花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

ラスト エンペラーの映画のように病院は復活できるか?

2008-12-03 05:25:50 | Weblog
     何回も 何回も観た「ラストエンペラー」

テレビでも、最後の皇帝が、
戦後
普通の人間として、
「常識的な生活が出来るようになるまでの年月」が
ドラマとして放映されました。

大きな背景が権力で侵略してゆく時、
政治的に利用されてゆく皇帝。

翻訳では
「皇帝に乾杯」!と字幕が出ていた映画もあった。
これは、
「陛下に乾杯!」という字幕になるのが妥当なのかな?

何にしても、
侵略してくる勢力は

これから手中に収めようとしている
国やゾーンの

まとまりを分断して、

本来は一つのはずの国を
バラバラにまとまりのない国にしてゆく。

国の中で内乱がはじまると
いくつかの勢力の一つの

後方の黒幕のような盾になって
背後の見えない位置から、

時代に取り残されそうになっていた
皇帝陛下を擁立して
侵略目的の国を
支配しようとする。

しかし「民主化」の波は
皇帝の時代を押し流してゆく。

日本も、
現在のような民主国家に到達するまでの間には
歴史を揺るがすような
軍の歴史があったことが
ドラマの中から哀しいまでに見えてくる。


***********************

今、医療界に置き換えてゆくと、
「医療の品質」が「病院の品質」が問われている。
医者以外のジャンルの「経営」「運営」「数字」の世界の
文系や経理や運営、経営の社員の手に握られる時代が来た。

紀伊国屋の2階にまた、
今日もやってきました。

本のページをめくると、、、、

現場を知らない勢力によって、
支配されてゆこうとする時代に突入した。

本たちの言わんとすることを手短に述べるなら、

「医師の人々」は「城主」のような
独立した自我を貫く
「力」と「道」と「人脈」を持っている。

その、
個々の独立した心の「
城主の集まり」が
一つの大きな病院という形態になり、
各科独立して

毅然と医療に向かうとしたら、、、

各科それぞれが
「城主」のようにまとまっているだけに、
「医師」の中から
カリスマ的に大病院を引っ張って行くリーダーが
各科にいらっしゃるという事になる。

当然「大きな科」の特徴が出てくる。
「外科」と「内科」も病院の舵に大きな影響力を持つ。

どんなに大変でも、
どんなに苦しくても、

自分たちが主体で
この!「病院という船」が航行するという自覚が
100パーセントの力を越えて、
超人的な働きも可能にしてきた。

しかし!!!
時代は大きく変わってきた。

舵は「各科のリーダー格」の「医師の手から離れ」
株式会社の「定款」の手にゆだねられる時代がやってきた。


株式会社は、文系や経営の数字に強い
バンカブルな、運営サイドの支配によって
「医師」という「社員」を統治してゆく。

少数の会社幹部の会合で決まる時代が来た。

手段は選ばない。
自分たちの都合の良い「ラストエンペラー」を
医師の仲間の中から選ぶのである。
選ばれた医師は、「抜擢」という栄誉を手にする。

医師仲間が、
現場を把握しない運営や経理サイドの
権力によって、
「人事権が駆使されるという苦痛」を考える前に

自分の輝きに目がくらむのは
人間として、
ありがちな盲点である。

現場を知らない会社幹部の都合で
定款の法の下で

病院に侵略する為には
創立樹にすでに計画されていると
本は叫んでいる。

病院の土地、
医療器械、
施設に融資をするときに
20年後の会社経営が計画されていると
本は大きな見出しで読者を呼び込む。

当然、
創世記から軌道にのせるまでの
激動の時代を背負った
功労者の勤続20年以上の先生方は
隅に追いやられてゆく。

経営サイドは
「病院を若返らせてゆく。」
見かけと、合理性と経営サイドの価値を掲げる。

80歳の患者さんの気持ちは
60歳の勤続勤務の医師に支えられていたりする。
医療は年齢を超えて命の重さを平等に受け止める

新しく会社の侵略に選ばれた
ラストエンペラーの立場の先生は
数ある先輩のや古参の先生をさしおいて

栄光の座に抜擢された自分の才能に高揚した
満足感で、何も見えない。

見えていたとしても
自尊心が先立つ。

現場を知らなくても、
私が橋となって会社の幹部の盾となれると
信じるだろう。

現場を把握するスタッフからは
何と思われようとも

「エンペラー」として
乾杯を受ける。


「乾杯!、、、経営陣のエンペラーに!」

こうして、現場を支え続けてきた
古参の各科の城主は
経営サイドの支配権を駆使するのには
扱いにくい存在として

後期高齢者の適用となる
保険制度のように
当然の権利を叫ばねば
隅に追いやられてゆく。


「医は仁術」
心の時代が終わり

経営が病院を動かしてゆく。


つまり、現場を把握して、
「現場の心」をしっかりととらえている
医師のリーダーが
各科に出てきて、
輪になって
病院という
船の舵を動かしていた時代があったにもかかわらず、、、

