前原代表が引責辞任 民主執行部、総退陣
(2006年 3月31日 (金) 14:34 共同通信)
タイミングを失するとどうなるか、というだけの話になってしまいましたね
あとは個人的には
「前原前代表」
という見出しに興味があるだけです。
前原代表が引責辞任 民主執行部、総退陣
(2006年 3月31日 (金) 14:34 共同通信)
タイミングを失するとどうなるか、というだけの話になってしまいましたね
あとは個人的には
「前原前代表」
という見出しに興味があるだけです。
3/29に新日鉄が買収防衛策を発表しました。
当社株式の大量買付けに関する適正ルール(買収防衛策)の導入及び新株予約権の発行登録に関するお知らせ
新日本製鐵㈱・住友金属工業㈱・㈱神戸製鋼所間の連携施策の推進状況と更なる深化を確実にするための三社覚書締結について
(上記三社)は、これまで、連携施策を着実に推進し、昨年3月末の三社連携深化の公表以降は、資本市場の変化に対し必要となる対策についても、各社個別の取り組みに加え、共同で研究・検討してまいりました。今回は引き続き連携を深化・推進し、その成果を享受していく観点から、三社のいずれかに買収提案がなされた場合に、他の二社への通知と要請に基づいて、買収提案が提携関係に与える影響及びそれに対する対応を共同して検討する旨を取決めた三社覚書を本日付けで締結致しました。同覚書は、今後も買収提案に備えた諸施策に関し継続して検討することなども定めております。
これまで、三社は、従来の施策に加え、昨年3月末以降、以下の通り連携施策の実行・検討を着実に推進しております。
(中略)
また、これらの提携策の検討及びその実行をより一層円滑かつ確実に推進して行くため、相手方に出資を行ってまいりました。結果、新日鉄は、住友金属の普通株式を240,826千株(5.01%)、住友金属は、新日鉄の普通株式を123,512千株(1.81%)、新日鉄は、神戸製鋼の普通株式を63,975千株(2.05%)、神戸製鋼は、新日鉄の普通株式を28,017千株(0.41%)、住友金属は神戸製鋼の普通株式を63,975千株(2.05%)、及び神戸製鋼は、住友金属の普通株式を82,184千株(1.71%)、保有するに至っております。
後者の3社覚書は「持ち合い」という"old fashoned"なテイストを感じさせます。
平たく言えば「3社提携が破綻すると企業価値が損なわれるよ」と言うことで、買収者が敵対的か否かについて3社の判断が影響力をもつことになるわけです。
これってコーポレート・ガバナンス上いいのか(これを取締役会の決議だけで決めて良いのか)とか、ここまでくると企業結合なんじゃないかという疑問が湧きます。
ミタル・スチールによる買収が脅威なのであれば、冗談ヌキで共同持株会社をつくってしまったほうがいいように思うのですが(3社共同での買収防衛策が正当化されるなら独禁法もクリアできるんじゃないでしょうかねぇ・・・)
これを上品に言うと
国内独占禁止政策や投資家の利害との調和など問題もはらみ議論を呼びそうだ。
(Nikkei Net 2006年3月30日 00:08)
ということになるのでしょう(さすが新聞社)
前者の買収防衛策ですが、おそらく日米の法律事務所が知恵を結集して練り上げたと思われるかなり緻密なメカニズムがおりこまれていますので、私ごときがコメントするのはおこがましいかぎりではありますので、専門家の方々のコメントを待つ事にします。
ただ、メカニズムが緻密すぎるのと、英文直訳風な用語が多いので、細かいところでネタ的に面白い部分があります。
たとえば、買収者の提案が検討の対象にされる要件として
国際的評価を得ている法律事務所(以下「買収提案者法律顧問」と
いいます。)が、買収提案者の法律顧問として、当社取締役会に対
し、買収提案者が提出した情報に関し、重要な事項について虚偽の
記載がなく、かつその提出時の状況に鑑みて記載すべき重要な事項
又は誤解を生じさせないために必要な事実の記載が欠けていない旨
の意見書を提出していること。
というのがあります。
この「国際的評価を得ている法律事務所」という条件に該当するか否かは何を基準に判断するのでしょうか。
日本でも「ローファーム」といわれるような200人規模の事務所は該当するのでしょうが、規模は小さいけどM&Aの世界では有名な弁護士がいる事務所とか、国際的に評価は高い事務所だが知的財産権が専門だったらどうする、とか、けっこう悩ましいですね。
ちょっと知り合いの弁護士に「先生のところには新日鉄の買収はお願いできますか?」と聞いてみましょうか(笑)
もっと深読みをすると、大手法律事務所が結託して自分の手がける買収防衛策に「国際的に評価を得ている弁護士事務所」条項を入れることで、買収側の業務も寡占状態に置こうという深謀遠慮が見え隠れしていると見ることもできるのではないでしょうか。
そうでなくても新日鉄のような大企業は国内の大手法律事務所のほとんどと何らかの関係があるでしょうから、他の企業が依頼しようとしてもコンフリクト・チェックではねられるので、実際に頼むところがなくなってしまう、という可能性もあります。
そうなるとtoshiさんの「敵対的買収(裏)防衛プラン」が俄然現実味を帯びてきますね^^
それから、買収者に対してその氏素性の開示が求められています。
親会社や支配株主の情報の徹底的な開示が求められますし、買収者が継続開示会社でない場合は検討期間が延長されます。
まあ、これはもっともな要求なのですが、
さらに、各開示者に関し、(i) 過去10 年間において刑に処されたことがあるか否か(交通反則金処分及び軽犯罪を除く。)、もしある場合にはその罪名、科された刑罰(又は処分)の内容及び関与した裁判所名、並びに(ii) 過去10 年間において、司法・行政手続きにより、証券取引法、商法、会社法、私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(以下「独占禁止法」という。)又は環境に関する法令(外国等におけるこれらに相当する法令を含む。)に違反する行為を認定しもしくは違反する行為の差止めを命ずる判決、決定もしくは命令等を受け、又はそのような判決、決定もしくは命令等を求める司法・行政手続きの対象とされたことがあるか否か、その他・・・を開示する。
とまで言うと、じゃあ、上の覚書3社の独禁法違反や神戸製鋼所の総会屋への利益供与とかはどうなんだい、という指摘を受けないのか、他人事ながら気になります。
最後に小ネタですが、以下のような一節があります。
当該買収提案者を究極的に支配し、他のいかなる者からの支配も受けていない者(以下「アルティメイト・ペアレント」という。)
ここを読んだ時に、「アルティメイト・ペアレント」という言葉から
を想像してしまったのは私だけでしょうか?
