一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『アジョシ』

2012-02-28 | キネマ
過去を捨てひっそりと質屋を営む主人公が、彼を唯一慕っている隣の部屋に住む少女が犯罪組織に拉致されたことをきっかけに、単身組織に乗り込んでいく、という『レオン』の韓国版のようなストーリーです(韓流ファンの方、大雑把なまとめですみません)。

主役を人気俳優(僕も名前を聞いたことがあるので)のウォンビンが演じています。
ウォンビンは役柄に比べて優男すぎるのと、ちょっと自意識過剰な演技が気になりますが、派手な立ち回りを上手に演じています。

少女役は『レオン』と違って庶民的な雰囲気(なでしこJapanの宮間あやにどことなく似ている)の子が演じています。
この少女役は設定にはまっているし演技も上手です。


韓国映画は暴力シーンを描かせるとハリウッド的な派手さと違った「凄惨さ」を強調する独特の迫力がありますね。
武器などの小道具(韓国映画はやたらバットとか灰皿とかで殴るシーンが多く、とても痛そうです)も凝ってますし、格闘の振り付けも見事です。カメラワークも手持ちと寄せを多用して迫力があります。

中盤にかけて多少冗長にはなりますが、登場人物がキャラクターどおりの人相風体をしている(悪い奴は悪相だし間抜けな役は間抜け面)ので混乱することはありません。
その分脚本がストーリーを進めてアクションを詰め込むのを優先している感じです。
設定が強引なところがあったり、登場人物が複雑さを持たずに期待通りの行動をするので、終盤の展開がわかってしまったのはちと残念でした。


『レオン』がなければ、またはウォンビンに思い入れがあればもうちょっと点が甘くなっていたかもしれません(「穏便」てか・・・)。




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スーザン・ソンタグ『同じ時のなかで』

2012-02-25 | 乱読日記

年末の書棚整理で発掘した本。
スーザン・ソンタグは日本の批評家にもいろいろなところで引用されているのですが、買ったのは初めて。

本書は9.11とそれに対するブッシュ政権の対応を当初から批判した評論など、2004年に没した著者の批評をまとめたもの。
どこかの書評につられて買ったはいいものの、著者の知識や関心のありようがあまりに広く深いので、まったく聞いたこともない作家の書評などついていけないいくつかは読み残しました。 (若い頃と違って、見栄や意地でも読了する気力も時間もないのがちと悲しい。)  

いきなりこんな挑発的な書き出しで始まる批評はなかなか刺激的で楽しくはあります。  

ほかにふさわしい名前がないため小説(ノヴェル)と呼ばれる散文による長編フィクションは、まっとうな小説とはかくあるべしという19世紀に制定された命題を、これからもその身から振り払っていかなければならない。その命題とは、小説とは、普通のいわゆる実生活のなかで、選択肢と宿命とをたずさえた登場人物の物語だ、というものだ。この人工的な規範から逸脱して、別種の話をひもとく物語、あるいは話らしきものをほとんどもたないような物語は、19世紀の伝統よりもっと由緒ある伝統をくんでいる。そして今日にいたるまで、それらの物語のほうが、19世紀的な意味での小説よりも革新的、超文学的、あるいは奇想天外な作品となっているように思える。
(「異郷-ハルドール・ラクネス『極北の秘教』について」)  

これは、高橋源一郎が『ニッポンの小説-百年の孤独』(参照1参照2) で指摘している「近代日本小説」の桎梏という問題意識に通じるものがあるように思います。
(ソンタグの「内容と様式をくらべれば、主題と形式をくらべれば、様式や形式のほうがずっと重要である」「スタイルこそがラディカルな意志をもっている」という考えについてはスーザン・ソンタグ『反解釈』(松岡正剛の千夜千冊)参照)  


