線の「経緯」項など参照)
現在の日本では景気の悪化に伴い起業家精神の衰えが憂慮されていますが、明治の頃の方が資本のダイナミズムを感じます。
これは、富が財閥や豪商に集中していて、しかもそれらの会社は株式公開をしていないオーナー企業が多く意思決定が速かったといういわば途上国のダイナミズムなので、現在とは違うのかもしれませんが、そうだとしたらなおさら、中国に抜かれるとはいえ依然GDP世界第3位で個人金融資産1400兆円もの蓄積がある現在において、それにふさわしい資金循環のしくみができているのか、ということを改めて考えさせられます。
と、ここまで書いて思ったのは、明治と現代の違いは富の分布の状態でなく、富の蓄積の仕方にあるのではないかということ。
明治の豪商とか財閥は、明治維新以後にリスクを取って成功した(下世話に言えば「一発当てた」)人なので、新規事業への投資も抵抗感がなかったのではないでしょうか。そもそも明治時代は国自体が日清・日露戦争という国運を賭けた勝負をしていたくらいなので「安全確実な資産運用」などなかったのでしょうし。
一方現在では、個人金融資産はおそらくその大半はまじめにコツコツ働いたサラリーマンの貯蓄だったりするので、そもそもそれを増やすためにリスクを取るというマインドもなく、その代わり高度成長期までは安全確実で高金利の預貯金もあったわけで、そういう風に「しつけられた」お金がいきなり事業資金への投資に向かうことは普通は考えにくいと思います。
こんななかで強引に個人の資金を投資に振り向けようとすると、「皆がやってるから」という殺し文句や、一獲千金の話で資金を取り込むことが主目的のような商売が横行してしまうという副作用が出てきて、それを取り締まろうと金融商品取引法などがより細かくなって、まともな投資商品も「目黒のさんま」状態になってしまう、という悪循環になってしまっているように思います。
個人的には漠然と、「コツコツ型」の個人金融資産はこれからも投資に回らないし、無理に回しても「金融仲介機能」の金融機関に体よくテラ銭を取られて終わりという展開になりそうなので(一般市民がこぞって投資に回って預貯金を引き上げた途端国債が・・・という話は置くとしても)、お金を回すとしたら明治同様一発当てたお金持ちにリスクマネーの供給元になってもらう方がいいんじゃないかと思ってます。
なので、最近話題になっている所得税の上限税率上げはそれこそ所得が表に出るのを妨げる方に働くので逆効果で、どうせするなら所得税率を下げて一定額以上の預貯金に税金をかけるとか、税率を上げるにしてもリスクマネーに回した分は控除や課税の繰延ができるなどのほうが効果があるのではないかと思ってます(後者はマネー・ロンダリングに使われないようにする工夫が必要でしょうが)。
格差を問題にするのはいいのですが問題は格差を固定化するところにあるのであって、浮き沈みのダイナミズムを作って、金持ちには気持ちよく金を使わせた方が得ではないかと。
地図・地形から鉄道路線を味わう本です。
まえがきにもあるように、著者は「鉄道好きの地図マニア」で、プロフィールを見ると趣味が嵩じて地図の研究者(日本国際地図学会評議員でもあります)になったという筋金入りの人です。
線路のルート、トンネルや橋の位置は、土地の形状やそれぞれの時代の機関車の性能や土木技術を反映しています。本書は鉄道線路から、開通時の時代背景を読み解いてゆきます。
鉄道マニアのはしくれとしては「どこに何がある」というところはそこそこ知っているのですが、「なぜそこにそれがあるか」まで掘り起こしている本書の視点は興味の幅を広げてくれます。
著者はそれぞれの鉄道はその時代の技術力や鉄道への需要などを反映したものであるとして、本書の随所で「鉄道忌避伝説」「我田引鉄史観」を批判しています。
そして、線路が迂回していることも、急勾配を回避したり架橋可能な場所を通るための当時の技術を反映したり、もともと複数の私鉄路線を統合したためだったりすることが理由だと冷静に分析します。