一丸となって
医療世界を
信頼の絆で結ぶべく
主役の
医師と患者の絆が

「訴訟」や
「患者様」という
我がままの言えるような
勘違いする呼び方に変わりました。

一部の医師の
「認識」の違いも、
一部にはあり、

本来は
病気と一緒に戦う仲間であるはずの者同士の
「絆」が
ズタズタに切られて

「信頼関係がなくなっていった。」

マスコミは
「患者主体」の意味を
取り違えて
報道する日々が続きました。

患者様と呼ばれるようになって
主体が患者さんになったとするなら、
責任も患者さんにあることを認識することが
大切だと思います。

患者さんは、
自分の責任をさておいて
わがままになりました。

医師を選び、
病院の梯子をする方も現れました。
先生から先生へと
移りながら診療を
受けるようになりました。

病気の主体が
「患者さん」である以上
医師は、
病気と闘う患者さんと

戦場へ同行する戦友のように

患者さんが病気と闘う戦場の
「軍師」のように

医術を提供し、
病気に勝てるように
サポートしてきたと思うのです。

病院は
「病気と闘う患者さんの為の環境」を提供すると思います。

現場の把握をしている
医師と、
コ、メディカルの皆と

「患者さんの信頼」が

一丸となってこそ、
「病院という船は健全に航海できると思うのです。」

信頼が力となって

嵐の日も、
高波の日も、
医者は150パーセントの力で
「船の航行」に全力を尽くす
「やる気」が生まれてきました。

自分たちが「舵」を握っているという
責任と誇りが
150パーセントの
「やる気」を起こさせていたと思います。

ひたすらに、
ひたすらに、
命がけで守り続けた船は

いつしか、
会社の経営陣の手によって
舵が握られ、
現場を無視した権力で
経営や運営や、
事務の数字で見るバンカブルな方向に
船の舵は取られてゆきました。

医師たちは
「やる気」を亡くし
150パーセントの力は
魔法が解けたシンデレラの馬車のように
かぼちゃの馬車となりました。

一人、、、
又一人、、、
現実の空しさに
「やる気」を無くして行きました。

舵を握った経営の三人組みは
会社法が決めた「定款」の一行を
船の旗として掲げ

誇りある医師達の
ビジョンの旗は降ろされ
経営陣に選ばれた
「ラストエンペラー」の医師は

医師たち全員に
現場の声で選ばれた自分であると
思いこみ
経営陣の旗を掲げ

乾杯!、、、
「経営陣のバンカブルな会社病院の為に!」

こうして、
「患者さま!」として、
マスコミからも、
はやし立てられ、

「私たちは客よ!」と勘違いし

夜昼、
医師を酷使した小児科も、
産婦人科も、
患者さんの
医学を知識で浅く認識すると
些細なことでも
訴訟が起こりはじめました。


「ありがとう」のかわりに
突きつけられた訴訟で
医師は辞めてゆきました。

医師と患者さんの
「絆」の間に
マスコミの攻撃が続き
「まるで原子爆弾を落として、
医者の信頼を、

患者さんとの「絆」を
木っ端みじんにしてから、、、」

医療を支配する権力や会社が
宇宙人のように顔を表しました。

一生懸命「医学」の道を見つめ
ぎりぎりまで、
医療にささげた医師は

当然、、、
経営まで頭を回せる時間がありません。
医師の中に
「病院経営のプロは少ないと思います。」

「病院のプロの経営者」を
文系や、
経営学や
経理の人材に
ゆだねる時代が来ました。

!!!!!!!!

ここで、会社組織の登場となったのですが、

現場を把握する医療知識のない経営が
さまざまな「机上の文献」や
「会議場の知識」や
講演会での知識によって
病院の権力を握り


抜擢によって選んだ医師を
「ラストエンペラー」迎えて、
乾杯!経営陣の会社の定款を囲む3人に乾杯!

本末転倒のサポートになりました。

現場の熟練者である院長は
人事に発言権はありません。

長年の年月と
地域との信頼と
医療人同士の医療提携を
見抜けない経営サイドの人事が
病院を
「やる気のない病院に追いやって行く」

紀伊国屋の医療崩壊の本棚の前で
ページをめくりながら、
自治体の病院など
荒廃した病院の紹介が掲載されていました。

まだ!!!!間に合う!
現場をよく知るスタッフ!

現場で舵を握ってきた功労者の
船員のように

「軸」となって仲間に信頼の厚い
医療のスタッフの
チーム力を尊重してはいかがでしょう!。

揺れる船の
舵を戻せば!
まだ!!!間に合う。

本のページは叫んでいる!