そして「インドさながらの世界-文学の翻訳について」ではこう問題提起します。  

・・・多くの人々が気づいてきたように、グローバリゼーションの過程でもたらされた恩恵は、世界人口を構成するさまざまなグループにとってきわめて不平等な分配になっており、英語の世界的な広がりも、国のアイデンティティをめぐる偏見の歴史を修正するにはいたっていない。そのひとつの結果として、特定の言語-と、それを使って生み出される文学-だけがつねに重要視されるという現象が起こっている。  
 古代の聖書が描き出すイメージからすると、人間は言語に象徴される差異にこだわって、上下構造をなして生きている・・・タワーは多層構造で、そこに多くの階に分かれた住人がいて、互いに上や下の階に住んでいる。もしバベルの塔がほかの塔と同じようなものだとしたら、高層階のほうが人気が高い。高層階、豪奢な部屋、眺望の良いテラスは、特定の言語に占領されているとも言える。そして、その他大勢の言語とその文学的な産物は、低層階、低い天井のもとに押し込められ、眺めも遮られている。  

しかし、常識的に考えても人間の言語の広がりはタワー構造ではなく水平に展開しており、それをつなぐのが翻訳の役割であると主張します。  

 個別の言語はすべて、大きな総体としての言語の一部である。個別の文学作品は、個別の目的で書かれたどの文学よりも大きな総体としての文学の一部である。
 次のような見方がそれに近いかもしれない。それは、翻訳を文学という企図の中心に据える見方であり、私は本講演において、そのような考えに支持を表明してきたつもりだ。  

これは水村美苗『日本語が亡びるとき』で提起された問題意識、そしてタワーの中層部あたりにいる日本語への危機意識でもあります。  

ただ、ソンタグのいうように翻訳を中心に置いたとしても、現状では多言語間の翻訳の「ハブ」には英語がなると思われ、逆にそれが「バベルの塔」をもたらしてしまうようにも思います。
その意味では水村氏はバベルの塔を前提として議論しているともいえます。


ところで『ミレニアム』の訳者あとがきによると、翻訳はフランス語版から行なわれ、それを原書であるスウェーデン語版と照らし合わせて修正を加えるという手順でなされたようです。


英語だけを介さずに世界的ベストセラーが生まれたのはちょっとうれしい。

 

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例の牛、売らない

2012-02-21 | よしなしごと
酒席でオセロの中島の話になった。

あいかわらず芸能ネタに弱いのだが、ここのところ朝のテレビ番組でも散々とりあげられているのでいやでも耳に入ってくる。

一方で占いが好きという人は結構多いようだ。

オセロ中島と霊能師の関係を取り上げた直後に「今日の星座ランキング」のコーナーが来るのがいい証拠。
要するに気分転換とかちょっとした参考にするのはいいが、過度の依存はロクなことにならない、というのが世間の相場なのだろう。

ところが、どうも依存というのは知らないうちに深くなるようだ。

大学の学園祭で占いの出店をやったことがあるが、どう見てもちょっとかじっただけの素人(無料だったし)に対しても、深刻な相談を持ちかけてくる人がいて驚いたことがある。
企業経営者でも占いに凝っていて、事務所移転に方角を気にする人というのは耳にすることがある。
もともと高島易断の創設者である高島嘉右衛門がそうだ(参照)。
女性関係のトラブルを相談しているうちにその女性占い師とデキてしまったという話を聞いたこともある。

などと考えたのだが、そんな月並みな話では会話は盛り上がらないし、固有名詞を出すのははばかられるので、もっぱら聞き役に回る。

一方で報道を聞いて気になったのが、家主の本木雅弘は借主の中島に対して契約解除明渡請求訴訟を提起したようだが、同時に占有移転禁止の仮処分を申し立ててはいないらしいということ。

貸主が勝訴しても借主が立ち退かない場合強制執行を行なうことになるが、強制執行はあくまでも借主を対象にしかできない。
執行官が現地に行ったときに霊能師の親族などが適法な賃借人(転借人)の地位を主張した場合には二度手間になるように思うのだが。