先日の工事騒音で牛暴れる、福島県などに賠償命令というニュースなどを見ると「昔は鉄道は嫌悪施設で牛の乳の出が悪くなるなどと言われていた」などと僕ももっともらしく言いたくなってしまいますが、それは俗説であると明らかにします。(これについては別に専門の研究をされている人もいるようです。)
もう一つ、地図マニアの面目躍如たるところは、古い時代の地図との比較です。
古い地図と比較することで、蒸気機関車からディーゼル、電気機関車に変わる中での鉄道路線の変化や、産業の栄枯盛衰に伴う路線の改廃などを詳細に追跡します。
そして、地名に対するこだわりも見どころの一つです。
ちょうど、東京メトロ千代田線の「明治神宮前」駅が3月6日から「明治神宮前<原宿>」に変わります。
マスコミ報道では「明治神宮前」駅は原宿エリアの最寄り駅だが若者への浸透度はいまひとつなので「原宿」に加えることで利用を促すためとしています。
しかし、本書によれば、もともとここは「原宿」の方が由緒正しいのだそうです。
千代田線が昭和47年10月20日に開通した際に原宿駅直近にできたのが明治神宮前駅。建設中の仮称駅名は原宿だったが。わざわざ変更した。これにより従来銀座線で「神宮前」を名乗ってきた駅は表参道に改称している。ついでながら原宿という鎌倉時代以来の由緒ある地名も、昭和42年の住居表示実施の際に、やはり歴史ある隠田(おんでん)の地名と一緒に「神宮前と言う地名らしからぬ地名に変えられた。駅名もそれに影響されたのだろうが、なぜ「原宿」という地名がそれほど避けられたのか理解に苦しむところだ。JRのほうはあの瀟洒な駅舎とともに、ずっと原宿を名乗り続けてもらいたいものである。
本書執筆時には駅名変更の話はまだ出ていませんでしたが、今回の変更は著者も「一歩前進」と納得していることでしょう。
ちなみにWikipediaによると、1938年に渋谷-虎ノ門間が開通したときは「渋谷-青山六丁目-青山四丁目-青山一丁目」というバス停のような駅名だったのが、翌年虎ノ門-新橋間が開通して浅草まで直通運転になったときに「渋谷-神宮前-外苑前-青山一丁目」という名所案内風の駅名に変更し、それが長い間続いた後千代田線の開通に伴い昭和42年に「神宮前」が表参道になったのだそうです。
こんな感じで、(少なくとも鉄道に興味がある人にとっては)面白い話や興味のきっかけになる話が満載の本です。
しかし、依然として高評価が続いているのでとうとう観ることに。
結果的には当たりでした。
ヒース・レジャーだけでなく、脚本とキャスティングの妙を俳優陣の好演が支えた映画です。
善と悪・陰と陽のコントラストを軸に、しかもハリウッド大作であるために人間への絶望よりも希望をちょっとだけ上回らせた脚本と、それを補うように正義の味方としての限界(クリスチャン・ベールといういかにもな好青年のキャスティングもいいです)に対してジョーカーの大胆な描写をすることで作品に深みと迫力を与えています。
ジョーカーはバットマンのいない世の中を求めるが、バットマンはジョーカーがいなければ存在意義がない、という正義の味方の抱える根源的矛盾があります。
さらに、冒頭でバットマンの真似をして犯罪者退治をしようとする偽者に対してバットマンが厳しく諭す場面があるのですが、このシーンが象徴するように、突き詰めていくと正義の味方は一人でないと行けないのか、公権力たる警察との関係をどうするのかという問題に至ります。
結局バットマンは"Dark Knight"になるのが必然なわけですが、それをジョーカーと言う存在が彩ったわけです。
そういう構造から、身もふたもない言いかたをすれば、ジョーカーの方が「役得」なのは仕方ありませんが、それをかなりストレートに描いたところが本作の魅力になっています。
他の出演者も芸達者が多いのですが、特にゴードン警部役を奇人・怪人役の多いゲイリー・オールドマン(本人はジョーカー役をやりたかったに違いない)がやっていて、普通の役も上手いんだと再確認。
それに1998年の映画なのでまだ原題をカタカナにしたタイトルは流行っていなかったのかもしれません。