(「最終支配親会社」とか言えばいいのに・・・)
西表島リゾート開発、住民側敗訴 「ネット原告」は適格
(2006年03月28日12時56分 朝日新聞)
沖縄県・西表島でユニマット不動産(東京)が建設したリゾートホテルによって貴重な自然が破壊されるとして、島民や支援者ら463人が同社を相手に開発差し止めや建物撤去などを求めた訴訟の判決が28日、那覇地裁であった。窪木稔裁判長は「原告が侵害されたと主張する人格権(文化的環境享受の利益)は立法のない現時点で肯定できるか疑問」などとして請求を棄却した。
インターネットでの募集に応じ、国内外から訴訟に参加した支援者らに原告適格が認められるかが争点だったが、判決は原告全員に適格性を認めた。
判決によると、ホテルは島北部のトゥドゥマリ浜にあり、開発予定の総面積は6万3000平方メートル。04年7月に一部がオープンしている。一帯は国立公園地区に隣接し、国の特別天然記念物カンムリワシなどが生息。原告は「世界的価値のある自然環境を保持したいという心情は精神的人格権として法の保護に値する」と主張していた。
以前ユニマットとリゾート開発について記事にしたところ、継続的にアクセスをいただいておりまして、たどってみるとこの記事が 反対運動のサイトのBBSで引用されていたようで、この問題への関心の広がりを感じていました。
※僕の記事自体は、この前のYUSENに関するものと同様、温故知新(単なるほじくり返し?)風にユニマットの昔の「やんちゃ」についてふれたものです。
新聞記事だけでは今ひとつよくわからなかったので原告団のHPにある 訴状を見てみました。ポイントを抜粋すると
4 本件リゾート開発手続における法規違反
本件リゾート開発は、その手続上、複数の関係法規に違反しているものと見られるが、少なくとも、森林法に違反するものであることが明らかである
5 西表島及び本件リゾート開発計画土地の自然的、社会的特異性
(1) 概要
ア 西表島は、国内最大級の規模の亜熱帯原生林と、世界的に見ても極めて貴重な生物多様性を保持する生態系を有し、かつ、離島という環境の中で独自性の高い文化・社会的環境を育んできた島である。そこでは、自然環境と、これを守り共存してきた人間の文化とが融合し、これらが有機的に関連して一つの生態系を形成しており、いわば、人類の共有財産として、それ自体、単なる学術的価値を超えた、極めて高い、社会的、文化的、精神的価値を有している。
6 本件リゾート開発による環境破壊ないしそのおそれ
(1) 総説
第3項(2)記載のとおり、本件リゾート開発計画は、5つのプロジェクトから成り、事業面積13万4849㎡に及ぶ大規模なものである。(中略)
他方、前項に記載した、西表島の自然、文化、社会環境は、島の大部分が亜熱帯原生林に覆われ、地理的に孤絶した離島という条件下で、大規模な人為的開発が行われることなく、住民が、自然と調和の取れた生活を送ってきたことにより、形成されたものである。(中略)
したがって、このような環境下において、本件リゾート開発計画のごとき大規模な開発が、自然的、文化的に、特に脆弱性の高い、若しくは高度の保護を必要とする場所において行われるときは、西表島の自然、文化、社会環境に対し、回復不能な、かつ壊滅的な影響を及ぼすおそれがあるとともに、住民の生活環境に対し、極めて深刻な被害をもたらすおそれがあり、現に、本件ホテル建築工事の進行に伴って、かかる被害が現実化しつつある。
7 前記環境破壊による人格権等の侵害ないしそのおそれ
(1) 総説
前第6項記載のとおり、本件ホテル建築をはじめとする、本件リゾート開発計画が実施されるところとなれば、西表島の自然環境、文化、社会的環境、及び同島住民の生活環境を破壊し、回復不能で、かつ甚大な被害を生じることとなることは、明らかである。これによる権利侵害は、人格権に基づく利益の侵害としては、住民の生活諸利益の直接的な侵害の外、文化的環境を享受する利益の侵害、宗教的心情をみだりに侵されない利益の侵害、同島の自然、文化、社会的環境の破壊のために、学問的活動領域を失うことによる、これを保持すべき利益の侵害や、かかる世界的共有財産ともいうべき価値の高い環境を精神的支えとする人格的利益の侵害等が、それ以外の権利に基づく利益の侵害としては、住民の入会地である浦内川河口域を汚染すること等による入会権の侵害が、同島の自然的、文化的環境を破壊することによる良好な環境を享受する利益の侵害が、それぞれ生ずるのであって、その範囲は、侵害の及ぶ地理的ないし人的な観点から見れば極めて広範囲に、侵害を受ける権利の観点から見れば極めて多岐に及ぶ。
8 結論
よって、原告らは、前項記載の各側面における人格権並びに入会権、環境権に基づき、被告らに対し、本件リゾート開発並びに本件ホテル建築等の差止を求めて、本訴提起に及ぶものである。
また、原告弁護団の解説「西表リゾート開発等差止訴訟の訴状について 」を見ると、本件訴訟の解説として
3 請求の根拠の基本的な考え方
人格権・入会権・環境権に基づく妨害排除請求権による、権利侵害行為の差止め
(1)仮処分段階との相違(ア) 差止請求を基礎付ける権利侵害(被侵害利益)を広く捉える。 仮処分での被侵害利益は、住民の生活上の利益を中心に、副次的に自然環境破壊を主張するものであったが、本訴では、自然環境の破壊を出発点として、島の自然環境・文化環境・社会環境及び住民の生活環境が広く破壊されることによる、日常生活上の諸利益、入会権、宗教的人格権、環境享受権、学問的活動領域保持の利益、環境権等、極めて多様な権利侵害が発生することを主張する。