そんなことを言ったらますます会話が盛り上がらなくなるので、井上陽水がどうこう、という話をふんふんと聞いていた。

個人的には占いにはほとんど興味がないのだが、それは幸いにも深い悩みがない能天気な人生を送ってこられたことに感謝すべきなのかもしれない。
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Facebook

2012-02-20 | よしなしごと

Newsweek(日本版)の先週号で危ないね! facebookという特集があった。

FacebookなどSNSは会員の個人情報を広告につなげるのがビジネスモデルなので、会員は顧客ではなく商品または原材料だということを常に意識したほうがいい、という注意喚起がベース。
しかもちょっとスキをみせるとPCやスマホの個人情報が網羅的に取り込まれてしまうらしい。
これについては批判も多かったため、最近はFacebookやGoogle+ではあらかじめ個人情報を網羅的に取得できるような規約になっているとか。


個人的にはFacebookは全然活用していない、という話を以前書いたのだが(参照)、それでも心配になって、プライバシー設定のところを確認すると、何やら設定する項目が増えている感じがする。
ひょっとすると最初のときに気付かなかったのかもしれないが、そもそもプライバシー設定の場所がわかりにくいのと、用語自体も初心者にはピンとこない。
さらには説明文も自動翻訳機を使ったかのような表現でいまひとつよくわからない。


ちょうど同窓会の幹事連中で打ち合わせをしていたなかでFasebookを使おうかという話が一瞬出たが、没になった。
オジサンオバサン連中にはまだ普及していないし継続的に何かやるわけでもないので、今あるメーリングリストで十分というのが主な理由。

また、使っている奴曰く、友達承認など人間関係に微妙な波紋を呼ぶこともあるとか。

このまえTwitterで「妻からの友達リクエストを承認する指先が微妙にふるえていた」というようなtweetがあったが、上の彼は奥さんと娘に友達リクエストをしたものの承認してもらえなかったらしい(反面、男側が承認しないと非難を浴びると思うのは被害妄想だろうか?)。

同級生同士で結婚した連中もいるし、中には同級生同士で結婚して離婚した例もあるので、Facebookを利用するにしても洗練が必要になる。
洗練に至るには試行錯誤が必要だが、ことさらに波風をたてるような局面で試行錯誤をする必要はなかろうというのが結論。

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『陽だまりの彼女』

2012-02-19 | 乱読日記

若者向けの小説なんだろうけど、書評-それも朝日新聞とか東洋経済で佐藤優氏までとりあげていたので気分転換に購入。

土曜は5時起きしてゴルフに出かけたものの、途中で中止の連絡が入り、結局常磐線に乗りに行って途中で引き返しただけ、という半日だったのですが、その車中であらかた読み終えるライトな小説です。


結論から言えば面白かった。

ストーリーは途中で方向性が見えてきますが、ディテールの伏線が上手く効いていて、「そうくるか」と関心させられます。
また、ラストに向かってストーリーの収束しかたも見事です。

ただ、出版社の内容紹介(参照)や広告コピーはちょっと煽りすぎの感があります。

 「・・・誰かを好きになる素敵な瞬間と、同じくらいの切なさも、すべてつまった完全無欠の恋愛小説。」

ってそもそも日本語として変だし、帯の

「女子が男子に読んでほしい恋愛小説 No.1」

というのは(No1の出典(根拠)がないことをとやかく言う前に)そうなのかな?と思います。
小説自体が男子目線で書かれているので、女子より男子に受けそうな感じがします(というか女子には受けないんじゃないだろうか)。
なので出版社としては、普段小説を読まない男子に読んで欲しい、というのが帯の釣りコピーになったように思います。
それに、これに手放しで感動する男子って女子から見たらどうなんだろう、とちょっと余計な心配もしてしまうオジサンでした。

 

