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一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『サンシャイン・クリーニング』

2010-05-31 | キネマ
何をやってもうまくいかない姉妹が一発逆転を賭けて死亡事件のあった現場の清掃業に乗り出す、という話。
リトル・ミス・サンシャインの製作チームが手がけた作品で、世間からは笑われようががんばる人を描く、という路線の作品。

 ただ、前作は子供が主人公だったのに対し今回は大人が主人公なので、そう何事もうまくはいかない、そもそも「うまくいく」って何なのか、という大人の悩みを抱えたストーリーになってます。
 特殊清掃はひとつの道具立てで、30台半ばの女性の自分探しがテーマの映画です。

 なので、実際の特殊清掃現場は映画以上に凄惨なのでしょうが(日本の同業の方のブログ特殊清掃「戦う男たち」参照)、映画では比較的明るく描かれています。
 ストーリーとは離れて興味深いのが、同業者との争い。
 アメリカでは自殺と殺人で年間30万人以上が死亡しているだけに(参照)けっこう同業者はいて、新規参入者には「ショバを荒らす」と風当たりも厳しいようです。
 また、安全衛生管理・廃棄物処理規則などの講習会が充実しているのもアメリカならではという感じがします。


 映画としては前作ほどのカタルシスはないですが、それが大人の人生なのかもしれません。

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Moby D**k

2010-05-30 | よしなしごと

昨日寝る間際のつぶやき。
iPadを買って電子書籍をダウンロードしようとした医学都市伝説webmaster氏

「白鯨」を落とそうとしたら、なんとその題名が”Moby D**k”と伏字にされていた。ジョブスって、もしかしてポルノへの強迫的恐怖でもあるんかしら。それともおかしな「君側の奸」がいるのか。 http://bit.ly/dhEGIt " #iPad

気になったので iTune storeで検索したら、同名のこの曲も伏字になってた。

あまりアップル、またはスティーブン・ジョブズっぽくないように思うんだが、他人による規制は悪だが自分による規制は善だというような発想があるのか。 

Led Zeppelin Moby Dick - Earl's Court 1975 RARE - Part 1 / 3


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口蹄疫対策特別措置法成立へ

2010-05-28 | まつりごと

特別措置法の立法が必要だったということは、そもそものリスク管理態勢が不備だったのかもしれません。  

僕は口蹄疫についての知識は全くないのですが、緊急対応ルールというのは(企業でもそうですが、軍隊だとよりはっきりしているのかもしれません)緊急時には冷静な判断ができなくなるのでそれで後手にまわって損害を拡大することのないようにできるだけ考えないで対策を実施するために作られているのだと思うので、「エース級種牛を残そう」という議論が起こること自体、緊急対応ルールについての認識-ひいては現状が緊急事態だという認識が甘いんじゃないかと思います。

個別の農家の方の気持ちは想像できますが、ルール自体がそもそも不備だとか改訂直前だったとかでない限り例外を作るべきではないと思います。 
例外を作ってしまうと、基準が適当だったかどうかの検証もできなくなってしまうし。  


下の記事のやり取りは、東国原知事がまともだとするなら、情感処理のための政治的パフォーマンスなんでしょう。
受けてたった副大臣も含めて彼らの判断力と力量に期待したいところです。

宮崎・口蹄疫 種牛49頭処分は不可避 山田副大臣 強制権発動には慎重
(2010年5月27日 13:41 西日本新聞)  

宮崎県の家畜伝染病「口蹄疫(こうていえき)」問題で政府現地対策本部長の山田正彦農林水産副大臣は27日午前、宮崎県庁で記者会見し、28日に成立する見通しになった「口蹄疫対策特別措置法」について「これまで以上に防疫措置を迅速に進めるのが狙い」と述べ、ワクチン接種の徹底や殺処分後の埋却地確保に生かしていく考えを示した。
同県の東国原英夫知事が特例として延命を訴えている種牛49頭は「現行の家畜伝染病予防法に違反しており殺処分は免れない」と、特措法を持ち出すまでもなく殺処分を求める考えをあらためて強調した。

農家の方は僕などが気の毒と思っても何の慰めにもならないでしょうが、それについては別途保償とか経営建て直しの支援として考えるべき問題だと思います。


 