(イ) 権利侵害を主張する人的範囲を拡張する。 西表島住民の生活上の諸利益を中心とする、同島住民に対する権利侵害が、本訴でも主張の中心となることには変わりないが、精神的人格権としての環境享受権(正確には、自然的・文化的環境を保持する利益)、学問的活動領域保持の利益、環境権を媒介として、地理的限界をなくし、このような人格権・環境権の侵害を主張するすべての個人に原告となる権利があることを主張する。 (中略)(2)請求を基礎付ける、西表島の特殊性
(1)のような被侵害利益及び権利主張者の人的範囲の拡張が可能となるのは、その基礎に、西表島の環境の特殊性に対する、次のような理解がある。
(ア)自然環境の特異性ないし固有性(省略)
(イ)生態系の有機的一体性(省略)
(ウ)生態系の脆弱性(省略)
(3)地理的制約を設けない権利主張がなぜ可能か
本件訴訟の、従来にない特色として、西表島の環境破壊を憂慮する個人は、居住地・国籍を問わず、誰でも請求が可能であると主張している点がある。これは、次のような理解に基づく。
そもそも、人格権は、生命・身体から精神活動に至るまで、人の人格にかかわる利益を総体として捉えたものである。そこには、精神面における、人間としての尊厳の保持の利益が含まれる。(中略)
このように、人格権、とくに精神的人格権は、新たな権利を生成する母胎として機能を有する。(中略)
人格権に基づく主張は、損害の事後的回復措置である損害賠償請求に限らず、事前の差止請求まで可能である。これは、いわゆる大阪空港訴訟最高裁大法廷判決以来、確立した法理となっている。このような差止請求の主張は、従来、生命・身体に対する侵害を根拠として主張されてきたが、理論的には、精神的人格権を根拠とすることも可能である。(中略)
精神的人格権を根拠として主張する場合、理論的には、地理的な制約はあり得ない。(中略)
本件では、原告らは、西表島の自然的・文化的環境を破壊する行為が、同島の環境を貴重なものと考える個人の精神的人格権を侵害する行為であることを主張している。これは、同島の自然的・文化的環境を保持する利益が、上記のような意味での、精神的人格権の一つとして、法的保護に値するものであるとの理解に基づく。
このような主張を可能にするのが、(2)で述べた、西表島の環境の特殊性である(中略)
とあります。
素人の感想としては、原告の「気持ち」が優先していて、何が法的保護を受けるべき権利で、それが具体的にどのように侵害されているかを裁判官に対して法律上の理屈で説得力を持ってまとめきれていないように思いました。
「西表島の自然的・文化的環境を破壊する行為が、同島の環境を貴重なものと考える個人の精神的人格権を侵害する行為である」という論理は、それが法的利益として認められて、土地所有権を元に建物(=リゾート施設)建設を止めるというのはいかに「権利の行使は公共の福祉のよる」であっても説得力が足りないのではないでしょうか。
解説を見ても、今回の訴訟の新しさをアピールしているものの、訴訟という手段をとって何を勝ち取りたいかというところが残念ながら伝わってきませんでした。
そもそも憲法上の人格権とか幸福追求権からいきなり損害賠償とか差し止めをするのはハードルが高いわけですから(つまり「わたしはこれが不愉快だ」というだけで幸福追求権の侵害として訴訟をいちいち起こされても司法としてはたまらないわけで、具体的に民法上の所有権とか債権とかが侵害されたという立証が必要なのが通常です)「訴訟をすること」が自己目的ならともかく、本当にリゾート開発をとめようとするための理論構築が足りないように思います。
また、今回「ネットで集った人々にも訴訟の当事者適格が認められた」ということですが、裁判所としたら「こういう広範囲な訴訟があるならば原告適格は認めてもいいが、結局差し止めのハードルが高くなるよね」という程度の事なのではないでしょうか。
傍からの無責任なコメントですが、本当に訴訟をするなら、(思いつきですが)排水の放流禁止とか、保護林の原状回復というように焦点を絞って相手の非を主張しやすく、かつ、喉に刺さった小骨のように相手に確実にダメージを与えるような戦略を取ったほうがいいのではないかと思います。
3/24のエントリの末尾で引用した
歴史は繰り返す、ただし二度目は茶番。
カール・マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール 18 日』
もともとこれは岩井克人の『ヴェニスの商人の資本論』か何か(本棚の奥にあって取り出すのが面倒なので未確認)で孫引き引用されていた言葉です。
未確認で孫引きするのも気が引けたので「歴史は繰り返す 二度目は茶番」でググッてみたところ、73件のヒットがあり、そのTOPのサイトに原典の引用がありました
ヘーゲルはどこかで述べている、すべての世界史的な大事件や大人物はいわば二度あらわれるものだ、と。一度目は悲劇として、二度目は茶番(farce)として、と。かれはつけくわえるのをわすれなかったのだ。
マルクス(伊藤・北条訳)『ルイ・ボナパルトのブリュメール 18 日』岩波文庫
でも、やはり孫引きはいかんよなぁ(特にマルクスとかだと詳しい方から指摘を受けそうだし)とか、そもそも『ルイ・ボナパルトのブリュメール 18 日』は、E.W.サイード『オリエンタリズム』を読んだ時にも「オリエントが自らを表象できないからこそ西洋が西洋のために、また、やむをえず哀れな東洋のために表象する」という文脈の中で 「彼ら〔フランスの分割地農民の事〕は、自分で自分を代表する事ができず、だれかに代表してもらわなければならない」 という部分が引用されていた(平凡社ライブラリー上巻p59)ので、気になっていた本でもあるので、amazonで探してみました(そういえば昔、岩波文庫の薄い本であったよなぁ、と)。