売れっ子フォトグラファー(ジュリア・ロバーツ)が恋人(エド・ハリス)の2人の子供とともに同棲を始めるが、恋人の離婚した妻(スーザン・サランドン)と子供を巡って・・・という話。
女性二人の好対照なキャラクター・人生観を軸に笑いながらもホロリとさせられる、アメリカン・ホームドラマの良作です。
脚本がとてもよくできていて、二人の子供の無邪気でかつ情け容赦ないセリフが出色です。
スーザン・サランドンがジュリア・ロバーツを評して「(家事は全然ダメだけど)美人でしょ」というのに対して子供たちが「でも口が大きいもん」と言ったところで思わず吹き出してしまいました。
(そこのバランスの悪さが、シリアスな演技をしても大根っぽく見えちゃう理由なんだな、と改めて納得)
種の保存のために遺伝子はランダムに組み合わさるので、特質は徐々に平準化すると言われていますが、遺産だけは残るとろくなことをしないという例になってしまうのかもしれません。
インサイダー取引容疑:ヤマノHD会長らに課徴金
(2010年2月19日 20時08分 毎日新聞)
未公表情報を基に株取引したとして、証券取引等監視委員会は19日、服飾販売会社「ヤマノホールディングス」(東京都渋谷区)の山野彰英会長(70)と関係会社2社に対し、金融商品取引法違反(インサイダー取引)の疑いで課徴金を科すよう金融庁に勧告した。
山野愛子といえば、娘だか孫だかがあとを継いでると思って山野愛子美容学校のサイトを見ても、今回問題の山野彰英氏は出てきません。
もう少し調べるとこんなのがありました。
これによると、彰英氏は三男ですね。
(山野愛子氏に六男がいたことも驚きですが)。
最近は男性のカリスマ美容師が多いですが、「山野愛子」という名前からか二代目は一族の中で数少ない女性である長男の娘が継いでいます。その結果、その他の男衆は会社経営をしているということでしょうか。
この家計図を見ると、ホント男性が多いですね。孫の一人には品川庄治の品川祐がいるのもはじめて知りました。
検索ついでにこんな話も拾ったのですが、Wikipediaの「山野愛子」の項には
実家は東京・向島で洋食食堂を経営していたが、父親は愛人のもとに入りびたり。そんな父の姿に、母親はことあるごとに、「これからは女も自立する時代」と説いていた。
という記載があります。
しかし残念ながら息子達にはその気持ちは伝わっていたのでしょうか。
「唐様で書く三代目」(これはまだ二代目ですけど)にならなければいいですが。
鳩山総理の内部留保課税発言が、特にTwitter界隈で、「総理大臣が会計の基礎も知らないのは・・・」というようなトーンで話題になっています。
ただ
Zoomchaka 何かで内部留保(隠し利益)って書いてあるの見たな。磯崎さんのブログも拝読したのだが、素の一般人からすると、会計用語の問題に矮小化された印象しか伝わらず、説明すればするほど話の頓珍漢さが希薄化するというジレンマ。どうしたもんだ
ny47th 当たり前のロジックを分からない頭の悪い奴が多すぎるといって糾弾したいという衝動は甘美だが、それでも現状を変えたいのなら戦略的な忍耐が必要ということなんだろうな、と、今日のTLを見ながら自分を戒める。
という発言から、批判をするのであれば、ことの問題点を分かりやすく説明できなきゃいかんよな、と考え、会計素人の自分なりにトライして見ることにしました。
(上の引用は真意を私なりに解釈した結果ですし、Twitterでの発言を引用するルールやマナーを良く知らないので、失礼があったらすみません。)
今回の議論の背景にあるのは企業が「内部留保」を抱え込んで、従業員や株主に(ここは鳩山さんと志位さんのスタンスの違いはあるのかもしれません)配分しないのはけしからんから国が税金で召し上げて公平に配分してやろう、という発想なんだと思うのですが、ここで問題なのは
「内部留保のすべてが余分なお金や隠し資産である」というのが、理解として正確ではない
ということなんだと思います。
