一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『ウインターズ・ボーン』

2012-05-31 | キネマ

goo映画からあらすじ

ミズーリ州南部の山間に住む17歳の少女リーは、一家の大黒柱として、心を病んだ母親と幼い弟と妹の世話をし、なんとか暮らしを切り盛りしていた。ある日、彼女は地元の保安官から衝撃的な事実を知らされる。長い懲役刑を宣告されていた父親が、自宅の土地を保釈金の担保にして失踪したというのだ。もしこのまま裁判に出廷しなければ、家が没収されてしまう。リーはやむなく父親探しを始めるが、親族たちは一向に協力してくれず…。

登場人物に笑顔のない映画です。
登場人物の不機嫌さが、親族・友人のつながりと犯罪者の掟と銭金がギリギリのところでせめぎあっているアメリカの田舎町のリアリティを感じさせます。

最近よく言われる「自助・共助・公助」という言葉を思い出しました。
この映画は相克する共助の関係と少女の自助、そして公助の不在を描いています。
そして公助が期待できないところでは公への尊敬とか公共心は生まれないことも描かれています。


最近母親の生活保護が問題になったお笑い芸人が話題になっています。
ひょとすると、お笑い芸人の親や親族にとっての生活保護は、芸人本人が売れない時代に彼に見切りをつけ彼を除外して作った共助の枠組みだったのではないでしょうか。
そして彼らにとっては生活保護制度も「共助」の外部で自分が「公助」の枠組みに入っているという意識がなかったし(生活保護の支給要件と親族の扶養義務の関係については詳しくありませんが・・・)、息子が売れっ子になったときも双方にとってそれは「共助」の外の出来事という意識があり(本作における主人公の父親というのもそれに似た立ち位置だったりします)、彼らはその「共助」の枠組みを維持し続けていただけなのかもしれないなと。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダイバーシティはどこまで必要か

2012-05-28 | コンプライアンス・コーポレートガバナンス

FTの記事(今週の日経ビジネス経由ですが)
Monocultural VW must expand horizons

フォルクスワーゲンは最近ピエヒ会長の妻が監査役に就任したことで話題になりましたが、世界一の生産台数を争うフォルクスワーゲンにとってはそれだけでなく企業としての均質性が問題で、トヨタ自動車の轍を踏む可能性があるのではないか、という指摘です。

印象的だったのは下のくだり

Fault also lies on the side of the workers, who provide half the directors on the supervisory board. Despite only representing 44 per cent of its 513,000-strong global workforce, German employees occupy all 10 board seats, something that has caused tensions in the past when domestic factories appear to have been favoured over cheaper foreign locations.

問題は監査役の半数を選出する労働者側にもある。ドイツ人従業員は世界に513,000人いる中で44%しか占めていないにもかかわらず10人の監査役は全員ドイツ人であり、過去においては、低賃金の海外の工場よりもドイツ国内工場を優遇しているのではないかとして緊張が高まったこともある。

実際は各国で別法人になっているのではないかと思うのですが、グローバル企業においてはこういう指摘もされる可能性があるということでしょう。

日本でも社外役員の義務付けなど、コーポレート・ガバナンスの制度設計としてどこまで多様な視点をとして取り入れるべきかという議論がありますが、結局この手の話はきりがないわけです。

不祥事が起きる都度制度的に強化を打ち出すよりも、プラスアルファを打ち出している(そしてうまく行っている)企業や試み(たとえばtoshiさんが6月総会終了をもって社外監査役を退任いたしますで述べられている「社外監査役が『社外』と呼べるのは2期8年まで」など)を評価したほうが実りがあるように思うのですが。



PS
「ダイバーシティ」といえば、東京では先日オープンしてガンダムで話題のダイバーシティ東京
ここ、最寄り駅はゆりかもめの「台場」ですが、住所は「港区台場」でなく「江東区青海」なんですよね。
これもちょっとした多様性の主張?(まあ、千葉にあっても「東京ディズニーランド」ですしね)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「復興の現状と取り組み」

2012-05-27 | 東日本大震災

復興交付金の2次配分決定 要望上回る 被災3県が評価
(2012年05月26日土曜日 河北新報)  