しかし残念ながら岩波文庫は絶版のようで、かわりに筑摩書房「マルクス・コレクション」の第3巻があったのですが、これは<経済学批判要綱「序説」「資本制生産に先行する諸形態」/経済学批判「序言」/資本論第一巻初版第一章>とまとまっていて、3000円もします。値段はさておき単に2箇所の引用だけで面白いかどうかもわからないものを購入するのは腰が引けます。
こういうときに「Google Book Search」やamazonのフルテキスト・サーチ・サービス(日本では「なか見!検索」)ってあると便利だなぁ、と思い、そうか、これが昨日の『ウェブ進化論』の「ロングテール」の商品における本の中身の検索=ウェブ上の立ち読みの許容ということなんだな、と実感した次第です。
どのみち引用の原典にあたりたいだけの僕のような連中は、検索できる範囲で「まあいいや」でブログを書くか、図書館か本屋で立ち読みするか程度なわけです。
これがamazonなどで中身が見られれば、ひょっとすると『オリエンタリズム』での引用箇所なども見て、ちょっと読んでみよう、と買う人が100人に1人でもいれば、もともとベストセラーでなく細々と売っている専門書にとってはメリットだろう、ということなわけです。
ただ、著作権との問題があるので、amazonは出版社との合意を得ながら漸進的に進めているし、逆にGoogleは一気に進めようとして訴訟になっているので、アメリカでもそんなにすぐに実現するわけではなさそうです(グーグルの訴訟については昨年10月に素人の怖いもの知らずでこんなエントリを書いていましたが、こういう背景があったんですね(^^;)。
日本では、著者が揶揄気味に言っている「リアルの世界との接点が得意」なので、現在のインターネットで図書館の蔵書を予約できる延長で、これに宅配サービスを付加する、という方向に行くのかもしれません。ただそうなると、著作権問題がクローズアップされそうですね。
似たようなことはレンタルDVDでTSUTAYA DISCUSという「宅配つき定額借り放題」システムが始まったようですが、これは定額だけど1回に2本、返却後でないと新しいのを予約できない、というしくみなので在庫の稼働率を上げるという意味では「ロングテール」なのかもしれないですが、在庫切れのリスクを顧客に負わせているので、結局「ネットのこっち側」のコスト要因から抜け出ていないともいえます。
著作権をめぐる論争にについては示唆に富む記述があります。
著作権についての論争がヒートアップしやすいのは、議論の当事者が、著作権に鈍感な人と著作権に極めて敏感な人とに分かれていて、その間に深い溝がるからだ。そしてその溝は、「その人たちが何によって生計を立てているか」「これから何によって生計を立てたいと思っているか」の違いによって生まれている場合が多い。
加えて「総表現社会の到来」とは、著作権に鈍感な人の大量新規参入(ブログの書き手やグーグルのようなサービス提供者の両方)を意味する。新規参入者の大半は、表現それ自身によって生計を立てる気がない。別に正業を持っていて、表現もする書き手などはそういう範疇に入る。そして総表現社会のサービス提供者とは、「表現そのものの製作によってではなく、表現されたコンテンツの加工・整理・配信を事業化する」人たちで、既存の著作権の枠組みを拡大解釈するか、新しい時代に合わせて改善すべきだと考える。Web2.0はそういう方向性を技術面からさらに後押しするものだ。
このように、『ウェブ進化論』は僕のようなリアルの世界どっぷりな人間にもいろんなところで「腑に落ちる」ところがあるので、ちょくちょく引用させていただくことになりそうです。
長くなったので今日のところはこの辺で。
最近話題の『ウェブ進化論』を読みました。
著者もあとがきで
「こういうロジックで語れば、ネット世界を理解しない人たちにも説明できる」実例として・・・
と言っているように、"WEB2.0"などと言われても何のことやら、という私にもネットの世界ではこういうことが起きているんだ、と何となくわかるような感じにさせてくれる本です。
また、著者は同時に、この本の読み方としてつぎのような注意をしています。
頭の片隅で気にはなっていても、自らネット上で試行錯誤することによって、ウェブ進化の世界観を構築する時間はない。そんな方々が、もしこの本を手にとってくださったとすれば、第一章で触れた「アナロジーで理解しようとしてはいけない」というファインマン教授の言葉を改めて思い出してほしいと思う。
ファインマン教授というのは量子力学の研究でノーベル物理学賞を受賞した理論物理学者です、(話はそれますがファインマン教授の自伝 『ご冗談でしょう、ファインマンさん』は本人の飄々とした人柄と他の天才物理学者たちとの交流を生き生きと描いていておすすめです)、著者は言います。
ファインマンはこの教科書の第五巻「量子力学」の冒頭で、これから自分が量子力学をどう教えていくつもりなのか、学生の立場で言えば量子力学を学ぶときのもっとも大切な姿勢について、こう書いている。
「”量子力学”は物質と光の性質を詳細に記述し、とくに原子的なスケールにおける現象を記述するものである。その大きさが非常に小さいものは、諸君が日常直接に経験するどのようなものにも全く似ていない。それらは波動のようにふるまうこともなく、また、粒子のようにふるまうこともない。雲にも、玉突きの玉にも、バネにつけたおもりにも、また、諸君がこれまで見たことのある何ものにも似ていないのである。」
「この章では、その不可思議な性質の基本的な要素を、そのもっとも奇妙な側面をとらえて、真正面から直接、攻めることにする。古典的な方法で説明する事の不可能な、絶対に不可能な現象をえらんで、それを調べようというのである。そうすることにより、ズバリ量子力学の核心にふれようというわけである。実際、それはミステリー以外の何ものでもない。その考え方がうまくゆく理由を”説明する”ことによりそのミステリーをなくしてしまうことはできない。ただ、その考え方がどのようにうまくゆくかを述べるだけである。」