上のツイートで引用されていた磯崎さんのブログでも
「内部留保」という種類のお金が企業の金庫に溜まっていると誤解している人は多そうです とあるので、多分ここは間違ってはいないと思います。
とあるので、素人の見立てでもそんなに不正確ではないかと。
磯崎さんは、あわせて、内部留保のありかたとして企業が無駄に現金を溜め込んでいる場合もあるので、預金に課税すべきという主張をされています。
そこで貸借対照表の右と左の話が入ってきて素人には若干分かりにくくなってる感じがします。
一方で世の中の多くの人は会計のことは詳しくない(し詳しい必要もない)と思いますので「内部留保」と聞くと、語呂から
「企業が『内部』に『留保』しているって怪しそうじゃね?」
と思う人も多いかもしれませんし、そういう人に「会計の基礎を知ってから首相の発言を評価すべき」と言うのも無理がある、というのが、上のZoomchakaさんの隔靴掻痒感につながってるんじゃないかと思います。
一方で 「企業の内部留保に課税」 首相発言に産業界猛反発で“火消し”(Sankei Biz)の
内部留保は、税や配当などを差し引いた利益を積み立ててきたもので、企業にとっては新規投資などに充てる“虎の子”だ。
というようなくだり(下線筆者)を見ると、
「内部留保のすべてが余分なお金や隠し資産ではない」
「内部留保は企業に必要な資産になっていたり、そもそも現金や預金のように課税されたらすぐに払えるような形にもなっていないことが多い」
というところを誤解している人が多い(上の記事も、内部留保がすべて「虎の子」=へそくりのようにいざとなったらすぐに使える形であるような書き方がおかしい)ように思うので、これについて会計を知らない人にもわかるような説明の仕方を考えてみました。
(これ自体が「トンデモ」になってしまっているかもしれませんので、ご批判をお願いします。または、阿呆なこと言ってるとスルーするなり・・・)
ここでは思いっきり、会社をひとりの人間(狩猟生活をしているイメージ)にたとえます。
生まれたばかりの赤ん坊は、自分では食事を取れないので、お乳をもらったり、食事を与えられたりして育ちます。
自分で食料を確保できるまでは、親から与えられた食料を消化吸収して骨や筋肉にしながら成長していきます。
会社でいえば、創業者たちによる設立時の資本金がお乳で、消化吸収が企業活動、企業規模が大きくなるのが成長にあたります。
ただ、順調に成長しても、まだまだ駆け出しの会社は、企業規模の拡大に現金収入がついてこれないので、原材料の仕入れや設備投資などのお金が必要になるため、増資(株式を発行して資本金を増やす)などの、「親に食わせてもらう」ことが当分は必要になります(複雑になるので、借入金はない前提とします。また、従業員への配分や税金の話も省略します。)。
さて、子供もだんだん大きくなり、一人で獲物を追いかけたりして食料を調達できるようになります。
こうすると、親に食わせてもらう必要はなくなり、ようやく独り立ちができるわけです。
企業で言えば、一定の規模になって、やっと資金繰りも安定してくる状態です。
そのうち狩りもだんだん上手になると、今度は自分が日常生活を送るのに必要とする以上の食料を手に入れることも出てきます。
そうすると、親孝行な青年は、今まで育ててもらったお礼として、余った食料を親に渡すかもしれません。これが企業で言えば配当です。
「いやいやまだ育ち盛りなんだから、親のことなんか気にしないで、自分で食べてもっと大きくなりなさい」と優しいことを言う親は、急成長しつつも配当をしないベンチャー企業を暖かく見守る株主にあたるでしょう。そのかわり、将来もっといっぱい稼いで親孝行をしておくれ、ということですね。
一方で子供の方も、まだまだ身長が伸びるのであればよりたくさん食べなければいけませんし、いっぱい獲物を取るために身体を鍛えて筋肉を増やす必要もあるかもしれません(投資)。
また、親からの援助がない以上、悪天候(不景気)や怪我(事故)で狩りができないときに備えるために食料を蓄えたり(現金や銀行預金を持つ)もする必要があります。