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『ミレニアム3』

2012-02-16 | 乱読日記
読了。


面白かった。



ネタバレは野暮になるので細かいことは書かないけど、1作目がミステリ、2作目が警察小説、そして3作目はスパイ小説やリーガル・サスペンスも加わって、作者の構想の大きさと芸域の広さにも感心します。

3作で一応ほとんど全てのピースは収まったのですが、本来は6作の予定だったとのことで、作者の急逝が本当に惜しまれます。
(まったくの憶測で、つぎの作品は「金」と「妹」を軸に展開したのかな、などと想像をめぐらせましたが・・・)


こうなったら映画を観なくてはと思うのですが、既にレンタルに回っているスウェーデン版を先に観たいものの、そうなると劇場の上映期間に間に合うか微妙なところが悩みです。


さて、解説でもたびたびスウェーデンのミステリの先達である「マルティン・ベック」シリーズが言及されていてうれしい限りなのですが、もう一度読んでみようかなと思ってます。
少なくとも今回の「ミレニアム」ブームで絶版の危機はひとまず回避されたと思いますが、できれば版組みも新しくなっているとうれしいです。

「マルティン・ベック」シリーズといえば、エドガー賞受賞作の『笑う警官』が有名ですが




このシリーズもはまること請け合いですので、できればシリーズ第一作の『ロゼアンナ』から読んでいただければと思います。



小説本題に加えて、1970年代のスウェーデンの状況が、男女同権や個人の自由尊重において今の日本よりも進んでいたことにも驚かれると思います。





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課題先進国

2012-02-15 | よしなしごと
最近よくこの手の話を聞く。

曰く日本は他国に先駆けて少子高齢化や低成長に直面している、これを克服すれば他の新興国に誇れるノウハウになり、その経験自身が日本の資源になる云々

確かにそうかもしれないが、歴史上過去に衰退・低迷した国は数知れない。
最近のOccupy Wall Street運動にしても、新興国との価格競争という同じ土俵に乗ってしまい「労働力」という代替可能なコモディティになってしまった帰結ともいえるわけで、それは遡れば「英国病」に陥った「大英帝国」のおかれた状況とも似ている--その意味ではシャイロックは正しかったとも言える(あ、あれはヴェニスが舞台か)

では「課題先進国」の日本は、先達にどこまで学んでいるのだろうか。

中国の経済官僚は日本のバブル崩壊について細かく分析し、経済運営に生かしている(反面教師にしている?)と言われている。


日本も「課題先進国」として世界に打って出ようとするのであれば、他国の経験も自らのものとして取り込む必要があるように思う。

しかし、今なされている議論は、問題点をあげつらうだけで、「課題国」の自己認識はあるものの、課題「先進」国であろうという気概に乏しいような感じがする。


それではバブル崩壊局面同様に反面教師にしかならない。

そして、反面教師なら歴史上掃いて捨てるほどいる。


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脱原発にも原子力工学は必要

2012-02-14 | 原発事故・節電・原発問題
福島第1原発2号機のニュースを見ていて、解説に「原子力工学」を専門とするの大学教授が出てきたので思ったのですが、今後「脱原発」が国の方針になり、また諸外国でもトレンドになると、当然企業や大学での研究者の需要は減るわけで、これから大学で研究分野を選ぼうとする学生にとっては原子力工学の分野は魅力的でなくなってしまうと思います。

一方で脱原発をするにしても、廃炉や使用済み核燃料の処理などは数十年(数百年?)単位の仕事として残るわけで、それに対応する人材も数十年単位を見ながら育成する必要があるのですが、それが可能なのかと心配になります。

もっともそれが原発推進の根拠になるのは本末転倒なのですが、脱原発といういわば撤退戦はものすごい長期戦になるわけで、今いる兵力だけでなくこれから撤退戦に従事するための兵力を育成し投入していく必要が生じます。


はたして撤退戦だけをおこなうところに優秀な人材が集まるのでしょうか?