ファインマンは、これまでニュートン力学を学んできた学生に、量子力学で扱う対象を「がこれまで見たことのある何ものにも似ていないの」と肝に銘じて丸ごと理解しなければならない、ニュートン力学からのアナロジーで理解しようとしてはいけない、と強く釘を刺しているのである。
ニュートン力学の世界から見た量子力学の世界と同様に、リアル世界からネット世界を見れば、それは「不可思議」「奇妙」「ミステリー」以外の何ものでもなく、その異質性や不思議さをそのまま飲み込んで理解するほかない。
ファインマン先生、やはりいいことをおっしゃいます。
本書ではグーグルが構築しようとしているもの(世界観)を中心に「ネットの向こう側」で起きていることが語られています。
日本で発達した楽天やYAHOO JAPANのような「ネットを使ってリアルの世界のビジネスをする」というのでなく「ネットの向こう側」ですべてが完結する世界というのは今までと全然違った価値観に基づいているんだよ、という話です。
見たこともないもの、に対しては清少納言のように「海月(くらげ)のななり」と一言で返してみるという手もあるのですが、僕自身簡単に総括できるほどの知識もないですし、「よくわからないかもしれないが面白そうだからとりあえず聞いてみよう」といういいかげんなスタンスは得意技でもあるので、筆者の言う通りにとりあえずそのまま飲み込んでみました。
とはいえ「リアルの世界」の発想にどっぷり浸かっている身としてはどこまで理解できたかはよくわかりませんけど。
PS
「アナロジーでの理解」で思ったのが、SF映画やアニメでの宇宙空間での戦争シーン。
昔から疑問だったのですが、本来無重力空間であれば、敵対する艦隊同士は正対だけしていればいいのに、ほとんどすべての映画・アニメでは「上」も同じ方向なんですよね。
(艦隊の正面をOX軸、右方向をOY軸、上方向をOZ軸とした場合、A艦隊とB艦隊が正対しているときにはそれぞれのOX方向のベクトルの角度は180度になるわけですが、別にOZ軸が平行(「上」が同じ)だったりする必要ってない、ということです)
やはり地球の重力を前提にした世界観の影響が払拭できない、ということなんでしょうか
(それとも単に作品として観にくくなるからだけかもしれませんが)
![]() |
ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる |
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ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 |
PSEなし中古家電の販売、事実上容認
(2006年 3月24日 (金) 22:31 読売新聞)
電気用品安全法の安全基準を満たしたことを示す「PSEマーク」のない家電製品(259品目)が4月から販売禁止になる問題で、経済産業省は24日、マークのない中古家電について、当面の間、レンタル扱いすることで事実上、販売を容認する見解を表明した。
PSE法については、メディア(特にラジオ局など)でも反対の大合唱だったわけですが、個人的にはそんなに電子楽器が特権的な地位を持つものなのかなぁ、という疑問があります。
(この手のことになると必ず出てくる坂本龍一の自称「インテリ」「クリエイティブ関係」の人々に対するポジションが、「庶民」に対するみのもんたのポジションに似ているように思えるので、なんとなく胡散臭く感じられてしまう、ということは置いておくとしても)マスコミやブログなどの論調でも「音楽文化」を守ろうとか「中古品流通業者が可哀相」というようなこの件に関してだけは妙に感情的な議論が多いように見受けられます。
僕自身は口三味線以外の楽器をたしなまないので特にそう思うのかもしれませんが、生活をめぐる安全については車検制度(利権の問題ならこれも議論されるべきだし、逆に構造偽装問題とのからみでは民間委託の是非という論点もあります)とか玩具のSTマークとかいろいろあるわけで、それらと比較して日常生活に不合理な制約を与えるものか、ということをまず検証すべきだと思います。
また、「万が一感電してもそれは本人が承知」というような部分については、白物家電についてもそれが言えるのか、とか、日本には失火責任法という法律があって隣家に延焼しても故意か重過失の場合以外は責任を負わないので、エレキギターマニアの漏電事故だからといって単に「自己責任」で済む訳ではない、という問題もあります。
言ってみればこれは
国民の安全を配慮するために日常生活についてどこまで国が規制をかけるか
という枠組みで議論すべき問題なのではないかと思います。
その意味で注目すべきは
志賀原発の運転差し止め命じる 金沢地裁判決
(2006年 3月24日 (金) 20:47 朝日新聞)
井戸謙一裁判長は「電力会社の想定を超えた地震動によって原発事故が起こり、住民が被曝(ひばく)をする具体的可能性がある」として巨大地震による事故発生の危険性を認め、住民側の請求通り北陸電力に対して志賀原発2号機の運転を差し止める判決を言い渡した。
井戸裁判長は判決で、志賀原発2号機の敷地で起きる地震の危険性と耐震設計について検討。耐震設計が妥当といえるためには、運転中に大規模な活動をしうる震源の地震断層をもれなく把握していることと、直下地震の想定が十分であることが必要だと述べた。