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『溜池通信 いかにもこれが経済』

2010-05-27 | 乱読日記

かんべいさんのブログの10年間のエントリの中から著者が「いかにもこれが経済」と感じられるものを厳選して本にしたものです。  
身近なことがらをネタに鋭い切り口を提示するところがかんべえさんの真骨頂で、当時のご時世が懐かしく思い起こされます。 

それ以上に深刻なのは、ここ10年間、ITバブルや今回のミニバブルを経ながらも日本の経済や社会構造が抱える問題や課題があまり変わっていないということがよくわかること。
結局この10年で日本は経済や社会構造のあり方を変えたり課題を解決したわけではなく、「失われた10年」のあとに「得られなかった10年」が続いているのかもしれません。  

そんななかで、かんべいさんは自在に世の中を切ってみせます。  

日本という国は、世界のあらゆる著作が自国語に翻訳されているありがたい国なんです。極端な話、インドネシアやベトナムを母国語として生まれてしまうと、外国語を勉強しなかったら世界の古典が読めない。もっといえば英語で『三国志』は読めないけど、日本語なら司馬遷もシェイクスピアも読める。こんな有利な条件を捨てることはありません。「英語文化圏がWindowsなら日本語はMacなんだ」と開き直ればいいんじゃないでしょうか。世界の脇役として生きていくというのは、日本人には似合った生き方のように思えます。  

たとえばこのへんのくだりは 『日本語が亡びるとき』『日本辺境論』 のコンセプトにも通じてたりしますね。ちなみにこれは2000年3月のエントリです。  


日々の経済ニュースのにぎやかさにだまされて「山までは見ず」の仁和寺の法師(徒然草第五十二段参照)になってしまいがちなところに、「実は本堂はあっちなんじゃないかな」とぼそっとつぶやいてくれるかんべいさんはあらまほしき「先達」といえましょう。  
ただ、実際に本堂にたどり着けるか、そこからどんな景色を見ることが出来るかは「法師」次第ですけど。

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檄のコツ

2010-05-26 | あきなひ

① 伝統崇拝とモダニズムの拒否
② 理性・知性への反発と行動主義指向
③ 多様性・異質性の排除
④ 国家・民族へのアイデンティティーの強調
⑤ よそ者への陰謀への妄想的被害者意識

これはウンベルト・エーコ『永遠のファシズム』で指摘されている「ファシズムの典型的特徴」ですが

・昔から我が社は幾多の危機を努力で乗り越えてきた
・今こそ小理屈を並べる前に客のところに足を運ぼう
・組織目標の達成のために一丸となることが大事だ
・このプロジェクトの成否が会社の将来を左右する
・そしてライバル社の攻勢に打ち勝とう

会社でもこんな檄をとばすことがあります。
多分人間の気持ちを鼓舞する一つのツボなんだでしょう。

檄を飛ばす立場の人間が目的と自分を見失ってさえいなければ有効な方法の一つではあります。

 

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『クラウド時代と<クール革命>』

2010-05-25 | 乱読日記
全文電子配信などのイベント性だけでなく内容も各方面で評判になっていたのでこれも遅ればせながら拝読。

表題からは"Japanimation"を中心に・・・とかいう本だったらいやだな、と一瞬思ったのですがまったくの杞憂。

ネットビジネスについて書いた本は最先端の企業同士の競争の話や「これからはこうなる」という最先端のライフスタイルの話が多いので、情報弱者の僕としては関心はするもののあまり腹に落ちてこない感じがしていたのですが、本書はネットビジネスを俯瞰して全体像を提示してくれています。


これからの時代に重要なのは「事業構想力」であるというところは説得力に富むし、それは競争スピードが早いネットビジネスの世界ではより重要でしょうが、他のビジネスでも大事だよな、と考えさせられます。

それはたとえば原発とか高速鉄道の輸出についても言われていることですし、日本復活のポイントとしてよく引き合いに出される「日本のものづくりの技術」とか「おもてなしの心」といっても、単品では大きなビジネスの一部を供給するだけになるのがおちということを、ネットビジネスの視点から気づかせてくれます。

勉強になる本です。


PS
本来は「事業構想力」は政治にこそ必要で、滑走路をどこに作るかというパズルの問題じゃないんだけどな・・・


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これからは「レナウン小姐」?