仮に優秀な人材を確保できたとしても、原子炉の廃棄と廃棄物の処理は電力会社だけではできずに国の統一した施策になると思いますが、それが唯一の職場・活躍の舞台となった場合に、チェック&バランスが働かなくなるおそれもあります。

たとえば「安全を保証できない」という理由で巨額な予算を要求された場合に、それを批判的に検証することは可能なのでしょうか。


「原発村」がなくなったとしても「脱原発村」ができてしまっては意味がありません。
しかもそこには希望者が少ないがゆえに競争原理が働かないとしたら、へたをすると今より悪い状況になってしまうかもしれません。

脱原発には直接的な費用だけではなく、そのための研究者や従事する体制も含めた検討が必要だと思います。


まあこれはいわば当たり前のことなんですけど、日本では(日本に限らない?)、後始末・川下・事後処理の仕事はとかく軽視されがちだという自戒も含めて。


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『ミレニアム2』

2012-02-12 | 乱読日記
『ミレニアム1』がとても面白かったので引き続き2を読了。

ブログの更新より優先順位が高くなっていますw

細かい話はネタバレになるのでしませんが、今回は警察小説の側面も加わり、また後半はストーリー展開に疾走感があります。

作者の芸域の広さと物語の構想の大きさ、周到なリサーチに基づくリアリティに感嘆です。

本作では適切な「問い」の重要さ、前提条件を疑うことの大事さ、そして情報はどうやって漏れるのかが

本作「2」は「3」につながる感じで終わりますが、3が2の直後からはじまるのか、ほとぼりをさましてから始めるのか興味があります。
3の副題が「眠れる女と狂卓の騎士」なので前者の展開ではなかろうかと想像がついてしまうのですが、その中で主人公のリスベットがどのように活躍するのかが見ものです。


ちなみに副題は
1は原作が「女を憎む男たち」に対し翻訳が「ドラゴン・タトゥーの女」、
2は原作と同じ「火と戯れる女」
3は原題「スズメバチの巣を蹴った女」に対し「眠れる女と狂卓の騎士」
となっています。
(1は解説から、Wikipediaの原題をスウェーデン語→英語翻訳サイトを利用)

英語のwikipediaによると、スウェーデン版映画のタイトルは
1:"The Girl with the Dragon Tattoo"
2:"The Girl Who Played with Fire"
3:"The Girl Who Kicked the Hornets' Nest"
となっています。1と2は小説の日本版と同じですね

1は販促上は社会派の小説原題よりはいいだろうという配慮があった(小説は既にベストセラーになっていたので映画の海外配給上の配慮?)のかもしれません。
3は日本語版がオリジナルのタイトルということになります「スズメバチの巣を蹴った女」では日本語でイメージしにくいのかもしれません、でもちょっとネタバレ風かも。

まあ、そんな予想を覆すくらいの展開が待っていると期待してます。


ということで早速3にとりかかります。




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パトリシア・ハイスミス『11の物語』

2012-02-08 | 乱読日記

パトリシア・ハイスミスは『見知らぬ乗客』(1950)『太陽がいっぱい(リプリー)』(1955)の映画化などで有名になり、50年代から90年代まで活躍した作家です。(詳細はWikipedia参照)

書店の棚に並んでいるのをよく見ていたのですが、実際に読むのは初めて。
解説によると90年代に日本で再ブームになったらしいので、その頃の印象かも知れません。

タイトルにもあるように、本書は短編集。

ハイスミスはカテゴリとしてはミステリ作家に分類されるのでしょうが、ミステリの枠を超えた人間心理描き方が巧みです。
登場人物の思いが現実と微妙にずれながら破綻に向かうという「人生に裏切られる瞬間」がぞっとするくらい鮮やかな切り口で目の前に示されます。