復興庁が25日発表した復興交付金の第2次配分額は、被災自治体の要望を大きく上回った。要求を削り込まれた第1次配分とは、打って変わっての大盤振る舞い。岩手、宮城、福島3県の知事らは「被災地の声をしっかり受け止めてもらえた」と評価した。  
「ここまでは想定していなかった。120点だ」。要求の倍近い配分額の通知を受けた村井嘉浩宮城県知事は、報道陣を前に笑顔を見せた。  
1次配分で「復興庁は査定庁だ」と激しく批判したことに触れ、「査定庁は取り消す。今回は国と十分なすり合わせをし、妥協点を見いだすことができた」と述べた。  

前回は自治体側も準備が不十分で震災復興と関係のなかったり優先順位の低そうな事業をあげてきたのも一因だったようで、復興庁も申請方法の見直しや交付金配分の考え方を示したりした結果だと思うので「大盤振る舞い」というのはちょっと言い過ぎのように思います。村井知事の「十分なすりあわせ」というのが正しいような。


ところでこれに先立つ5月21日には復興庁から復興の現状と取り組みが公表されています。

 
農業・漁業の復興状況を見ると、漁業については漁港の97%が復旧(部分復旧も含む)し、水揚げは約78%(金額で約84%、ともに前年同月比)の水準まで回復したものの、産地市場は64%、水産加工施設は約50%しか再開できていません。  
一方、農業では農地の約39%(面積ベース)、農業経営体の約40%が再開したにとどまっています。 (p13~25)  

p29~31では「福島県の状況と課題」を取り上げています。  
全避難者16万人のうち11万人が避難指示区域からの避難者で、しかも避難者の1/3以上の6.3万人が県外に避難しているというところが対応の困難さを象徴しています。  
避難指示区域の見直しについてもふれられていますが、一方で復興庁が4月に公開した空間線量の予測資料http://www.reconstruction.go.jp/topics/shiryo3.pdfを見ると、年間20mシーベルトという基準値が妥当だとしても5年後でもかなりの範囲がそれを上回るという予測ですし、5年も離れていると地域コミュニティを修復するのは難しそうです。  

p46~48では上の復興交付金の「すり合わせ」についてもふれられています。


現時点での進展度合いをどう評価するかはさておき、復興の現状についてわかりやすくまとめられています。

ただ、統計数字だけだとたとえば95%復旧したらほとんど終わったように思えてしまいますが、残りの5%の当事者にとってはゼロなので、そこをどのように支えていくかも考える必要があるでしょう(これは失業率などについてもあてはまります)。  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

体制移行のわな

2012-05-24 | よしなしごと

本日の日経新聞「経済教室」の記事

・・・精華大学の社会学者からなる研究グループは最近発表した論文の中で・・・「体制移行のわな」という概念を提起し、中国がそれから逃れるための方策を示している。  
 ここでいう「体制移行のわな」とは、計画経済から市場経済への移行過程でつくり出された国有企業などの既得権益集団が、より一層の変革を阻止し、移行期の混合型体制」をそのまま定着させようとする結果、経済社会の発展がゆがめられ、格差の拡大や環境破壊など、それに伴う問題が深刻化しているということだ。

考えてみると、日本の高度経済成長をささえたのも政府による産業のコントロールを前提とした「移行期の混合型体制」であって、今日本が陥っているのも「体制移行のわな」の結果なのかもしれません。  

たとえば電力会社は、松永安左エ門により民間会社の九電力体制は実現したものの、その後原子力発電や電力料金などで政府と協調して既得権益を維持する側に回って今に至るわけですし、官僚は古賀茂明氏の指摘によれば昔からの内輪の価値観による人事体制を墨守しています(参照)。  
また、『日本の雇用と労働法』 によると、現在の日本の労働法制や雇用制度には労働組合側の事情による取捨選択の結果も反映しているわけで、既存(従来型)の労働組合自身も非正規雇用問題などの遠因になっていたりもします。  日本は低成長、少子・高齢化などで「課題先進国」としてそのノウハウを世界に、などと言われていますが、実はその前の時点の課題も解決できずにいるのかもしれません。  


「体制移行のわな」の解決を中国に先を越されてしまったりしたら、それこそシャレにならないと思った次第。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京スカイツリー

2012-05-22 | よしなしごと

当初予定の「東京天空樹」で紹介されていたが、同名称が中国で商標登録されていたことが2012年2月までに判明し、東武タワーススカイツリーは中国語名称を「東京晴空塔」に変更した。

ブログネタにしようと思ったら、サーチナに載ってました。
(正しくはタワーの名称は「東京スカイツリー」で運営会社が「東武タワースカイツリー株式会社」のようですが(参照))