2010-05-24 | M&A

タイトルで年がバレますね(汗)  

TBをいただいて自分が過去にエントリを書いていたことを思い出したのですが、こんなことになってました。

レナウン、中国企業の傘下に 数十億円出資受ける方針
(2010年5月23日3時18分 朝日新聞)

経営再建中の大手アパレルメーカーのレナウンに対し、中国の繊維大手、山東如意集団(山東省)が出資を検討していることが22日、わかった。出資金額は数十億円とみられ、株式の3分の1超を取得して筆頭株主になり、グループ傘下に入れる方針だ。  

関係者によると、レナウンが山東如意を引受先として数十億円の第三者割当増資をする予定で、近く発表する。山東如意は現在、レナウン株の約25%を持つネオラインホールディングスを抜いて筆頭株主になる見通し。経営の重要事項の拒否権を持てる3分の1超の株式を握り、事実上傘下に入れるとみられる。 

過去のエントリはこちら
レナウン、その後(2009.5.9)
レナウン(2009.4.17)
一昨年からネオライン・ホールディングスに株を買われていて、経営権をめぐる争いがあったようですが(最近話題の木村剛氏なども登場していたようです)、ネオラインも(おそらく)金詰まりでこれ以上買い進めず、という状況はその後も続いていたようで、 今年の株主総会でも会社提案に反対するぞ、などと言っていたようです。

この一手はネオラインにとってはけっこうきつくて、中国側に自分の株を買い取らせせようとしてもTOB規制にかかってしまうので、出口がなくなってしまいます。

こうなったらネオラインとしては新株発行差止請求といくのでしょうか。


PS
昨日ネーミングの話を書きましたが、手元不如意のネオラインの上を行ったのが山東如意集団というのも皮肉。

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ネーミングの難しさ

2010-05-23 | M&A

インサイダー情報にかかわるような業務上の案件、特に相手先の会社名自体が明らかになるとまずいような場合は、案件名をコードネーム(暗号)で呼びます。  
このコードネームは、取引完了または没になるまでずっと使い続けるので、ネーミングのセンスが問われます。  

よくあるのが相手先の会社名や商品名をもじったりするものですが、あまりにばればれで暗号になっていないようでは困ります。 

たとえばトヨタ自動車との取引に「レクサス」とかまんま商品名をつけたり、「高木株式会社」を「ハイツリー」と単に感じに英語を当てはめただけ、というのではだめです。  

また、文字を置き換えてアナグラムにするというのもあります。 これはうまくはまるとかっこいいですけど、「YAMAHA」を「HAYAMA」にしたくらいではまるで「ギロッポン」でこれも暗号になってません。  

いちいち考えるのが面倒くさいのでシリーズものにしているという会社もあります。 
たとえば宝石で「ダイヤモンド」「ルビー」「パール」・・・とか。 
これは投資ビークルのネーミングではよくあります。  


コードネームや投資ビークルの名前はなんだかんだいっても使い続けていると慣れてくるので、だんだん違和感はなくなってくるのですが、忘れた頃になってネーミングが妙なネタになってしまうということもあるので注意が必要です。 
「湖」シリーズにしたときに「猪苗代」とか「浜名」ならいいんですけど「阿寒」がデフォルトしたらアカンだろう、とか。 実際使うのはカタカナ名前なものですから。
(ちなみに湖シリーズというのは昔提案したことがあったのですが、どさくさにまぎれてラムサール条約に指定されている由緒あるここを使おうと言い出すに違いないと勘ぐられ、没になったことがあります←悪ふざけという点では信用がないw) 

たとえば、いろいろ話題のFCレジデンシャル投資法人の3/25日付 資産の取得に関するお知らせに、物件の取得先として「ポイヤック・プロパティー合同会社」「オーブリヨン・プロパティー合同会社」というのが出てきます。 
それぞれ親会社のファンクリがアセットマネジャーをやっている利害関係人取引なのですが、5大シャトーの名前を付けるあたり、ファンクリが物件を仕込んだ頃はずいぶん鼻息が荒かったことが彷彿とされます(でも、6件目以降はどうするつもりだったんだろう)。 