その上で、国の地震調査委員会が原発近くの邑知潟(おうちがた)断層帯について「全体が一区間として活動すればマグニチュード7.6程度の地震が起きる可能性がある」と指摘したことを挙げ、「電力会社が想定したマグニチュード6.5を超える地震動が原子炉の敷地で発生する具体的な可能性があるというべきだ」と述べた。
僕自身は原子力発電の是非については「まだよくわからない」というのが正直なところです。
化石燃料による火力発電の温暖化問題
水力発電もダムが流砂で容量が加速度的に減ってしまい耐用年数が意外と短いという問題
原子力発電の事故の場合の被害の甚大さ、使用済み燃料の核兵器への転用可能性
はたまた、そもそも遠隔地に発電所を置く現状のシステムの送電コストや送電ロスを考えると、利用者の近くで小口で発電するコ・ジェネレーションの方がいいのではないか
などの問題をどう評価すべきかの意見がまだ持てていないからです。
ところで、僕が今回の判決を注目するのは、いままでの住民訴訟とそれを容認した判決に見られるような「憲法上の幸福追求権」などだけから大上段に違法、とした(言うなればおおざっぱな)判決ではなく、言ってみれば「隣家の塀が傾いてきて危ないので取り壊すなり建替えるなりしてくれ」という訴えと共通する民事訴訟の枠組みの中で、安全性と事故の際の危険性を評価して判断を下しているように見えるからです。
建築当初の国の安全基準さえ満たしていればいい、というわけでないのは、不特定多数のお客さんが出入りする商業ビルで、築年数が古く建築当初は適法だからといって、耐震性能等について全く配慮しなくていい(耐震補強促進法上は努力義務に過ぎないのですが)というわけでないのと(ざくっと言えば)同じです。
そういう他の施設と同様の法的枠組みの中で、原発の事故の際のリスクの高さとその有すべき安全性の基準を検討した結果、この原発は危険だ、と両当事者の主張を比較して裁判所が判断(実際は裁判官の信条によるバイアスがかかっているのかもしれませんが)した結果、専門知識も資料も弁護士を雇う財力も持っているはずの北陸電力が負けたわけです。
ひょっとして北陸電力側としては、国の基準に準拠していれば民事上も免責とタカをくくっていたのでしょうか。まさか運転停止までくらうまい、という慢心があったのかもしれません。
北陸電力は(もちろん)控訴するようですが、高裁でも、普通の民事事件の枠組みの中できっちり判断してもらいたいものです。「今更元に戻せないから仕方ないではないか」というような事情判決は避けて欲しいと思います。
これらの話題を契機に、そもそもの生活の安全を守るためにどういう制度的枠組みが重要なのかを考え直してみる必要があるように思いました。
<追記>
PSE法については経済産業省も妙に弱腰ですね。
それに上記記事の対応策だと、法律としての安定性に欠けるような気もします。
それでも、法律自体はかなり前に出来ていたのですから、中古業界の自助努力不足もあるのでは、とか、ディーゼル車の排ガス規制はよかったのか(この規制で戦後ウイリス社からライセンス生産たとこから始まった三菱JEEPは乗れなくなってしまったんですよね)というようなひっかかりが残ります。
昨日のエントリに引き続き、水道の話です。
今回は近代水道の整備が計画されてから出来上がるまでについて。
「東京都水道歴史館」からちょっと長くなりますが引用します。
明治21(1888)年8月、東京の各種都市施設を整備するため「東京市区改正委員会」が政府に設けられます。同委員会は、上水改良は現下の急務であるとして、内務省衛生局雇間技師バルトンを主任とする7名の設計委員による改良水道の調査設計に着手します。同年12月には第一報告書が作成されました。
ほぼ時を同じくして、民間による東京水道会社設立の動きがありました。横浜水道を設計した英国技師パーマーがこの設計に携わっており、設計案を内務省に提出します。
東京市区改正委員会は、バルトン等の設計案と、パーマーの設計案の比較検討をベルリン市水道部長ヘンリー・ギルに依頼し、さらに来日中のベルギーの水道会社技師長アドルフ・クロースにも意見を求めるなど幅広くかつ慎重に調査を進めました。
明治23(1890)年3月、バルトン等設計委員は、それまでに示された諸見解を踏まえて第二次報告を作成します。
その概要は、玉川上水路により多摩川の水を千駄ヶ谷村の浄水工場に導き、沈殿・ろ過した後、麻布及び小石川の給水工場へ送水し、浄水工場に併設された給水工場を含めて3箇所の給水工場からポンプ圧送あるいは自然流下で市内に配水しようとするものでした。
明治23(1890)年7月、この案は内閣総理大臣の認可を得、東京府知事により告示されますが、明治24(1891)年11月に開設された東京市水道改良事務所の技師・中島鋭治によって再検討され、変更されます。
その内容は、浄水工場設置場所を淀橋町に、給水工場設置場所を本郷及び芝へと変更し、和田堀、淀橋間に新水路を築造するというものでした。
こうして東京近代水道創設の青写真は整い、あとは着工を待つのみとなりました。 明治26(1893)年10月22日、淀橋浄水工場建設予定地で、改良水道起工式が盛大に挙行されました。
しかし、府知事の設計告示(明治23(1890)年7月)から既に3年以上もの年月が経過しており、起工式に至るまでには様々な紆余(うよ)曲折がありました。
設計告示後の明治23(1890)年9月、市会は水道建設及び関連する道路建設等の費用総額1千万円の市区改正予算を全員一致で可決しました。事業期間は、明治24年度から5年間で、財源はすべて公債でまかなうこととしました。
当時の東京市の一般財政の規模は50万円程度に過ぎなかったので、5か年継続事業とはいえ1千万円にものぼる市区改正予算は巨額なものでした。