それ以前にもこちらで取り上げられていたりしてます。


まあ、途中で名前が変われば目立ちますわな。
「東京天空樹」の方が字面的にはいいような感じがしますし。


もっともこれはサーチナの見出しにあるように「横取り」でなく、中国人観光客を期待するなら東武鉄道側の脇が甘かったという話なんですけどね。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金環日食

2012-05-21 | よしなしごと



雲がかかったのをこれ幸いにパチリ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『抗争』

2012-05-20 | 乱読日記

戦後の暴力団の抗争を、山口組三代目田岡組長の全国制覇から最近の道仁会と九州誠道会の抗争まで、「抗争」という切り口でまとめたもの。

著者は暴力団などに詳しいノンフィクション作家ですが、近年の暴力団排除運動で暴力団関係のノンフィクションにおいてもポリティカル・コレクトネスを意識せざるをえないようで、暴力団に対する書きぶりも、奥歯にものの挟まった感があります。

そして、暴力団のほうも最近は抗争が減りつつあるようです。  

上の者が殺され、また長期服役することで、下の者は上への階段を上がれる。こうして暴力団は新陳代謝を繰り返してきたが、今そうした風通しのよさはない。上の者は命が続く限り安泰で、栄耀栄華を続けられる。下の者は生涯、下積みのままで終わる。抗争の禁止は一面、暴力団富裕層の自己温存策なのだ。  

そして暴力団員への厳罰化の流れもそれを加速してします。  

 敵側の組長や組幹部を殺傷して「男を売り出し」たくとも、ひとたび発覚し、逮捕されれば、出所時に後期高齢者になっていることは間違いない。万一、その時点でも組が存続し、繁栄していたとして、大変な待遇で出所した組員を迎えようとも、それを享受できる体力も気力も持ち合わせていないだろう。
 ということは、組のために敵側を殺傷するのは割に合わないことを意味する。そのため現在ではたとえ配下の者を使って敵側を殺傷したとしても、その者を警察に出頭させない。殺し要員として温存し続け、何度でも使い回すことが行なわれている。よって暴力団の抗争でさえ迷宮入りすることになる・・・  
 上層部にとっても、抗争は迷惑である。抗争すれば暴力団対策法で組事務所の使用が禁止されるかもしれない。万一、抗争に参加した末端組員が無関係の市民や警察官を誤射すれば、遺族から民法や暴対法の「使用者責任」 を問われ、トップが損害賠償しなければならなくなる。  

 暴力団は抗争と言うドラマを失い、損か得かのビジネスマンに変質した。世論が暴力団に共感するところがないのは彼ら自身が変質したからだろう。  

著者は今の「抗争なき暴力団」はドキュメンタリー的には取り上げにくくなっていますが、専門化して闇にもぐった実行部隊、そして以前の「はぐれ者」を取り組む機能は何が代替して(それとも暴力団の世界にも「格差社会」があるのか)将来どうなるのか、というのも掘り下げて欲しいテーマではあります。  
週刊誌などにはあまり売れないでしょうけど。  


残念なのは、本書は週刊ポストの連載をまとめたものですが、前の章の繰り返しがそのまま載っているなど、機械的につなげただけで一冊の本としての編集作業がなされていないこと。
最近の新書商法の悪い部分。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『日本中枢の崩壊』『官僚を国民のために働かせる法』

2012-05-14 | 乱読日記

元経済産業省の官僚で、公務員制度改革にかかわり経済産業省を干されて退官し、今はマスコミなどで活躍中の古賀茂明氏の著書。
ちょっと遅まきながら、支援の気持ちもこめて2冊購入。

前者は現役官僚の(といっても「大臣官房付」においやられていた)時代、東日本大震災直後の昨年5月、後者は退官後昨年11月の発行です。

『日本中枢の崩壊』は古賀氏がかかわってきた公務員制度改革がどのように骨抜きにされてきたか、また民主党政権が官僚にどのように取り込まれてきたかを、具体的な手口を詳細に交えながら説明しています。
『官僚を国民のために働かせる法』は新書版ということもあり『崩壊』の中の「官僚の生態」、人事の仕組みや天下りのメカニズム、チェックが利かない公務員の待遇、組織防衛になぜインセンティブが働くかなどを中心に書かれています(1日で読めます)。

私も官僚に知り合いはいますが、この辺のところは当然ながらあまり語られない世界なので、「さもありなん」という部分に加え「そこまでやるか」と参考になる部分が多い本です。