まあ、こんな感じで、調子に乗ってとか言われかねないわけです。 
  
もうひとつ、上場審査時から粉飾決算をして上場廃止から一気に破産になってしまったFOI(参照)という会社があります。 
これなんかIPOのプロジェクト名に上のフレンチつながりで"foie gras"などと付ければ社名もこっそりはいっているし粉飾さえなければちょっと気の利いたネーミングだったと思うのですが、粉飾が明らかになった挙句の果てに肝硬変でご臨終になってしまうと、最初からグルだったろと言われても仕方のない状況になりかねません。  

ホント、小さいことなんだけど結構大事だったりします。

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出版業界の不況

2010-05-21 | よしなしごと

ぽんきちさんのブログやコメントを読むと出版社の経営も厳しいところが多いようですが、書店のほうも厳しいようです。
特に大型書店は品揃えを豊富にするためのコストがかかりすぎて、軒並み赤字だとか。 
店舗の賃料負担や人件費だけでなく、品揃えのために中小出版社の本も仕入れたところが返本できるはずが出版社が倒産してしまって在庫として抱えることになるという「もらい事故」もあるようです。  

確かにこちらをみると、毎年数社ずつ倒産しています。


一方でこんなニュースがありました。 大日本印刷、文教堂を子会社化 ジュンク堂や丸善と一体運営 (2010年5月14日 日本経済新聞)  

文教堂は大日印子会社のジュンク堂書店から25%強の出資を受け入れ、経営再建の途上にある。子会社化でジュンク堂や丸善などグループの書店と業務統合を推し進め、再建を加速させる。  
文教堂GHは郊外型の中小型店チェーン「文教堂書店」を全国で展開。大型店が中心のジュンク堂や丸善と補完関係にある。

記事を見ると、大型店だけでなく中小型店の文教堂も業績が芳しくなかったようです。 
確かに僕自身もほとんど本を買うのはネットだし、たまに丸善で専門書を物色するのですが、日本橋とOAZOという近距離に2店舗は正直必要はない感じもします。


ところで、今回救済に動き、書店グループを傘下におさめている大日本印刷も、出版印刷、商業印刷、ビジネスフォーム、電子フォームを含めた情報コミュニケーションセグメントの売り上げは全体の半分いってないんですね。
いや、まだ紙に印刷するのが半分近くある、というべきなのか・・・

 

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『仕事するのにオフィスはいらない』

2010-05-20 | 乱読日記

間に余談がはさまりましたが、たぬきちさん経由の二冊目。
これも佐々木俊尚氏の本。

こちらは、クラウドとスマイルフォンを駆使してオフィスに縛られずに働くワークスタイル(氏は遊牧民になぞらえて「ノマド・ワーキング」といいます)とそれを可能にするさまざまなツールを紹介しています。

こちらはより実践的で、ちょっとずつでも取り入れるとかなり無駄が省けそうです。
ただ僕の勤務先のPCはソフトのインストールの制限があるのとスケジューラーがLotus Notesでそれを同期させるなどのハードルは結構高そうなので、「ノマド」には程遠く、座敷から土間に出る程度になりそうです(ドマノ・ワークスタイルw)。  


著者はノマド・ワークスタイルを実践するポイントとして自己規律の重要性を指摘していますが、これは実は机仕事にも通じます。  



① アテンション(注意力・集中力)をコントロールする 
② 情報をコントロールする 
③ 仲間とのコラボレーション(連携、協調)をコントロールする  


たぬきちさんの最近のエントリにこんなことが書いてありました。 



「僕、はっきり言ってiPhone使ってなければ会社辞めようともブログ始めようとも思わなかったですよ」 
「それは?」 
「こいつで、いつでもどこでも、誰とでも繋がれるって情況がなきゃ勇気が出なかった、て」  