医師の性格は、、、たぶん、、、

「自分の船の舵は自分で握る」ことで、
「やる気」に気合が入り

「強敵の病魔の持つブラックホール」に吸い込まれないで
患者さんを
健康ドーンに引き戻す
超人的な
集中力が宿ると!、、、思いました。

病魔と闘う「気力」と「やる気」を支えるのは
経営陣の謙虚な
病院を愛する奉仕のサポートだと思います。

三人やそこらの現場を知らない
非医療人の経営者が
現場の意向を無視した「会社の定款」の
法的権力で
形だけ整えても、
病院は「医師」「スタッフ」の現場の各自の誇りにかけて
自ら湧いてくる「やる気」「気力」が
病人の持つ負のエレルギーの荒波を乗り切る
医療の現場の力となるはずです。

病気の持つブラックホールに向かう気力と「やる気」が
医師のみんなから奪われては
病院は建物だけの空しい廃墟となって行くと思うのです。

医師も自分の船の舵は
現場を体で体験していない素人に渡しては
航海の航路は北北西に進路をとれません。


医師の気力!
医療スタッフの気力!

これが病院の力です。

病気に向かう「やる気」を起こさせる人事は
現場から「生えてくるリーダー」にゆだねるのが定石と思いました。

経営陣が
「医師は常識がない、、、???」などと考えて
サポートを忘れて、
自分たちの権力の指揮する病院を夢みて、
自分たちの権力闘争の欲望の為に
外部から「特別扱いの医師を招き入れて」

「ラストエンペラー」の様に
医師を擁立して背後から
病院の舵を取ろうとしても、
絵に描いた餅のように
「食えない医療施設」として、
「気力の萎えた医療施設」
「やる気のない医療施設」
として
崩壊してゆく雑誌が、
紀伊国屋にはいっぱいありました。

医師は、机上で、会議で
又、外国のシステムを知識で振りかざした
非医療人の「駒になれない」とインタビューは続いていた。

患者さんも、
「患者様」と
たてまつられて、

唯一「
病気と闘う戦場の戦友のような医師」との
「信頼の絆」を

一部の不心得な
悪徳医師の
クローズアップの報道戦略で
必要以上に
医師への不信を仰ぎたてられました。

戦略の手りゅう弾で
木っ端みじんにされて
弁護士の稼ぎ場所の訴訟となってしまい、
簡単に、すぐに
「医師を訴訟」するという
とんでもない風潮の時代になりました。

患者様とたてまつって
医師との「信頼関係」を揺るがし続けたマスコミ戦略。

ばあちゃんの子供のころは
医師と坊様には手を合わせて感謝したもんじゃった、、、そうな。

病人の持っている
不安、依存心、
人のせいにしないと生きてゆけない
現実逃避、、、etc.

当然の権利のように
原点にある「欲」と
自尊心。

訴訟するとお金になるという弁護士の勧誘。

こうした事実が
多くの、
素晴らしい小児科医を閉院に追い込んでしまい、

産婦人科医を
どんどん少なくしていった原因の一つとして
本は、
大きな見出しで取り上げていました。

日本の女性は
子供を産まなくなりました。

なぜ?なのでしょう?

感謝という「ありがとう」が無くなった事も
大きな原因かも知れません。

マスコミも、
マスコミの存続価値のアピールのための報道が
日本の根底を揺るがすことになったのかも知れません。

本当に、、
取り上げなければならないのは、
有名人や著名なキャリアウーマンや
自分の為の人生を生きた人よりも、

報いられる事はなくても、

ひたすら子供を育て、
やがて
空の巣症候群から
おいてけぼりの自分に絶望して
更年期の孤独に落ちいっても

気力雄々しく
立ち上がり

60歳から、自分を生きた
「日本の母ちゃん」を
報道することで

素敵に生きる
女子アナ的な
キャリアウーマンも
自分に生きる30代の女性も、

命を産むことの重さが

命がけでの子育てが

自分自身をも育てる事に
気づくのでは無いでしょうか?

子供を産み
子供を育ててこそ
人生が見えてくる部分もあり、
味わえる事も増え、

光が育てる地球の命にも
木々にも、岩にも、川にも、海にも
愛おしさと
優しさで感謝できる共有の心に気づきます。

その「命を守る健康」を
生まれてから、
衣服を着る前にまといます。

医療は「命の健康を守る。」
医療は「健康を守る。」

ひたすら、株式会社の定款によって
3人ばかりの現場を把握できない役員に
運営や経理や経営が先行した
会社権力の為の
病院への人事の介入は
子供を産んだことのない、又、育てた事のない
知識と、頭と、会議と、立場で職場を制してゆく
キャリアウーマンに
子育てを任せるような
それにも似た、
何か足りない人事力を感じませんか?

権力や知識や財力や常識を超えた
「やる気」と「気力」を
医師から奪った時

病院は荒廃に向かって、
転がり落ちてゆくのではないでしょうか?

病院の「やる気を奪う」
最悪の時代が来たと哀しく思うのです。

病院や医療はロボット工場ではなく
命という
「瑞々しい心」
「病気と闘う気力を注ぐ」見えない部分が大切な
気力の集団であることを
再認識する時かもしれません。

「非常識な病気の悪魔」の
「ブラックホール」のような
「マイナスの気力と戦う医師」に、
常識や定款で道を説く前に、

「医師の持つ医師独特の力」を
医療だけに使えるように
サポートして、
一切の雑務や
わずらわしい訴訟から解放すべく
マスコミも、
良い社会をつくるための
指導者になってほしいものですね。



   医療の未来が日本の心身の健康を背負うと思いました。