公債発行に当たって、市の公債が政府の公債と同等の価値を保証されるよう政府に働きかけましたが、思うようにいかず約1年が経過してしまいました。やむを得ず明治24(1891)年10月に、市は政府の許否にかかわらず市公債の募集を開始しました。
公債発行の遅延で、当初予定した明治24年度の工事開始は見送られましたが、この間、巨額な工事費を投じてまで水道を建設する必要はないとの意見を中心とした工事反対の世論が高まってきました。このため、公債募集を開始したにもかかわらず、着工できない事態となりました。
こうした事態を打開するため、市会は市区改正経済審査委員を選任し、問題点の調査検討を行うこととしました。同委員は、「水料」収入方針を明確にし、道路事業の財源の一部を水道建設に充て、また公債の一部募集延期、配水工費の分納・助成等を決めるなどして市民の納得を得るよう務めました。
こうして、明治25(1892)年4月に至り、市会は前年12月に提案された用地買収の案件をようやく可決することができました。
用地買収は、淀橋に限らず本郷、芝、新水路予定地等施設建設予定の各所で難航しますが、買収完了を待たずに明治25(1892)年9月、淀橋工場仮事務所盛土工事に着手し、12月から本工事が開始されました。
一方、水道建設に要する鉄管は、総重量4万5千トン余に及ぶ膨大な量であり、当時の国内の鉄管生産体制からみて、多量の鉄管の調達方法は大きな課題でした。外国製品の採用も視野に入れ検討した結果、国産品の採用にふみきり、明治26(1893)年4月、新規に創立された鋳鉄会社と契約を締結しました。
契約後、鉄管に表示する記号を画数の多い日本文字から簡単なマークに変更したことをめぐって、市参事会と市会は一時混乱しますが、明治26年度に入って施工体制は軌道に乗り、この年の秋、盛大に起工式を開催することができたのです。
近代水道の第一歩である創設水道の建設は、盛大な起工式も済ませて順調に進むかにみえました。しかし、鉄管の納入をめぐって思わぬ事態に直面します。 東京市はすでに国産品の鉄管を使用することとしていましたが、契約した製造業者の体制が十分に整わず、鉄管の納入が大幅に遅れるという事態になりました。やむをえず明治27(1894)年2月に外国製品も購入することを市会で決議し、ベルギーやオランダの鉄管を購入することとなりました。
鉄管問題はさらに悪化し、国産品製造業者が東京市の検査で不合格となった鉄管を合格品と偽って納入するという不正事件を引き起こすに至ります。明治28(1895)年10月、この事態が明るみに出て刑事事件となり、府知事の辞職、市会の解散などの政治問題へと発展しました。このため、すでに布設した鉄管を掘り起こして再検査を行うという面倒なこととなり、工事の進ちょくに影響を与えました。
また、明治27(1894)年8月には日清戦争が勃発したため、資材や労働力の不足、諸物価の高騰等に苦慮し、工事の進行は予定どおりには進みませんでした。 しかし、幾多の障害を克服して、新水路の築造、淀橋浄水工場、本郷・芝給水工場の建設、鉄管布設工事は進められ、明治31年(1898)秋ごろまでには創設水道の主要施設がほぼ完成しました。
こうして、明治31(1898)年12月1日、淀橋浄水工場から本郷給水工場を経て神田、日本橋方面に初めて近代水道が通水されることとなったのです。
昨日は明治の先人の偉業をたたえたのですが、権力闘争、反対運動、資金調達問題、用地買収問題、汚職、挙句の果てには偽装問題(それに伝染病もありますね)と、まあ、人間(日本人?)のやる事は昔と変わっていない、とつくづく思います(考えようによっては、その意味でも明治の先人達は先進的だったのかもしれませんね)
歴史は繰り返す、ただし二度目は茶番。
カール・マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール 18 日』
京都の南禅寺の境内の奥に、水路閣と呼ばれる赤レンガ作りの水路橋があります。
東山を掘り抜いて琵琶湖の水を京都に送る琵琶湖疎水が流れる水路で、明治23年に竣工しました。
この水路は今でも現役だそうです。
そしてもうひとつ。この前都内某所の道路下の工事現場に潜らせていただく機会がありました。
そこで見たのが、工事の途中に出てきた明治31年の鋳鉄管(直径1,100mm)
こちらは浄水場と鉄管製の有圧水道管のセットになった近代水道として日本初のもののようです。
東京都水道局のサイト内の「東京都水道歴史館」 によると
文明開化のかけ声とともに、欧米の諸都市を目標とした街づくりが行われました。
・・・しかし、地下を流れる水道は依然として江戸時代の神田・玉川上水のままでした。当時は浄水処理がほどこされていない河川水そのものが地下に埋設された石樋(せきひ)・木樋(もくひ)によって市内の上水井戸に配水されていたのです。
しかも、維新後の混乱で水道を所管する組織が変転し、上水の管理が一時おろそかになってしまいました。
・・・十分な補修も行われない木樋は腐朽し、水質は悪化しました。また、上水は自然流下で圧力がないため、火災の消火に威力を発揮することはできませんでした。
このため、・・・明治7(1874)年、政府は上水の改良の検討を始め、内務省土木寮雇ファン・ドールンに改良意見書や改良設計書を提出させます。
一方、東京府も明治9(1876)年、東京府水道改正委員を設置して、上水改良の方法や費用を調査し、明治10(1877)年に「府下水道開設之概略」としてまとめ、明治13(1880)年には「東京府水道改正設計書」も作成しました。
ファン・ドールンや東京府水道改正委員の設計は、いずれも原水を沈殿、ろ過して鉄管で圧送するというもので、東京近代水道の原形がここにようやく示されたことになります。