特に古賀氏は審議官まで出世している人なので、記述にねたみやひがみを感じないところもいいです。


大事なのは、こういう本を読んで「官僚はけしからん」と憤るだけでなく、法律・政令や予算(一般会計・特別会計)の仕組みなどについて(政治家やマスコミはもちろん)自分たちも官僚の説明を鵜呑みにせずに自分たちでもきちんと読み解いて理解することで継続的に監視を続けることだと思います。

古賀氏だけでなく「埋蔵金男」高橋洋一氏など、官僚OBで官僚の手の内について批判的な人も増えてきています。
こういう人たちを、一時的に持ち上げたあげくに「消費」してしまうのでなく、ちゃんとした居場所を用意して継続的にこちら側の味方にすることが大事だと思います。
そういう人のポジションが確立してくれば、身過ぎ世過ぎでマスコミに出続ける必要もなくなるし、もっと名乗りを上げてくる人も出るでしょう。
そして中にはトンデモな人がいたとしてもいずれは淘汰されていくと思います。


余談ですが、『崩壊』で、古賀氏がOECDに派遣されたくだりで、同じ海外派遣ならJETROのほうがよかったと回想する部分が面白い。  

たとえばJETROの出先の次長や大使館の書記官であれば、周りは全部日本人で、部下もいて、秘書もついていて、かなりのサポート体制があり、仕事もそれほど忙しくない。

古賀氏の上の2冊も使いまわし度が高いので、ちょっと心配だったのですが、万が一公務員制度改革がネタ切れになったとしても、次はODAのムダを追求できそうですね。

その状態が国民にとってハッピーかは別として。


 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原因の想定より結果の想定

2012-05-12 | 原発事故・節電・原発問題

メモ
日経ビジネスオンラインでの池上彰と齊藤誠一橋大学大学院経済学研究科教授の対談
原発是非論の前に知っておくべき福島原発2つのミス 経済学者・齊籐誠さんに聞く「原発事故」【その2】

齊藤:繰り返しますが、東電福島原発事故については、工学的な技術の面でいうと、時代遅れで、安全性のチェックを自前でやらないままに古い設備を使い続けていた、という工学的視点がないままで運用していたという問題と、いざ事故が起きたときにどのように対処するか、という経営面から見たリスクマネジメントの欠如という問題があった。  

工学的視点の欠如とリスクマネジメントの欠如という経営やガバナンスのまずさが惨状を招いたわけです。原発の是非を問う前に、そもそもこの2つのミスが事故を起こした、という明確な認識を共有すべきではないでしょうか。

(中略)

池上:「何メートルの津波が来る」「震度いくつの地震が来る」という事故の原因となる方を想定しろ、というのではなく、原因が何であれとにかく「1次冷却系が全く機能しない」という事態の方を想定しろ、というわけですね。

齊藤:その通りです。「原因が何であれ、1次冷却系が完全に動かなくなった」という状態は、工学的に考えれば平常時に十分予見できる、いや、しなければいけないことです。さらに詰めていくと、「完全に動かなくなった」ときに何をどうすべきか、命令系統をいつどんなかたちで本社から現場に移すか、周辺住民や政府とのやりとりはどうするか。あらかじめ行動パターンをシミュレーションできたはずなのです。

池上:今回の原発事故で東電経営陣が口にした「想定外」とは、津波や地震の規模といった「事故原因」のことを指していましたが、「1次冷却系が完全に動かない」という「結果」はどう考えても十分「想定内」にしなければいけなかった。でも、していなかったから事故が起きてしまった。

「こんなに高い津波が来るとは想定外だった」という主張は一定の共感を呼ぶと思いますが、津波だろうが某国のミサイルだろうが、原因はさておき不具合が起きた場合(機械を使っている以上理論的には起こりうる)の対処法を決めていなかったのはまずかった、という指摘は、実はあまりされていないのではなかったでしょうか。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

懐かしい名前

2012-05-11 | あきなひ

(株)アインテスラ [東京] 産業機械卸売 破産開始決定  

(株)アインテスラ(中央区日本橋2-12-6、設立平成16年4月、資本金1億8880万円、篠原猛社長)と関連会社の(有)STAホールディングス(江戸川区西葛西3-10-33、設立平成18年1月20日、資本金300万円、清算人:篠原猛氏)は4月25日、東京地裁より破産手続開始決定を受けた。