「内部留保」というのは、この日常生活を送るのに必要とする以上に獲得できた食料(利益)のうち親に渡した分(配当)の残りのことをいいます。
ただ、これは常に備蓄食料という形であるわけではなく、成長するために自分で食べてしまって血や骨や肉になっている部分もあるります。
先ほどのベンチャーのように育ち盛りであれば、余分に取れた分の食料も(内部留保)は全部食べて血や骨や肉(工場や機械設備や原材料仕入れ)に変わっているわけです。
つまり、過去の内部留保の総量=親の食料援助がなくなって以降身体の大きくなった分+手持ちの備蓄食料、ということになります。
なので、株主(親)が去年の内部留保(余った食料)をよこせ、といっても、すぐに渡せる状態(現預金=備蓄食料食料)にはないことも多いでしょうし、過去に遡って全部よこせ、と言われたら、これは到底無理ですね。
(「誰のおかげでここまで育ったと思ってるんだ」という過去の清算を一気に迫るような親の言動がNGなのと同根ですね。)
鳩山発言に戻ると、内部留保に対する課税というのもこの「内部留保を吐き出せ」というのと同じなので、税金で取ることが企業の成長(=将来の税収増)を考えたときに本当に適切なのか、とかそもそもすぐに税金を払えるような現金になっていないじゃないか(借金してまで税金を払わせるのか)、というところで批判が多いわけです。
(血や肉になっている部分の一部の血だけ抜き取れ、と言われても無理だろ、というのは『ヴェニスの商人』のポーシャでなくても言いたくなると思います。)
もっとも人間でも、過剰に心配性だったり単なるケチでで不必要に食料を溜め込む人もいるでしょうし、成長につながらない暴飲暴食をして筋肉の代わりに脂肪がたまってメタボになってしまう人もいます。
前者はいわゆる無借金会社会社ですが、これも度を越すと資金効率が悪くなってしまい、決して褒められるものではありません。
後者はもっと悪くて、過剰に豪華な社長の社宅とか保養所名目の別荘とかフェラーリとか自家用ジェット機などの(多くの場合は)企業収益に貢献しない資産に化けているケースです。
こういう会社は確かに健全ではないですが、それでもそれは課税で解決することではなく、株主(育ての親)が言うことのように思います。
かなり長くなってしまいましたが、ここまで読んだけど例えが悪くてかえって分かりにくかったらごめんなさい。
ミシェル・ロドリゲスは目付きが悪くて態度も悪げなところが存在感があっていいんだけど、ここではチョイ役。
子どものころに日本でもやってた『特別狙撃隊S.W.A.T.』のリメイクなんですね。
冒頭のテーマ音楽が同じで懐かしかった。
まあ、話としては手堅くまとめた感じで、むちゃくちゃ残虐なシーンなどもありません。
サミュエル・L・ジャクソン、コリン・ファレルなども出ていて、気軽に楽しめる映画ではありますが、記憶には残らなそうです。
ところで、ストーリーは、護送中のマフィアのボスが「俺を逃がしたら1億ドル払う」というところから急展開するのですが、1億ドルなんて巨額すぎてかえって現実味がないですね。
先払いでないと安心できないので現金でもらうわけにも行かないし、送金を扱うアングラな銀行とか持ってないとだめだし、その銀行だってマフィア側に寝返りそうだし。
結局、自分を裏切らない関係者がいて、いざとなったときに自分で保全したり対抗措置を取れる範囲の金額でないと扱うべきでないということでしょう。
地獄の沙汰こそ金次第なのかも。
考えてみれば、ボスも部下に指示して「1億ドル使っていいから助け出せ」って言ったほうが確実だったのではないかな。
ただそれは安心していられることではなく、間伐をされずに放置されている山が増えていること、そして国産材の切り出しの生産性が低くさらに流通経路が未成熟なために輸入材にか価格競争で負けているので完成材の出荷も頭打ちになっているからです。