しかし、近代水道の創設には巨額の費用を必要とし、また道路整備など都市計画全体との調整を図ることが必要なため、さらに検討を加えていくこととなりました。
東京府は、近代水道創設の検討を進める一方、既存の木樋、上水路の補修を行い、水源汚染の取締りを強化するなどして、飲料水の安全確保に腐心していました。
こうしたなかで明治19(1886)年、コレラの猛威が東京を襲いました。それまでにもしばしばコレラの流行はありましたが、この年は死者が1万人近くにも及ぶという事態で、加えて水源である多摩川沿岸でコレラの汚物流出騒ぎも起こり、上水の信頼は大きく揺らぎます。このことが近代水道創設促進に拍車をかけることとなりました。
明治初期には東京でもコレラ騒ぎがあったんですね。
明治期の製鉄技術というと、イギリスに発注した戦艦「金剛」(大正2年竣工)の装甲板には日本製のドリルでは穴があけられなかったと言うような話(参照)が思い出されますが、そういう特殊な技術以外は、明治維新後20~30年で習得し、自前でインフラ整備をすすめていたわけで、明治の日本人の努力と先見性にはいつもながら頭が下がります。
※明治政府の先見性、という点では明治時代に沖縄やその他周辺の島々(竹島など)も日本の領土として着々と宣言し、国際的な承認を得ていたのが今の領土問題につながっているというあたりもそうですね(拙いですが私の以前の関連エントリはこちら)
(でも、「いい話」だけで終わらないのが人の世の常ということで、この項つづく)
HYATT REGENCY 京都の前身の京都パークホテルはどうなったのだろう、と調べてみました。
経営母体は丸玉観光㈱という会社で東京商工リサーチによると
同社は昭和6年3月の創業、23年7月に法人化したホテル・旅館の経営会社。全盛期には本社地で「京都パークホテル」や「京都セントラル」の2ホテルのほか、滋賀県大津市でレジャー・宿泊施設「びわ湖パラダイス」、旅館「旅亭紅葉」を経営、平成2年12月期には年商97億1700万円をあげていた。
しかし、施設の更新がレジャーの多様化に追いつけなかったうえ、バブル崩壊後の団体客の減少から集客難に陥っていた。また、既往の設備投資への借入負担が財務面を大きく圧迫し、平成6年12月期以降は常態的な赤字体質に陥り、累積赤字は約100億円にまで達していた。
このため、平成10年12月に主力事業の1つであった「びわ湖パラダイス」を閉鎖して跡地を売却したのに続き、「京都パークホテル」、「京都セントラルイン」を売却し順次事業を縮小、最終的に経営していた「京都パークホテル」も平成16年12月に米金融グループへ売却していた。そうした中、昨年4月開催の株主総会で解散を決議して、清算業務を進めていた。
そして、平成17年2月14日に京都地裁より特別清算手続開始決定を受けました。
買ったのはモルガンスタンレーの投資ファンドで、ハイアットは昨年7月から改装計画を始めていたようです(こちらのサイト参照)。
ところで『さおだけ屋はなぜ潰れないか』風にざくっと言えば、ホテルの収支は
稼働率×客室単価-経費
で構成されます(宴会場も同様の構造ですし、料飲売り上げは客室単価に含めて考えればまあ、そんなに間違ってはいないと思います)
したがって、収益性を上げるには①稼働率を高くする②単価を上げる(高級化、ディスカウントをしない)③経費を節減する、の方法しかありません。
なのでハイアットグループとしては、ワールドワイドの送客ネットワークで①②を高くするか、③で(高級路線なのでオペレーションコストはやたらにケチれないでしょうから)モルスタとの家賃交渉をがんばる、ということになります。
※ちなみに、ラブホテルの場合は高回転がきくので①の稼働率の向上と③で勝負することができます。
※また、ゴルフ場も収支構造的にはホテルと似ているのですが、倒産手続きを経て預託金債務を減らしてバランスシートを一気に改善するという荒業が効果的です。
一方、モルスタの購入価格は不明ですが、平成16年12月というと既に「ファンドバブル」が起きており、かなり競争も激しかったんじゃないかと思います。
そうなると賃料交渉でもそう簡単に譲歩するわけにはいきません。
まあ、こんな感じで昨年の前半、交渉がガシガシとされたんでしょう。
ハイアットとしてはそれまで日本に6つ(東京3、福岡2、大阪1)しかなく、京都は多少賃貸条件が高くてもぜひとも欲しかったという事情もあったかもしれません。
また、モルスタとしては、最悪賃料がおもったほど高くなかったとしても、おなかをすかせているREITにもっと低い利回りで売却する作戦が成功すれば利益を得ることができます。
※最近雨後の筍のように上場されているREITにとっては「ハイアット・リージェンシー・京都」は(利回りはともかく一般投資家には)ポートフォリオの目玉になりうるので無理しても買おう、という人がいるような(なので、IT企業だけでなくてREITなども中身を見てから買ったほうがいいですね)
なにはともあれ、そうやってお金が流れ出したことで、僕は新しいオペレーションのきれいなホテルに宿泊することができたわけです。
不良債権・企業再生ビジネスは「ハゲタカ」などとも言われますが、滞っているところにお金を回すという意味では、社会的に意義のあることだと思います(そっちの筋にお金が回るよりは健全です)
それに、ハゲタカが常に儲かる、というわけでもないですからね。
要は自分がカモにならないよに気をつけていればいいだけです。
そして、私たちの財布を狙っているのはハゲタカ(外国投資家)だけじゃないことにも注意が必要ですね(ライブドアの件やジャスダック・ヘラクレスの上場審査のいい加減さみると注意すべきは日本人のほうなのかもしれません)。