(中略)当時東証2部に上場していた春日電機(株)の株式を買い進め20年6月、実質的に篠原氏が春日電機のオーナーとなった後、春日電機からアインテスラに不正な融資が行われた。この融資が回収できなくなったため春日電機は21年6月、会社更生法を申請し経営破綻。これが特別背任の刑事事件となり23年1月に篠原社長は逮捕、前後してアインテスラは春日電機からの借入返済ができず営業実態はなくなっていた。

このブログでも2008年にこちらのエントリ以来、折にふれて取り上げてきた春日電機ですが、結局みな篠原氏に食い物にされてしまったということです。

合掌

<関連エントリ>
春日電機元社長逮捕―やっぱり事前に洩れるんですね
春日電機(の元社長)に動きが?
久しぶりに春日電機
春日電機 会社更生申立て(ここの末尾にそれ以前のエントリのindexがあります)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『震災復興 欺瞞の構図』

2012-05-08 | 東日本大震災

一言で言えば著者の主張はつぎのとおり

東日本大震災で被災した人々を直接助ければ4兆円の復興費ですむ。個人財産を政府の費用ですべて復旧したとしても6兆円ですむ。19兆円から23兆円と言われる復興費も要らないし、そのための10.5兆円の増税も必要ない。にもかかわらず。なぜ震災復興に巨額の効果のないお金が使われるのか。それは政治が、人々を政治に依存させようとしているからである。

これだけ読むと陰謀論・トンデモ本に思われるかもしれませんが、分析の内容はまともですし、復興におきがちな非効率のメカニズムについては示唆に富むところが非常に多い本です。
 
震災がらみの費用・支出については、その多寡や是非を問うこと自体がはばかられるような雰囲気もあるなかで、冷静に分析し、批判すべきは批判しているところは、勇気ある本でもあります。


まず著者はそもそも東日本大震災で16.9兆円の部的資産が破壊されたという政府の見積もりは、日本国民の一人当たりの物的資産額や自治体の推計に照らして過大である、震災復興予算の総額を23兆円、深刻な被害にあった被災者を50万人とすると、一人当たり4600万円の復興費をかけることになると指摘します。

そして、過去に奥尻島では島民一人当たり1620万円の復興費をかけたにもかかわらず復興どころか島民の減少は続いたこと。阪神大震災においては被災者一人当たり4000万円かけたにもかかわらず長田区の空きの目立つ商業施設のような無駄な投資や神戸市が従来からの開発計画投資に振り向けられてしまったこと。解体までいれると戸あたり500万円かかる仮設住宅の効率性への疑問などを検証します。


また、今回の復興計画についても、瓦礫費用(著者の推計では一次補正予算の額も過大)の二重計上や震災復興とは関係ない項目が雑多に並んでいること、巨大な公共事業は時間がかかるため、かえって地場産業の復興を遅らせ、人口流出を加速させるデメリットが多いことも指摘します。  

雇用創出とは、震災前の東日本にあった生業を再建することではないか。  節電も林業の復興もエコタウンもレアアースの安定供給も配合飼料の価格安定も震災とは本来関係ないではないか。  

ちなみにこれは公共事業の本質に関わっていて、経済効果の高いインフラ事業を促進した場合には地元はその恩恵をすぐに享受するために政治の支持基盤もすぐに弱体化する反面、経済的に非効率な公共事業を推進すると事業予算の消化を自己目的とした土木工事を延々と続けることで集票組織を維持できる、という研究成果が引用されています。  


そして、復興のポイントとして、政府は公的部門が新しい産業を興すという過去一度も成功したことのない絵空事を描く前に、元からあった東北の産業を早期に復活させるべきとします。  
具体的には、東北の所得の源は農業・漁業・観光と、90年代後半から誘致が進んだ電子・自動車のサプライチェーンにあり、電子・自動車のサプライチェーンは既に民間企業により復活している。農業・漁業は人的資本はあるが物的資本が毀損した状態にあるので、個人財産(漁船など)の復活を援助するのが最も安価な復興支援策になると主張します。  

中央集権組織は、地域の実情について何も知らない。地域が復興するとは、東北の所得の源を復活させることだ。それは個々の人々の個人採算の復活になる。組織の役割は、個人財産の復活が不公平にならない仕組みをつくり、それがきちんと機能するように監督することではないだろうか。このような機能は、(注:復興庁を作らずとも)既存の組織でも果たせるのではないか。    