たぬきちさんはブログというキラーコンテンツを軸に繋がることができているわけですが、僕なんかだと「とにかく繋がっている」ことが大事で、忙しくする割にかえって生産性が落ちるので上の①~③のすべてに欠けることになりそうです。  
実はこれもサラリーマンのような、組織内での仕事にも共通で、仕事の目的が組織目標を達成することでなく「組織に繋がっていること」になってしまうと、無駄な会議ばかりが増えることになります。 
そしてそういう人は定年になると「繋がり」が切れてしまって急に元気がなくなったりするんですよね(自戒、自戒。)  


話を元に戻します。
本書の後半はさまざまなクラウド・サービスやスマートフォンをつかった「知的生産の技術」が満載です。 

ふと思ったのは、「こういう便利なものがあってこれを使うと生産性が飛躍的に伸びる」という切り口は「勝間本」と似ているのですが、こちらのほうがすっと頭に入ってくるのはなぜか、ということ(といっても僕は勝間本は3冊くらいしか読んでませんが)。 本書は佐々木氏の実践と苦労に裏打ちされた語り口のためか(決して勝間さんがそうではないとは思いませんが)。

佐々木氏のほうが年齢が近いとか、実は生産性だけでなくてマニアなこだわりを許容しているという文化はあるからかも知れません。 





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ひとりごと

2010-05-19 | 自分のこと

昨日のエントリのつづきで、じゃあなんで僕はブログをやってるんだ、ということをもう少し考えてみました。

ちょうどイトイさんに聞く「Web2.0」(その3)の耳の痛い指摘があります。

一部のブロガーさんは熱心だし、本当に頭がいいですよね。伝えることもあるし。僕はただただ、凄いなぁと尊敬して見ているんです。でも、そんな人ばかりじゃない。ブログを書くためにせっせと集めている情報って、一体その人個人にとって本当に必要な知識なのかなぁって、思うんです。否定しているわけではなくてね、そのエネルギーで、結局、何をするのか、という部分が見えにくいんですよね。  

そのエネルギーで結局何をするのか?
 
最初にこのブログを始めたときは、僕は忘れっぽいので旅行や読書の感想とか、これとこれは実はつながってるよねというような思い付きを日記代わりに書こうと思ってました。
そのあと、コメントをいただくようになって、あらためて普段「立ち止まってちょっと考えてみる」ということをやってないよなと自覚をして、ちょっと考えてみて文章にしてみようという風になりました。 
これはけっこう勉強にもなったのですが、<使う時間=話題の幅×考える深度>という限界があるので、よほどはまるネタがない限り「広く、ちょこっと深く」というのが多くなってます。 

もうひとつの理由としては、深く考えたつもりでも文章にするとまとめ方が定型化してしまうという自分の欠点があります。  
これは仕事で「簡潔、明瞭、定型化」の説明資料を長い間作っている悪影響ではないかと(そのせいにしておこう)。 
結局組織で動いていると、市場分析だとかリスク要因だとかコンプライアンスだとかCSRだとかいろんなことに配慮しなければならなくて、結局「目黒の秋刀魚」になっちゃうんですよね。
そうすると「これをやりたい」にたどり着くまでのアイデアの当初の勢いとか方法の取捨選択に悩んだ過程とかそのへんのダイナミズムが失われてしまいがちになるわけです。  

上の記事で糸井さんはこういってますが、これは非上場のオーナー社長ならではの醍醐味ですよね。  

考えてみると、僕は本職の仕事をする時にはちゃんとやっているんです。周囲の人に「あの件は考えなくてもいいの?」と言われても、「いや、考えなくてもいい」って、どんどん決めてやっているんです。それでもなんにも問題はないんですよ。

で、仕事外のブログネタでは、そのへんの勢いやドロドロ・グルグルしたところを思考過程の全体の雰囲気を生かしたままそのままうまく言葉にできればいいんですが、そこまでの筆力がないので結局論理的な整合性をつけたり留保をつけたりする「目黒の秋刀魚」になってしまうわけです。 

そうでなければTwitterのように、切り口だけ提示して思わせぶりをするとか。(Twitterでの議論を見ていると、140字の制限のために考えの「核」のところだけしか書けないので、「お前の反論はそもそもよくわかってない」「そんなことはいってなかっただろう」というようなすれ違いになりがちですね。)  


まあ、そんなことを考えながら、日々是精進でございます。
(って、またまとまりがないしw)