カタルシスとは正反対の落ち着かない読後感は独特のもので、それだけに病み付きになりそう。

長編はどんな感じなのかも興味があります。

後世の作品で踏襲されたようなプロットの作品もいくつかあり、その影響力の大きさもうかがわせます。
なのでストーリーには触れません。
(その意味ではミステリ作家は後になればなるほどオリジナリティを出すのが大変だなとつくづく思います。)

ちなみに11の物語のタイトルはこんな感じです。

  1. 「かたつむり観察者」
  2. 「恋盗人」
  3. 「すっぽん」
  4. 「モビールに艦隊が入港したとき」
  5. 「クレイヴァリング教授の新発見」
  6. 「愛の叫び」
  7. 「アフトン夫人の優雅な生活」
  8. 「ヒロイン」
  9. 「もうひとつの橋」
  10. 「野蛮人たち」
  11. 「からっぽの巣箱」

僕はこの中では4.7.8がオススメです。 




 

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スーパーボウル

2012-02-07 | よしなしごと

知り合いの米国人が日本在住だけど毎年生中継で見るんだぜ、と楽しみにしていた。
彼はサンフランシスコ出身でぬくぬくとした気候で育ったせいか、世界中オールシーズンTシャツ短パンで出歩く米国人には珍しく日本の冬が寒いなどとヘタレな文句を言うし、贔屓の49ersがプレーオフで敗れたというのにこの熱心さ。

「NYジャイアンツ」といってもスタジアムはニュージャージ州だし、ニューイングランド・ペイトリオッツ(という表記だけど一方で「パトリオット・ミサイル」なんだよね)はマサチューセッツ州なんだよねなど、ウンチク(米国人なら常識?)もいといろ聞かされた(日本だって千葉県にあるけど「東京ディズニーランド」だぜ、とか言い返したが)。

もっともアメリカ人が全部そうだというわけでもないようで、先日ハーフタイムショーをつとめるマドンナにインタビューしたABCのキャスターが「元高校のチアリーダーとしては夢だった」とかいうマドンナに対し「落下傘で降りてくるような派手なパフォーマンスをするのか?」と聞いて「試合会場のインディアナポリスはドームだからそれはありえない」と切捨てられていたのも印象的だった。

まあ、確かに女子よりはオッサンの好きなスポーツかもしれん。


ただ他のプロスポーツと違い1試合勝負というのは盛り上がるのも確か。

もっとも僕は会社を休むほどのファンではないので、とりあえず録画。


せっかく録画した以上結果を聞かずに見たほうが楽しめるので、家に帰るまで情報遮断をしようと思ったものの、改めて今日の情報遮断の難しさをあらためて実感。


会社のPCのブラウザを開くと表示されるニュース速報を目にしないようにし(設定を変更しておけばよかった)、
職場の話題でも触れないようにし(たまたまスポーツ好きな奴が休んでいたのはラッキー)
昼食時も一人で弁当(飯屋でテレビが流れている恐れもあり。この辺の言い訳がちょっと難しかった)
もちろん携帯でTwitterとか見ない(つか最近そもそも見てないw)
気を抜くとエレベーターにも籠の中でニュースを表示するタイプがあるから要注意(人数の多いときは思わず口にする人もいるので乗り過ごしたりして)
電車も液晶ディスプレイでニュースを表示するのがある(日本ではあまり関心がないようなので電車の乗客が話題にするリスクは比較的少ないものの、注意するに越したことはないので本に没頭。電車の中で音楽を聴く習慣を持っていればよかった)
駅の売店からも意識的に目をそらす(夕刊紙や東スポの見出しになるとは思えないが、ハーフタイムショーが東スポが大好きのマドンナなので一応注意)
もちろん家の夕刊などには目もくれず。

これらの難関を潜り抜けて家に帰って最後の関門が、ビデオを起動する前にニュースが流れていないこと(なので帰宅の時間帯も微妙に調整)