さらに、復興計画についても効率性の必要を説きます。  
たとえば高台移転についても、皆横並びで時間と費用のかかる高台移転をせずとも、リスクはあるが危険ではない床上浸水以下の被害にあった地域を(一定の防災対策をとったうえで)可住地域にすれば居住を放棄するのは10%で済む、そして、費用のかかる田畑の除塩も、住宅用地として買い上げて他所に移転する等で効率的に整備できるとします。


被災地を見ると、未だに必要な支援が行きわたっていないと思うことも多いですが、それは全体額が足りないのではなく、配分の非効率の問題だ、ということを、テンポのいい語り口に憤りをこめて熱く解説しています。

以前「復興庁ではなく査定庁」宮城知事、復興交付金に怒りあらわ(2012年03月03日 河北新報) というニュースもありましたが、(時間がなかったという事情はあるかもしれませんが)宮城県も震災前の事業計画を要求に入れてきたりしている部分もあったというような話も聞こえてきます。

報道では「善玉・悪玉」という切り口で語られがちですが、被災地の当事者の中にもそれぞれの事情や利害関係があるわけで、巨額の国費を支出する以上、その有効性・ムダの排除をしっかり見極めるべきだと思います。


若干違和感のあったところは、漁業についてのくだり。
著者は民間企業の参入(それは乱獲をもたらすだけ)よりは個人財産(漁船など)の補償が復興への近道と主張しています。
ただ、現地では数多くの漁港が堤防の損壊や地盤沈下という被害を受け、漁港の再建自体にかなりの土木工事が必要です。 漁港が整備されなければ漁船があっても漁業はできません。
一方で宮城県・岩手県で200を超える数の小規模漁港があり(参照)、早期かつ効率的な復興を考えれば、全ての港に予算を振り向けるのでなく集約化についても議論が必要になるように思います。
それに、企業が進出するとすれば、経営規模が小さい沿岸漁業でなく養殖業が主になるようにも思うので、そこの基盤整備に民間資金を入れさせれば収奪漁法のようなことも起きないように思います。  


予算は一度通ると検証されないという日本のまずい癖を省みるとともに、復興において何が有効なのか、国と地方自治体と被災者個人の負担はどうあるべきなのかを改めて考え直すにはおすすめです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『日本の雇用と労働法』

2012-05-05 | 乱読日記

著者は『弱者99%社会』の論者として登場した濱口桂一郎氏。

本書は労働法の本、というよりは労働法制度を歴史的背景を含めて俯瞰した本です。

本書の第1章の書き出し。  

 本書ではまず、日本型雇用システムの本質を、雇用契約が職務の限定のない企業のメンバーになるための契約(空白の石版)であることと捉え、ここから長期雇用、年功賃金、企業別組合といったさまざまな特徴が導き出されることを説明した上で、そのシステムが歴史的にどのように形成されてきたのかをごくかいつまんで述べます。  
 次に、しかしながら日本国の法制度は他の国々と同様に、雇用契約を労働と報酬の交換という債権契約と定義していることを示し、この現実社会の姿と法律の建前との隙間を埋めてきたのが、戦後裁判所の判決で確立してきた判例法理であることを明らかにします。
 そして、空白の石版である雇用契約に代わって具体的な雇用労働条件を定めるものとして、企業が定める就業規則が雇用関係の根本規範としての地位を持つようになってきたという日本社会の特徴を描き出し、就業規則に関わるいくつかの判例法理を解説します。

「そんなこと常識じゃないか」と具体的な事件や法制度・判例まで頭に浮かんでくる人には本書は不要だと思いますが、私のような半可通には、個々の法律や判例を俯瞰する視点が新鮮でした。  

たとえば職能給と成果主義のくだりでは成果主義が根付かなかった背景をこう分析します。  

労働法学や人事管理論も含め、現代日本では年功制と成果主義を対立させて論ずることが多く、賃金制度論としては職務基準かヒト基準かが最重要であるという基本的な認識が希薄である・・・ために、年功的に運用されてきた職能給を成果主義に改めると、成果を評価すべき基準自体が不明確になってしまったわけです。