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『ネットがあれば履歴書はいらない』

2010-05-18 | 乱読日記
副題の「ウェブ時代のセルフブランディング術」は内容を必要十分に表現しているものの、古典的サラリーマンで情報弱者の典型である僕には猫に小判、豚に真珠。
ただ、問題はいつまでも猫や豚でいていいのか、または猫や豚でいられるのか、というところなんだよな、とか考えながら読んだ本。

というのはこの本はネットで話題になり最近はメディアにも取り上げられているたぬきちの「リストラなう」日記を、同年代のたぬきちさんの身と自分を重ねたり比較したり(抑制の利き方と思いの伝えるバランスがとてもいいしこういう文章はなかなか書けないんだよなぁとか)しながらブログを読んでいたなかで紹介されていたから。

webの発達によって「会社の名前で仕事をする」からエキスパートの集合体としてのワークスタイルへの変化が進む中で、ネットを利用してセルフ・ブランディング=自分の価値を広めることで仕事をしようという提案とそのためのツールや心得を、著者の佐々木俊尚氏が自らの経験や取材をベースにわかりやすく書いています。

とりあえずのところ僕はまだ猫か豚でいられるようなので、こんな垂れ流しのようなブログを匿名で書いているのですが、じゃあフリーで生きなければならなくなったときに自分の仕事にどうつながるか、というのはあまり考えたことはありませんでした。
本書でも取り上げられているエゴサーチ(=自分がネットでどのように取り上げられているかを検索する)を自分の実名でしてみると、ヒットするのは6件、しかも同じサイトの重複と「姓名判断」を除くと実質4件という有様です。それも参加している会合の名簿とか(笑)
まあ、同姓同名で変なことをやってる人がいないのが救いですが・・・

こんな状態のうえに個人的には特別な専門性もなく、Twitterをはじめたもののろくにつぶやきもアクセスもせずという状態なのでセルフブランディングどころではないのですが、世の中にそういう流れがあって、ますますいろんな便利なツールが出来てくるということを知ったことは意味がありました。

そんなことでいいのか?いざとなってからでは遅いのでは、という考えも頭をよぎるのですが、経験からいうと、将来の「いざ」は事前に内容はわからないし、事前の備えは往々にして頭でっかちになりがちなので、それに頼り切る=危機をもたらした思考回路、前提条件にこだわることはかえって傷を深くする原因にもなりかねません。
結局は直前の危機感知能力と状況を客観的に評価する冷静さと活路を見出す適応力が重要で、それを発揮するためにどこまで緩やかで応用の利く環境を整えることが大事なんだと思います。

まず何から手をつけようか、と考えるきっかけになっただけでも意味があるかと思います。


結局サボってしまうかもしれないけど(汗)



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『セントアンナの奇跡』

2010-05-17 | キネマ
素材はいいんだけど料理法が・・・

NYの郵便局で働く男ヘクターが、切手を買いに窓口に現れた男を突然射殺。彼の部屋からは、イタリアで行方不明になっていた彫像の頭部が発見される。ヘクターと殺された男の関係は?
実はヘクターは第二次世界大戦中に黒人部隊“バッファロー・ソルジャー”の一員で、事件の鍵は1944年のイタリアにあった・・・

と話は展開していきます。


第二次世界大戦中の米軍内での黒人部隊に対する差別と「黒人差別」自体を知らないイタリアの村人たちとの交流を対比させながら、そこで起こった悲劇が謎解きの鍵になり、そして最後の「奇跡」につながっていく、というストーリーなんだけど、今ひとつ食い足りない感じがしました。

監督はスパイク・リーだと後で知ったのですが、確かに黒人部隊への差別や黒人兵の鬱屈、そして黒人兵といってもステレオタイプでなくさまざまな人物がいる、という描写の部分は力が入っています。
その反面、戦闘シーンや兵士同士の会話などは意図的に戯画化されたかのようにちょっと陳腐です(タランティーノが少し入っていた感じ)。