そしてその原因には、補助金でがんじがらめになった林業の現場があります。補助金をいれてやっと収支がトントンになるという構造から補助金に依存する一方で、補助金制度はものすごく細分化され複雑化しており、林業の効率化や現場の安全に役立っていないといいます。
たとえば林道の整備率は国際的にも圧倒的に低い一方で、補助金で購入した外国製の高性能機械が雨ざらしになっている、自治体の担当者も法律や政令を理解して解釈運用し、報告書を作るので精いっぱいで現場の改善まで手が回らない、というような現状があります。
日本や外国の林業の現場に入って研究をする著者の話を聞きにきた林野庁の担当官が、話を聞き終えて「生々しいお話で」という感想を述べた、というエピソードがそれを象徴しています。
著者の話はさらに、国産材を生かした伝統的な建築の継承を阻む建築基準法の問題点などまで広がります。
現状への憤りが前面に出て筆が走っている部分もありますが、それも含めてほとんど取り上げられない、または表面的・情緒的にしか取り上げられない分野の問題提起としては重要だと思います。
こういう本を読むと、乱立気味の新書にも意味があるな、と思えます。
企業も「木を植える」だけでなく「森を維持する」ことがエコだ、という自覚が必要ですね。
インターネット上のサーバーにデータを置いてサービスの提供を受けるのを外部=雲にたとえた言葉のようですが、日本の会社では昔から(「コンピューティング」でなければ)「クラウド」を仕事の中で取り入れていたのではないでしょうか。
・自分で意思決定しないで常に上の意向を確認しながら仕事を進める
・逆に「上から言われた」という問答無用の指示が下りてきたり。
・このクラウドはオーナー会社でなければ二層三層と重なっているのも特徴。
・オーナー会社でも、その上に「占い師」などのクラウドがあるところもあったりする。
・許認可業種だと「行政指導」というクラウドもある。
・ホントに「天の声」がある業種も・・・
あ、最後のは違う意味で「食らうど!」になってしまいますが。
今週号の日経ビジネスは「トヨタの危機」
「そのうちトヨタはリコールでやられる」
グループ会社に転出したトヨタ首脳OBは、事あるごとにこんな”予言”を口にしてきた。
「トヨタの兵站線は伸び切っている」。急速な海外展開に対し、奥田碩・相談役ら首脳陣は、こう警鐘を鳴らし続けてきたが、
そのへんを事前にとらえて、今回の問題の前に報道して警鐘を鳴らしていれば立派だったんですけどね。
何かあったてから記事にする、それも何かあったら早く記事にする、というのでは、そのうち(電車で読んでてちょっともっともらしいという以外)他の一般週刊誌とあまり差別化ができなくなってしまうんじゃないでしょうか。
マーケットでは、推奨銘柄をことごとくはずしたり、ずっと悲観論を言っていたのにその人が急に強気になりだした途端にマーケットがクラッシュしたりする人を「逆指標(Negative Indicator)」と言います。
ということにからんで、以前 こんなエントリを書いたのですが、昨日、クラス会での話し。
ITバブルの頃、社長がフェラーリに乗りだしたらその会社はヤバイ、という話がありましたが、それに「本社ビル」とか銀行から借金してレバレッジを効かせた投資(不動産とか妙な私募ファンド)を始める、というのもある。
また、いろんな「起業家の集まり」とかに頻繁に出だすというのもあるとか。某社長氏曰く、そっちのほうが面白いので本業がおろそかになって内部崩壊した会社は数知れずらしい。
「こういうことをしてはいけない」と昔から言われていてもやってしまって失敗するのは、それだけ誘惑として強いということなんでしょう。
未だに(飲むときだけだが)タバコを吸う繁盛開業医氏は、「ウチの禁煙外来の成功率は異常に低い」と自嘲気味に言っていたが、そんなもんですね。
ちなみに、両氏の車はジャガーとマセラッティ(でも医院に通うのはリッターカー、このへんは心得てる)と、微妙にNegative Indicatorを避けてます。
そのことを指摘したら、
「だって俺フェラーリ好きじゃないから」
そういう問題かw