引き続き中国関係。
こちらは橋爪大三郎、大澤真幸、宮台真司の中国をめぐる鼎談。
まず本書は、中国とはなにか。西洋の社会学の枠組みは、2000年以上前に広範囲な規模で統一がされた中国を分析するにあたって有効ではないのではないか、というところから出発し、近代化・中華人民共和国の誕生を日本の近代化と比較しつつ語り、さらに毛沢東という圧倒的な権力を誇り今も権威を維持している存在の謎に迫り、最後は日中間の問題を語る、という、盛りだくさんの本です。
前段の議論は、毛沢東(そして小平)がなぜあそこまでの権威を持てたのか、そして、日中の歴史認識問題や領土問題は、事実認識の問題ではなく、事実をとらえる前提としての「認知地図」に違いがあるのではないか、というあたりでつながってきます。
この「認知地図の違い」というのは中国・対中関係を議論するにあたって、けっこう大きなポイントではないかと思いました。
(中澤)
まず、橋爪さんがおっしゃったように、日中関係を歴史的に見たら、中国にとって、日本はあきらかに辺境でしかない。だから、日本と中国が対等なパートナーになるという図式自体が、中国にとってはあまり説得力がないんだと思う。でも、それは日本にとってはちょっと受け入れがたいことですよね。 しかも、日本は中国のことをリスペクトしているかというと、そんな気持ちはほとんどない。アメリカに対してはいくら悪口を言っても、やっぱちアメリカに代表される価値観に日本人は魅了されているから、どこかに尊敬する気持ちがありますよね。だけど、中国に対しては、われわれはおそらくもうこの百年くらいのあいだ、そういうほんとうの意味でのリスペクトを持っていないんですよ。むしろ、自分たちのほうが少し優等生だと思っている。そういう中で日中関係をよくするのは、非常に難しいような気がします。
(橋爪)
個々人としての中国人と、個々人としての日本人を比べてみると、たいていの場合、一対一だったら力負けすると思う。とくにリーダー同士の場合。中国のリーダーは、ひとりの人間として、自分の拠って立つ価値基盤とか人生の目標とか仕事上の責任とか世界観とかを、自覚的・意識的に構成している。他者に対して自分の行動をどう説明するかも、いつも意識している。それは、本人は意識しないかもしれないが、儒教の行動原理。儒教は、個人プレーの集まりなんです。それに対して、日本人の場合はそういう習慣がない。大事なことは集団で決め、組織として行動するから、自分の考えや行動を相手に説明もできないし、自分で納得もできない。これでは負けてしまう。
だからね、もっと中国の個々人や、それの集合体である中国という文明の伝統を、日本人はよく知ってリスペクトしなくちゃいけない。アメリカをリスペクトするんだったら、あんな二百年の歴史しかない国より、もっと中国を知るべき。中国は日本のルーツでもあるんだから。そのうえで、やっぱり価値観が一致しないということなら、それは話しあっていけばいいんじゃない?
社会学の研究者の話は、フレームワークが明快な分違和感が残ったり拒否反応が出たりすることもあるのですが、三者の鼎談になっている分、それが中和して読みやすいものになっています。
その分わかりやすい形で要約しやすいというものにはなっていませんが、頭の体操としては面白いと思います。