これらを無事クリアしおたら見る前に疲れてしまったが、それを補って余りある好ゲーム。
最後の最後、ホント最後の数秒まで逆転の可能性があった。

試合の解説をするほど知識はないのだが、好ゲームとあわせて、アメフトのルールはペナルティも含めてとてもよくできていると改めて感心。


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『ミレニアム 1 ドラゴン・タトゥーの女』

2012-02-06 | 乱読日記
週末をつぶしてしまった。

そもそもはと本書のスウェーデンでの映画化の予告編(こちら)を見て原作を先に読もうと思っていたのですが、ハリウッド版リメイク(予告編はこちら)を機に文庫になったのでようやく購入。

早く読んでおけばよかったというのが正直な感想です。
できれば映画を観る前がいいと思います。

あらすじは本や映画の解説がいっぱいあるので省略しますが、登場人物のキャラクター、舞台設定、謎解きのストーリー展開のすべてが絶妙で、そして次回作への期待をさせる終盤まで一気に読ませます(早速2と3を買ってしまいました)。


スウェーデンのミステリといえば、中学の頃マイ・シューヴァルとペール・ヴァールーによる「刑事マルティン・ベック」シリーズにはまっていたのですが、それに通じる雰囲気があります。
(1970年MWA(アメリカ探偵作家クラブ)のエドガー賞受賞作の『笑う警官』など、角川文庫からまだ出ています。数年前に書店で見かけて手に取ったときは昔の版組みのままだったので懐かしい気分になれるかもしれません)

双方ともミステリとして上質という以外に、単なる謎解きではなく社会への批判精神にあふれていること、そしてスウェーデンの国柄を反映しているのか登場人物がそれぞれ徹底して自由かつ個人主義的であるところが共通しています。


余談ですが、僕はスウェーデンに行ったこともスウェーデン人の知人もいないのですが、これらの本で描かれているのがスウェーデン人の国民性の一部を象徴しているのならば、その「高負担・高福祉」の社会というのは実はものすごい個人の自立と個人主義(不干渉)というメンタリティに支えられている、つまり「公助・共助・自助」でいえば誰しも老いたり病んだりして「自助」ができなくなったときは一足飛びに「公助」に行く、という発想があるんじゃないかと思います(補足:個人レベルで「共助」をしないのではなく、他人に依存したり他人を助けるということを制度設計の前提にはしないんじゃなかろうか、ということです)。一方日本で「高負担・高福祉」を目指すという場合、おそらくそれは間に一度「共助」を前提にするイメージだと思うので、スウェーデンなどを見本にするのはいいかもしれませんがまったく同じ制度を取り入れるとどこかに無駄やひずみが出るように漠然と思います。


話を元に戻すと、登場人物同士の関係についての暗黙の共通理解のようなものが徹底してなく読む側にダレずに気持ちのいい緊張感を与えます。
(特に本シリーズの主人公になるであろうリスベット・サランデルは「特異なキャラ」ですが、しそれは一貫しすぎていることの結果でもあることがわかってきます。それにしてもこの副題はどうにかならんのかw)
またそれは逆に翻訳しやすく、映画化しやすいということにつながるのかもしれません。

作者は本シリーズ3作を書き上げたあと急逝したそうですが惜しまれます。
(そういえばペール・ヴァールーも早死でした。)






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『フェア・ゲーム』

2012-02-01 | 乱読日記

アメリカの内幕もののつづき。

イラクの核開発疑惑を検証するためにイラクがウランを調達したとされるニジェールに派遣された元外交官のジョゼフ・ウィルソンは調査の結果核疑惑を否定する報告書を提出したが、ホワイトハウスはこれを握りつぶしされます。
これに対しウィルソンは2003年のイラク侵攻後にニューヨークタイムズ紙に核開発疑惑は根拠がないと政府を批判する寄稿をします。
その直後、ウィルソンの信用性を損なうかのようにウィルソンの妻がCIAのスパイであるとマスコミが暴露されます。 (詳細はWikipediaプレイム事件参照)