全体に散漫になってしまっていて、その結果、最後の「奇跡」は都合よすぎた感が出てしまいました。


ストーリーの筋自体はいいので、構成・編集をもっと工夫すれば、最後の謎解きから「奇跡」までつながって盛り上がったと思うのでちょっと残念でした。



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『サブウエイ・パニック』

2010-05-14 | キネマ
『サブウェイ123 激突』
の元になった映画。1974年の作品です。
東京の営団地下鉄(当時)の幹部が見学に来るシーンが冒頭にあったりはしますが、さすが2度もリメイクされているだけあって、ストーリーの完成度は高く、また道具立ても地下鉄というほぼ当時から確立した運送手段なので時代を経てもあまり古びた感じがしません。

 
主演の鉄道公安官役はウォルター・マッソー。個人的には「がんばれ!ベアーズ」の印象が強いからかもしれませんが、パンダはおとなしそうに見えるけど実は熊の仲間、甘く見ると痛い目にあうぞ、というキャラクターを好演しています。


(以下ネタばれ注意)



アメリカではくしゃみをすると"(god) bless you"と声をかけますが、この作品でウォルター・マッソーは別の声をかけてます。なんだろうと後で調べたら、"Gesundheit"という言い方もあって、これはドイツ語で、お大事に、の意味だそう。これはドイツ人やユダヤ人も使うようです。
Wikipediaによれば、ウォルター・マッソーはNY生まれだが祖先はロシア系ユダヤ人らしく、これを使っていたのではないかと思います(DVDに英語字幕がなかったので確認できず)。

映画ではこれが重要な伏線になります。

この伏線も、他の映画やTVドラマでけっこう流用されていたんんじゃないかと思います(すぐには思い出せないけど)

 
多分いろんなところで「お手本」になった映画ではないかと思います。


こうなるとリメイクするにはストーリーを少し変えるか、人物造形や背景事情を現代風にするか、手の入れどころが難しいですね。『サブウェイ123 激突』はどうせやるなら犯人の設定をもっと現代風にアレンジしてみてもよかった野ではないかと思います。



ちなみに『サブウェイ123 激突』のエントリで

現金輸送でトラブったときに、市長が「何でヘリで運ばない?」と言うシーンがあったのですが、これはひょっとしたらプロデューサー側からの「アクションシーンを入れろ」という横槍があってそれに対する皮肉だったりするのかも。

と書いたのですが、実はこのシーンは原作を忠実に再現しているところでした。


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『差別と日本人』

2010-05-13 | 乱読日記

被差別の出身である野中広務氏と在日朝鮮人辛淑玉氏の対談。 

このタイトルを見た瞬間、「日本人の差別意識を書いた本」=ここでいう「日本人」は差別する側の人だけで構成されていると思ってしまった人(それは僕です)ほど読むべき本。
本書にもありますが、オバマ大統領は黒人と白人のハーフなのに「初の黒人大統領」と言われていて、それは国籍の有無にかかわらず「在日○世」とされるという線の引きかたとも同根ですね。


本書は二人の対談+辛氏のコメントという形式になっています。
このコメントがあることで、対談本にありがちなわかったようで実はわからないまま読み流してしまう、ということがなくなります。 
その反面、必然的に辛氏による評論の色あいが濃く出ています。ただ、野中氏は差別についてあまり直截的に語らない一方で、辛氏はストレートに切り込んでいるので、これはひとつの補助線が引かれている、と考えればいいと思います。  

しかし、以下のような洞察はきちんと受け止めるべき。

差別とは、富を独り占めしたいものが他者を排除するために使う手段である。そして、この差別は、する側になんとも言えない優越感を与える享楽でもある。

差別は、古い制度が残っているからあるのではない。その時代の、今、そのときに差別する必要があるから、存在するのだ。差別の対象は、歴史性を背負っているから差別されるのではない。  

これは「いじめ」などにも通じる構造。  

さらに、辛氏は在野で既存権力(特に司法や行政)に批判的な立ち位置で活動してきたようですが、そこからみた「政治家野中広務」像はなるほど、という部分もあります。  

「野中広務」という政治家は、談合で平和を作り出そうとする政治家だった。(中略)(野中氏は)人間の欲望や利権への執着といった行動様式を知り抜いているからこそ、それらをテコに、談合と裏取引で、平和も、人権も、守ろうとしたのではないだろうか。それも生涯をかけて必死で。 




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