そして、「メンバーシップ型」の雇用制度がより象徴的にあらわれているのが過労死問題です。  

 日本でのみ過労死・過労自殺問題がクローズアップされた背景には、上述の労災補償制度の違いとともに、日本型雇用システムに特有の問題として、ブルーカラーも含む正社員がメンバーシップ型出世競争の中で半ば自発的に長時間労働に駆り立てられ、しかも生活保障を失うことを恐れるためそこから脱出することが困難であるということがあります。ジョブ型雇用契約の考え方からすれば、労務供給と言う取引関係の相手のために死に至るというのは不合理でしかありませんが、メンバーシップ型社会では、死なない程度のギリギリまで長時間労働することが長期的には最も合理的な選択となるのです。
 その意味では、(日本以外の社会では自己責任でしかない)脳心疾患や自殺が労働災害とみなされるということ自体に、正社員の長時間労働が必須要件として組み込まれた雇用システムの特性が表れているともいえますし、「安全配慮義務」が、労働安全衛生法で規制された危険有害な業務に限らず、労働者の一般的な健康状態や精神衛生状態にまで及ぶということの中に、企業がその「メンバー」について公私の別なく配慮することが無意識的に前提とされているともいえます。  

僕自身は「命や財産までは取られないのがサラリーマンのいいところ」と思っているのですが、その考え自体がけっこう特殊と気づかされ、世の中には真面目な人が多いと実感することも多いのですが、雇用慣行や法制度自身が長時間労働を前提としている、という指摘を頭に入れておくことは重要だと思います。  


ただ最終章「日本型雇用システムの周辺と外部」で非正規労働について扱っている部分は(日本の法制度下では労働者はすべて雇用契約に基づいて働いているにもかかわらず「契約社員」という言葉が特定の就労形態を指す、というあたりのつっこみはさすがなのですが)、「メンバーシップ型vsジョブ型」の切り口で単純には料理できない部分もあり(非正規=ジョブ型、というわけでもない)切れ味の鋭さが欠けているのはちょっと残念。  


現在の労働法制や判例がどういう時代背景から形成されてきたかを理解するには役に立つ本だと思います。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『弱者99%社会』

2012-05-03 | 乱読日記

昨年のBSフジ「プライムニュース」の連続提言企画を新書化したもの。
(元になった番組は知りませんでした)

番組のコーディネーター役の宮本太郎北海道大学教授(本書の編者)の主張のポイントはつぎのとおり

 

1.全員参加型の社会-現役世代の社会参加を保証するしくみをつくる
2.社会保障と経済の相乗的発展
3.生活保障の再生を通じてのつながりの再構築
4.未来への投資としての次世代育成

 

これについてはあまり異論はないのですが、ではどうすればいいかとなると、なかなかいい解決策がない。「鶏が先か卵が先か」の議論になってしまうという難しさも本書は示しています。


いちばん参考になったのは「第5章 財源をどうするのか」
国際比較の中で、日本の社会保障制度がお金を使っている割に上手くいっていないことが示されます。

まずは「純合計社会支出」
税・社会保障に個人年金や医療費の自己負担など国民が福祉や生活の保障のために使っているお金の合計です。

 

 


本書では、高福祉のノルウェーより高い(お金の使い方が下手)という文脈でふれられていますが、これだけを見るとアメリカなどより低く、国民皆保険のメリットが出ているようにも思います。
ちなみに、本書の別の箇所によると、医療費の対GDP比はOECD諸国で最低と健康保険はコストパフォーマンスがいいようです。

 


ただ、そのあとは「お金の使い方の下手さ」の証拠のオンパレードになります。


現役世代の相対的貧困率(可処分所得が全国民の中央値の半分に満たない国民の割合)

 


 


OECD諸国で日本は第4位です。
実は日本は、税や社会保険料などを引かれる前の市場所得(当初所得)については、現役世代の相対貧困率はOECD諸国の中で低いほうから2番目で、再分配がいかに機能していないか、ということになります。



さらに「直接税と社会保障現金給付による貧困削減率」

 


 


日本は貧困削減率が低いだけでなく、制度自体が男性稼ぎ主が妻子を養う世帯をモデルにしたものなので、「共稼ぎ、一人親、単身」ではマイナス=再分配を受けると相対的貧困率が高くなってしまっています。
そもそも日本は子供の総人口に占める貧困世帯に属する割合がOECD諸国でも高いほうらしいのですが、再分配でそれがさらに助長されてしまっています。
本書は手厳しくこう指摘します。

 

日本の制度は結果としてみるならば、働くことも罰するが、子供を生み育てることも罰していると言っていい

 



また、社会保障支出の高齢者向け・現役世代向け割合(このグラフは別の章から)を見ると

 


 


