今日9月18日は満州事変勃発の日です。
馬鹿な左翼は満州事変は日本軍国主義による中国侵略戦争などといまだに言っていますが、満州事変は日本とアジアを守る闘いでした。
何から守ったのかと言えば、欧米植民地支配と中華帝国主義とソ連の共産主義からでした。
日露戦争の後、ロシアと清朝との条約により日本は満州の一部を支配することとなりました。
日本の支配下にあった満州は辛亥革命と中華民国成立の混乱に巻き込まれず発展を遂げました。
ところが第一次大戦後、中華民国は満州は自分たちの領土などと勝手な主張をするようになりました。
満州は清朝発祥の地で、漢民族の住む満州以外の中国とは違い辛亥革命で清朝を倒した漢民族に領有権などありません。
ちょうどチベットやウイグルや内蒙古と同じで、辛亥革命と第一次大戦の後、民国は満州も含めたこれら諸民族の地の独立を認めるべきでしたが、民国は逆に自分たちの領土だなどと主張をしたのでした。
ちょうどソ連がバルト三国やウクライナを支配下に入れたのと同じです。
この勝手な理屈は中華人民共和国にも引き継がれ、そのために現在のチベットやウイグルは中共の残虐な支配のもとで苦しんでいます。
話を戦前に戻しますと、蒋介石の率いる民国の軍はやがて満州に迫り満州を支配下に置こうと狙うようになりました。
中共も当時のソ連と組んで満州を狙っていました。
これを放置すれば満州が戦場となることは目に見えていました。
そこで日本軍が先手を打って起こしたのが満州事変です。
この闘いに日本が勝利した結果、満州は中華民国と中共の支配する中国から切り離され、大東亜戦争まで平和で経済的に繁栄することができたのでした。
満州事変は満州での日本の権利を守るための自衛の闘いでした。
自衛権とは敵が日本の領土に上陸してはじめて追い出すような呑気なものでなく、満州事変で石原莞爾らがやったように、危険な敵の侵入を未然に抑えることです。
それと漢民族以外の中国周辺の民族も中国の領土だなどという中国の勝手な主張から、アジアの諸民族を守ろうとした闘いでもあったのでした。