本書は、妻のヴァレリー・プレイム・ウィルソンが、政治の渦中に巻き込まれた夫妻が自らの正当性を主張する闘いを描いています。

著者は元CIA職員であるため、著作の公表に関してはCIAの出版物検討委員会の検閲を受けていて、ところどころ(場合によってはほとんど)墨消しになっているのが臨場感があります。

たとえばこんな感じ



印象に残っているのはイラク侵攻の時期にはCIA自身の情報収集力も十分でなかったこと。
ホワイトハウスの圧力に上層部が屈しただけでなく、そもそも劣化していたのではないかという印象を持ちます。  

たとえば  寄せられた情報が無意味だと確認するのに、CIAは述べ何百時間と何千ドルを費やすことさえある。たとえば、1957年に国を出たイラク人、アームド・チャラビのマキャベリ的な仕事の全容はつかめていなかった。CIAを騙そうとして、そして民主主義のイラク(彼をトップとした)を予言する能力をペンタゴンに見せつけたくて、チャラビは、CIA宛てに、魅力的だがまったくの虚偽である情報をおそらく何十通と送りつけた。内容の重大さから、私たちはそのすべてを追跡せざるを得なかった(以下墨消し)

チャラビ(*)はイラク国民会議(INC)という会派の代表で、アメリカ占領後初の組織であるイラク統治評議会(これ自体各勢力の寄せ集めで月替わりで代表を持ちまわるという茶番のような会議でしたが)の1会派を占めましたが、『バグダッド・バーニング』(**)によれば、イラク人たちにはずっと海外に不正蓄財とともに逃げていて火事場泥棒のように戻ってきてアメリカに取り入ろうとしている輩と思われていたようです。
にもかかわらずこういう輩が取り入ってくるのを取捨選択できず、そしてそれ以上におそらく資金を提供していた(のではないでしょうか、少なくともイラクではそういう噂だったようです)というのは、情報収集ルートが細っていたことの証左のように思いました。
結局チャラビはほどなく化けの皮がはがれ、イラク暫定政権には参加でずに失脚しています。

* チャラビについては英語版Wipediaに記事がありますので興味のあるかたは)こちら参照)  
** 他に『バグダッド・バーニング』 続き『いま、イラクを生きる-バグダッド・バーニング』参照。そういえば『バグダッド・バーニング』の著者リバーベンド一家は2007年にシリアに脱出したのですが、今はまだシリアにいて混乱に巻き込まれてしまっているのでしょうか?

CIAの能力(資金・要員とその結果としての情報収集能力)が弱体化していたからこそ、ブッシュ政権はいくつかの報告書を握りつぶせば戦争に進むことができたのかもしれません。


このように内容は非常に面白いのですが、残念なのは翻訳がちょっと文章が硬いこと。
特に司法手続きのところが、用語が一般に使われている訳語とちょっと違う言葉が使われているようで、ところどころに理解しにくい部分があります(私は素人なので読解力不足のせいかもしれませんが)。


余談ですが、著者は事件当初「美人スパイ」と話題になりました。
ご尊顔はこちら。



 確かに美人です。
しかも、ものすごく気が強そうです。
本書にも

採用試験の正確分析テスト(MBTI)で  未来の諜報員は私も含め、16タイプあるうちの"ENTJ"内のどこかに位置づけられた。つまり、外交的で直感力があり、思考力と判断力もあるタイプだ。このタイプは強いリーダーになりたがり、主導権を握ることを希望する。マイヤーズ-ブリッグスの説明には、”・・・疲れを知らずに仕事の打ち込み、仕事のためならば人生の他の部分はたやすく切り離す。ENTJの女性は、その強力な性格と意志に圧倒されない相手を選ぶのが難しいだろう”とある。

と、まさにそんな感じですね。

 


映画の予告編はこちら。
これも面白そうです。

 

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