よく言われるように高齢者世代に偏重していますが、本書によれば、それにもかかわらず日本では高齢者の貧困率が20%を超えていて、OECD諸国の中では7位と高い。
つまり高齢者にお金をたくさん使っているのに貧困を抑えられていないということになります。
特に高齢世代の方が現役世代より所得格差が大きいというのはOECD諸国の中では珍しいそうです。

ここでの論者は、高額所得者に対する年金所得も含めた課税(現在は公的年金等控除あり)を主張しています。
ただこれは企業経営者に対しては有効かもしれませんが、利子・配当所得など資産からの収入を主としている高齢者に対しては効果が薄く、では利子・配当の分離課税をやめる、となると実現性が薄い(相当時間がかかる)ようにも思います。
実際のところどれくらいの効果があるのか試算してみるべきだと思います(誰かがやっていそうですが)



最後に「第6章 政治をどう変えるか」に登場する印象に残った言葉。
藤井裕久議員が引用した、高橋是清の

 

「政治に信頼があれば、金は出てくる」

 

『高橋是清自伝』の苦労話を思い出してしまいました。さすがです。



「税と社会保障の一体改革」と言われながら「と」から「一体」までが棚上げされて消費税増税議論だけが焦点になるような気配もある中で、社会保障をめぐる論点の簡単なおさらいには参考になると思います。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「顧客志向の経営戦略」とか

2012-05-01 | あきなひ

 今週号の日経ビジネスからのメモ

視野狭窄に陥っていないかをもう一度考え直そうと自戒。


「顧客中心」と言い張る企業の“嘘”を教えよう 米アマゾン・ドット・コムのジェフ・ベゾスCEOインタビュー(前編)

顧客を中心に考えていると言い張る会社の行動を見て下さい。実際に何を言っているのか、何をしているのかを見れば、決して顧客中心でないことが分かるでしょう。メディアに対して最大の競合他社の名前を挙げる。これは競争相手中心であることの明らかな兆候です。もちろん、私はこれを間違いだと言っている訳ではない。会社によってはそれでもいいのです。

我々は市場シェアを自分たちで決めることはできないと常に思っています。最高の顧客経験を提供することに重点を置いてビジネスを展開するだけ。あとは顧客がアマゾンのシェアを決めます。アマゾンで買い物をするのか、それとも別のところでするのか。これは常に顧客が決めることです。  

しかし、新しい事業に進出する際には、私たちは経験が不足しています。その費用を顧客に払わせるようなことをしてはならない。初めて何かをするときには、必ず授業料を払わなければならないのです。未経験で分からないことがあるから我々は学習します。学習をしている間は投資期間です。うまくできるようになったら、投下資本利益が向上し、その投資は利益を生むものに化けます。

きれいごとなのか、本気で言っているのかわかりませんが傾聴すべきところは多いです(でも、日本に税金払えよ)。


 “問題児”に革新を託せ 日の丸電機再生への提言

これは『経営戦略を問い直す』の三品和弘神戸大学教授と元マイクロソフト日本法人社長の成毛眞氏との対談

(成毛)
「iPhone」もソフトがいいんじゃなくてハードがいいから評価されていると見ています。iPhoneは、ファナックのNC(数値制御)工作機械であるロボドリルを使って切削して作っているのできれいなんですよ。
 
一般的にはこういう製品は、金型を使った射出成型で作っているでしょう。それではデザインで勝ち目はないんです。でも、日本企業の経営トップや幹部の多くは、削り出しで作った製品を手に取って自社の製品と比べてみても、どちらが美しいかを見分けられない。この経営者たちのセンスが問題だと思いますね。

(三品)
モノ作りを現場に任せきりにしているからですよ。現場に委ねたら、少しでも製品を軽量化したり薄くしたりと、分かりやすい目標に向かって努力する。その点は責められません。
・・・日本のメーカーは製品の加工方法以前に、どこを目指すんだということがずれちゃってる気がしますね。


(成毛)
あらゆる企業は勝ったから強いのであって、強かったから勝ったという証拠はあまりないでしょう。  

僕はマイクロソフトにいたが故に、そう思っています。勝ったから強いんですよ。うまくやったから勝ったとか、経営がよかったから勝った。そういうことではなくて、勝ったから経営もいいと評価される。  「これでうまくやってきたから勝つことができた」と自賛しているような会社は、どうかと思いますね。

「ベンチマーク」と言ってるような企業は結局ベンチウォーマーから脱することはできないのかもしれませんね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする